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防衛高の日常  作者: 兄鷹
第一章 始まりを告げるラッパ 編
15/19

12嵐の新人

 銃器の訓練とは何をするのか?


 初めの内はわずかな期待を持っていた男子生徒たちも、銃の各部位の名称の暗記や手入れの方法がずっと続けば飽きてくる


「だー! 今日もまた銃の解体と組み立てかよ! 二時間ぶっ続けとか死ぬわ。単純労働がメンタルにくるって本当だな!?」


 ようやく銃器の取り扱い訓練が終わった時、万が椅子の上でのけぞった。

 誰も答える者はいないが、しかし皆同じ気持ちだった。銃の構造はとても複雑で、不慣れな初心者だと解体するのに三十分以上掛かる。そして組み立てるにはもっと多くの時間を要し、まるで三次元の立体パズルを解いているかの様な気持ちになる。


「銃がメンテナンスが必要な武器だってのは知ってるけどさ、もっと形から入った方がテンションとかモチベーションとか上がるよな?」


 万は指でピストルを撃つ真似をして、口で擬音を付けた。


 銃とは個人で携帯できる武器だ。訓練さえ受ければ誰でも扱う事が出来、簡単に強くなることが出来る。

 銃を使う事で、誰であっても平均的な強さまでは担保される。軍においてはこの平均的強さが重要で、誰か一人だけ突出した能力を持っていても意味がない。それ以外にも、回復系の能力を持つ冥沙など、戦闘に直接かかわることは出来ない能力者にとっても、銃は戦場で生き残るための重要な武装なのだ。


 すでに銃の教本が配られてから、一週間が過ぎようとしていた。

 皐月戦も本番が近づいてきて、上級生の間にはピリピリとした緊張があった。


 そして、Aクラスに転校生が来たのもちょうどそんな時期だった。




















 ――パッパラッパパッパパラー、パッパラッパッパッパラ~


 誠はいつものように起床ラッパで跳ね起き、半分寝ながら着替えた。寝癖は手櫛で強引に直した。

 掃除道具入れからバケツを取り出し、青嵐寮の外にある蛇口から水を汲む。朝の雑巾がけは手が冷たいがこれでもまだ五月だ。一月の水掃除は、全員が手を真っ赤にしながら行うらしい。


 防衛高において食事は数少ない娯楽だ。一年生の朝食に与えられる時間はスズメの涙だが、それでも味わって食べる。朝に弱かった者もいたが、この一ヶ月でかなり鍛えられた。朝食をしっかり食べなければ、身体が一日と持たないのだ。無理して食べないと、本当に倒れてしまう。


 国旗掲揚に国歌斉唱、続いて朝点呼。お決まりのルーティンを順調にこなしていくが、一つひとつに気持ちを込めるのを忘れない。手を抜いているとすぐにバレる。先輩や教官からの叱咤が飛び、一年全員で連帯責任の空気イス、もしくは腕立て伏せだ。

 最初はあまりの理不尽さに眩暈がしたが、今ではそうでもない。毒されたと言えばそうなのかも知れない。ちゃんとやる時はきちんとするからこそ、時にふざけても許してもらえる。その青嵐寮の雰囲気が、誠たち一年にも染みてきたのだ。

 いつも制服を着崩している奴はダサいが、普段はきちっとしている奴が不意に着崩すとカッコよく見える。例の不思議現象と同じだと、誠は考察している。






 始業の十分前には、誰一人欠けることなく全員が教室にいた。開始時間に遅れるなど論外だからこその行動だが、今日はそれだけではなく、桑名教官から早めに教室へ来るよう指示されていたのだ。

 程なくして桑名が教室の扉を開け、やる気があるのか無いのかよくわからない普段通りの顔を覗かせた。出席簿を少し乱暴に教卓に叩きつけ、ぼりぼりと頭を搔いている。普段通りに振舞ってはいるが、行動の節々から苛立ちや不満が感じ取れた。


「あー。今日は君等に嬉しいお知らせがある」


 桑名は目線をせわしなく外へと向けながら、心ここにあらずと言った口調で話し始めた。


「なんと、クラスAに新しい仲間が増えることになった」


「て、転校生ですか? 女子でしょうか!?」


 クラスAの突撃隊長が全員が気になる質問をすると、桑名は表情を一切動かさずに頷いた。


「喜べ白鳥学生、長身の美人転校生だ。では紹介しよう………

 ……Komm rein.」


「……?」


 ドイツ語専攻の者以外は、頭の上に疑問符が浮かんだことだろう。


 長身の金髪令嬢(フロイライン)という言葉がぴったりな、エキゾチックな面立ちの女だった。その女は柔らかそうな金の髪をなびかせ、教壇の中央に立った。顔からは表情といった類のものは何も読み取れず、冷たく堅い印象を受ける。


