Go ahead 3
第一章がようやく完結です。長々とやってきましたが、これからもよろしくお願いします!
ユウヒは口を開けて固まったままだ。
目の前でボロボロに泣きながら、それでも笑顔を作ろうと必死なヨルカを見て、言葉が出なかったのだろう。
かろうじて伸ばした右腕は、何をしてあげたらいいか分からず、結局下されてしまった。
「ごめ…、ごめんなさい。私、こんなつもりじゃ…」
ヨルカは笑顔を諦めて両手で顔を覆う。顔を隠しても、震える肩が彼女の状況を伝える。
ユウヒとヨルカのいる通りは、人通りの多い道ではない。しかし、ヨルカはこの辺りでは有名な人物だ。元々、薬屋として多くの人々を治療してきたが、先日の一件以来、その知名度は更に上がっている。
そのため、道ゆく人々は、泣いているヨルカを見ると立ち止まり、各々が様々な声を上げている。
気付くと周りにはそこそこの人だかりが出来ており、その中にはユウヒを責める声もあった。
固まる男と泣いている少女。この状況を見れば、ユウヒが何かをしたのではないかという疑いが生まれるのは自然なことだった。
実際のところ、ユウヒの発言がヨルカの涙の原因であることは真実なので、ユウヒは責められても仕方がない。
しかしながら、ユウヒだって、ヨルカを悲しませるつもりはなかったのだ。
「ち、違うんだ!別にこれは、あんたらが思っているようなことの結果じゃなくて...」
そんなユウヒの弁明を遮るように、バシュッという鋭い音が響いた。その場にいた全員がその音を聞いていたはずだが、何が起こったのか理解できていた者はいなかったであろう。
いや、ユウヒだけはその音の正体に気付いていた。なぜなら、それが自分の身に起きたことだったのだから。
ユウヒの頬には何かに斬られたような傷が出来ており、そこからゆっくりと流れる血が頬を赤く染める。
泣いていたヨルカもユウヒの傷を確認すると、息を呑んだ。慌てて、治療のためにユウヒの頬に触れようとするヨルカの手を、何者かの腕が掴む。ユウヒではない。
「こんなやつ、治す必要ないよヨルカ」
怒りに満ちた表情で、優しくヨルカに声をかける。先ほどまで、人だかりの中にはいなかったはずのヤイチが、そこにはいた。
「ヤイチ、お前どうしてここに...」
どうしてここにいるのか?そう聞き終える前に、ユウヒはヤイチに殴り飛ばされた。
飛んだ方向には人だかりの一部がいたため、ユウヒは5、6人の通行人を巻き込むような形で倒れていた。
それを見たヨルカは驚きで開いた口を両手で押さえ、その場に座り込んでしまった。流れ出ていた涙は、目の前で巻き起こる出来事に乱暴に止められてしまった。
ささやかに舞い上がる土煙が止むと、ヤイチはユウヒのほうへゆっくりと歩いていく。
そうしてユウヒを足元に据える場所まで行くと、一度周りを睨む。
「いつまで突っ立てんだ?さっさと失せろ!」
乱暴に放たれた言葉には怒気が充満し、聞く者たちに純粋なまでの恐怖を叩きつけた。
周囲の人々は声を発することもできずに、ドタバタとその場を離れた。ユウヒと共に倒れてしまった人々も、足を引きずりながら去っていった。
ユウヒ、ヨルカ、ヤイチ。三人しかいなくなった道は先ほどより確実に広くなったにも関わらず、立ち込める空気は、先ほどの人だかりの比じゃないくらい重いものがある。
「っ痛...、何すんだよ」
ユウヒは起き上がりながら、口元の血を拭ってヤイチを見上げる。
「見て分かるだろ?お前をぶん殴った。それだけだ」
「だから、なんでだよ!」
そう発した途端、今度は風を束ねた一撃でユウヒは宙を舞った。
ヤイチの力は緑の風属性。風属性の中で最も強力な力とされているが、ヤイチの場合、単純に力が強いだけではない。
彼女に限らず、剣士を目指す者の多くは力を武器に付着させる訓練を積んでいる。
だが、剣士に必ずしも武器が与えられるとは限らない。
