14超常物質
「けほん! えー、今夜は『青嵐寮期待の一年の会』へご臨席を賜り、誠にありがとうございます」
「長げぇ」
「……呼びづらい」
「……『不真面目の会』、『秘密の夜会』? つーか文句言うなら自分も考えろよ」
この夜会の発起人である万が司会を始めると、各所から文句が上がった。各所と言っても五人しかいないのだが。
「名前など、どうでもよろしい。本題はこっちだ」
そう言うと万は、授業プリントの裏に色鉛筆で描いた計画書を見せびらかした。既に消灯の時間は過ぎているので、部屋の中はとても暗い。しかも今日は曇りなので月明かりもない。万が人差し指をロウソクのように燃やしているのが唯一の光源である。
『~青嵐寮一年生親睦会~』と題されたそのプリントには、名前の通り青嵐寮の一年生による一年生だけの一年生のための行事の概要が説明されていた。
「お前って丸文字なんだな」
「ギャップ萌え狙ってるならキモイぞ」
「いちいちうるさいわ。指摘しないと死ぬのかお前らは」
枡米結城は何のことかわかりませんとでも言うように肩をすくめた。
「いいかお前ら。この青嵐寮の色っていうのは自由なところだ。厳しい学校生活の中でも唯一安心して自らを曝け出す事のできる場所であるべきだ」
「つまりどういうことだ」
権田先輩と肩を並べるほどの体格を持つ本庄一茶が、不機嫌そうに瞼をこすった。眠いのだろう。俺も眠い。
「……現状、今の一学年はあまり仲がよろしくない。というよりも着校してから日が浅いせいか、まだお互いの顔と名前すらよく分かっていない。そこでこれだ!」
万はもう一度プリントを見せつけた。
「食堂を貸し切って、次の日曜の夜に宴を開催する! 購買でお菓子やジュースを買って、皆で軽いレクリエーションをしよう!」
「……」
「なんだよ皆。乗り気じゃないのか?」
「日曜日って、次の日に授業があるじゃないか」
遠山英雄は少しめんどくさそうに言ったが、しかし計画自体には興味を示している。忙しいと言いながら面倒ごとに首を突っ込むタイプなのだ。
「土曜にしよう」
「――まぁそれは何でもいいけど。一茶と結城はどうなんだよ」
だが一茶は眠くて不機嫌だし、結城はいつも不満ばかり口にする。
「……協調性がないなぁ。
――あ、そうだ。ついでに、ドイツから来た留学生の歓迎会ってならどうだ?」
その言葉を聞いた瞬間に、結城のまゆげがピクリと動いた。分かりやすい奴め。
「クラスが違うと話す機会もないしなぁ。寮が同じだったとしても女子部屋は聖域だし……」
万の言葉が、やけに静かに通った。
「……異論はないな。なら次の土曜日に決行だぜ」
――やけに人が集まってる部屋があるな……。この位置は、白鳥万の部屋か。
青嵐寮の二年生部屋、その一室で、島村浩二は鍋をつついた。
彼は音が聞こえるわけでもなければ、気配を感じるなどという人間離れした芸当ができるわけでもない。それでも彼が万たちの集会を察知したのはひとえに彼の能力である“熱探知”のおかげだった。その精度は距離によって大きく変わるが、彼の部屋から万たちまでの距離だと、まるでサーモグラフィ写真を見ているかのような正確さであった。
――あの五人か。入学してからまだ一か月とそこらなのに、もう校則破りとは、将来が楽しみだぜ。
浩二が後輩たちの密会を、上級生や教官に密告することは決してない。なぜなら彼は密告する側よりも、される側の人間であるからだ。
「寮長殿、そろそろ鍋がいい感じですよ」
「ふふ、島村学生、おぬしも悪よのぅ」
青嵐寮の寮長である三年の権田恒興が、熱々のつみれ汁をほおばった。
「悪ったって、『消灯時間を過ぎてからカセットコンロを使うな』とは校則には一言も載ってないですからねぇ」
「そういうとこだぞ」
寮の部屋には電気が通っていない。廊下には一応コンセントがあるが、中央棟で一括管理しているため、そこから電気を引くと教官にばれてしまう。だから、夜中にこっそり食事を作るときはカセットコンロを重宝するのだ。
「それで、島村。例の転校生はどうだ?」
「俺に女子部屋を覗けっていうんですか? 向こうには感知系もいるんですから、殺されますよ……」
「違う違う。青嵐寮に馴染めているのかどうかと聞いているんだ。俺たち三年生はそろそろ部隊見学が始まるからな、学校のほうに顔を出せる時間も減るだろ」
「まったくマメですね。……大丈夫だと思いますよ。あんまりお喋りな子じゃないですが、小笠学生と櫻野学生が面倒を見てますから」