『イレナ。イレナ・フォン・ヴァチアース』


 短くそれだけ言うと、イレナはこれからどうするのかと問い立てるように、桑名を睨み付けた。


「……ドイツから来たイレナだ。日本語はまだ勉強中なので、ドイツ語専攻の奴は率先してコミュニケーションを取るように…………櫻野学生」


 誠は、桑名が周りを見渡した段階で嫌な予感がして視線を逸らしたが、すでに遅かったようだ。

 今日一番の笑顔で桑名は笑った。


「マイヤー先生が誉めてたぞ、櫻野学生は語学に強いとな」


「……ありがとうございます」


 クラス中から同情と嫉妬が混ざった様な視線を浴びながら、誠はしぶしぶ言った。


「後は……小笠学生」


「はい……!」


 桑名は、クラスAの女子三人組の中では唯一のドイツ語専攻である冥沙の名を呼んだ。


「たしか、櫻野と小笠学生は寮も同じだったな。……丁度良い、ヴァチアース学生も青嵐寮だ。二人が責任を持って防衛高での生活を教えたまえ」


 うつむきがちだったイレナが少し顔を上げて、冥沙と誠を順番に眺めた。イレナはおもむろに口を開けて何か呟いたがそれに気づいた者はいなかった。


 透き通った銀色の目を見開き、じっと誠を見つめる。


 よくやくその視線に気が付いた誠が顔を上げると、イレナはそっと目を逸らした。

 不自然な動きを見せた誠に、万が声を掛けた。


「どうした誠?」


「……いや、別に」


 そうは言ったものの、感情を見せなかったイレナがふと見せた動きが、誠の心からなかなか離れなかった。


























「私、日本語も少し話せます」


 午前中の授業は基本的に日本語で行われる。

 防衛高の教官と呼ばれる人たちは防衛軍上がりの軍人がほとんどだが、高校生たちに勉強を教えるのは普通の高校教師だ。防衛高と提携している普通科高校から先生がやってきて、教員免許を持っている大人が授業を行うのだ。


 防衛高の教官が教員免許を持っていないというのは本当で、桑名や中条ら教官が持っているのは軍務経験だけである。もちろん語学や数学を始め勉強もそれなりに出来るのだろうが、彼らが教えるのは戦略系科目と午後の実習訓練などだ。


 イレナは日本語を多少理解できるらしいが、流石に日常会話程度だ。授業中はドイツ語教師らがつきっきりで教えている。


『あれはどういう意味なの?』


『カルタゴとローマの戦争を解説してるのかな?』


 教室前のホワイトボードには桑名がへばりついて、カルタゴ軍とローマ軍の布陣を書きながらやり難そうに解説していた。



 昼食の時間になるとイレナの横には冥沙が座って、ドイツ語と英語を織り交ぜながら何とか話していた。


『どうして日本に来たの』


『好きで来たわけじゃないわ』


『…………』


 質問をしてただそれに答えるだけの会話だったが、言語が違う者同士のコミュニケーションなどこんなものだろう。


 クラスメイトはイレナに話しかけようとしていたが、やはり躊躇っている者も多い。イレナは他の皆と同じように昼食には白米と味噌汁とサラダを食べているが、たまに顔をしかめながら水を飲んでいる。


 誠は遠くからイレナの視線を感じながら、もしかして知り合いだったかと考えを巡らせていた。しかし金髪の外国人なんて一度見たら忘れないだろうし、誠の知り合いにも親戚にもドイツ人はいない。


「なあ櫻野、あの転校生お前の事めっちゃ睨んでるけど何かあったのか?」


「……初対面だと思うけど」


 誠が目を合わせようとすると、イレナは居心地が悪そうにすっと視線をそらしてしまう。


 先輩らから話を聞く限りでは、どうやら防衛高に転校生が来たというのは初めての事らしい。ましてや国外からなど前代未聞だ。

 朝のHRでの桑名の面倒ごとを押し付けようとする強引さも相まって、何か裏にあるのではと邪推したくなる。


 それにヴァチアースという姓だが、どこかで聞いた様な気がするのだ。


 誠は茶碗に残った白米をかきこんで、すっと立ち上がった。腕時計を覗き込み時間の余裕を確認する。


「ちょっと図書館行ってくる」


 そう言い残して、誠は食堂をそそくさと出て行った。

 残された孝太郎はその背中を眺めながら、同じようにその背中を見つめるイレナに気付いた。

 その瞳に感情らしきものは見られない。しかし孝太郎にはどこか親近感の感じられるものだった。



 孝太郎が食堂を出て午後の演習場へ向かおうとしていると、後ろからふとイレナが現れた。


「えっと、グーテンターク……?」


「…………」


 イレナはぱくぱくと口を動かして何を言おうか迷っているようだったが、やがて適切な言葉を見つけたのか、虚ろな二つの銀色を孝太郎に向けた。


「……Herr櫻野は、日本人なの?」


 孝太郎は、一瞬何を聞かれているのか分からなかった。誠は確かに色素が薄く、焦げ茶色の様な栗色の髪を持っている。しかし顔立ちは典型的な日本人風だ。そもそも現代において、アジア風だとか欧米風だとか見た目で判断できるアイデンティティなどあるはずがない。


 その上で孝太郎は逡巡した。櫻野誠の親とは一体何なのか、と。二種持ちという特異な性質から、片親が強化系能力、片親が空間系能力を持っているはずだ。しかし、空間系能力者は絶対数が少ない。もし親が軍人なら、同じく軍人の親を持つ孝太郎が知らないはずはない。そもそも、()()されている空間系能力者の顔など、そこらの一般人でも知っている。


 ――櫻野の両親は日本人なのか?


