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第一話 物理の街かど、電影の君

(序)

 お菓子で出来たビルと、鋼鉄で固められたスチームパンクなビルの間を、よく飼いならされた飛竜が、様々な衣服を身に着けた人を乗せて走り抜けて行く。

 飛竜なのに走る?

 時は西暦二〇四二年。

 スマートフォンに代わり、バイザー型のスマートゴーグルが普及した事は、街の景観やファッションにまで波及していた。

 服や建物、自動車までもが、それに仕込まれたマイクロチップにより、スマートゴーグル(通称ゴーグル)を通して見た時にはAR、拡張現実の機能で、その姿を変えるのだ。

 お菓子でできたビルは老舗洋菓子店の建物であるし、スチームパンク風のビルは家電量販店である。

 翼を持ちながら走り去った飛竜は路線バスである。

 ゴーグルを外すか、ARビジョンを切れば、現代に比べれば多少の差異こそあれ、ビルはビルでしかないし、バスはバスでしかない。

 

 二〇三五年頃を皮切りにゴーグルは世代に関係なく、広く普及しはじめた。

 普及の当初は手に持ち画面を覗き込んで使うスマートフォン式のデバイスと違い、網膜の位置でゴーグル内のアイコンを指して使う操作に慣れず拒否を示した者も多かった。

 しかしながら、絶えず正面を向いていられながら、デバイスからの情報を得られるとして、ビジネスシーン等での導入が多くなり、引いては、いわゆる歩きスマートフォンという社会的な弊害を解決するとして、各国政府がこれを推奨した。


 また一社による寡占ではなく、安価な端末が世界中で作られ、同時に普及していく中、日本において初めてARを用いた都市構想が日の目を見た。

 新宿幻想都市区画、通称『ファンタズムシティ』である。

 従来のビルを建て替える事なく、ゴーグルを通して見る事で、ありふれた商業施設群を、ARでカバーリングし、先進的な、はたまた幻想的な景観に変えるというエンターテイメントを熟知した、日本らしいプロジェクトだった。

 ファンタズムシティは好奇とも好気ともつかぬものの、見る者の目を引き、国内はおろか世界中からも観光客が増加し成功を見た。

 無論、規模こそ大きいものの、技術的には然程難しい物ではなく、雨後の筍よろしく、日本中の、世界中の都市がこれに倣い、ゴーグルの中で大きく姿を変えていったのである。


(1)

「今日から君たちには卒業制作に取り掛かって貰う」


 東京は目黒にあるデザイン学校のARデザイン科の教室で初老の教師が言った。


「あの、先生俺達まだ2年で、卒業までには二年以上あるんですけど……?」


 生徒の一人が言った。

 例年、卒業制作はいわゆるゲームのCGの様なテクスチャを用いた模型を使った物で、その準備期間はせいぜい一年間程、三年に上がってから行うのが慣例だった。事実、教室にいる生徒達より、一学年上の生徒達は現在、鋭意製作中であった。


「幸運な事にな、君たちの代から変わるんだよ。模型に貼り付けるテクスチャじゃない、現実の建物を、いや街の区画ごと、君たちにはAR化してもらう。君たちは卒業後、ARデザイナとして活躍していく。それを在学中に経験できるチャンスだと思って、頑張って貰いたい」


 教師の声はどこか誇らしげで、朗らかであったが、当の生徒達とでは温度差がある。




 ここ目黒イノベーションデザイン専門学校は、大学ではないものの、美大や芸大にも引けを取らない入学難度を誇り、四年制のカリキュラムで、先進的なデザインを教える学校であった。

 そこに数年前、国内初のARデザイン専門の学科が新設され、昨年、一期生が卒業したばかりであった。

 しかし現在、ARデザインは多岐に渡っている。当初はファンタズムシティの様に建築物に対して施すというイメージだったが、現在にあっては、自動車や船舶等の乗り物、衣服、家具や家電にと、その対象を広げている。

 件の教師は、ファンタズムシティの計画段階から携わった人物で、ARデザインと言えば建築物こそ花形と信じて疑わないタイプだった。

 翻って教室内の生徒達はARデザインとしての技術を共に学んで居たが、その希望進路は、衣服デザイナやインダストリアルデザイナ等、てんでバラバラなのである。

 もっと言えば、建築物のARデザイナというのは、大規模なチームを組んで一つの作品をデザインする事が多く、即自分の作品を世に出すというイメージが無い。

 つまるところ下積みとして、窓枠だとか、照明器具だとかの地味な所からやらねばならず、プロジェクトチームのトップに立ち、胸を張って自分の作品と呼べる物を作れるまで、他のARデザイナに比べて、長大な時間がかかる。つまるところ流行りではないのだ。

 



