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懸け橋  作者: 子無狐
3/4

03

 ――過去に彼女は、現実での身体の大半を、失ってしまった。


 ただ、脳から心臓、延髄などの身体部分は残っており、かろうじて生命を生きながらえていた。

 そんな彼女と家族に、ある計画が持ちかけられた。

 その身を機械と接続することにより、肉体を医療的に保護しながら、意識領域を電子デバイス上に接続させる。

 接続された電子デバイスの力により、彼女の意識は、中間となる仮想世界のなかで外部との接触を可能にする。

 家族の希望で、彼女の身体を模した、接続デバイスが造られた。

 彼女だったものは、彼女の身体によく似た機械に補強され、生命活動を続けている。

 その姿は、人形のようにも見えたし、でも、眠っているだけのようにも想えた。

 ただし、そのままでは会話をすることもできない。

 なぜなら彼女には、人間としての発声器官や肉体が、もう存在していないのだから。

 彼女の意識のなかへ、潜り込む必要があった。

 用意されたのが、意識を一時的にデータへと変換し、接触を行うデバイスだった。

 そのデバイスは、手と手を介して行われる。

 実にアナログな、接触コミュニケーションの形を取っていた。

 僕を含めた、彼女を知る人々。

 みんなは、いつも、彼女の硬い手を握る。

 彼女を模した、彼女でない、冷たい機械の腕を。

 潜り込んだ世界で、いつも僕は手を握ったまま、彼女と話す。

 そこから感じる温もりは、この仮想世界では、昔のまま。あの、暑い夏の日のままだと……錯覚、できる。

 ――なぜならここは、彼女の見る、夢の世界なのだから。

「久しぶり、ってさ」

「ん?」

「久しぶりって、言ってくれたから。けっこう、時間が経ったのかなって」

「……そうだね。前よりは少しばかり、時間が経ったかもね」

「年をとると、時間の流れが速いっていうもんね~。それかな?」

「そうだね。確かに、早くなった気がするよ」

「わたしは、ずっと同じように感じるけれどね」

 夢の世界は、変動しない。

 彼女の意識は、具体的な形となって、まとまっていることはない。

 こうして僕が手をつないで会話をしている光景も、幻だ。

 僕が彼女の意識とリンクしやすいように編まれている、舞台にすぎない。

 これは、技術的なものと、彼女の心象風景が混じっているらしいが……詳しいことは、僕には理解できなかった。

 ――今の状態は、羊水のなかに近いのではないか。

 そう、医師が言っていたのを聞かされたことがある。

 いつか生まれる胎児のように、彼女は、いつか目覚める夢を見ているのかもしれない。

 ……それが、生きているのかと言われれば、賛否を問われる事態なのかもしれない。

 実際、彼女の存在と倫理を問う議論も、盛り上がっていたと聞く。

 でも、僕にとって彼女は、あの日のままで生き続けていてくれた。

 彼女は夢のなかで、僕との再会を喜んでくれた。

 そして僕も、彼女との会話を、拠り所としていた。

「今でも、信じられないよ。だって、わたしはまだ、みんなが言うあの日から進んでいる気がしないんだもの」

 彼女は、朗らかにそう言う。その内心の真実は、推し量るしかないのだけれど。

 ――あの頃より、手をつなぐほどに距離を縮めたはずなのに。

 僕は、心の中の言葉を告げることができなかった。

「その、どんな感じなんだ? この、手をつないでいない時っていうのは」

 代わりに口から出てくるのは、彼女の話を聞くための、話題づくり。

 彼女も付き合いがいいから、それに乗ってくれる。乗ってくれるのを、僕は知っている。

「その話題、前にも言ったよ~。忘れちゃったの?」

「年をとると、忘れっぽくなってね」

「まだまだ若いでしょ」

「……どうかな」

 僕は苦笑いしながら、そう言う。直裁的な言葉は避けたけれど、若いと言いきれる精神的余裕もなかった。

「キミは……もしかして」

 彼女のためらうような言葉に、僕は彼女の顔を見て声をかける。

「どう、したの?」

「ううん、なんでもないよ」