ヤイチは武器が入手できない場合を想定して、剣の鍛錬と同時に、風の力のみで戦う訓練も積んでいたのだ。
元々、レオルから力についての基礎的な部分は学んでいたため、力を自由自在に扱えるようになるのはそう難しくなかったかもしれない。
しかし、剣と風の力、それらの修行を同時に行うというのは並大抵の集中力では叶わなかったであろう。
ヤイチはかなり器用だったのだ。そして、現在では風の力を完全に使いこなすに至っている。
最初にユウヒの頬を切った風は鋭く細い一撃。ヤイチほどの技術が無ければ、側にいたヨルカも傷つけていただろう。
ヤイチは、この風の力を自由に拡散、集中させて戦うことができる。
その強さはユウヒの灰状態に匹敵し、正の状態のユウヒではまず勝てないだろう。
自由落下して、そのまま勢いよく地面に落ちたユウヒは浅く荒い呼吸しかできなかった。その呼吸がようやく通常通りに戻り、うずくまる様な姿勢から起き上がろうとするユウヒの頭上からヤイチが声を荒げる。
「それが分かってねえからだよ!!」
ユウヒを蹴飛ばし、仰向けになったところに馬乗りになるヤイチ。
「てめえがいつも自分のことばっか考えてっから、そんな簡単なことにも気づけないんだ!」
ユウヒの顔に次々に拳を叩きつけていく。
「や、やめろ!」
その拳を掴んで、攻撃を止めようとするユウヒだが、すぐに振りほどかれてしまう。
(くそっ。ヨルカを泣かせたからキレてんのか!?仕方ねーだろ!泣かせちまうとは思ってなかったんだ!)
ヤイチの攻撃は止まらない。
(どうしたら泣かせずに済んだんだよ!?どう別れたら正解だったんだよ!?)
刹那、ヤイチの攻撃が止んだ。何かが起こったのか?ユウヒは太陽を背に向けるヤイチを眩しそうに睨む。
「あ」
ふっと、驚いたような声を上げ、目を丸くしてヤイチを見上げる。
ヤイチは拳を振り上げた状態でユウヒを見下ろしていた。
その目には、らしくもない涙が浮かんでいた。
目と目が合う。それは時間にして3秒ほどだった。
「…ヨルカはどうしたかったんだろうな?」
ガツン!
その言葉が聞こえたのを最後に、ユウヒの意識は途絶えた。
ーーーーーー
「痛っ」
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ」
「泣かない?」
「ええ、泣かないわ」
「…どんな時に泣くの?」
「んー、お前が離れてしまったときかな」
「じゃあ、ずっと傍にいる。お母さんには笑っててほしいから。」
「…ありがとうユウヒ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鼻につく薬品の香りで意識を取り戻す。ゆっくりと目を開くと、そこはこの間まで世話になっていた部屋であった。
つまりは、ここはヨルカのいる薬屋で、ユウヒはそこにあるベッドで目を覚ましたというわけである。
(あんなことを話していたんだな)
先ほど見ていた夢を思い出してぼんやりと天井を眺める。
(願い叶わず、だな)
起き上がり、今度は向こうの壁をぼんやり眺める。ヒリヒリとした痛みを感じ、頬を触る。ガーゼやらなにやらが貼られているようだが、あれだけボコボコにされたにしては傷が少ない。
どうやらヨルカに手当されたようだ。
(ん、喉乾いたな)
そう思っていると、横で座っていたヤイチが水の入ったコップを差し出してきた。
「あぁ、ありがと」
「ん」
受け取った水をユウヒは一気に飲み干す。
(ヨルカにも笑っていて欲しいな)
「…」
「…」
「……」
「………」
「ええあっ痛って!!?」
当たり前のようにそこに座っていたヤイチに驚いたユウヒは謎の叫びを上げた。まだ痛みの残る顔から発せられる叫びには、痛みを訴える悲鳴も混ざっていた。
「うるさいな。静かにしろよ」
「全く気付かなかった!何で居るんだよ!?まだ殴り足りねぇのか!?」
