道化師一行の平和すぎる道中
葉風の町リーフへ続く街道。
一度は整備されたはずのその道は今では大自然に飲まれていた。
落ち葉や土で道が見えなくなっていることも少なくなく、大岩や倒木が行く手を阻むことすらある。
そんな道を《トリック大道芸団》一行は相変わらず道化衣装のまま進んでいた。
アンティークドールに似合いそうなフリル付きの黒いドレスの衣装。
短めのスカートに色とりどりの飾りを付けた緑の道化衣装。
これらは派手ではあるものの、動きやすそうではあるため、まだ旅装束としてありかもしれない。
紫と黒が中心の毒々しいピエロ服と三角帽も、着ている人間にまったく似合っていないことを無視するなら、ありといっていいだろう。
しかし、赤と白のストライプ柄ボール服はない。
魔物が闊歩する外を旅する服としては馬鹿にしているとしか思えない服装だ。
だが、《トリック大道芸団》でその服装に文句をつける者はいない。
――いついかなるときもピエロであることを忘れずに。
そんな団長命令が団員たちに呪いのように深く深く根差しているのだ。
「あと、どれくらい?」「もう野宿はしなくていい?」
馬車の荷台に座ったミケとタマが不満を声に出す。
荷台から足を投げ出し、ぐったりしている二人はいかにも暇そうだ。
手綱を握っているハンスはまだ大丈夫そうだが、ルーンの方は昼下がりの陽気に誘われて、船を漕ぎそうになっている。
「ふわ……うーん、あとどれくらいハンス?」
欠伸を噛み殺しながら、ルーンはハンスに声をかける。
こうも眠くなるのは、揺れもしない快適な馬車というのが問題なのだろうか。
荒れ果てた道を旅するには、普通の馬車では難しい。
そのため、外での移動には気球と同じく【浮遊】の魔法を帯びた馬車が使われることが多い。
地面に接触することなく進むことが可能で、荷台を引く馬の負担も軽く、揺れることもない。
まさに、快適な旅を送れる夢の馬車。
もっとも、快適過ぎて気が緩むようならある意味考え物だ。
「明日の夕方か夜には着くんじゃねえか。残念ながら、あと一日は我慢して野宿するんだな」
「「ええー」」
不服そうな声を上げるミケとタマ。
おそらく、気持ちは一人を除いて同じ。
荷台の上で転がっているファル団長以外は、何故か魔物が出ないこの平和すぎる道中に一言あるはずだ。
「なんでだろうね。魔物が活性化しているとか、東都で聞かなかった?」
「聞いたな」
「でもでも」「まだ一回も出くわしてない」「それっておかしくない?」
もちろん、おかしい。
長いこと旅をしてきたルーンもこんなことは初めてだった。
いつもなら、嫌でも魔物と出くわしていた。
場合によっては大量の魔物が襲ってきて、一目散に逃げだすことだってある。
だけど、今回の旅はまずいことに、まったくもって魔物と出くわさない。
「おいおい、どうすんだ。これじゃあ、儲けゼロでリーフに着くことになんぞ」
稼ぎがゼロ。
実に頭が痛い問題だった。
クランとは同じ志を持った駒者が集まったチームを指す。
特定の魔物を専門に退治したり、
強大な魔物を狙い遠征したり、
効率の良い魔法の開発をしたり、
志は様々だが通常はどこか一つの町を拠点にして活動することが多い。
だが、ルーンたち《トリック大道芸団》は拠点となる町を持たない、世界中を旅するクランだ。
その日常も他の駒者たちとは異なる。旅の道中で嫌でも出くわす魔物を倒しお金を稼ぎ、町では芸をするのがこのクランにとっての日常だ。
だからこそ、魔物が出てこないのはまずい。
このままでは一文無し一直線だ。
残念ながら、こんな衣装に身を包んでいても、芸の稼ぎは駒者での稼ぎに比べれば雀の涙ほどなのである。
「どうしようか……お祈りでもしてみる? お金よ降ってこいーって」
「そんな呑気なこと言ってていいのかよ? 言っておくが、俺らのクランは常に崖っぷちだぞ。皆が皆、衣装やら小道具やらで金を使っていくからな。ほら、ゆっくり進んでるから、ちょっと馬車から降りて、魔物を狩ってきてもいいんだぜ」
「そんなことしたら、すぐに迷子になっちゃうよ。ふわわあ……もういいよ。いい陽気だし、たまには皆でぐうたらしますか……」
そう言いながら、ルーンは荷台の上にごろりと横になる。
もう、やる気なんて尽きていた。
手綱を握るハンスも大きな欠伸を零し始め、ファル団長は文字通りゴロゴロしている。
とても、危険地帯を進んでいる一行には見えない。
「……それ昨日も聞いた気がする」「これだから大人は」「大人になると動きたくなくなるんだって」「なんで?」「さあ、きっと成長して体が重くなるからだよ」「世間のしがらみで体重も重くなる……」
「「……深いなー」」
「そこ。聞こえてるから。ハンスとファル団長はともかく、私は軽いから。それはもう羽根のように軽いから。まったく、重かったら曲芸なんてできないでしょ」
