朝霧山遭難事故調査報告書・2~周辺集落の怪異~
前回の話はこちら。
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2019年初夏に公開した朝霧山遭難事件についての記事はネットの巨大匿名掲示板を筆頭にSNSでも話題になった。
私がそう結論付けてしまった結果なのだが、主にオカルト方面で話が広がり、実際に朝霧山へ登山に行く人が増えたのは言うまでもない。
登山人口の高齢化が叫ばれるなかでは喜ばしいことなのだが、あの記事を書いた後、かれこれ10回ほどの朝霧山で私が見た登山客の中では明らかな軽装登山、及びTシャツにジーパンなど登山の服装に準じていない状態での登山、残雪期でのアイゼン未装着と、朝霧山遭難事件について書かなければ良かったと思うほど安易な気持ちで朝霧山に登る若者を増やしてしまった。
確かに朝霧山は通年登山道が開放されている一般的な山だが、標高は2000メートル級であり、尚且つどの登山口から入ろうとコースタイムは最低4時間を見込まなければならないことを考慮すれば、それ相応の装備と経験は必要不可欠である。
また、一般登山道は明確ではあるが、百名山ほど整備もされておらず、道標の数もおよそ丁寧と呼べる数を有してはいない。少なくとも地図読みの技術は必要だ。
くれぐれも中級者向けの山であることは念頭に置き、しっかりとした計画と準備を行うべきだ。
そしてこの2019年で朝霧山で起こった遭難は8件。うち4回がヘリの出動を余儀なくされ、2件は前回書いたように行方不明、遭難8件のうち6件が登山計画書を提出していなかった。
こうした遭難の一部に私が加担しているような、そんな重い気持ちばかりが胸にのしかかる。
説教臭くなったが、あくまでこれから登ろうとする人への注意喚起だ。しっかりした準備を整えれば朝霧山の山頂からはどの季節においても絶景を見せてくれる。
さて、私が今回朝霧山遭難事件を更新した理由として付近の集落や朝霧山山塊を調べてみたところ興味深いものがいくつか見つかったからだ。
あらかじめ言っておくが、今回調べたことがあの事件で起こったことにイコールで繋がるわけではない。
あくまでも断片であり、果たしてその断片が正しいものなのかどうかも不明だ。間違ったパズルのピースを摘んで手を右往左往させたところで嵌る訳がない。そういった事実を加味しながら読んでいただけることを望む。
まず初めに朝霧山山塊周辺について確認しておく。
朝霧山山塊は2つの県を跨ぐ山塊であり、黒岩山、間口山、大串山、花燃ヶ岳、首狩ドッケ、鶏頭山等14の山からなる山塊で、その中央に座す最高峰が朝霧山である。
その中でも間口山は都市部まで流れていく雫川の源流となっている。
朝霧山山塊には集落が18ほど、いずれも山間部や峠付近に存在し、16の集落は限界集落であり人口はいずれも30人程度、平均年齢は69歳である。
・マタギが見た朝霧山
去る2019年8月、炎天下の中、私は18の集落のうちの一つである、滝元区にある滝元集落に訪れていた。都市部の気温が毎日のように30度を越す中で滝元区は25度と都市部に比べると随分涼しく思えていた。
滝元集落は猪下峠付近にある集落であり、県道から一本逸れた急勾配の道を登った先、険しい山の斜面に家が立ち並ぶ集落だ。鶏頭山が近いことからこの日も朝早くから村営駐車場は満車に及ぼうかというところまで車が止まっていた。
滝元集落では主に、斜面に作られた棚田を利用しての稲作が盛んであり、25人の住民のうち、7人が田んぼを所有している。
他の住民は林業などで生計を立てているのだが、今回は地元山岳会の紹介により、今では全国的に見ても数の少なくなったマタギ(狩猟で生計を立てる人々のこと)の今井義三氏に話を伺った。
「おう。不思議な話か。いっぱいあるでよ。あんた、山ん中っつったらそりゃもう神様んとこだもの。人が分からんことなんか山ほどある」
