第2話「アルフレッド・シルバーニ」
絢爛な大扉を抜け、青年は足早に城外を目指す。
なにしろ彼にとってここは、敵地も同然の息苦しい場所なのだ。
『あーりゃりゃ。休みなしかよ』
そんな青年の脳内で、再び“念話”が響く。先程街中にいた黒髪黒眼の男のものだ。
『あんた、少しは黙ってられないんですか』
青年もまた念話で返す。なので傍目から見れば、無表情な青年が通路を歩いているだけだ。
『無理だね。俺はこっちに来て以降、独りが長かったんで、会話に飢えてんだ』
その“声”は心底楽しげだ。
一方、青年の機嫌は反比例するように悪くなっていく。
『にしても、お前がケガ痛むって言った瞬間、あの王様、ニヤけたよな。何気に気持ち悪かったぞ』
『今度こそ、僕が死んでくれるのではと期待したんでしょう』
青年の答えは淡々としていた。彼からすれば見なくともわかることであり、既に何とも思わない。
『……テメエはヘラクレスかよ』
『それは人名ですか?何の話です』
『いや、いい。こっちの話だ』
『……』
話を打ち切った男に、青年は眉をひそめた。それが表しているのは不満だが、男はその様子に気づかない。
『そんなに王様から警戒されてんのは、やっぱりお前の魔力のせいか?』
男は青年に尋ねる。
まさにそうだった。
矢継ぎ早に魔物の討伐任務を充てられるのは、王都と地方を往復させ、そのどちらにも人脈を築かせないため。同時に、常にアルフレッドの体力を消耗させておくことも狙っている。
こういった青年の状況は男も薄々察していたが、しかし、ここまであからさまな敵意と警戒を伴うものとは思っていなかったらしい。
だが、その渦中の青年は、相変わらず他人事のような調子だ。
『もちろん。王家の血筋を上回りかねない僕の魔力は、まさに国として眼の上の瘤でしょうし――』
『――それにこの“耳”は、僕が普通じゃない事の証だ。そこらの者たちを見ればわかるでしょう。皆、僕の耳を見て顔を顰める』
彼の言う通りだった。
王城の通路には政務に携わる文官に、城内をまわす女官たち、その他様々な者たちが立ち働いている。そのほとんどが、アルフレッドが通りかかれば恐れたように顔をこわばらせ、その“耳”を見ては眉をひそめている。
本人たちは精一杯隠しているつもりのようだったが、動体視力が優れた青年にはすべてが視界に入っていた。
『……別に兎の耳みてーでカワイイと思うけどなあ』
『……』
男は納得のいかない様子で宣うが、それに対するアルフレッドはピクリと眉を跳ねさせたのみで無言だった。
実際、青年の“耳”は横に張り出し、先が尖った形をしている。男の知る表現では“エルフ耳”と言えるだろう。
だが、アルフレッドのような外見を、この世界では「エルフ」ではなく、「亜人」と呼ぶのだ。ニュアンスとしては、地球の西欧で伝承される“取り換え子”が近い。
男には抵抗ある呼び方だった。
そのため、男は青年の耳を“兎の耳”のようだと言ったりする。確かに、大きいだけに細やかに動くその耳は、青年の心を多少は窺い知れて面白い。男にとっては好ましいものだった。
初対面時に「苗字も“シルバーニ”で、某兎のお人形、思い出すしな」とも男は口走ったが、当然この世界では通じない。
『ま、俺さえいりゃあ、休みなしで次も大丈夫だろうよ、安心しな』
『……』
常に鉄面皮なアルフレッドの顔が、この瞬間、盛大に顰められる。「誰が頼るか」とでも聞こえてきそうだ。
ただ、彼は良くも悪くも注目の的であるため、その顔を顰めた瞬間は多くの者たちに見られていた。それに、大概無表情な美貌の青年が不機嫌そうにしているとなれば更に目立つ。
そんな瞬間を目撃することになった者たちは、青年の機嫌が相当悪いのか、怪我が重いのか、あるいはその両方だろうか、と盛大に噂し、その珍しさに再度眉をひそめていた。
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「まったく、あなたのせいで要らない嘘を吐くことになりましたよ。どうしてくれるんです」
城から退出し、自邸へと戻ってきたアルフレッド・シルバーニは、書斎に置いた気に入りのソファーにドサリと腰を下ろし文句を言った。
『いやあ、あれはさすがに謝る。すまんかった。……もしかして、ケガしたなんて言ったから、王様の意地悪で休みなしなのか?』
それに念話で返したのは、黒髪黒眼の男――ではなく、大きな黒い虎。
銀の縞に、瞳も銀。体躯は3 mに近いだろう。
青年が部屋に入室した瞬間、それが青年の影から這い出るように現れ、もう1つのソファーに乗りあがっていた。
場所が場所――豪奢な内装の一室なだけに、その大きな獣が悠々と寝そべっている様は異様だ。
しかも、魔力を纏い、人間の言葉さえ操るとなれば、それはただの獣ではなく、“魔物”。国から問答無用で討伐命令が下される存在だ。
