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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
四章
71/196

白峰の町が抱えるもの

「「「「かんぱーい!」」」」


 音頭と共に酒場にいる人々は酒をあおる。

 テルスがニ、三口飲んでグラスから口を離すと、周囲の人々はグラスを空にしていた。そして、再び溢れるほど酒を注ぎ、これも飲み干してしまう。本当にここの住民は酒飲みだ。


「あら、どうしたのテルちゃん。お酒が進んでないわよ」


「あ、はい」


 左隣のコングが飲み干してもないグラスに酒を注ぐ。一方、右隣のルナはやんわりと酒を断っており、その酒はそのままテルスに回される。尽きることのない酒地獄。それを前に、ああ、もうこれは駄目だ。今日も二日酔いなんだな、とテルスは一人悲壮な覚悟を決めた。諦めたとも言う。


 シルアフォムスを撃退したテルスは、ルナと共にグレイスの住民から歓迎会という名の飲み会に連行されていた。

 グレイスで一番大きいというこの酒場には駒者(ピーセス)を始め、グレイスの住民がこれでもかと集まっている。その目的は聞かずとも分かる。テルスの隣で料理に舌鼓を打つ少女を一目見ようと集まったのだ。


 これでは、予定も考え直さねばならない。

 当初の予定では今日一日は情報収集という名の観光だった。

 しかし、日も沈み切ってないというのに酒場に直行し、ひたすら飲まされそうになっている。正体は一日もせずにばれ、魔瘴方界(スクウェア)をこっそりと調べていく計画は一瞬で消え去った。予定とは何故こうも思い通りに行かないものなのか。


(まあ、今は食べよう……)


 面倒事はとりあえず横に置く。今は熱々出来立ての料理が最優先だ。喉が焼けるような酒を飲みながら、テルスはテーブルに並んだ料理に手を伸ばす。


 まずは中央に鎮座する大きな骨付き肉。噛みしめると口の中に熱々の肉汁が溢れてくる。舌を溶かすような肉汁の旨味に思わずテルスは相好を崩し、自然とよく冷えた酒を口に運ぶ。熱々の肉と冷酒が絶妙に溶け合う……これはグレイスの住民が酒飲みになるのも仕方ないかもしれない。


「ほんと、美味しそうに食べるわね。どう? 北国名産ピグー肉のお味」


「そっか、どこかで食べた味だと思ったら、これピグーだったんだ。うん、相変わらず美味しい」


 最初に料理を美味しいと思ったのは、いつかのピグーの串焼きだ。そういえば、あの店主もコングと似た話し方だった。グレイスの方言なのだろうか。懐かしの味と思い出に食べる手を加速させながら、次々と料理を味わうテルスに周囲の人々はこれがいい、あれがいいと料理を皿に運んでくる。


「ほら、この野菜炒めもどうぞ。ただの野菜炒めじゃないわよ。グレイスの甘辛タレはそれはもう、食が進むんだから」


「これだから女は。男に野菜を食わせるな。やっぱ、男は肉だ。ほら、具材はほとんど肉だけ。グレイスに来たらこれは食べたい第一位のピグー鍋だ。内臓とかでも、食えるもんは全部入ってんだぜ。体が温まっぞお」


「はい、こちらがグレイス名物のパン。雪のように柔らかい真っ白な白雪パンと氷のように固いアイスパン。どちらも美味しいです。まあ、アイスパンは慣れないと歯が欠ける人もいるけど」


 勧められるがままにテルスは料理を口に運んでいく。ルナも口元が綻んでいる。これだけでグレイスの町に来た甲斐があったと思えるほど、ここの郷土料理は温かくて、美味しかった。


