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短編集紛い

ディストピア

作者: 緋坂 風行

「嗚呼、二人の理想郷に今すぐにでも旅立てたのなら良かったのにね。」

「あんた、とうとう頭の中がお花畑に侵食されたんです?」

 武内の言葉に雨宮はクククと喉の奥で押し殺した笑い声を立てた。

 天井、壁、内装のほとんどが白い空間で、どうも狭い窓の外が鮮やかに色付いていて、武内はそれが愛おしく見えた。青い空、白い雲、それから目に痛々しいほどに生える緑。この光景は雨宮がいるからこそ美しく見えるのだと本気で思った。

「えー、でもこんな所に閉じ込められているのはつまらないじゃない。」

「あんた、本当に暇と退屈が嫌いですもんね。」

「暇は嫌い。退屈は天敵。やっぱり娯楽をどこまでも追い求めてこそ、人間として正解だと思うのだけれどね?」

「知りませんて。」

「あっは。」

 軽く雨宮が笑う。その紙みたいに軽快な声が、何より武内の心を安らがせた。武内にしか分からない笑顔は、いつまでたっても同じように無邪気で、可愛らしくて。他の人に訊ねたところで正気を疑うような目で見られるのが非常に遺憾でしかない。

「ねぇ、武内君。ここから抜け出してさ。二人だけの理想郷に行こうよ。」

「あんたの言うその理想郷ってのは、ユートピアです? それともシャングリラ? もしかしてアガルタ?」

「いや、ここは敢えて太平洋、南緯四十七度九分、西経百二十六度四十三分の海底に行くのはどうだい?」

「いや、ちょっと落ち着きやがって下さい。そんな所に僕を連れて行く心算です? ネモ船長の点に近すぎやしませんか。それに正気度判定に成功する気がしないんですが。」

「何を今更。戯言ならば寝て言うのが正解だぜ?」

「僕はいたって正気です!」

 武内が反抗心交じりに雨宮へ言うと、雨宮はケタケタと笑っては、寝台から上体を起こしているだけの武内の上に乗っかっては愛おしそうにその胸に頬を擦り寄せる。

 いくら二人きりの空間とは言え、あまりにも刺激が強い雨宮の行動に、武内は動揺する。

 雨宮はいつもこうだ。武内の予想を超えた行動を気軽に取る。だからこそ、この想いが知られてはいないかとヒヤヒヤしてしまうのだ。顔が赤くなるのが、止められない。

「あ、ああ、雨宮さん!?」

「んふふっ。ねぇ、武内君。私は大分本気だぜ? 二人だけの理想郷にイこうよ。」

 その、蜂蜜を直接喉に流し込むかのような、辛さも孕む甘い声が武内の耳に注ぎ込まれる。武内は戸惑いながらも雨宮を抱きしめた。


 ――そう、武内だけの雨宮を。


 彼女たちが囁き合う。

「あの病室の彼、また抜け出したんですって? いったい何があったかは知らないんですけど、最近、頻度が高くないです?」

「今回の<ゲンコウ>も、支離滅裂な事が書かれていたんですって!」

「雨宮……でしたっけ」

「武内は多分、ご自身……でしょうねぇ……」

 会話の内容は、とある個室の青年の話だ。蜂蜜色にも見える茶髪の青年が、原稿用紙に様々な事を書き綴っては病室を抜け出すのは、最早、この病院のよくあることであった。

 彼女たちは仔細を知らされてはいないが、彼はどうやらとある筋の関係者らしい、というのは広まっている。名前からして、これは隠しきれない事実だ。だからと、ああなるのがよく分からない。

「まだお若いのに。可哀想」

「ねー。私じゃなくて良かったわ……」

 我が身で無ければ、全て他人事だ。

「ねぇ、雨宮さん。雨宮さん……」

 呟く青年は、最早誰の声も耳には入って来ない。

――ねぇ、二人だけの理想郷にイこうよ……

 あの日の悪夢から未だ覚醒出来ない。誰もアマミヤの存在など覚えていないというのに……青年だけは、不幸な事にアマミヤを覚えていた。

 幸か不幸か。青年だけは全てを覚えているのだから、もうどうしようもない。あの日の鮮やかな悪夢を。


 とある雨の日。その日はどうしようもなく鬱々とした一日であった。元々武内は気の強い青年ではなかったが、それでも何とか軌道に乗っかっては生きてきた。親の権力のお陰、というのももちろんある。

