第18話 アンパンマンの頭部がアンパンでできていることは分かる。でも頭から下は何でできているのだろうか? それを考えると夜も眠れない。
「錬金術には五つの原則があります。これを通称、アナスタシアの五原則と言います」
ロラン伯父様は相変わらずのイケボで女子生徒たちをうっとりさせつつ、下手くそなウィンクを私に飛ばしてきた。
アナスタシア・モンモランシ。
約二千年前のモンモランシ家当主である。
錬金術をただの技術から、学問へ、科学へと昇華させ体系化させたのが彼女と言われている。
現在の錬金術の源流は彼女にあると言われている。
「一つ、天地創造に則ったやり方でなくではならない。
二つ、小さな質量から大きな質量を作り出すには相応の〝神秘〟を必要とする。
三つ、〝神秘〟はゼロから生み出すことはできず、また消し去ることもできない。
四つ、釜よりも高い純度の〝神秘〟を精製した場合釜は消耗する。
五つ、錬金・錬成は不可逆的であり、一度作り出したものを元に戻すことはできない」
この世界でも、おそらく質量保存の法則やエネルギー保存の法則は当てはまるだろう。
だがそれは物理学、化学の中での話であって錬金学の世界では一部当てはまらない。
錬金術という技術、錬金学という科学に於いて……
基本的に言えることは一つ。
〝神秘〟は万能である。
ということだ。
そしてアナスタシアの五原則はこの『万能である』〝神秘〟の、数少ない例外、非万能性を指摘したものである。
逆に言えばこの五つの原則に引っかからなければ、基本的にはどんなものも錬金で作り出せる。 もっとも……作れるからといって、何でもかんでも作られたら堪ったもんじゃない。
故に……
「また錬金術には五大禁原則と呼ばれるものがあります。これは神がお定めになり、そして預言者イブラヒムの口を通して我々に課せられたものです」
まあ早い話、預言者イブラヒムがやっちゃダメと言ったことだ。
教会はこの五大禁原則を元に、様々な法規制を錬金術に施している。
朗々とロラン伯父様は五大禁原則を読み上げる。
「汝、わたし(神)の偶像を錬金してはならない。
汝、わたしの子(人)を錬金してはならない。
汝、贋作を錬金してはならない。
汝、わたしの力(錬金術)を悪用してはならない。
汝、わたしの力を使う時はわたしを敬え」
と、まあ実はこの五つの禁原則はそんなに重要なものでもない。
まず第一に偶像だが、そんなものはまず錬金術で作るようなものでもない。大概の像や絵は人の手で作られる。
贋作というのも、そもそも何をもって贋作なのかという話だ。まあ多分預言者イブラヒムは偽貨幣とか文字通り芸術品の贋作とか、そういうもののことを言っているんだろうけれど。
錬金術を悪用するな。そりゃあ、そうだ。まあ守るかどうかは知らないけれど。
私を敬え。はい、敬っておりますとも。無論です……まあ私の心は私しか分からないから証明のしようがないけれどね。
というわけで重要なのは「わたしの子」を作るな、という禁則だろう。
もっともこれを破ったところで手足を持っていかれたり、手を合わせただけで錬金ができるようになるということもないのでご安心頂きたい。
要するに倫理・宗教観の問題である。
人は神の被造物なのだ。
被造物である人が、同じ被造物を性交渉・妊娠・出産を受けずに作り出すことがあってはならない。
それだけの話だ。
「そういうわけで、もしも錬金術を行う時はこの合計十のルールをしっかり意識し……」
「先生」
「どうしましたか、シャルロット君」
「一つ、抜けていますよ」
私はロラン伯父様が言いそびれたことを一つだけ口にする。
「汝、わたしが特別にゆるした場合にのみこれをゆるす」
これを忘れて貰っては困るなぁ。
だってこれは私たちモンモランシ家が人体錬成を行っていることを正当化する、宗教・倫理的な柱なのだから。
二千年前、行き倒れていた預言者イブラヒムを保護したアナスタシア・モンモランシは特別にこれを許され、そしてイブラヒム教徒となったのだ。
私の指摘に対し、ロラン伯父様はゆっくりと目を細めた。
「失礼、忘れていました。ご指摘、ありがとうございます」
「いえいえ」
私は笑みを浮かべて座り直した。
「さて、人工的に作られた人間のこと、存在そのものが禁忌であるその模倣品は『ホムンクルス』と言われております」
ロラン伯父様はホムンクルスの説明をし始めた。
もっとも、どれくらいホムンクルスという存在が罪深いのなかと、絶対に作ってはいけないというような内容で、その実態には一切踏み込まない。
まあ、さすがにこういう公の場では言えないだろうから私が補足しておこう。
そもそもホムンクルスには広義のホムンクルスと狭義のホムンクルスがあり、そしてまた神学者と魔導学者たちの定義が全く異なる。
広義のホムンクルスは性交渉・妊娠・出産のプロセスを通らず、またはこのプロセスの途中で何らかの人の手が加えられて作り出された存在である。
神学者たちは体外受精や、代理母などもホムンクルスに含まれると考えている。
一方魔導学者は科学的(この世界で言うなれば錬金術・魔術など)な改造を人為的に受けて、道具として作成されたものがホムンクルスと考えている。
私は当然、後者を支持している。
だって体外受精や代理母がホムンクルスって、おかしくない?