  結城(ゆいじょう) (かける)はクラスの中でただ一人の建築物ARデザイナ志望の生徒である。

 先にも説明した通り、昨今において、就職出来たとしても下積みからとなる事を(いと)わない、周囲から見れば変わり者である。

 とは言え、コミュニケーション能力は高い方で友人も少なくない。その為、卒業制作の班分けでは、駆のーー曲がりなりにもーー専門の知識を求めてクラスメイト達が殺到した。




「待って待って、さすがに全員とって訳にもいかないでしょ」


「おーい、君たち班分けって言葉の意味知ってるか〜? 結城は確かに専門ではあるが、まだ卵だからな、何でも分かるって訳じゃないぞ〜」


 自分の席に向かって大挙してきたクラスメイト達に駆が言うと、すかさず教師も助け舟を出す。

 続けられた教師の「まずは自分の専門とは違う者同士で班になり、行き詰まったら結城なり私なりに相談したら良い」との言葉で、不意の駆フィーバーは霧散した。




(2)

 結局の所、駆の班は普段よく食事などを共にする三人が入り、計四人となり、その後のくじびきによる割当で、区画の奥まった立地の築六十年近い、商業施設を担当する事になった。

 駆のクラスとは別にもう一クラスがこの年次にはある。そして二クラス合同で、卒業制作終了後に再開発される予定の区画の建物を全てAR化する、というのが卒業制作の全体像で、両クラス合わせて総勢十一の班による合同制作である。

 



「いや、別に俺やあいつらも駆が建築ARに真剣な事を、茶化した訳じゃねんだけどさ? 正直、どっから手つけたら良いかがまるで分からんのさ」


 そう言って駆の横を歩くのは、ヒョロっと背の高い、交通系ARデザイン志望の高松たかまつ弥彦やひこである。

 彼はYaheeと名乗り、クラブでDJとしてバイトをしていて、仲間内ではそのまま『ヤヒー』と呼ばれている。

 過剰でない程度に派手で原色を多く用いたARを纏っている事がほとんどで、その為チャラい印象を持たれる事も多い。

 しかし付き合って見れば、明るく社交的なだけでなく、周囲への観察と気配りに長けたバランサー、というイメージの強い青年である。


 授業が終わった後、駆たち班のメンバーは普段からよく行くカフェで顔を突き合わせた。

 カフェは味気ない鉄筋コンクリートの外壁をARでレンガ造りの様に見せた店で、内装のARにも凝っていた。

 ヤヒーの元に一番最後にカフェラテが運ばれて来たのを見計らって、駆は現地の下見にこれからみんなで行かないかと切り出した。

 対して返ってきたのは、駆の熱意とは少々、いやだいぶ温度差のある物であったが。


「いや、ヤヒーやみんなの気持ちは分かるよ……」


 現地の下見は、この後クラブのバイトがあるというヤヒーを筆頭に、あとの二人にも予定があり、今日いきなりという訳にも行かず、後日予定を合わせてという事になった。

 今は帰路の駅が同じという事で、駆とヤヒーの二人という状態だ。

 駆にしても、つい自分の分野という事で張り切りすぎてしまったという部分があったとは自覚している。


「まぁ、なんだ、俺だって卒制が車とかだったらテンション上がるし、あいつらだって自分の分野なら似たようなモンだろ、気にすんなって」


 来月発売になるゲームに登場する列車に見立てられた電車に乗ったヤヒーに、駆は頼り無げに手を振って見送る。

「ちょっと空回っちゃったかな……」

 短く嘆息して落ちた気持ちを振り払うと、視線は既に上を向いている。 

 視線の先にある液晶ディスプレイ。   

 あと数分で駆の乗る電車が来る。

 でも。

 それに乗らなければ、その次は例の卒業制作で使う区画に行ける電車が来ると液晶ディスプレイは告げている。

 ヤヒーの言ってくれた事は分かるけど、やっぱり一人でも行ってみようかな。

 そう思った駆の瞳には、もはや迷いは無かった。




(3)

 件の区画は最寄り駅から徒歩十五分といった辺りだった。

 いわゆる東京下町の一角で、周辺にはいち早く再開発の波が寄って来ていて、AR化している建物も多い。

 ゴーグルに表示される地図に従って歩を進めると、無機質な、というより前時代的な、AR化がされていない区画に辿り着いた。


 近く取り壊しが決まっている無人の街路には、妙に乾いた風が吹いて通り抜けていく。


「ご用の場所がお決まりであれば、ご案内致しましょうか?」


 不意に誰も居なかった筈の空間から、駆に声が投げかけられた。

 瞬間驚いたが、声は空気を震わせて届いた物ではなく、ゴーグルに内蔵された骨伝導スピーカによる物であった事に気付いた。

 駆が振り向くと、建材が剥き出しになった町並みにはそぐわない、硬質な衣装に身を包んだ女性が立っている。

 いわゆるアニメに出てくるアンドロイドの様な姿で、髪は肩口に揃えられて居る。

「区画案内用ARロイドのアカネと申します。この先は現在無人の商業施設です。事前の許可の無い方の立ち入りはご遠慮頂いております」

 ゴーグル内にのみ存在し、その姿形はもちろん、声さえもが空気を震わせる程度にも現実世界には干渉できない存在であったが、アカネはリアルタイムの風向きを演算し、短く明るい栗色の髪を揺らしていた。