「……そうか」
「……」
二人の間で、鍋がぐつぐつと煮えていた。
この二人が同じ部屋でこっそりと、こうして鍋を囲むのは久しぶりだった。
「権田先輩、」
権田が寮長になる前、島村は彼のことをそう呼んでいた。
「……何か隠してますよね。次期寮長の俺にも、伝えられないことなんですか?」
そういうと、権田は何かを深く考え込むように固まった。
「島村、言うまでもない事だが、軍において機密保持違反は重罪だ……」
「……分かってますよ」
島村はニヤリと笑って、同じようにほくそ笑む権田の皿にこつんと自分の皿をぶつけた。
「……島村、旧ヴァチアース領のことをどれ程知っている?」
「ドイツとロシアの間にあった、小さな独立国。ドイツに吸収されてからも、ヴァチアース家が自治する形で半ば独立を認められていた、奇妙な場所です」
「ああ。しかし不思議に思ったことはないか? ドイツからして見ればとても小さな土地だ。しかしヴァチアース家による独自の行政区として存在し、確固たる自治権をもっていた」
「ロシアとの緩衝材代わりの自治区だったのでは?」
「……俺の推測だが、ヴァチアース家は何らかの“超常物質”を所有していたはずだ」
「……!」
島村は緩んでいた姿勢を正して、権田の話に聞き入った。
超常物質とは、簡単に言えば『能力』を持った物質である。有言無実の代名詞である『国家間戦争での能力及び超常物質の軍事利用禁止条約』でも知られるように、超常物質とはそれ一つで戦争の結果を左右しかねない大変なものだ。
「ということは、ロシアがヴァチアース家に伝わるアーティファクトを狙って、今回の軍事進攻を起こしたってことですか? ドイツにそれを利用させないために?」
島村が自身の推論を展開すると、権田は首を横に振った。
「学校長がいうには、『イレナ・フォン・ヴァチアースは爆弾』だそうだ」
「爆弾?」
「ああ。おそらく、利用可能性が限りなく低い、もしくは完全に制御不能なモノなんだろう。ドイツは、ヴァチアース領を併合した時から抱え込んでいた厄介ごとを、今回の事件にかこつけて日本に押し付けたわけだ」
「なんでロシアはそんな場所に攻め込んだんでしょう?」
「――さあな。それが分かるんだったら俺はジャーナリストにでもなってるさ」
「……」
奥歯にものが挟まったような言い方だったが、島村はそれ以上言及しなかった。
「ヴァチアース学生が『爆発』するようであれば、一番に止められるのは俺たち学生だ。もちろん教官も目を光らせてはいるが、限界がある」
やけにべらべらと機密を話す権田だった。
「……この話、機密というよりも、もともと俺に伝えるように教官連中から言われていたのでは? 俺の能力でイレナの動向を監視しろってことですよね」
「監視は行き過ぎだな。かわいい後輩に目をかけてやってくれ、ということだろう」
「……やっぱりそうなんですね。まぁ、プライバシーを侵害しない程度にやっておきますよ」
土曜日。
万たちと一緒に食堂で交流会の準備をしていた誠だったが、意外な来客にその手を止めた。
「やあ櫻野学生。ちょっと顔を貸してもらえるかな」
「三好会長……」
背の高い優男、生徒会長の三好慶が立っていた。防衛生の正装に身を包み、何か訳ありな様子である。
万たちの好奇の視線を背中に受けながら、誠と三好は中央棟へと向かった。
「櫻野学生」
「はい」
「君、もう入部先は決めているのかい?」
三好はさもどうでもいいような世間話であるかのように話を始めたが、言葉の裏には本命が見え隠れしていた。本題は何です、と聞くわけにもいかず、誠は適当に返した。
「いいえ。中学校では水泳部だったので、そのまま続けようと思っています」
「……防衛高の運動部を、そこらの学校の部活と混同して考えると痛い目に合うよ? まあ、文化部が楽だというわけでもないがね」
「ならどの部活に入ればいいんです?」
「――そもそも部活に所属しないという手もある。君も知っての通り、防衛生は基本的に全員が何らかの部活動に所属することを義務付けられている。しかし唯一それに当てはまらないのが……」
「生徒会本部役員ですか? 特例というよりも、生徒会は部活動にカウントされていますからね。正確に言えば文化部の一団体に所属することになるのでは?」
「……つまらんことを言うね」
言いたいことをほとんど言われた三好は、口元をすくめてぼそっとつぶやいた。
「……君、世間話とか嫌い?