 だが、その日、とある省庁がテロ集団にジャックされた。

 武内はその省庁に勤めていた。無論、銃を突き付けられ、そうして次々と追い出されていく人々の群れを見送る側となった。詰まる所、人質として選ばれたのだ。

 武内自身にその価値は無い。しかして生まれた家が悪影響したのだろう。武内家は古くから存在する、政治の中核に巣食う魔物の一つだ。だからこそ平々凡々でしかない武内が公務員として省庁に勤められたわけだが。

 武内たち人質は、最上階のとある一室に纏められた。

 政治犯だ。銃も持っている。恐ろしいにも程があるだろう。武内なんかは今すぐ殺されても致し方ない。

 その時、何とも間抜けな光景が武内の視界に入った。

「……あれ?」

 声がした方を見れば、そこには子供みたいな身長の、黒い服を着た迷子がいた。テロ集団も、人質も、戸惑いを隠せない。

「わぁ、こう、ここまでこう、間抜けだとコメントも出来ないね!」

「いや、お前何なんだよ!」

 正しくその通りである。テロ集団の親玉らしき人物がその子に声をかける。

 その子は無表情で――しかし、武内にはキョトンとした表情であるのが何故か分かった――応じる。

「とある筋から、武内君だけでも無事に救出しろって依頼をされた者さぁ。って訳で、キミらをいてこましたっても良いって許可は得ているから、よろしく!」

 明るく、間抜けみたいな宣言の後に、その子の姿は掻き消えた。正確には速すぎて動体視力が追い付かなかったのだ、と知るのは、テロ集団の呻き声が聞こえてからだった。

 一分も掛けずにテロ集団を一人も残さずに制圧したその人は、武内の分の拘束だけは外して何処かへ連絡をしながら人質たちへ背を向ける。

「待てよ、オレの拘束も……!」

「わたしが先よ!」

 人質たちの不満が、当然ながら爆発する。しかし、その人は意に解する気配を見せずに完全にそのフロアから出て行ってしまった。武内は一人で解くにはあまりにも多すぎる人質の数に頭が眩む感覚を得、その人を追った。

「ちょっと、あの……!」

「うん? 私をわざわざ追って来るなんて、キミ、暇人?」

「じゃなくて、あんた、あの人たちの拘束を解いたらどうです!?」

「興味ないからどうでも良い。それに依頼はキミの解放だけだったし?」

 しれっとそう宣うその人の神経が信じられない。武内が次の言葉を言おうとした瞬間だ。その人は武内の手を掴んで階段を降り始める。鼻歌交じりに、極々自然と手を繋がれた為に、武内はそれを振りほどく事も思い付かず、その人に引きずられるままに階段を降りる。

「本当に運命というのは気紛れだねぇ」

「いや、知りませんて。それよりあの人たちの拘束をどうにかして解かないと……!」

「いや、そんな時間ないし」

「は?」

「だって、あのジャック犯……風情が無いな。乗っ取り犯さ、何か要求していたかい?」

「……政治について声高に色々言ってたじゃないですか。あれは要求でしょう?」

「バカめ。あれは要求じゃなくて、主張だっての。要求ってのは、例えば何分後に逃走用のヘリをー、とか。そんな事を意図して私は言ったのだけどぉ?」

 その人の言う通り、確かに彼らはそのような要求は一切行っていなかった。だが、それがどうかしただろうか。

 武内が疑問に思った瞬間だった。建物が揺れた。

「あー、思っていたよりも早く始まったねぇ」

「はい?」

「ねぇ、Fire Flowerは日本語にして?」

「火の花……火花――花火?」

「Ja. あーあ、上からで良かったぁ。それにしたって、エレベータを先に破壊するとかどんな神経? 降りるのが面倒臭いー」

「は!?」

 武内にはその人が何を言おうとしているのかが理解できなかった。その人は武内の混乱を察したのか、手短にまとめる。

「つまりはアレだ、アレ。キミがいたフロアから順次爆破されていく仕様さ。早く降りようよ。何分周期かは知らないけど、ぼやぼやしていたら、巻き込まれるぜ?」

「ちょっと待て! ここ何階か知ってるのか!? 先に言えよ……!」

「地上十八階と十七階の間。近いのは十七階かな。キミが居たフロアの、三階下になる。進撃速度としては及第点。まぁ、屋上から人質救助しようとしていた機動隊は全滅だろうね。だから時間がないって言ったのに」