 だから、思ったことを素直に伝えた。テルスと――ルナも。


「どれも美味しい」


〈うん、美味しいね〉


 それは相槌のようなものだったのだろう。しかし、すぐにルナは失敗したとばかりの苦々しい表情を浮かべた。


「やったぜ! おい、店長聞いたか! 『聖女』様が美味しいと褒めてくださったぞ!」


 この酒場に入ってから一度も動かなかった光球が文字を記す。それだけで、酒場に波のようなどよめきが広がっていく。


 ルナの一文はそれほど効果があったのか、店長は涙を流す勢いで喜んでいた。

 浄化師に〈美味しい〉と書かれることが、そんなに嬉しかったのだろうか。ルナだって同じ人間だというのに、これではまるで神様か何かの扱いだ。


 思えばグレイスに来てからというもの、テルスにはずっとこの違和感があった。

 ここの住民はルナを見れば祈るように手を合わせ、人によっては跪きすらする。ここではルナは本当に神のように敬われている。そして、その敬意の幾分かは何故か自分の方にまで向いているのだ。


 落ち着かない。居心地の悪い奇妙な感覚だ。

 自分は決して褒められた人間ではない。まして、祈りの対象にされるなんてとんでもない。何も悪いことはしてないはずなのに、テルスは後ろめたい気分すらしていた。


 浄化師という存在に慣れた王都ではない。魔物に対する戦力が整っている大都市でもない。

 此処はリーフとも異なる、常に魔瘴方界(スクウェア)による災害が襲いかかる北の辺境。


 ルナと共に歩き出した最初の地は、テルスにとって衝撃的なものだった。

 テルスは駒者(ピーセス)だ。それも、幼い頃から魔物を倒している。だから、魔物に対する恐怖も微々たるものだ。

 しかし、兵士でも駒者(ピーセス)でもない、戦えない一般人は違う。それこそ、グレイスのようにいつ魔瘴方界(スクウェア)に飲まれるかも分からぬ地では、魔物という存在はまさに絶望の象徴だ。


 だから、浄化師に対する思いもより深いものになる。

 この世で唯一、魔瘴方界(スクウェア)を祓える力を持つ者。

 世界にたった数十人しかいない希望。

 それは、信仰や崇拝にも似た感情を抱くには十分なもの。


 自分の知識から外れた一つの現実を目の当たりにして、テルスはようやく王都で教わったことを理解した。これからは人の目を気にしろ、と口酸っぱく言われていたその理由を。


「うーん……」


 これから先はこういう人たちの目も考えて行動しないとか、と先の予定にテルスは頭を悩ませる。そんなテルスを見て、コングが声をかけた。


「あら、どうかしたの?」


「いやあ……度数が高いのに慣れてなくて」


「ふふ、それじゃあ、グレイスの酒を味わえないわよ。テルちゃんの飲んでるお酒、ここでは弱めだから」


「そっか……え、まじですか?」


 この酒を飲んだとき、喉が焼けそうとすら思ったというのに。これで弱いとか、絶対におかしい。しかし、コングは笑顔で頷く。


「ええ、本当よ……ところで聞きたいことがあるのだけど――」


 そして、ある意味では最悪の質問が酒場の喧騒を貫いた。


「浄化師と騎士がこのグレイスに何の用なのかしら?」


 酒場の喧騒が嘘のように静まり返った。その反応で分かってしまった。

 ここにいる人たちは最初からこれが気になっていたのだと。


 向けられる眼差しは期待に満ちている。浄化師がこの地に来てくれた。もしかしたら、魔瘴方界(スクウェア)を解放してくれるかもしれない。酒ではない何かに酔った視線の矢がテルスとルナを射抜いていく。


(……どう答えよう)


 魔瘴方界(スクウェア)の調査に来ました、と伝えてもいいものなのか。その言葉は一度口にしてしまえば、何か責任が伴ってしまうのではないか。目を見合わせ、一つの答えを確認した二人が答えようとしたところで、