そう捲し立てるユウヒの喉はまたしても乾いてしまう。
ヤイチがゆっくりとユウヒの手からコップを取り上げ、水の入った瓶から追加で注ぐ。
「まあ、…あれだ。落ち着けよ」
路上でのことが嘘のようにおとなしいヤイチに、未だ警戒を解かないユウヒ。
「…なんでそんな落ち着いてんの?怖いんだけど」
そう口にしてから、何か閃いたようにユウヒはヤイチを指差す。
「お前、ヨルカに怒られてへこんでるんだろ!」
ヤイチの肩がビクっと震えた。次いで、下から舐めるように睨んでくる。
「やっぱ殴り足りなかったかもしれない」
図星のようだ。
暫く沈黙した後、ヤイチはゆっくりと口を開く。
「…その、私もヨルカを泣かせたんだよ。今は反省中」
ユウヒが気絶した後、ヨルカは、自分のために怒ってくれたヤイチに感謝すると同時に、やり過ぎだと涙を流しながら怒ったそうだ。
「なんだよそれ。じゃあ今度は俺が殴る番か?」
「馬鹿が。それじゃあヨルカがまた悲しむ」
またしても沈黙が広がる。
「…さっきの話だけどさ」
口を開いたのはユウヒだった。それに反応してヤイチがユウヒを見る。
「さっき?」
「俺が気絶する前にお前が言ったことだ」
「…あぁ」
ヨルカはどうしたかったのか。そのことについてユウヒは話をしたかったのだ。
「ヤイチ、お前はヨルカがどうしたかったのか分かってたのかよ?」
困った顔でヤイチを見る。その表情に、呆れた笑みで返すヤイチ。
「分からないわけないだろう?それを知らないのはお前と、…ヨルカくらいなもんだよ」
ヨルカのことを口にするとき、ヤイチはユウヒから目を逸らした。
「ヨルカも?どういうことだよ?」
そんなユウヒの疑問に、ヤイチは一瞬だけ眉を顰める。
「んなもん、親切に教えてやるもんか」
そう言うと立ち上がり、扉へと向かう。しかし、扉の前で立ち止まると、ユウヒに背を向けたまま話す。
「…私らが倒した月の幹部、覚えてるか?」
急に話題が変わり、ユウヒは「なんだって?」と聞いた。
「あのハゲのことだ。…ヨルカを狙っていたやつだ」
ユウヒは依然、話の意図は理解できていなかったが、内容は理解できたようだ。
「ヨルカに宿主の才能があるって言っていた奴か」
ヤイチは振り返る。
「事件の日に捕らえられた幹部は一人だけだと聞いた。私達が倒したやつじゃない。アイツは逃げたんだ」
それはユウヒも知っていた。カイナからの手紙にもスノウのことは書かれていなかった。そう簡単に野垂れ死ぬとも考えにくいので、逃げたというのはほぼ確定だろう。
「あぁ、俺もそう思う。…で?それがどうしたんだよ?」
ユウヒは、ヤイチの意図を知るために疑問を投げかけた。
ヤイチは深く溜め息を吐き、扉に寄りかかった。腕を組みながらユウヒへ言い放つ。
「鈍すぎる」
そう言われたユウヒはムッとすると、腕を組み、目を閉じて、自分が何に気づいていないのか考えてみる。
「…アイツらが、ヨルカをまた狙いに来る?」
ヤイチは頷いた。
「あの時はハゲ1人だったが、次はもっと厄介かもしれない。その時、ヨルカを守れる奴がいなかったらどうする?」
ユウヒは黙って俯く。
あの日、町民はヨルカを守るために身を挺してはくれなかった。いや、出来なかったと言うべきか。
それに、一度狙われた以上、この町自体、いや、他のどこだって安全とは言えない。
そんな中でユウヒがヨルカの元を去る。その危険性をヤイチは訴えている。
「言いたいことは分かった。でも、それならお前や師匠がいるじゃないか。俺がいなくてもヨルカは大丈夫だ」
ユウヒの進む道は決まっていた。今更、この町に残るという選択肢は無かった。
だが、そうじゃないのだと、ヤイチが首を振る。
「だから、それはお前の都合だ。殴って頭から抜け落ちたか?言っただろ?お前は自分勝手なんだよ」
それを聞いて、ユウヒはようやく話が見えてきた。ここに、ヨルカがどうしたかったのかのヒントがあるのだ。