 実にその人は平然とそう言う。そして武内はその人が言った言葉を思い出したのだった。

「……とある筋から、僕だけでも無事に救出しろって……その筋って」

「ピンポン。本家さぁ。何せ、広い世界を見渡したって、そんな芸当が出来るのは私しか居ないもん。……おや、二回目だ。やっぱり私の見立て通り全部の階層を爆破していく心算だね? パフォーマンス性に溢れていて、ちょっと好きじゃあ無いなぁ」

 言いながら肩を竦めるその人は、階段を降りながらも武内を見上げる。

「ああ、そう言えば名乗っていなかったな。私はアマミヤだ」

「はぁ……?」

 唐突に名乗ったその人に首を傾げながら、武内は階段を降りていく。

 十五階、十四階、十二階、どんどんと折りていき、どんどんと爆発の速度が速まっていくのに、アマミヤが顔を顰める。

「くそ、爆弾処理に手を出さなかったのは素晴らしいかなぁ……! ねぇ、武内君。私を褒めてくれても良いのだよ?」

「いや、本当に褒めるなら……えっと、乗っ取り犯の人も、他の人も完全に助けてようやく褒めるべきでしょうに」

「うわぁ、手厳しい」

 アマミヤは苦笑を漏らして、階段を降りる速度を速めた。

 足の裏に伝わる爆発が近付いていく。

 九階、八階。

 爆発の影響だろうか。少し熱くなる。

 七階、六階。

 此処でアマミヤが舌打ちをする。

「×amm it! えぇい、テロ対策で中身を複雑怪奇にするのは構わないが、どうして逃げる時の面倒くささを考えないのだよ!」

「……あ?」

 慌てて駆け降りる影響で、建物の構造を思い出す余裕のない武内が眉を寄せる。

 天宮は取り合わずに、非常用のドアをけり開ける。そして武内の手を先程よりも強く引く。そこで武内がようやく思い出す。

 テロ対策と、階段・エレベータが一部別れているのだ。

「変な所で欧米基準にしやがってからにー! どうせなら労働環境の辺りも良い感じの欧米企業の基準に揃えたら良いのに! 要らん所で欧米を見習って、要らんところで自国の風習を守るなら本当に意味が無いんだっての、阿呆どもが……!」

「へ、平和ボケの間抜け共がこれ、かっこよくね……? で通した案に文句を言われても……!」

 武内の主張は大きい爆発音に掻き消された。

「ここは五階。一階三メートルと換算して十五メートル。さてちょっと危険な賭けでもあるが気にしていられる状況でもない。街路樹の高さが推定二メートル前後。生き物だから誤差は赦してくれ」

「は? ちょっと」

「つまりは実質の落下高度は十三メートルだ。実質四階から飛び降りるのと大体変わらない。落下速度は、数学が苦手だが概算を出して秒速十五メートルと言った処かな。故に落下時間は大体一秒程度」

「いや、待てって!」

 複雑怪奇なフロア内を迷いなく進む天宮は更に言う。

「衝撃は推定一万六千二百ニュートン。キログラムに換算して千六百五十三キログラム。概算でまぁ二トン。大丈夫だ。人間は高度一万メートルから自由落下して生還した例がある。場合によっては一メートルでも死ぬが今回は条件が割合良い方だろう。上手く落ちれば軽い骨折程度で済むかもしれないかもね。ある程度は木が受け止めてくれる。また車の事故ではあるがこれよりも酷い重力加速度で事故ったF1ドライバーが生還した例もある。まぁ、大丈夫だろう」

「い、嫌だ! まだ死にたくない……!」

 首を振って嫌がる竹内に、アマミヤは笑って、何処からか取り出したソレのピンを引き抜いては目の前の窓に向けて投げつけた。

 そして、武内のネクタイを掴んで前かがみにさせてはアマミヤがその耳に、蜂蜜のような毒々しい声を流し込んだ。

「ねぇ、武内君。私と理想郷にイこうよ」

 平凡極まる武内が、その声を脳髄の隅々にまで行き渡らせた瞬間だった。恋に落ちるように簡単に身は宙に投げ出された。気持ち悪い浮遊感が、アマミヤの言うように一秒程度続いて、武内が飛び降りた直後にそのフロアの爆発が開始し。

 そうして何が何だか分からないままに衝撃と痛みを感じて、街路樹の枝を圧し折って、植え込みに受け止められ、全てが終わった後。


 ――武内が恋した人を、誰も覚えていなかったことが判明した。

ジャンルを選択しろ、って言われて仕方なく純文学を選択したものの、正直純文学でもないししかして悲恋モノでもなしに……ジャンル別けに悩む今日この頃です。

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