「やめんか。浄化師様を困らせるもんではないわい」


 ごつん、とテーブルの向こうから投げられた杖がコングの頭に直撃した。


「ちょっ、痛いじゃない、ヌン爺」


「馬鹿が。気になるのは分かるが自重せんか。それだから、お前は駄目なんじゃ……すまんな。『閃手』の浄化師とその騎士よ」


 人波を掻き分け現れたのは、腹に届くほど長い、灰色の髭を蓄えた一人の翁だった。

 低めの身長と、服の上からでも分かる筋肉の鎧を見るに、種族はおそらくドワーフだろう。かなり高齢に見えるが弱々しい印象はまるで受けない。それどころか、刃のような鋭く厳格な雰囲気に自然とこちらの背が伸びるようだった。


「こんな地じゃからな。ここにいる誰もが気にしてしまうのじゃ。どうか今の質問はお忘れくだされ」


 翁は答えなくてよい、と言ってくれた。しかし、ルナは首を横に振って、文字を浮かべた。


〈いえ、お答えします。ここには、雪花の湖の調査と五浄天(ヘキサ・へクス)に会いに来ました〉


 このまま、テルスたちが答えずにいたら、歪んだ憶測で話が大きくなってしまう可能性がある。それはルナもテルスも望んでいない。

 だから、答えてしまった。翁の言葉の裏に潜む感情に気づけないまま。


「雪花の湖の調査、それに五浄天(ヘキサ・へクス)……キーン・シグマ、か」


 重々しく呟いた翁は転がっていた杖を拾い上げ、二回ほど床を叩いた。


 その音が合図だった。

 流れるように人が店から出ていく。いや、追い出されていく。文句の一つも残すことなく粛々と人々は酒場を後にした。残ったのは高台で戦っていた者たち。つまり、駒者(ピーセス)だけだった。


 店員により扉は閉められ、窓はカーテンで覆われる。あれほど開放的だった酒場の面影はもうどこにもない。重苦しい空気が支配するこの場は戦場に他ならなかった。


「まず、はっきりと言っておこう。町民たちや阿呆どもと違い、儂らは浄化師に何も期待していない。ここでの活動を控えていただきたいくらいじゃ」


〈……それは、どうしてですか?〉


「どうやら、何も知らない様子じゃな。お主ら、今日の潮を見て、何かおかしいとは思わんかったか?」


 潮。雪花の湖から水と共に魔物が襲来するグレイス特有の災害。それを初めて見たテルスとルナが今回の潮の変化についてなど分かるわけがない。だから、問うているのはもっと根本的なもの。


(今日の潮で変だったこと……)


 滅多に出てこないはずのマテリアル《Ⅳ》がいた。しかし、これは翁が求めている答えではない気がする。考えを巡らすテルスだったが、さっぱり思いつかなかった。だが、隣のルナは違った。書きづらそうに揺れた光球は、やがて一つの文を宙に記した。


〈浄化師が……五浄天(ヘキサ・へクス)キーン・シグマの姿がありませんでした〉


「その通り」


 その文を読んで、ようやくテルスもそれに気づいた。

 五浄天(ヘキサ・へクス)キーン・シグマは雪花の湖を調査、監視している浄化師とテルスは聞いた。北から離れることはほとんどなく、北方の魔瘴方界(スクウェア)に常に目を光らせる存在。しかし、今日あの高台にそれらしい人物の姿はなかった。


 グレイスを守護する立場の人間が戦場にいない。

 その理由は翁の口から淡々と語られた。


「あやつは、これまでただの一度も潮の迎撃に参加などしていない。それどころか、儂らと交わした言葉すら、今日出会ったお主たちよりも少ないのじゃよ。そうじゃ、キーン・シグマは儂らの期待をこの上なく裏切っておる」


 翁の目には怒りが灯っていた。周囲のピーセスも一様に苦い顔をし、コングの顔に浮かんでいた柔らかな笑みも影を潜めていた。


「最初に浄化師が町に来ると聞いたときは、それは心が躍ったものじゃ。これで憎き魔瘴方界(スクウェア)に挑むことができる。ようやく、故郷を長き苦難から救うことができる。グレイスの駒者(ピーセス)は喜んで死地に赴く覚悟があった。それがどうじゃ? 浄化師がいようとも、白峰の町グレイスは何も変わらなかった。希望と称される者が来ても、変わらず絶望はそこに在り続けた」