 でも、その彼女の顔は、いつもの彼女の顔と少しだけ違っていた。

 物憂げな、あの頃の君が浮かべることのなかった、渋い表情。

「なんでもないって、本当に?」

 つい、問いつめるような口調になった僕。

「……独りぼっちって、わたしにはわからなかったんだけれど」

 けれど彼女は、僕の質問を無視して、違う話を始めた。

「独りぼっち? どういう意味だい」

「どんな感じかって、聞かれたから。ここに独りで、いるってこと」

 彼女は、空を見上げながら、口を開く。

 ここでも、あの頃でも、昔ではない、虚ろな瞳で。

「あの頃はね、誰かとずっと話していたから。独りになることなんて、なかったのね」

「あの頃?」

「本当の、この風景。キミといた、あの景色よ」

「……僕は、手なんて、つなげなかったよ」

 眩しい彼女の瞳に、僕は、そんなことを言ってしまう。

「そうだね。あの頃は、ただこの場所を一緒に歩いているだけだった」

 だから、独りじゃなかったの――そう言う彼女に、僕はやや搾った声で言う。

「誰だって、完全な独りになんて……なれないよ」

 そこまで言って、僕は口を閉ざす。

 ――彼女の姿に、惑わされているんだと、想い出したからだ。

「ありがとう。でも、そうね。キミは、今も来てくれるものね」

「……ごめん」

「ううん。でも、その独りって感覚……ずっと、あるのね」

 すっと、彼女は空いている手を空へとかざす。

「なんて言えばいいのかな。――そう、適切か、わからないけれど」

 広げた手の平を、空と平行になるようにして、左右に往復させる。

「壁、かな」

「壁……かい?」

「わたしは自分の部屋に、一人で横たわっている。不思議と身体は動かない。誰も家にはいない。

 なのに、窓一枚の外側からは、ずっと、幸せそうな笑い声が聞こえてくるの」

「それが……壁? でも、声は聞こえているんだろう」

 独りじゃないはずだ……そう、言ったつもりだったのに。

「でも、声は聞こえるだけなんだよ?」

 僕は、想い当たる。これは彼女と外部との、繋がり方の話なんだと。

 語りかける手段は、いつも外側からだ。

 彼女が自発的に呼びかけることは、外部からの制御機器なしには、できないのだ。

「だからわたしは――じっと、ただ、存在するようにしていたの」

 かざしていた手を、肩に寄せて、彼女は自分の身体を包む。

「わたしのことは……誰も、必要としていない。そう、覚悟してね」

「そんなことはない」

 間髪入れず、僕は否定した。

 強い語気だったが、彼女は怒るでもなく、淡々と言葉をつなげてきた。

「わかってる。でも、そう想わないと……いけなかったの」

「いけなかった……なぜ?」

「ぼんやりとだけれど、ずっと、色々な人が訪ねてきてくれる。でも……わたしには、その確証がなかった」

 そこまで聞いて、僕は、彼女がいつの話をしているのかに気づいた。

 ――これは、過去の話だ。

 彼女が未だ、精神となってしまった現実を受け入れられず、誰ともうまくコミュニケーションができなかった頃。

 僕は、当時を想い出しながら、彼女の言葉を引き出すようにする。

「手をつなぐのは、君が提案したんだよね」

「そうそう、ずいぶん昔のことだけど……」

 ぎゅっと、僕の手を握りしめて、嬉しそうな笑顔を浮かべる彼女。

「……あれ?」

 けれど、その笑みは一瞬、固まってしまう。

「どう、した?」

 さりげなく、自然に、硬くならないように。

 僕は、彼女に心配の声をかける。

 ううん、と彼女は頭を振って、大丈夫と答える。

 振り払うように手を動かしながら、僕の心配を和らげるためか、可笑しそうに笑う。

「おかしいよね。だって、こうして手を握るようになってから、まだそんなに経ってないのに」

「……そうだね」

 ただ、(うなず)いて、肯定する。

「だから僕は、君の知る姿のままでいられる」

「そうだよねぇ。だから、早く恋人を見つけて、ノロケ話に期待しちゃうよ~」


 ――明るく笑う彼女は、先ほど僕が投げかけた、想い人の話を"遺している"のだろうか。

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