子宮の外だろうが、誰の子宮だろうが……別に受精卵に違いはないじゃない。
うん? この世界で体外受精や代理母、遺伝子操作ができるのかって?
まあ、前世の世界ほど気軽にはできない。
だが相応の設備と資金、そして優れた錬金術師であるならば十分にそれは可能だ。
クリスタルの試験管の中で育てられた人間なんて、三千年前から存在している。
次に狭義のホムンクルスだが……これは神学者も魔導学者も、意見が一致している。
一から全て、完全に人の手によって作られた人間。
それがホムンクルスだ。
つまり原材料に精子や卵子、受精卵、また人間の肉体を使わず……
たんぱく質、アミノ酸、またはただの窒素や水素などの原材料を用いて作られた、文字通り父も母も存在しない存在、それが狭義のホムンクルスである。
ちなみに歴史上、私たちが知る限りでは狭義のホムンクルスは存在しないので安心して貰いたい。
ところでここからが私の持論なのだが……
『汝、わたしの子を錬金してはならない』
この「わたしの子」というのは本当に「人」という解釈で良いのだろうか?
神が作ったのは人だけか?
否、この世の全ては神の被造物なのだから「わたしの子」に含まれるのはこの世全ての生物であるはずだ。
人と他の生物には量的差はあれども、質的な差は存在しない。
細菌を作れるならば植物も作れる。
植物を作れるなら昆虫も作れる。
昆虫を作れるなら魚も作れる。
魚を作れるならカエルも作れる。
カエルを作れるならトカゲも作れる。
トカゲを作れるならネズミも作れる。
ネズミを作れるなら猿も作れる。
猿を作れるなら人も作れる。
ホムンクルスには人だけではなく、その他生物、それこそ大腸菌だって人の手で作られたのであれば加えるべきだと私は思うんだけどね。
「ふぅ……そろそろ休憩にしないかね? シャルロット」
「くぅ……ちょっと待ってください、あと十回でキリの良い数になります」
私は腹筋をしながら答えた。
うりゃあ!
「くはぁ……終わった」
私は大の字になってマットに寝転ぶ。
明日はお腹が筋肉痛になるかもしれない。
腹筋の筋肉痛って、違和感半端なくて好きじゃないんだよねぇ。
「最初、筋トレが趣味だと聞いた時は何かの冗談かと思ったのだが……まさか本気だったとはな」
イルハム枢機卿は苦笑いを浮かべて言った。
ふむ……筋トレ女子はそんなに珍しいか?
前世ではそこそこ同士がいたんだけどなぁ……
まあ筋トレやる余裕がある人なんて、この世界には裕福な平民かお貴族様くらいか。
そういう人は筋トレとかやらなそう。
汗とか掻く仕事は下賤の仕事だもんね。
「私がいない時もやっているのかね?」
「そりゃあ、もう。おかげでほら、腹筋ができました」
私はお腹を見せた。
最近になって、ようやく求めていた形になった気がする。
後は維持するだけなんだけど、維持するのが大変なんだよね。
私の体、脂肪を溜めこみやすいみたいなので。
「だから軽々しく見せるのはやめたまえ」
「十八歳以下には興奮しないのでは?」
「そういう問題ではない」
そういう問題ではないらしい。
ではどういう問題なのだろうか。
「じゃあ最近、胸も膨らんできた話をしてはダメですか?」
「……ダメだ」
今、少し迷わなかった?
私が更なる追及をしようとするが、イルハム枢機卿は露骨な咳払いをして誤魔化す。
まあ今回は許してやろう。
「いつものやつですけど、飲みますか?」
「いつも申し訳ないな。……頂こう」
私はイルハム枢機卿に水筒を手渡した。
水にレモン汁、塩、砂糖を混ぜて作った自作スポーツドリンクだ。
私も自分の水筒を開けて、グビグビと飲む。
やっぱり水分とミネラルの補給は大事だよね。
「ぴぎぃ! ぴぎぃ!」
「あー、はいはい。今、おっぱいあげますね」
私のではないが。
部屋の隅で騒いでいるブーメランに、哺乳瓶を咥えさせる。
「……前よりも随分と大きくなっているな」
「私の胸の話ですか?」
「いや、そのドラゴンの話だ」
「ブーメランです」
「…………失礼、ブーメランの話だ」
イルハム枢機卿は苦笑いを浮かべた。
この人はどういうわけか分からないが、ブーメランという名前が気に入らないらしい。
私とイルハム枢機卿はそこそこ相性がいいとは思うが、ネーミングセンスだけは合わない。
まあ悪いのはイルハム枢機卿に決まっているけれど。
「そうだ、実はサンドウィッチを作ったんですが食べますか? 今、丁度お昼ですけど」
「いや、頂けるなら貰うがね……君の料理は美味しいから」
私はバスケットからサンドウィッチを取り出した。
この学園ではちゃんと昼食は食堂で食べれるけれど、たまには自分で作らないと腕が鈍る。
二人分作る手間は一人分とさほど変わらない。
まあイルハム枢機卿が食べないのであれば、余った分はルイーズ姫殿下とアナベラお嬢様に与える予定だった。
二人ならば食べるだろう。
そして太るだろう。
「あ、先に食べててください。今、スープを温めますので」
「相変わらず君は器用な魔術を使うな」
「褒めても尻尾くらいしか振れませんよ」
「……そうだな、全力で振っているな」
え、本当に?