ユウヒは、ヤイチが想像しているヨルカの願いについて思考してみた。
そしてそれは、あまりにも簡単であったが、同時に、実践し難いものであった。
「まさか、…付いてきたいっていうのか?」
ユウヒは、あり得ないというふうにヤイチを見やる。だが、ヤイチは、それに対して否とも応とも答えず、黙ってユウヒを見ていた。
やがてヤイチはフゥッと息を吐くと、上を見上げて話し始めた。
「あの子にとって、お前はもう家族だ。ヨルカを近くで見てきた私には分かる。悔しいけど、お前は間違いなくヨルカの支えになってたよ。…多分この先もな」
最後の方はユウヒに聞こえないくらいの声で呟いていたのか、ユウヒは「え?」と聞き返していた。
そんなユウヒの疑問符を咳払いで消し去り、再び沈黙が訪れた。
「…仮に、もし本当に…、ヨルカが付いてきたいのだとしても、やっぱダメだ」
ユウヒはそう言った。
ヤイチはユウヒを見ない。
「この町が安全じゃなくなったのは分かる。でも、俺と一緒にいることは間違いなく危険だろ?俺は『月』を追うんだ。進んで危険になりに行くんだぞ?」
ユウヒの言葉に熱が篭る。ヤイチもそれを感じたようだ。
「ユウヒ…、ヨルカに聞いてたけど、マジに『月』を追うんだな」
ヤイチは一度目を閉じ、少ししてまた目を開いた。
「ばーか。誰が四六時中お前と一緒にいろなんて言ったよ。そもそも私がそんなの許さねぇよ。」
そう言って、ユウヒのいるベッドへ近づく。
「まずはハートに行くんだろ?私も行く。私もヨルカを守る。だからお前は、ヨルカの望みを叶えてやれ。それが今、何よりも優先すべきことだろ」
ユウヒは声が出なかった。ヤイチはこんな奴だったか?散々これまでぶつかってきたというのに、今回ほどに心を揺さぶられたことがあっただろうか。
それを見て、ヤイチは再び扉へ向かう。
「後はお前ら次第だよ。もっかい、ヨルカと話をしとけよ。絶対だぞ!」
扉を開け、ヤイチがその向こうへ進む。
「ま、待てよ!俺は何を言えばいいんだよ!」
ユウヒが、部屋から消えるヤイチに必死な声を上げる。
ゆっくりと閉まる扉の向こう、ヤイチは一言、「てめぇで考えろ」
そう言って、扉は閉じられた。
日は沈み始め、空がほのかに赤みを帯びるころ、ヨルカは自室のベッドに腰掛けていた。
「…泣いちゃうなんて思わなかった」
腫れた目元に濡れた布をあてながら、そんなことを呟く。
なぜ泣いてしまったのか?その答えは決まっている。
ヨルカはユウヒとの別れを受け入れられなかった。確かにユウヒの告白はあまりにも突然だった。だが、仮にヨルカの心が準備できていたとしても、きっと涙は抑え切れるものではなかったはずだ。
不意に扉が叩かれる。
びくりと肩を震わせ、そちらに意識を向ける。
「ヨルカ、入るよ?」
祖母の声が聞こえ、次いで扉が開かれた。
入ってきた彼女が視界にとらえたヨルカの目元は、いくらか腫れが引いているようだった。
「どうしたのおばあちゃん?」
ヨルカの問いに、「まあ…ね」と答えた祖母は、ゆったりとした動作でヨルカの隣に腰掛ける。
ヨルカは、そんな祖母の顔を不思議そうに覗く。
「話は聞いたよ。ユウヒが町を出ていくんだろう?」
ヨルカはそれを聞いた途端、涙が溢れそうになった。それを隠すように俯いて顔を隠す。
その様子を見て、どうやら話は本当のようだと確信して祖母は続ける。
「後悔していることがあるんだよ」
ヨルカの背中に手を置き、そんなことを口にした。
「後悔?」
俯きながらヨルカが聞き返す。
「この前、爺さんと一緒に湖を見に行ったんだ。とても綺麗でね。ヨルカにも見せてやりたかった」
ヨルカは溢れた涙を堪えて顔を上げる。
「今までの人生、ほとんどをこの町で過ごしてきた。それ自体、私は満足していたんだけどね?あの湖を見て思ってしまったのよ。あぁ、もっと他の景色も見てみたかったなって」