「「はーい、ルーンは羽のように軽いでーす」」
失礼だ、と鼻息荒く二人を叱るが、ルーンの姿勢は仰向けのままだ。
青空をゆったりと流れていく綿あめみたいな雲をぼけーっと眺めている。
そんな昼下がりの猫とルーンは化しているので、姉妹が向ける生温かい視線にも気づかなかった。
「じゃあ、ミケ。私たちは魔物の警戒と」「魔法の練習もしてよっか」「そうだね。これが使えるようになったら」「お客さんもびっくり」「そしたら、お金も手に入る」「まさにいっぱい増えるお買い得な魔法!」
楽しそうな姉妹の声。
ミケとタマは随分と前からオリジナルの魔法を作っていた。
どうも、テルスがちゃっかりオリジナルの魔法を作っていたことが原因らしい。
最近ようやく満足いくものができそうなようで、二人の様子も明るかった。
どんな魔法を作っているかは誰も聞いていないだろうし、聞いても二人は教えてくれないだろう。
悪戯好きの《トリック大道芸団》である以上、仲間だってあっと驚かしたいのである。
「ねえ、ファルさん」
仲睦まじく語り合っている姉妹を横目で見ながら、ルーンは転がっているファル団長に声をかける。
「なんですか? 私は今、ゴロゴロするのに忙しいのですが」
「それは忙しいって言わないけどね……あのさ、テルスのことなんだけど……」
「その話ですか。駄目ですよ。テルス君がいるのはドラグオンの孤児院。あそこにいれば、テルス君が将来食いっぱぐれることはないでしょう。わざわざ、私たちのような不安定な道に引きずり込むのは駄目絶対」
本題を切り出す前に釘を刺されてしまった。
ファル団長の言っていることは正しい。
四大貴族が出資しているあの孤児院にいれば、とりあえずは生きていける。
思わず言葉を探すルーンに先んじて声を上げたのは、額を寄せ合って話していたミケとタマだった。
「ええー」「なんで?」「私たちは入れてくれたじゃん!」
「貴方たちは別腹です。もう私の小さなお腹はいっぱいですから、入りません」
「「絶対、入るよ!」」
ファル団長はゴロゴロと転がりながら答える。
テルスと同じく、ミケとタマには身寄りがいない。
魔物に襲われ家族を失ったのだ。
両親の旧知の仲であったファル団長が引き取らなければ、生きることさえ難しかっただろう。
だからこそ、二人はぶうぶうと文句を言うものの、深い信頼を寄せるファル団長に無理なお願いはしなかった。
「ま、男なら自分で自分の道を選ぶもんだ。あいつに聞くのが一番だろ」
「そういうハンスは」「すっごく単純な理由で――」
「黙ってろ。馬鹿猫姉妹」
格好をつけようとしたハンスが、にんまりと笑ったミケとタマにからかわれて、いつもの口喧嘩が始まる。
そんな賑やかな三人を無視して、ルーンは静かにファル団長の背に話しかけた。
「でもさ、ファルさん。私はハンスの言うことも一理あると思うんだ。テルスが私たちと一緒にいたいって言ってくれたら、私は歓迎したい。もちろん、テルスがいろんな道を選べるようになってからでいい。だから、今度会ったら……」
「……仕方ない、いいですよ。私もテルス君がこのクランに入ってくれたら嬉しいですし。ただし、あと二年は待ちなさい。あの子はルーンと違って、まだ十三歳ってことを忘れずに」
「……分かった」
ため息交じりのファル団長の返事を聞いて、ルーンは敵わないな、と苦笑いを浮かべていた。
テルスに昔の自分を重ねていることをしっかりと見抜かれていた。
まだ自分の歳の半分も生きていないのに、ファルグリンという奇妙なピエロにいつもルーンは驚かされている。
「ファルグリン。私は貴方についていって良かったと思っているよ」
エルフが集まる森深くの村にいるよりも、ただ時間だけが流れるあの場所にいるよりも、今の方がずっと笑顔でいられる。
それに一度は諦めてしまったが、いなくなった友達を探すこともできる。
何十年も踏み出せなかったその一歩を踏み出させてくれたのは、たまたま見たこのピエロの芸なのだから、人生は分からないものだ。
「……それは良かった。ええ、本当に」
いつものファル団長らしからぬ穏やかな声が空気を震わせる。
そういえば、初めて会ったときもこんな口調だった。
「ねえ、テルスがもし入団したら、道化衣装はどんなのになるの?」
「さて、どうしましょうかねえ。いっそ、思いっきり派手なのにしてあげた方が、テルス君は喜ぶでしょうか? 制作意欲が湧いてきて胸が熱くなっちゃいます」
多分、それを渡されたらテルスは引きつった笑みを浮かべるだろう。
ファル団長が作る道化衣装はいずれも個性的だ。
どんな衣装を渡されてもテルスは困った顔をするに違いない。
そんな顔を見るのは、ちょっと楽しみだ。
いつもとは異なる平和な旅路。
ルーンはほんの少し先の未来に思いを馳せ、微笑んでいた。