かつて滝元区では10人ほどのマタギがいた。巻き猟と呼ばれるマタギの一般的な狩猟法で複数人のもと、シカやクマなどを狩っていたが現在は今井氏一人のみ。現在は稲作を営みながら、猟期には猟に出る程度である。今やマタギのほとんどが兼業という形で別の収入を得ているのだ。
「5、60年前の話だ。つっても俺みたいな年寄りばっかだったけどよ。みぃんな見とるよ。特に勢子だ。俺も若い時はもちろん勢子ばっかでマチバなんかやれせてもらえなかったけどよ、じいさん達はみんな言ってた。『勢子やる時は狐に騙されんなよ』ってな」
勢子とは巻き猟において獲物を追い立てる役割だ。追い込んだ先にマチバ又はブッパと呼ばれる射手がおり、獲物を狩猟する。
「その日は久々の授かりものだった。ありゃでっけぇいたずだったな。みんな目光らせてよ。俺も『こりゃ逃したら絞られる』って思ったよ」
いたずとはマタギの間で使われる言葉で、熊を意味する。このように山に入った時だけに使われる言葉をマタギ言葉といった。
「もちろん若い俺が勢子だ。いたず見っけてよ。声出しながら追い込んでくんだ。周りにゃ誰もおらん。今じゃなんてこたねぇけど、あん時は怖かったな」
「んでよ。藪漕ぎながら追っかけてくんだけどよ。いたずがどこいったか分からなくなっちまったんだ。じいさん達に絞られんのも嫌だったもんで、とりあえず駆け回った」
「んで藪漕いだらよ。山ん中なのに変な村に出たんだ。そりゃ昔の滝元つってもトタン屋根ぐらいはあったさ。ウチは茅葺きだったけどよ、でもその村つったら全部茅葺き屋根でよ。『こりゃエラい村入っちまったもんだ』と思ったよ。考えてみりゃ道もねぇ山ん中、村なんかあるわきゃねんだ。でもなんか滝元みたいな村に出たんだって疑いもしなかったな」
「のんびりしてる時間でもねぇんだけど、もしいたずがこっち来てたら大変なことだ。その村ん中入って『いたず来たぞー!』って呼び周った。でも人っ子一人いねぇんだ。ようやく一人、村ん中でいのいち大きい屋敷みたいなとこからよ、そりゃもうべっぴんな女が出てきたんだ」
「『どうしましたか?』って声かけてきたもんで『あんたいたずこっち来たから早く中入んな』って言ったんだ。よく見たらよ、その女、腕がないんだ」
「両腕さ。着物の袖がだらんとなってる。まぁ、そういう生まれもあるだろうと思ってさ。そしたら『お疲れのようですから貴方もお上がりになる?』って言うんだ。でもよ。山ん中入ったらマタギは女を寄せちゃいけねんだ。断ったよ。中入ってたらどうなっちまってたかね」
山の神は昔から醜女だと信じられており、山岳信仰においては過去女人禁制であった山も珍しくない。彼らマタギもまた猟中に女を連れることや、女の体に触れることを禁忌とした。
「んでよ。気づいたら家の陰から村の人間がこっち見てんだ。それもみんなどっかしらおかしい。足とか手とか指とか目ん玉ない奴もいる。俺はようやくそこで思い出したんだ。狐に騙されんなって」
「『おい、あんたら狐だろ!人間に化けるの下手くそめ!』そう叫んだらよ。後ろから怒鳴り声が聞こえたんだ『なに突っ立ってんだおめぇ!』ってな」
「気づいたらよ藪ん中突っ立ってんだ。周りなんもねぇんだ。結局いたずは逃しちまって、とっぷりと叱られたけどよ。『狐に騙されてたんだ』って言ったら『だから言っただろ』って言われたんだ」
「それからしばらく経ってよ。勢子やってる時に足滑らせて転んじまってよ、あれもでっけぇいたずだったな。んでまた『狐に騙された』って嘘ついたんだ」
「そしたら周りのじいさんから嘘つくんじゃねぇ!って怒鳴られたよ。後になって聞いたら、臭いで分かるんだと。騙された人間ってのは獣の臭いがすんだ。俺は騙された人間の臭い嗅いだこたねぇけど、マタギにゃわかるんだな」
「あれからあの村見たことねぇけど、マタギの間じゃ決まっていたず撃ちの時に勢子が見るからいたず村って呼ばれてたな。今も朝霧山のどっかにいたず村があんのかもしんねぇ」
・誰も知らない集落
滝元区から西へ2キロ、朝霧山を正面に、下には雫川が流れる鷹巣区にある鷹巣集落は県道に沿って比較的現代的な家が並ぶ集落だ。3年前には市内から28歳の若者がこちらに越してきたこともあり、平均年齢はその分低くなるも54歳となっている。
