第11話 嘘は嘘でも恋は恋だと思う……でも愛とは違う。え、恋と愛の違いはなんだって? あー、あれだよ、お父さんとお母さんに聞きなさい!!
惚れ薬。
媚薬。
愛の妙薬。
素敵なあの人を落としたい。
可愛いあの子を惚れさせたい。
そんな男女が追い求める夢の薬。
前世の世界には存在しなかったが、この世界には存在する。
まあその中毒性、危険性、さらに効果などは薬によっても大分異なるのだが……
ロラン伯父様が私に盛った媚薬は、恋に落ちた時に発生する肉体的な現象を疑似的に再現する薬である。
つまり体温の上昇、胸の高鳴り、性欲増進、脳内麻薬の促進……etc。
早い話、胸キュン現象を引き起こす薬だ。
無論、ただ薬で発生しているだけで実際にその男性と惚れたことでキュンキュンしているわけではない。
だが人間の脳味噌はかなりアホなので、顔を合わせるためにこの薬を仕込んで胸をキュンキュンさせられると、自然と「この人に恋しているのではないか?」と思い込み始め、最終的に薬を盛らずともキュンキュンし始めてしまう。
この段階まで来ると、もはや薬など関係ない。
本当に恋に落ちてしまっているからだ。
一回一回の効力は弱いが、繰り返し使えば絶大な効力を産む。
大変、有用な惚れ薬である。
当然、販売も製造も禁止だが……
錬金術師であるロラン伯父様なら、こっそり作ることは可能だろう。
まあ、犯行動機は間違いなく私の体、もといエリクサーの錬金技術、そして錬金釜だろう。
モンモランシ家の秘儀についてどれくらい知っているかは分からないが、お母様の弟だったのなら多少のことは知っているはずだ。
家で叔母に虐められ、精神的に傷ついている小娘ならちょっと優しくすれば靡くだろう。
ついでに惚れ薬も盛れば完璧。
とでも考えているに違いない。
もしかしたら私の後見人にならなかったのも、敢えて私を追い込んで自分に惚れさせるためだったのかもしれない。
モンモランシ家の錬金術は基本的に一子相伝、それも直系の女子への相続が大原則。
だが直系女子である私と結婚すれば、実質モンモランシ本家の家督を乗っ取ったも同然になる。
姪と伯父の結婚は貴族社会ではあり得ないことでもないし、二十歳、三十歳の年の差婚もありふれている。
なかなか現実的な作戦だ。
だが私は伯父と結婚する気はない。
死ぬほど嫌だというわけでもないのだが、しかしする気にはならない。
まず容姿が似ている所為で近親婚感が半端ないし……
そもそも惚れ薬を仕込むという、やり口が気に入らない。
正面から口説いてくれれば……まあロリコン扱いしただけだろうけど。
いやまあ、私まだ十三歳だから正確にはロリコン伯父さんではなくペドフェリア伯父さんなわけだけども。
と、まあ人格的にアレなことが発覚した我が親愛なるロラン伯父様ではあるが……
授業はなかなか上手のようだ。
「ルイーズ姫殿下、まず錬金術に必要不可欠なものを、思いつく限り教えてくれませんか?」
ロラン伯父様は優しい声で言った。
普段は高飛車なルイーズ姫殿下は、どういうわけか少し顔を赤らめて質問に答える。
「えっと……まずは材料、ですわ。そ、それと……釜、でしょうか?」
「大正解です、ルイーズ姫殿下!」
ロラン伯父様はニコリと、笑みを浮かべる。
ルイーズ姫殿下は顔を真っ赤に染めて、顔を俯かせた。
私の知らぬ間に惚れ薬でも盛られたのか……
まあでもルイーズ姫殿下は元々お頭が弱い人だし、何もしなくても恋に恋する可能性は十分にある。
多分惚れると言っても本気で惚れているわけではなく、思春期にありがちな恋に恋している系、つまり年上のカッコイイおじさん教師に叶わぬ恋心を抱いている私可愛い的な奴だ。
つまり私がディアーヌ奥様やアナベラお嬢様にイジメられて喜んでたのと根本的に同じ心理である。
「錬金術を成立させる条件は三つ。まず第一に釜、第二に材料、そして第三に術者。この三つがなければ錬金術は成立しない。……シャルロット君、理由を説明して貰えないかな?」
ロリコン伯父様が私を見て、何故か両目をつぶった。
それがウィンクであることに気付くのに、数瞬の時間を要した。
……ウィンクは下手なんだ。
私は膝の上に乗せていたブーメランを机に乗せ、立ち上がった。
「錬金術が天地創造を模した科学技術だからです」
「もう少し、突っ込んで説明してくれ」
「……世界にはかつて、無が満ちていました」
『無』の世界には動物も植物も、それだけでなく天や大地も存在しなかった。
ただひたすら無が広がっていた。
しかしある時、そこへ『父なる神』がやってきて『奇蹟の種』を蒔いた。