「許可……っていうか分からないけど、目黒イノベーションデザイン専門学校のAR科の二年で、今度この区画を担当する事になってるんだけど」

 そう言って電子化された学生証をゴーグル内に呼び出すと、普段なら殆んど気にも留めない程の微小な音が、雑踏の無い街かどに、ピピッピピッと溶けた。

 数秒を待つと、ポーンという音がして「確認が取れました、駆さん、こちらへどうぞ」とアカネが言った。


「ごめんアカネ、出来たらで良いんだけど、敬語じゃなくもう少しフランクな口調に変えられる?」

「設定を変更します。駆、これで良い?」

 これからしばらくの期間、アカネには世話になるのだ。これぐらいの方が多分良いだろう。


 かれこれ六十年を経た商業施設は、どこか黴臭い様な、打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しの壁にシャッターを貼り付けていた。

 アカネの案内と、アーカイブされている往時の写真データがゴーグルに表示される事で、そこにかつてどんな店があったのかをうかがい知る事ができる。

 しかしゴーグルを少しずらし、肉眼で見れば、今はただの廃墟があるだけだ。


「駆、ここはね二千年台初め頃には、すごく流行ってたスィーツのお店があったんだよ」

「こっちはね、携帯ショップがあって、今のゴーグルになる前の前のご先祖さまのアクセサリとか売ってたの」


 ゴーグルの中でアカネは楽しそうに見える。

 スズランの様に可憐な、けれどヒマワリの様に大らかでもある笑顔は、かつての賑わいを実際は知らない。データとしての知識を披露しているにすぎない。


「ねぇ、アカネ、屋上って出られる?」

 不意に駆が遮って聞いた。

「うん、大丈夫、こっちだよ」

 手を取って、とはいかないがアカネは仔犬の様に躍り出て先導し、重厚な造りの内階段を登っていく。

 駆の胸中には、なんだか奇妙な澱の様な物が漂っていて、薄暗い階段を一歩、また一歩と登る内に、その重みが鼓動を高めていく。


 アカネが産み落とされたその時には、既にこの商業施設は斜陽であったに違いない。

 再開発に取り残され、老舗と言う、聞こえだけが良い店しか無い、往時の賑わいはおろか、若者たちは足も向けない様な場所であったに違いない。

 そこに区画案内用のARロイドとして配され、自ら望んだ訳でもない、無論見てきた訳でもないデータを持たされ、今や誰も訪れる事の無くなったこの場所で、ただ一人来訪者を待ち続ける心中を感じれば、アカネもまた、ただのデータでしかない事実を忘却の彼方に押しやる事は決して不自然な事ではない。


「着いたよ、駆、大丈夫? 階段疲れた?」

 階段の途中から駆の速度が落ちた事は、ゴーグルの位置情報から伝わっていたし、東京都が誇る超大規模サーバにコアを持つ最新型AIを持ってすれば、人ならざる身であっても、それぐらいの気遣いは容易な事だ。

「じゃ、開けて」

 そう言われて観音開きのガラス戸を駆がグイと押すと、重そうなスチール製の戸枠に反して、するりと屋上の外気へと、その身を誘った。


 屋上はかつてゲームコーナが設置されていたとアカネが言った。

 週末になれば、小さな子を連れた家族連れが訪れ、大きな動物型のカートが闊歩していたそうだ。

 軽食コーナーでは、スピンやポップコーン、ソフトクリームなどをビビッドなカラーリングのパラソルの付いたテーブルで供していた。

 ゲームコーナの端にあるパンチングマシーンから、ズドンと大きな音が時折響き、簡素な景品が出るゲーム機がピコピコと独特な音をさせていた。


「楽しい所だったんだね」

 駆が遠くに陽が沈み行く風に言葉を溶かした。

 その手は色がくすみ、乾いた被膜がパリパリと剥がれかけた金網を捉えている。


「ごめん、駆」

「どうして?」

「だって、私、知らないから」

「そうだね」

「ここにゲームコーナがあった事も、どんな食べ物が買えたかも、見た事ないし、それに私は、人間じゃないから! 楽しいって事が、分からないから……」

「そうだね」


 駆は手を金網から放し、自らの眼前『ゴーグルの画面内に収まる高さ』に持ち上げた。

 アカネは視覚を持っていない。けれどゴーグルを介せば、それがユーザの手であると認識する事ができる。

 そうやって手を差し出して駆は言った。


「きっと僕が、僕と仲間たちで、ここに昔より楽しい、アカネでもそう思えるARを作るから。約束して欲しい」


 夕陽が金網の隙間から染み込んできて、街もろともに、かつてのゲームコーナを、駆を染め上げる。

 天候情報や時間情報を受けて、アカネもまた、その名と同様、朱に染まっていく。

 アカネは生まれ落ちて初めて自らに差し出された手に、電影の手を重ねて、言葉の続きを待たずに「うん」と言った。


「その時には、また、一緒に街を歩こう。その時には、アカネに、楽しいをあげるよ」


 ゴーグルを外して目を向けると、アカネと通った扉は、朱の色を失い、宵闇に溶けつつあった。

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