 誰でも思いつく単純な疑問だった。

 しかし、誠があまり家族の話をしたがらないのもあって、彼の家族構成や両親について知ることは何もない。


 ――空間系能力者……。


 孝太郎の胸の内にふと突拍子もない考えが浮かんだが、それは言葉になる前にすぐに沈んで行った。孝太郎自身、その考えに気付いていない。


「櫻野の両親は、たしか関東に住んでるはずだ。新宿事件の被害からギリギリで逃れたって……」


「親戚がヨーロッパにいる?」


「……正直分からない。けど、そんなの今時珍しくも何ともないだろ?」


 ローコンテクスト(曖昧)な会話に苛立っているようなイレナだったが、やがて諦めた様に項垂れた。必死で心情に合う日本語を探しているようで、両手をせわしなく動かしている。


「……彼は空間系能力者なの?」


 何も事情を知らない孝太郎だったが、イレナが何か核心を突く質問をしたのだという事は分かった。場の空気が一変し、イレナの後には引けないという覚悟がひしひしと滲み出ている。


 ――イレナは櫻野の親を……空間系を持っている人物を知っているのか? その人は日本人ではないのか?


 心の底でくすぶっていた突拍子もない妄想が、突然具体的な形を伴って孝太郎の手元に現れた。


「……能力は大事な個人情報だ。櫻野に聞けよ」


 午後の授業は能力を用いた実践的な訓練である。こんな時間稼ぎもすぐ無駄になるだろうが、とにかく自分の口から何かを話す事は躊躇われた。


 孝太郎はその場を立ち去った。イレナと再び出会わないように、少し遠回りして演習場へ向かった。



















 現在、ドイツ西部はロシア連邦と国境を接している。それは先の大戦でロシアがヨーロッパへ国土を拡大したためであり、ロシアに吸収されるのを嫌がった諸国がドイツに合併することを望んだからである。

 喜んでドイツに合併されていく東欧諸国の動きに、仏英を始めとした大国はナチ時代の再来を想起せざるを得なかった。しかしドイツもそれは重々承知の上であり、元々ドイツとロシアに挟まれる形で存在していた小国等はEUでの分割統治という形になった。

 第三次世界大戦を経てEuropean UnionはEuropean Assembly……つまり現在のEA諸国となった。その時に分割統治されていた土地は、諸国にとっては飛び地で統治しづらいという事もあって、まるまるドイツの行政下に置かれることになった。


 その中の一つに、ヴァチアースと呼ばれる独立国が()()()



 ――どこかで聞いたことがあると思ったら……。


 図書館には各社の新聞記事や雑誌も置いてある。学生は自由に読むことができ、申請すればバックナンバーも貸し出し対象である。


 ……ドイツ連邦ヴァチアース領とはロシア南下の最初の被害を受けた土地だ。すでにロシアが実効支配しており、ドイツをはじめとしたEA諸国軍は手を出しあぐねている。


 新聞をいくらめくっても、ヴァチアース領の領主……旧国主の一族がどうなったかというのは書いていない。


 ――亡命してきた元お嬢様ってところか。しかし何故ドイツ国内で保護しなかったのか……。


 元々他国とは言え、現在はドイツの領土だ。難民受け入れに抵抗のある国でもないし、何か裏があるのだろうか。

 いろいろと考えてみたが、誠には何も分からなかった。何故イレナが自分をじろじろと見てくるのか。実は知り合いだったという事は決してないし、そもそも誠は海外に行ったことが無い。


 イレナの不自然な視線が思い出される。目だけは合わせないように誠の顔を眺め、そしてゆっくりと視線が上がっていく。


 いったいどこを見ていたのか。

 誠は自分の顔の上、頭の上にポンと手を置いた。そこには栗色の髪がある。茶髪と言っても着色剤で染めた様な眩しい色ではなく、他の人よりも少し色素が薄い程度の色である。しかしそれでも日本人にしては珍しい髪質だった。


「……っ!」


 頭皮に鋭い痛みを感じて、はっと手を離した。

 無意識のうちに、手が赤くなるほど自分の髪を固く握り締めていた。


 誠は手櫛で乱れた髪を軽く整え、演習場へ向かった。

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