冗談で言ったつまりなんだけど。
私は慌てて自分の尻尾を押さえた。本当にブンブン回っていた。
何だ、この尻尾。
「……ついでに耳も動いているぞ」
「やだ」
もう片方の手で耳も押さえる。
私の手の中で耳がピクピクと動く。どうなってるの? これ。
そうこうしているうちにスープが温まった。
スープを魔術で温めるよりも、耳や尻尾を押さえる方が大変とは……何とも言えない。
「どうぞ」
「ありがとう」
イルハム枢機卿はスプーンでスープを飲む。
音を一切立てない辺り、さすがマナーが骨の髄まで見についている教養人だ。
「一つ、聞いて良いかな?」
「何でしょう?」
「これを作るのにどれくらい時間が?」
イルハム枢機卿は琥珀色のコンソメスープを見ながら聞いてきた。
ほう……それを作るのに大変な労力が必要ということを知っているとは。
「半日ほどですね」
「……」
もっと手間を掛けようと思えば、二日くらい掛けることはできる。
まあさすがにそこまではしない。
私は前世でも化学調味料の類は躊躇なく使うタイプだった。
手を抜けるところは抜かないとね。
「……どうしてそこまでして、私に作ってくれるのかね?」
「べ、別にあなたのためじゃないんだからね! か、勘違いしないで! そ、その……料理の腕を落とさないために作ってるだけなんだから!」
「……」
あれ、滑った?
「何か反応してくださいよ。私がまるで痛々しいメイドみたいじゃないですか」
「いや、すまない。どういう意味で読み解けば良いのか、少し考えていた。あと君が痛々しいメイドなのは元々だ」
失礼な。
いや、事実だけど。
「実際のところを言いますと、イルハム枢機卿がいてもいなくても作りますよ。腕は落としたくないので。まあ自分一人のために作るよりは、食べてくれる人がいた方がモチベーションは上がりますけどね。そういう意味では助かってます」
ルイーズ姫殿下やアナベラお嬢様にも食べさせている。
が、二人にあまり食べさせると太ってしまう。
運動をしていてあまり太らなそうなイルハム枢機卿は余った料理を処分させるのに都合が良い。
「まあ強いて言うなら、知り合いに少し似てるんですよ。古い、知り合いですけどね」
「知り合い?」
「ええ。私がいないと死んじゃいそうな人です」
教養人で物知りなところとか。
食事バランスがおかしいところとか。
筋トレが趣味なところとか。
風俗にのめり込んで散財しているところとか。
寝取られたところとか、寝取られたところとか、寝取られたところとか。
これでタランチュラとか、アナコンダとか、アロワナを飼い始めて飼育を私に押し付け始めたら間違いなくあの人になる。
あの人、今生きているんだろうか?
野垂れ死んでいないか、割と本当に心配になる。
まあ生き物は全滅だろうなぁ……
あの人、育てられないし。
「……御父上のことか」
一瞬、ギクっとなったがすぐにシャルルお父様のことを指していることに気付く。
なるほど、そう捉えたか。
「先代ラ・アリエ公爵については、申し訳ないと思っている。……実は先の聖戦、私は主戦派だったのだ」
暗い顔でそんなことをカミングアウトし始めるイルハム枢機卿。
しかし今の言葉は少し私にとって失言だ。
「先代、ではないです。勝手に殺さないでください」
「……」
「そういう顔をされると、反応に困りますね」
私は苦笑いを浮かべた。
「死体は見つかっていないのですよね?」
「まあ……それはそうだが……」
「では生きている可能性があるということです。生きている可能性があるならば、私の中では生きています。皆さん方がお父様を死人として扱うのは……まあ気に入らないですけど、百歩譲っていいでしょう。行方不明者なんて、法的には死人と同じようなものですからね」
だけど……
「私の前で、死んだことにしないでください」
「……そうだな、うん、そういう話をするのはやめよう。すまなかった」
「いえ」
何か、空気が悪くなったなぁ……
「デザートもあるんですけど、食べます?」
「……君は私を野良猫か何かだと思っていないかい?」
「はい」
この後、ちょっと怒られた。
デザート、食べたくせに……
つまりアンパンマンは教義のホムンクルス