件の湖というのは、町からそう遠くない場所にある。特段珍しくもないその湖ですら、彼女の心を動かすには十分だった。
「おばあちゃん…、今からでも遅くはないんじゃない?色んなもの見に行ったっていいんだよ?」
ヨルカの言葉にゆっくりと首を振る。
「私の身体は昔ほど自由には動かないよ。それに、この町で過ごしてきたことに後悔は無いわ」
何の未練もないように、彼女は言った。
「じゃあ、後悔っていうのは?」
ヨルカが問う。祖母がヨルカの目を見つめる。真っ直ぐに。
「ヨルカのことさ」
「え?」
不意をつかれたように、間抜けな声が上がる。
「今まで私らは、ヨルカを守らないといけないと思ってたのよ。でも、それがあなたをここに縛りつけてはいないかって、ずっと心配だったんだ」
「そんな…、縛りつけるなんて…。私、そんな風に思ったことないよ?」
「そうだろうさ。ヨルカは優しいからね。けど、ヨルカを思うなら、やるべきことは違ったのよ」
「やるべきこと…?」
ヨルカの疑問に、温かな視線で返す。
「ヨルカ、外を知っておいで」
とても単純なことである。だが、それはヨルカに確かな変化をもたらすものだ。
それを彼女は理解していた。そして、ヨルカ自身もそれを望んでいると期待していた。
ヨルカの目には迷いが見えた。この期に及んでまだ踏ん切りがつかないのだ。
「私がいなくなったらお店はどうするの?2人じゃきっと大変だよ」
祖母は首を振った。
「昔は2人でやってたさ。ヨルカ?色んなものを見てきて、それでもここに戻りたいと思ってくれたのなら、私はそっちの方が嬉しいよ」
「…でも、私、ユウヒの役には立てないわ。きっと邪魔になっちゃう」
「何言ってるんだい?ユウヒの傷を治してきたのは他でも無いヨルカじゃないか。ヨルカが居なけりゃ、ユウヒは無茶出来なかったよ」
「…私、ユウヒと一緒に行きたいの。でも、そんなことユウヒに言ったら…、きっと困らせちゃう。だから…」
「ユウヒが困るかどうかは、ユウヒに聞いて確認してみればいいさ」
ヨルカの言葉に割り込むように祖母が発言する。
「それに、言いたいことが言えなくなる時っていうのは一瞬だよ。一度言えなくなってしまったら、そこから一生話せなくなっちまうかもしれないんだよ」
「…!」
ふと、ヨルカの頭には両親のことがよぎった。幼くして亡くした両親。話したいことなんてものは数え出したらキリがないくらいあった筈だ。
「おばあちゃん…、私、ユウヒと話せなくなるなんて嫌だよ」
ヨルカは立ち上がると、何か急かされるように部屋を出ようとする。
「ヨルカ」
そんなヨルカに座ったまま声をかける祖母。
「いってらっしゃい」
その一言には、きっと色々な感情が混ざっている筈で、それだけ多くのものが含まれているにも関わらず、真っ直ぐヨルカに刺さった。
「うん。…行ってきます」
振り向いたヨルカの表情は不安げである。それでも、先程の一歩引いたような迷いは影を潜めたように見えた。
ヨルカが部屋を出ていくのを見届けた後、祖母は一人つぶやいた。
「人を動かす言葉というのは…、何年生きていても分からないものだね」
ユウヒは横になっていたベッドから出ると、一瞬よろめいてしまった。
ヤイチから受けた殴打がまだ残っているのだろうか。しかしながら、そのよろめきは本当に一瞬で、その後はしっかり歩けたようだ。
ヤイチの言うように、ヨルカとはもう一度話さなければならない。
ユウヒが扉を開けようとすると、その扉はユウヒを拒むように身を引いた。
つまりは、向こうから誰かが扉を開けたのだ。
そこにいたのはヨルカで、お互いに顔を合わせ、数秒見つめあった後、顔を逸らした。
「…」
「…」
(どんな言葉をかけるべきなんだ?話すにしても、切り口が分からん)
(落ち着きなさい私。ここまで来て黙っているんじゃダメじゃない!言わないと。…ま、前置きはいらない!)