そして『偉大なる父』は『杖』で無の世界を大きく、右回りに掻きまわした。
『杖』が『無』を掻き混ぜたことで、世界に初めて『空間』と『時間』が生じた。
空間と時間が生まれたことで、停止していた世界が動き始めた。
すると『奇跡の種』、つまり『主』の〝神秘〟と元々『無』の世界に満ちていた〝神秘〟が混ざり合い……芽吹き、爆発した。
この時、初めて世界に『熱』と『光』、そしてそれに相対する『影』が生じた。
と、まああとはそんなこんないろいろあって人間が生まれましたとさ。
「その『無』の世界を模した物が〝錬金釜〟であり、そして『奇蹟の種』に当たるのが〝材料〟、『主』、及び『杖』に当たるのが〝術者〟、及び釜を掻き混ぜる棒、魔力です」
「素晴らしい説明だ、シャルロット君」
そう言ってロリコン伯父様は再び下手なウィンクを飛ばした。
レッスンしてやりたくなるくらいの下手さだ。
下手ならやらなければいいのに。
あー、下手だって気付いてないかもね。
「このように錬金術は……」
などと錬金術の説明を始めるロリコン伯父様。
ちなみに先程の説明を捕捉すると、『父なる神』、即ち唯一神が無の世界に送り込んだ〝神秘〟は専門用語で『父なる神秘』と呼ばれている。
一方で、釜に、無の世界に満ちていた〝神秘〟は『母なる神秘』と呼ばれている。
父と母が交わって、子供、世界や人間、『子なる神秘』が生まれた。
そして『父なる神秘』は『母なる神秘』を征服し、『母なる神秘』は『子なる神秘』を支配し、『子なる神秘』は『父なる神秘』を打ち破る。
という三竦みが成立する。
『父なる神秘』『母なる神秘』『子なる神秘』の三つの神秘によって、世界が形作られているというのは、この世界に於いては哲学神学魔導学などあらゆる科学の前提常識となっている。
そしてイブラヒム教が信仰の対象としているのが、『父なる神秘』である。
この世界の殆どを占めるのが『子なる神秘』であり、ごく僅かに魔獣や幻獣、竜種などが『母なる神秘』を内包している。
『父なる神秘』は外界の力なので、おそらく一%もないだろう。
但し、神聖術を扱える神官たちはこの『父なる神秘』を外界から受信して行使できる。
私も使えるようになりたいんだけどなぁ……神聖術。
さて特に有意義でもない授業が終えた私は、王都ルテティアに向かった。
ルテティアはガリア王国、というよりはこの辺り一帯では最大の都市であり、人口も多い。
大抵、前近代の都市では人口が多くなると糞尿処理が追いつかなくなり、汚くなる。
だがこの世界はそこそこ公衆衛生が整っている。
というのも、イブラヒム教の聖職者の皆さんが大変優秀だからだ。
彼らの啓蒙活動のおかげである。
驚くなかれ、社会制度や技術レベルが前近代程度なのに公衆衛生の概念があるのだ。
そのため上下水道が完備されている。
上下水道にはゴミを食べるスライムが放し飼いにされているため、水はキレイに浄化されるので飲み水や川が汚染されることもない。
トイレは汲み取り式に近いが、糞尿が溜まる部分にはやはりスライムが飼われている。
スライムが糞尿を全部食べてくれるので、窓から落とす必要もなく、そしてトイレも清潔で臭わない。
スライムそのものは週一で交換される。
丸々と太ったスライムは畑の肥料に加工されるため、無駄がない。
なんと文明的か。
ウォシュレットや音姫がないことに目を瞑れば、トイレ事情は日本と変わらないかそれ以上なのだ。
すばらしい。
このように、この世界には錬金術や魔術、神聖術、さらに魔法生物といった前世の世界には存在しない科学技術が存在する。
そのため文明レベルは案外高い。
「ぴぎぃ、ぴぎぃ、ぴぎぃ!」
「こらこら、暴れないの……」
人が多い所為か、ブーメランが興奮している。
喜んでいるのか、怖がっているのか、まだ付き合いが短いので分からない。
だが髪の毛や猫耳を引っ張られるのはさすがに痛いので、私は暴れるブーメランを頭から引き離し、胸に抱いてやる。
赤子は心音を聞くと大人しくなるというが、それはドラゴンも同様のようで、ブーメランはすぐに大人しくなった。
さて、しばらく歩いていると目的地に到着した。
ルテティアで最も優秀な鍛冶師が経営している、工房だ。
「すみません、シャルロットです。注文のものを受け取りに参りました」
「シャルロットさん、ですね? しばしお待ちを」
弟子と思われる少年が、工房の奥へと消える。
しばらくすると奥から小柄な髭モジャ男性が姿を現した。
ドワーフの鍛冶師だ。
手には木の棒のようなものを持っている。