 その結果があの堕落した駒者(ピーセス)たちだ、と強い感情に震えた声で翁は呟いた。


 駒者(ピーセス)の意識の差。それを後押ししたのは他ならぬ浄化師だった。いくら戦い続けてもこの地が解放されることはない。そんな現実を突き付けられ、戦い続けることがどれほどの苦痛になるか。

 これはルナへの、浄化師に対する耐えがたいグレイスの声に違いなかった。すぐそばにいるルナが強く拳を握ったのが、テルスには分かった。


「あやつは一度も儂らを助けようとはせん。ただの一度も雪花の湖に近づくことはない。いつも騎士と金で雇った駒者(ピーセス)に見に行かせているだけじゃ。ろくに魔物も倒さず、戦力を遊ばせているだけ。何故じゃ? 何故、ただ一つ、あの地を解放しうる力があのような者に宿るのか。教えてくれぬか? 若き浄化師よ」


 このグレイスで戦う者が欲してならない力。狂おしいほど求めて、それでも手にすることは決してないもの。嫉妬にも似た感情を宿した目はルナを映しているのではない。『浄』の力そのものを睨んでいた。


「ヌン爺、どうしたの? 今度はそっちが言いすぎよ」


「……その通りじゃ。すまぬの、すぐ熱くなってしまうのがグレイスの民の性分ゆえ」


 コングの言葉に翁は弱々しく答え、息を吐いた。

 確かに厳しい言葉だったかもしれない。だが、その言葉に嘘はない。グレイスで戦う駒者(ピーセス)の心からの言葉だった。


「じゃから、お主らはこの地で何もする必要はない。駒者(ピーセス)だけでなく、あの善良な町の人々まで希望を信じられなくするようなことは、ゆめしてくれるな。それとも、何かここに来た重大な理由でもあるのかの?」


 テルスたちはその言葉に何も答えられない。その様子に何故かヌン爺は落胆したように肩を落とした。


「そうか……失礼する」


 そして、希望に何の期待も抱けなくなった駒者(ピーセス)は席を立った。

 テルスたちはこの地では招かれざる客に他ならなかった。希望を裏切った浄化師が、今度は何の爪痕をこの地に残すのか。この地が救われると信じている人々を、裏切るものではないか。グレイスの駒者(ピーセス)はそれを恐れていた。


 誰も言葉を発することなく、数十秒が過ぎる。ここが酒場と思えぬ静けさが場を包む中、そんな空気を払拭しようと、コングが少し大きな声を発した。


「ヌン爺はああ言ったけど、私は貴方たちが来たことが、グレイスにとって悪いことだなんて思わない。困ったことがあったら、何でも聞いて。なんなら、魔瘴方界(スクウェア)に付き合ってもいいわ」


「そっか……うん、ありがとう。助かります」


 酒場の空気がいくらか柔らかなものになる。

 テルスが礼を告げ、歓迎会が再開される。が、数秒もせず再び開いた酒場の扉に、料理に伸ばしたテルスの手が止まった。

 現れたのは二人の男。黒い礼服を着こなした執事風の男と……


「お、いたいた」


「あれ、メルク?」


 そこに立っていたのはつい数週間前に知り合った友人だった。

 メルク・ウルブス。東都の着物を羽織り、片手に瓢箪のように水筒をぶら下げた駒者(ピーセス)。その青い目がテルスを見つけ、嬉しそうに細まった。

 そして、友人は笑顔を浮かべ、ポケットから取り出したものをテルスに投げた。


「おっと……え、これってキャスリング?」


 受け止めたそれは保護用魔具であるキャスリングだった。騎士選定セレクションでお世話になったその首飾りにテルスは首を傾げ、


「おう、テルス勝負しようぜ」


 今日一番の呆れの意思を込めた視線をメルクに送った。


 どうやら、友人はこの上なく元気そうであった。



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