「別に休みが無いのはいつものことだからいいんですよ。
それに、都にいたって要らぬちょっかいを出されるだけだ。例えば、他国人の前に飾り物として召喚されたりね」
『……』
青年の返答に、虎は思わず目尻を下げて黙す。魔物にしては何とも人間臭い。
一方、他人からすれば衝撃的なことを口にしながら、アルフレッドの様子は至って平然としていた。
「僕が言いたいのは、嘘でも弱みをつくってしまったことですよ。もっとましな嘘をつけなかったこっちの落ち度でもありますが、これから短い間でも身辺が騒がしくなるかと思えば気が滅入る」
物憂げな表情を浮かべる様はまるで絵画の一場面のよう、なのだが。
『……え、もしかして、“弱ってるうちに暗殺しろ”とか言われちゃう感じなの』
口にしている内容は何とも引き続き衝撃的だ。虎としてはぜひとも否定してほしかったのだが……。
「ええ、そうですよ。全く呆れたことにね」
過去を思い返したのか、アルフレッドの眉間に皺が寄る。
実際、青年が何か弱みを見せると、すかさずそこを突き、彼を追い落とそうとする人物や派閥があるのだ。しかも暗殺さえ辞さない。
ただ、国王とは別だ。彼は最大級の警戒を青年に向けているが、一方でアルフレッドは対魔物用の“武器”でもあるのだ。王としては生かさず殺さずがベストだ。
だが、例えばその他の王族にとっては違う。
アルフレッドの地位は特殊だが、扱いとしては公爵に等しい。
しかも魔力の高さとその有能さも加味すれば、王太子以外の王族からすると目の上の瘤どころではない。下手をすれば立場をとって食われかねないのだ。
特に第二王子あたりは、討伐任務を青年にことごとく奪われるため、その短慮な気性も合わせ、暗殺を考えてもおかしくはなかった。
それに、“亜人”であることやアルフレッドの生まれを理由に、彼を毛嫌いしている派閥もある。
前述したが、アルフレッドの地位は特殊だ。加えて、生まれながらにその地位を得ていたわけでもない。
元を正せば出自も定かでないアルフレッドが、なぜそんな特殊な地位についているのか――。
それには、オルシニア独自の叙勲制度が関係し、その歴史は建国当時にまで遡る。
この国――オルシニア王国は、かつてこの地にあった別の王朝を打倒し建国された国だ。
そしてそのクーデターを主導し、のちにオルシニア初代国王となった男は、これといって高貴な生まれではなかった。
そのため、国を興し初代国王として即位するにあたり、王権の拠り所が求められたのだ。
それが、自身とその子孫の“莫大な魔力”だ。
健国王は魔力に優れた男だった。その力で前王朝を打倒せしめたし、魔物の襲撃も度々退けていた。
その魔力の高さを“神々から選ばれた証”と定め、自らの王権を正当化したのだ。
つまり、この国において魔力が高いことは“高貴な生まれ”の証とされている。
そのため、一定以上の高い魔力さえ発現すれば、それがどんな生まれの者であれ、「雄爵」という特殊な位が与えられるのだ。
更に、その位の高さは魔力量に左右され、際立って魔力の高いアルフレッドは、規則に照らし公爵に並ぶ扱いとなる。
普通であれば、これほどの高位を得る者が、王族以外からでることが稀だ。
そのため貴族や、ましてや王族と縁のないはずのアルフレッドに高い魔力が発現した当時は様々な物議をかもした。
王政下であっても、建国に関わる法を改定するのはさすがに簡単ではない。だからと言って、血筋の定かではない者を高い地位につけることは躊躇われる。
それに、アルフレッドには文武両道にも突出した才があった。
王族にさえ取って代わりかねないと危険視されたうえ、“亜人”と蔑称される見た目への差別もあわさり、どのように彼を遇するべきかあらゆる論争が巻き起こったのだ。
結局のところ法に則ると判断が下されたが、勿論、全会一致の結論ではない。国王でさえ、あらゆる選択肢を検討した末、建国法を改定するよりもマシ、と消極的な判断をしたにすぎない。
このような背景があるために、アルフレッドはあらゆる方面からその存在を疎まれている。
また一方、中流に位置する野心ある貴族たちには、アルフレッドをうまく取り込み傀儡にできないかと考える者もいた。
アルフレッドは、国内で魔物の被害が出れば真っ先に討伐任務に充てられる通り、実質的なオルシニア現国王の快刀と言える。その上、亜人であることを除けば、容姿は最高。
まだ表立ってはいないが、むしろ取り込もうとする動きの方が積極的だ。中にはかなり悪質な手段も辞さないような場合もある。
『…………アルちゃん、苦労してんのね』
「それやめろ。……“兎”と言われないだけマシですが」
人型であったなら、虎としては青年の頭を撫でてやりたいくらいだった。
ただ、本人は猛然と拒否するだろう。なにしろ“アルちゃん”呼びだけでもこの通り。