「久しぶりだな、モンモランシ選教侯。ところでその胸に抱いているトカゲは、新たな材料か? 打ち直しには時間を貰うぞ」
「いえ、この子はペットです」
私は首を横に振って否定した。
すると髭モジャは少し残念そうな表情を浮かべた。
「まあ、良い。これが注文の品物だ。確認してくれ」
「どうも」
私は髭モジャから箒を受け取る。
見た目に反して、ずっしりと重い。
柄の先を掴み、捻る。
そしてゆっくりと、刃を引き抜いた。
白銀に輝く、刀身が姿を現す。
木目上の模様と、彫られた神聖文字が美しい。
「試し斬りさせて貰っても宜しいですか?」
「構わんよ。……そこのテーブルでも斬ってみたらどうだ」
髭モジャは大理石のテーブルを指さした。
では、お構いなく。
私は一先ずブーメランを髭モジャに託してから、箒を振りかざした。
「とりゃああ!!」
振り下ろす。
スパン、とまるで豆腐を包丁で切るように綺麗に大理石のテーブルが真っ二つになった。
「素晴らしいお仕事です」
「ふん、素材が良いのさ。聖銀に魔鉄鋼、神造合金、絶対金属の超合金。それに寿命五百歳の竜の宝珠と逆鱗を混ぜ込み、竜の火炎袋で鍛え、竜の血液とエリクサーの混合液で急冷させる……これほど贅沢な剣はこの世に早々ないだろう」
そう言う髭モジャの表情は、どこか自慢気だった。
こんな凄い素材を扱えるのは世界でも俺だけだ。
そんな自信が表情にありありと見て取れる。
「しかし箒に剣を仕込んでくれと聞いた時には仰天した。まあ面白かったがな。しかし……剣は良いが、鞘になる箒の素材が平凡なのが残念だ。クルミは良い木材ではあるが……やはり見劣りする」
箒であることは問題無いみたいだ。
どうやらこの髭モジャは箒に刃を仕込む浪漫が分かるみたいだ。
さすがドワーフ。
厨二心が分かるとは。
「世界樹をいつか、手に入れて使おうと思っています」
「世界樹か……まあ、確かに世界樹くらいだろうな。その剣に見合う鞘は……しかし、くくく、世界樹でできた箒なんぞ、聞いたことがない!」
楽しそうに笑う髭モジャ。
この人とは美味しい酒が飲めるような気がする。
「お代ですが、これでお願いします」
「うむ、確かに受け取った」
私は髭モジャに一枚の紙を渡した。
私が髭モジャに渡したのは、為替手形である。
この世界では教会が銀行を運営しているのだ。
ドラゴンを討伐したことで、私は丸々一頭分のドラゴンの素材を手に入れることになった。
剣の制作、及び希少で錬金術の素材として使いたい部分以外は全て売り払い、そして国から、学園からも報酬金が出たおかげで、私は一気にお金持ちになった。
そこで教会に行き個人口座を作り、手に入れた金貨を預けたのだ。
そしてそのお金を厨二武器につぎ込んだ。
おかげ様で手持ちのお金はすっからかん……だけど、大変満足している。
「そうそう、材料があまったもんでな。余った材料で包丁を作ってみた。あんた、一応メイドなんだろう?」
「一応ではなく、万能メイドです。……おお、これは凄い!」
私は生唾を飲む。
髭モジャの作った五種類の包丁……切れ味も良さそうだし、刀身に強大な神秘が含まれているのがよく分かる。
スゴイ……
「お値段は?」
「サービスだ。良いモノを作らせて貰ったからな。それと……まだ少し材料が余ってる。モンモランシ選教侯が望むんだったら、もう一つ何かを作ろう。何か、リクエストは?」
「最高です!」
私は思わず髭モジャに抱き付いてしまった。
今、一瞬とはいえこの人になら嫁入りしても良いんじゃないかとすらも思ってしまった。
まあすぐに冷静になって、自分よりも背が三十センチも低い人はちょっとタイプじゃないなと思い直したけど。
「ええい、くっつくな。ちんちくりん!」
「こんな可愛い女の子に抱き付かれているのに……」
「ふん、もっと髭を生やしてから来い!」
ドワーフは髭フェチらしい。
女性が男性に髭を求めるのは分かるのだが、男性が女性に髭を求めるとは……
まあそれがドワーフの文化なんだろうけど。
「そうですね……じゃあ、中華鍋を作って貰えますか?」
「中華鍋?」
「えっと、ですね……」
私は中華鍋の説明をする。
私の前世の数少ない心残りの一つに、大切に育ててきた中華鍋をこの世界に持ち込めなかったというものがある。
私の戸籍上の父は料理には理解がないので、きっと今頃中華鍋をゴシゴシ洗剤で洗っていることだろう。
考えたら悲しくなってきた。
「ふむ……まあ一週間後にまた来い」
「ありがとうございます!」
私は包丁を箱に入れてリュックにしまい、そして箒を片手に持ってその場を後にする。
今日はとても気分が良い。
中華鍋ができたら、何を作ろうかな?