住民は30人ほど。28歳の青年、青山智史氏は語ってくれた。
青山氏は数年前に朝霧山山塊へ観光に訪れ、この土地の魅力に魅かれたそう。さらに県道を登った先にある鷹巣湖もとい朝霧ダム付近で夢であった蕎麦屋を営んでいる。休日ともなると主にツーリング客で賑わう蕎麦屋の休憩時間中に話を伺った。
「……あれはここに越してきてすぐの事でしたよ。いや、集落の方には御世話になって、若いもんだからすぐ名前と顔覚えてもらったんです。僕も出来るだけみなさんの顔覚えようと思ってて」
「だからここの集落のことは最近越してきた割によく知っていたはずなんですよ。ちょうどその日は定休日で、車洗ってた時ですね。小さい男の子が一人でとぼとぼ歩いてきたんです。なんていうか、お坊ちゃんみたいな風貌でしたね」
「Yシャツにサスペンダーで深い茶色のズボン下げてるんです。髪は……ざんぎり頭って言うんですか?今思えばお坊ちゃんじゃなくて、昭和のカッコだったのかな。最初はこの辺の子かなとは思ったんですけど、この集落で一番若いの僕ですから」
「で、『どっから来たの?』って尋ねたら黙って上の方指すんです。上は僕の店があるダム湖ですからね。たぶん家族連れでダム湖来て逸れちゃったんだと思いました。ちょうど洗車も終わりかけだったし、その子を車に乗せて湖まで行ったんですよ」
「駐車場止まったんですけど、車が一台も止まってないんです。まさか置いてったわけじゃないだろうと思って。僕の店の近くに三沢屋さんってお土産屋さんがあるんで、そこで聞いたんですよ『迷子探しに来た人いないですか?』って」
「そしたら三沢さん『今日は誰も来てないね』って言うんですよ。入れ違いかな?って思って改めて家はどこって聞いたんですね。最悪麓の交番まで降りなくちゃいけないから。そしたらその子さらに登っていく道を指差すんですよ」
「あぁ……じゃあこの辺の子なんだと思いました。なら交番行くより家まで送った方が早いですからね。ダム湖からさらに県道を登ってく。でもそろそろこの先にある集落って一つ二つしかないんです。それも数人しか住んでないような所ですよ」
「『本当にこっち?道間違えてない?』って聞くと頷くもんだから進むしかないんですよ。んで時間経つに連れて最後の集落も過ぎる。すでに県道じゃなくて林道に入ってたんですよね。流石に嘘だろと思ってもう一回確認したら、窓を叩きながらしきりに指を差すんですよ」
「嘘だろ?って思いましたよね。その子が指した場所、思いっきり森の中なんですもん。車停めたらその子が降りてその先に走って行っちゃう。迷わずに走ってくもんだから、本当にここにあるんだって思いました」
「酷い獣道ですよ。かろうじて道っぽいものが見える。こっちも半袖半ズボンですからね。まいったなぁと思って付いて行きました」
「その先は少し森が開けてただけのなんにもない場所でしたね。さっきの子も忽然と消えちゃってて。そりゃもう大の大人が悲鳴あげてその場から逃げましたよ」
「家に帰ってからちょうど向かいのお爺さんが庭仕事してたから『幽霊見ちゃいましたよ!』って。これでも山奥に一人暮らしなもんですから、例え変な奴に見られようと話さずにはいられなかったんです。抱えたまんま寝るの嫌ですから」
「そしたら気になるから一緒に行ってやるって言われて……参りましたよ。まぁ一緒に来てくれるならって、まだ日も高かったし、もう一度あの場所まで行ったんです」
「……やっぱり幻覚じゃなかったんですよね。先ほど見た通りにありました。で、おじいさんと一緒になってあたり見回してたら端っこの方で石碑が建ってて、よく読めなかったんですけど、たぶん柳沢集落跡って書いてあったんですね」
「『長いことこの辺に住んでるけどそんな場所知らないな』って言われちゃいましたよ。もちろん狭い集落ですから、僕が幽霊見たのなんかすぐ広まって」
「でもやっぱり柳沢集落なんて集落は誰も知らなかったんですよね。調べてみても記録に残ってない。石碑は確かに建ってるんですけどね。不思議な話ですよ」
・黒岩鉱山の怪