まぁいいや。早い話がね、君、10月の生徒会選挙に立候補しない? 今ならなんと俺の推薦状付き」
誠は表情を変えないように努めながら、三好の顔を覗き込んだ。きわめて冗談っぽい表情だった。
この学校で生徒会選挙といえば、つまり『生徒会長』に立候補するということだ。日本の内閣制と同じで、トップに立ったものが自分の一存で回りを固めることが出来る。副会長や会計等のその他の職務は、会長によって後に作られる。
一体どういうつもりだと本気で悩んでいると、三好はポンと軽く背中をたたいてきた。
「――冗談、冗談。そんな深刻そうにするなよ。どうせ君、トップに立つ器じゃないし」
ちょっとむかついたので言い返そうとすると、三好は片手でそれを制した。
「リーダーを拝命したら全力で頑張るけど、周りがついてこないと自分のせいだと思って空回りするタイプだろ君?」
「……一体何の話をしてるんですか、これ?」
「いやなに、君に個人的な興味があってね。特にその空間系能力に」
「……!」
誠は、動こうとする顔の表情筋を、歯をぐっと嚙合わせることで抑えようとした。
しかし三好は見透かしたような顔でへらへら笑っているだけだった。
「君は本当にポーカーフェイスが下手だね……。表情をゼロにしようと思っても、人間にそれは不可能だ。だから隠したい感情に気取られないよう、別の感情で隠すのさ。僕みたいにね」
そういって、生徒会長は人差し指で頬をくいっと持ち上げた。顔に糊ではりつけたような、お手本のような作り笑いだった。そして、そのまま続けた。
「櫻野誠。君は鬼人の息子なんってね。この前、武田陸将から聞いたよ」
「……! なんであの人が…」
はっと息をのんだ誠だが、その様子を三好は静かに眺めていた。
「…………君、本当にこういうの下手糞だね。そうか、もしかしたらとは思っていたけど、武田陸将とも知り合いだったとは……」
かまをかけられたと気づいたときにはもう遅く、三好は張り付けたような顔で勝ち誇っていた。
「あの、三好先輩。この事は……」
「分かってるよ。日本防衛軍のトップが一枚嚙んでいる案件に、一介の学生が首を突っ込んだらどうなるか位、分かってるさ」
三好は言い聞かせるように、そう言った。
誠は中央棟の三階に案内された。普通の学生が中央棟に入るのは、一階の売店に寄るときか、二階の教官室へ立ち入る時だけだ。三階には応接間と、その他よくわからない部屋が並んでいる。立ち入り禁止というわけではないが、生徒からして見れば縁遠い場所である。
「僕はここまでだ。お客さんが応接間にいるから、待たせないようにね」
秘密を隠したい時はとにかく笑っていればいいよ、とアドバイスを残し、三好は去っていった。
――お客さん……三好先輩が急にあんな話をしてくるということは、もしかして、
「入りたまえ」
重厚なドアをノックすると、中から落ち着いた声が聞こえてきた。
「……失礼します」
落ち着いた色のソファーに腰かけていたのは、白いひげと髪を軍服に包んだ老人だった。しかし老人とは名ばかりの壮健な体躯を誇り、ただそこに存在しているだけで空気が重く張り詰める。日本が世界に誇る能力者の一人、武田信綱陸将がそこにいた。
「まぁ座り給え、櫻野学生」
「……失礼します」
――高級官僚が護衛も付けずに視察かよ、よっぽど公にしたくない何かがあ――
「動くな」
その刹那、背後から伸びてきた腕に首元を抑え込まれ、誠はあっという間に拘束された。
首に手が触れるか否かという瞬間に身体強化を発現したものの、動き出しの初動がすべて潰され、さらに全身の関節を極められて動くことも叶わない。
誠は、まばたき一つせずにやけに落ち着いた武田を見て、体から力を抜いた。
「参りました。竜彦おじさんでしょ?」
「バカ、どこで誰が聞いてるともわからんのに、本名で呼ぶ奴があるか」
竜彦は長身の誠を苦労もせずひょいと投げ飛ばし、受け身をとった誠はそのままソファーに着地した。
「能力の発現は多少早くなったみたいだが、基本の体術がそれじゃあ宝の持ち腐れだな。それよりも、お前には陰謀術数をもっと教え込んでおくんだった。あの三好とやらに手玉に取られてたじゃないか…………。どうします?」
「やめておけ。学生にも少しは理解者がいたほうが良いだろう。それに、三好学生なら情報の扱い方を心得ているはずだ。どうやら先程も“聞かれている”ことに気づいていたようだしな」
竜彦は上司に目配せすると、武田は首を横に振った。
「ちょっと、怖い話するのやめてもらえますか。今さらっと盗聴の告白をしましたね?」
「あと三好を消すかどうかもな」
櫻野竜彦は不満そうにする甥の横に座り、武田はやれやれといった風に肩をすくめた。