息を大きく吸うと、ユウヒをまっすぐ見て言い放つ。
「わ、私も連れて行ってほしいの!」
途中の声が裏返ったからか、それとも大胆なことを言ってしまった恥ずかしさからか、ヨルカの顔は真っ赤である。
ユウヒはそんなヨルカを目の当たりにして、ビックリしたように仰反る。
だが、ヤイチとの会話でヨルカの発言を予想していたため、返す言葉はすぐに浮かんだ。
「…危険なことには巻き込めない」
「その時は安全なところにいるわ!」
ヨルカもユウヒの言葉は予測出来ていたようだ。自分が付いて行くにあたり、ユウヒが避けたいであろう状況に対する解答を彼女は用意できていた。
即答されたユウヒは、言おうとしていた言葉を口の中で転がしていた。そして、それを飲み込むと一言、「本当か?」と聞いた。
ヨルカはこくりと頷いたが、それはユウヒを納得させるためでしかない。
ヨルカはユウヒと離れる気はなかった。どんな危険があったとしても飛び込むくらいの覚悟があったのだ。
もしかすると、ユウヒもそのことには気付いていたかもしれない。だが、ユウヒはヨルカの言葉を、反応を受け入れた。
ユウヒは大きく息を吸うと、ヨルカを真っ直ぐに捉えた。
「分かった。ヨルカが側にいるなら、俺は全力でお前を守る。もし俺が守りきれない時は全力で逃げろ。これが、俺に付いてくるにあたっての約束事だ」
異論は認めない。ユウヒはそれを目で訴えていた。
…ヨルカは深く頷いた。
「…」
「…」
2人の間には静寂が訪れていた。それもそのはず。お互いにごちゃごちゃと悩んでいたことが、あっさりとまとまってしまったのだから。
ヨルカは、ユウヒにある程度拒否されても食い下がるつもりでいた。
しかし、ユウヒはヨルカの予想よりも簡単に同行を許した。
これにはヨルカはもちろん、ユウヒ自身も驚いていた。ユウヒはヨルカの要求を予想した時、どう返答するべきか迷っていた。ヤイチの言うように、ヨルカの願いを叶える事は正しいかもしれない。
だが、ヨルカを巻き込む訳にはいかないというユウヒの判断も間違ってはいなかった。
だからこそ、ユウヒは直前まで迷っていたのだ。
しかし、ヨルカの言葉を聞いた瞬間…、あの瞬間のヨルカの言葉は、間違いなく彼女の思いそのものだった。
それがユウヒにはすぐに分かった。
それがもしかしたら、ユウヒは嬉しかったのかもしれない。
こうするべきだとか、しないほうが良い、なんていう身勝手な配慮なんかではなく、心からの純粋な欲求こそがユウヒとヨルカを動かしたのだろう。
そんな単純な思い一つ口に出すのにも周りの助けが必要だった二人だが、一度吐き出してしまえば後は簡単だった。
「ほ、本当について行ってもいいの?」
「あ、ああ。ヨルカが本当に望むなら」
「それじゃあ、私、毎日ご飯作るから」
「え?ああ、そっか。そりゃあありがたい」
「ユウヒがケガしても、すぐに治してあげる」
「…あぁ、よろしく頼むよ」
「買い物は任せて。節約は結構得意なの」
「荷物は俺が持つよ」
「時々でいいから、お散歩したり、景色を眺めたりしたいな」
「遊びに行くわけじゃない…けど、そうだな。そういうのもいいかもな」
「…あんまり危ないことはしてほしくないな」
「ヨルカが待ってくれているなら、無事に帰ってくるよ」
「…うん」
「何があってもヨルカを守るから」
「さっきは、守り切れないときは逃げろって言った。矛盾してるわ」
「…確かに。なら、そんなときが来ないように強くなってやるよ」
「…そうね」
「あー、まあ、なるべく灰状態に頼らないように強くなるわ」
「うん。そっちのほうが安心」
「…ヨルカ」