黒岩山付近は昭和初期より銅や石灰、金や銀が採れることからかつては鉱山とその労働者で賑わっていたが高度経済成長期である1969年に突如廃山となった。現在登山コースになっている道の裏側が鉱山跡となっている。
表向きでは労働人口の減少で会社が潰れてしまったとあるが、事実はそうでないのだろうと当時鉱山に勤めていた畑中清志氏は語る。
「会社はさ、逃げたんですよ。これ以上掘り進めてたら何があるか分からないって。だってこれまでだって鉱毒事件とか発破作業だとかで何回か人死んでるんだもの」
「でもそれでもなんとか続いてたのはさ、あの頃は景気もいいでしょ?鉱山の仕事なんてのはさ、まぁ儲かったわけよ。私らも田舎もんにしちゃいい暮らししてましたよ。働く人は減ってた記憶ないよ。福利厚生ってのもしっかりしてたんだ。でもね、特別給料が良かったのは深夜勤なの」
「鉱山は一日中ずっと稼働しっぱなしよ。私が入ってたのがその深夜勤でね。夜遅く、22時から坑道入ってさ、出てくるのが朝の6時。手当て付くから人気も人気で、若いもんもあの頃多かったから深夜勤務はあぶれてたぐらいさ」
「でも、ある時を境にさ、急に深夜勤やりたがる人が減ったんだ。会社もさらに給料あげたんだけどさ、でも足りないって時が出てさ」
「それが、なんていうかいわゆる幽霊って奴がさ、坑道に出てくるらしくってさ。私なんか滅法そんなもの信じたりしないけど、当時は幽霊を見た奴が呪われて病気になったとか。まぁ、実際診療所の空きベッドの数も少なくなってたんだけどさ」
「私……?見ましたよ。たぶんみんなが言ってたのあれのことだと思うんだけどね。坑道ん中はやっぱり線路が走ってて、でトロッコがあるわけだ。でも鉱石積んでるわけでもないトロッコが勝手に動いてる。ああ見えて重いですから、ひとりでに動くわけないんですよ」
「なんだろうと思って身を凝らしたら、確かに誰か押してる。でもそれ、人じゃないんですよ。なんかこう、ぼやーっとした影がトロッコに覆いかぶさってる。で、それが動いてる。腰抜かしたけど、金には変えられないから見なかったことにして私は深夜勤続けましたよ」
「同僚に三浦さんっていてさ。その人なんかもっとすごいの見てる。6時から14時までの勤務で、三浦さんは私らが坑道から出てくる前から鉱山に出勤してたんだけどさ、その日は朝5時からウィンチのエレベーターで坑道に降りてきて、監督に『今日はもう坑道に入らせてください』って滝みたいな汗流して頼み込んでた」
「話聞いたら、私が見たぼんやりした影みたいなのが朝靄の中、数十体くらい鉱山の周りにいるんだってさ。最初はここの従業員だと思って声かけたんだけど、誰も返事しない。で、目だけがあるんだってさ。大きさ?そこまでは聞いてないけど、とにかく目があるんだって」
「それから間も無くだよ。鉱山が突然閉鎖になった。理由は覚えてないけど、確か大きい事故が私のいない時にあったと思うんです。まぁたぶんきっかけに過ぎなかったと思いますよ。あの影のことは鉱山で働いてたみんな知ってましたから」
以上が今回朝霧山山塊に住む方々から聞いた話である。朝霧山遭難事件と何かしら結びつくようでいてそうでないような話ばかりだ。
私が思うにやはり朝霧山という場所ではなくこの辺一帯が何かしらのいわくがあり、それが彼らのようにふとしたきっかけで現れるのかもしれない。
日本で一番人が亡くなった山というのは群馬県にある谷川岳が有名だが、朝霧山山塊という広い目で見れば谷川岳に匹敵するほど過去より多くの人々が何かしらの形で命を落としている。
この山にはやはり何かがある。更なる真実に近づいていくために、調査は続行していく所存だ。
最近ちょいちょい登山以外でも山の方に出かけていたら、夏ごろ書いた朝霧山の全貌がはっきりしてきたので書きました。はっきり言いますけど、これそんな怖くないでしょ。いいんです。これで。山が書きたかったから。
あ、言うまでもなく架空の山域です。こんな山ないです。
引き続き登山小説「なんで山なんかのぼってんですかね」と旅行記「コドクトリップ」をよろしく。