『まあ、さすがにそこまで被っちゃうのは不味いかなーと思ってね。自重してんの』
「……また何、言ってるのかわからないんですが」
『今のもこっちの話。気にすんな』
虎は純粋に、相棒のエルフ耳が、兎の様に細やかに動く様がカワイイなと思っていた。そのため、愛称としてパッと“バニーちゃん”が思い浮かんだのだが、しかし。
1つ、問題があった。
それだと、虎が前の生で気に入っていたとあるアニメと色々被ることになってしまうのだ。
その事実に気づいた瞬間、虎には衝撃が走った。言語化すれば「あの神作品を俺如きが……!」といったところか。
そこで、試行錯誤した結果の“アルちゃん”呼び(むしろ至って自然な選択)、だったのだが。
当然、青年には何のことかわからない。
これ以上なく呑気に構えていた虎に対し、この瞬間、ついにアルフレッドの機嫌が底辺をぶっちぎった。
青年の美麗な顔が苛立ちで歪む。
実際のところ、アルフレッドは今に至るまでかなりの苛つきを蓄積させていた。そこに、虎の一方的な物言いが度重った結果だ。
「……だったら、最初から言わないでください。言うだけ無意味でしょう」
想定よりも怒気の籠る声音に、虎は驚く。同時に、じわじわと青年が不機嫌になってきていたことにようやく気づいた。
特に今日は久しぶりのストレスフルな登城と謁見をしたこともあり、彼の機嫌は普段よりも悪かったのだ。
「それをわかっていたはずなのに」と、虎は後悔とともに謝りかけ――。
「あなたは世界を超えたし、もう人間でもない。いい加減、別世界の話を持ち出して、1人で納得しないで下さい」
青年の放った言葉に、虎もまた瞬間的に苛立った。
一瞬にして、部屋の空気が緊張し、虎は青年へと鋭い一瞥をくれる。
その眼光はまさに獣のそれで、慣れない者なら震えあがっただろう。
『……なに、お前。俺が“元は人間だった”なんて話、信じてくれんのかよ』
念話ながら、迫力の籠った“低音”が室内に放たれる。
虎にとって、自分が既に“人間でない”ことを突き付けられるのは地雷だった。普段は気にした素振りもないが、やはり人外となった事実はそう簡単に受け入れられるものではないのだ。
だが、その怒気を向けられた青年はびくともしない。
「少なくともあなたにとっては真実なんでしょう。僕にとってはそれが真実だろうがそうでなかろうが関係はない。あくまで話を合わせるだけだ」
『……』
むしろ煽るようなことを言う。
すっかり一触即発、といったところだったが……。
しかし、その空気は長く続かなかった。
虎が打ち切ったのだ。
唐突に眼を閉じて身体を弛緩させ、ため息を吐く。
『…………ホント、お前は見た目だけは最高に整ってるのに、素直じゃねえし舌鋒鋭いよなあ。俺はいい加減、ライフがゼロだぜ?』
――そもそも。
先程の言葉も青年なりに大真面目にレスポンスしただけであって、煽ったつもりはないのだ。
人との会話に慣れていない青年は、こんな感じで、意図せず人の神経を逆撫でしてしまうことがよくある。
始めのうちは虎もそれが分からず、深刻な言い合いに発展したこともあったが、今ではその青年の特性をよくよく承知している。
そのため、今更この手の言い合いは長引かぜず、軽くちゃかすだけで退いてやるのだ。心情としては「年長者の俺が譲ってやらなきゃなあ」といった感じだ。
「……また意味不明なことを」
一方、その言葉とは裏腹に、青年の語調も元に戻ってきていた。加えて、その表情にはわずかに気まずさが透けている。
八つ当たりの部分もあったと自覚したらしい。
虎はそんな青年の変化に気づきつつ、言葉を返す。
『今のは想像つくだろうが。要は、傷ついたって言ってんだよ。お前は、もう少しコミュニケーションに慣れた方がいい』
「……こみゅに?」
これでも虎は人生経験が豊富だった。周囲の環境に恵まれてこなかった若人――アルフレッドに対して、憐憫に近い感情もある。
それに、青年はこう見えて素直な部分だってあった。わからないことを隠さないし、不満があればちゃんとそれを表明できる。
だから、他人に教えることが何気に好きな虎は、なんだかんだ根気強く付き合ってやってしまうのだ。
『言語が違うと自動翻訳されねえのか?だが、もう日本語みてえなもんだろ……。
……いや、いい。今言ったのは、他人ともっと会話して、もっと慣れろって言ったんだよ』
「それなら今やっていますよ。この僕が、これほど長く言葉を交わすのはあんたが初めてくらいだ」
『…………そうかい。ならこれから時間はたっぷりある。精々練習台になってやるよ』
そう、まさに時間はたっぷりあるのだ。
少なくとも、青年の命が尽きるその時までは。
「なんですか、その恩着せがましい言い方」
『……ああ、はいはい』
とはいえ、これからの永い付き合いに、虎が一抹の不安を覚えても、しょうがないことではあったが。
第2話「アルフレッド・シルバーニ」