唾をゴクリと飲み込んで、ユウヒは両手でヨルカの肩をそっと抱く。
ビクッと肩を震わせるが、すぐに落ち着くヨルカ。
「…」
「…」
まるで引き寄せられるかのように、顔を近づける二人。
二人きりの部屋に漂う静けさが心地よく、程よく低い室温が、お互いの体温を感じ取りやすくさせる。この瞬間を、何者も邪魔することはできな
「フフフフ。あ、声出ちゃった」
「…」
「…」
……
「あー、まぁ、なんだ。俺のことは気にせずに続けてくれよ」
魔女はニヤニヤとしながら言ったのだ。信じられない。この状況で現れるなんて、空気が読めないなんてものじゃない。
ユウヒは、とても師匠に向けていいとは言えない、透き通った暗黒の眼差しで魔女を見ていた。
ヨルカはというと、恥ずかしさのあまり真っ赤な顔をただ両手で押さえるしかできなかった。
街は夜に包まれ、街灯に照らされた屋台や飲み屋が暗くなった空の代わりに人々の顔を明るくしていた。
ユウヒはヨルカの薬屋を後にして、魔女レオルと共に帰路に就いていた。
「そう怒るなよ。お前たちがまさか年相応の触れ合いができるなんて思ってなくてな?珍しいものは見たくなっちまうもんだろ?」
茶化すようにユウヒの脇腹を小突く。ユウヒは俯いたまま口を開かずにいる。
「でもよかったな。俺は正直、お前ひとりの旅に危険しか感じてなかったんだよ。ヨルカがいるなら安心して送り出せるってもんよ」
(いざって時には、ユウヒを引き留められるだろうしな)
不意にユウヒが足を止める。
「本当にあいつを連れて行ってもいいんでしょうか?俺はいまだに迷ってますよ」
そんなユウヒを見下ろすようにしてレオルは肩を落とす。
「馬鹿が。いつまで悩んでんだ?もう決まったことだし、ヨルカ自身が決めたことだろうよ。それに、お前に付いていかなくても世の中危険ばっかなんだよ」
「でも…」
レオルに何か言いたげにユウヒは顔を上げる。
「はぁ…。いいかユウヒ?悩むのは結構。むしろ悩み続けることはいいことだとも言える。だが、それはより良い選択を導き出すときに限る。今のお前は、悪くならないようにと悩んでいるだけで、決して前向きなものじゃあない」
そう言うと、レオルはポケットの中から何かを取り出し、ユウヒに押し付けた。
それを両手で受け取るが、暗くてよく見えなかった。そこで街灯に照らされるように、それを高く上げる。
紐に通されたその真っ赤な指輪は、いつぞや見せられた母の指輪だった。
「お前の父親がその指輪を渡すとき、きっと迷わなかっただろうな。お前の母が『月』の人間だろうが構わなかったはずだ。さっきも言ったが危険なんてそこら中に転がっている。あいつは、これから降りかかるであろう災いのために愛を捨てるなんて愚かな行為はしなかった」
ユウヒは指輪を少し眺めると、そのまま首にぶら下げた。
「…父さんはどうして母さんを好きになったんでしょう?」
正解なんて出ない。そう知ったうえでユウヒは訊ねた。
「はっ。そんなの、いい女だったからに決まってんだろう?」
聞いたのが間違いだったというようにユウヒは首を振る。
「師匠よりも『月』の奴らのほうが詳しそうですね」
ユウヒの目の色が変わる。
「…そうかもな。ほら、早く帰ろう。明日は早いんだろう?」
そう言って、レオルは歩き出す。その後を追うようにユウヒも歩き出した。数歩歩いたのち、ユウヒは後ろを振り返った。
空には月がポツンと浮かんでいる。その白い輝きは、確かに明るく夜を照らしているが、どこか寂しげに感じる。
「眩しいな」
そう呟くと、月を握りつぶすように右手を掲げたのだった。
この話だけとても長くなってしまって、とても反省してます。




