新武器と夕焼け
日常というものは繰り返されるたびに、その価値を見出せなくなってくる。
森に行って、魔物を倒して、お金を稼ぐ。
稼いだお金は一部貯金し、あとはこっそり孤児院の募金箱に入れたり、我慢できずに美味しい料理や変わった品物を買っては消えていく。
かつては憧れ、今では退屈となったそれが、テルスの日常。
今日も今日とてテルスは魔物を退治しに森に来ていた。
「はあ……」
あれから三年。
ルーンと出会ってからもう三年が過ぎ、テルスは十三歳になった。
しかし、過ごす毎日に変化はない。
魔物を倒すだけの日々。
変化のないルーチンワーク。
相も変わらずぼっちのまま。
まったくもって退屈である。
それでも、気を抜いたりはしない。というより、テルスにはできなかった。
一度は魔物に殺されかけた身。
恐怖で体が動かないなんてことはないが、リーフの外に出て森に踏み込むたび、何でか胸がざわつくのだ。
「すうー……ぷはー……」
気持ちを落ち着かせようと深呼吸をすると、濃い緑の匂いがする。
夏に一歩足を踏み入れたこの季節。
黒いフード付きの上衣とお古の革鎧――ルーンたちに買ってもらった――を着ていると少し暑いくらいだ。
「ん?」
不意に、テルスは足を止めると空を仰ぐ。
新緑の葉が重なるようにして青空を隠している。
だが、テルスは精霊樹に登っているときのように、青空に浮かぶ雲を眺めてぼーっとしていたいのではない。
そよ風に混じって、かさかさと葉が揺れる小さな音が聞こえる。
腰の剣に手を伸ばし、音の発生源を探すテルスの目が葉に紛れる暗緑色のそれを捉えた。
「……【魔刃】」
感情をのせずテルスは小さくその魔法の名を呟く。
魔法は思うと同時に発現するが、余裕があるなら魔法の名を言葉にしたほうがいい。
その方がイメージを強く持つことができるからだ。
今、抱くべきイメージはシンプルだ――一刀両断。
抜いた剣に魔力が走る。
黒に近い灰の魔力が雲霞の如く刀身を覆うと、テルスはすっと剣を薙いだ。
自然に、迷いなく、虚空を斬っているかのように。
剣が届く範囲には何もない。
しかし、テルスが振るった線をなぞるように切っ先の延長線にあった木の枝と、その枝に巻き付いていた蛇型の魔物が両断され、地面に落ちてきた。
「やっぱり、蟒蛇だった。【チェック】っと」
暗緑色の鱗に身を包む大きな蛇の魔物、蟒蛇は地に落ちると、少しずつその身を瘴気に変えていった。
マテリアルは《Ⅱ》。
鱗の色が周囲に溶け込むように変化するこの魔物は非常に見つけづらい。
気づかないで通り過ぎたところをパクッと襲ってくるのが、この魔物の厄介なところだ。
テルスが斬った蟒蛇はまだ三メートルほど。
大きな個体は十メートルを優に超えるので、この魔物はまだ弱く小さな個体だ。
「でも、こんな町の近くに蟒蛇なんて出たっけ?」
前にテルスが見たときはちょっと冒険しようと町から離れたときと、《トリック大道芸団》と遠征したときの二回。
どちらも町からかなり離れ、『落葉の森』の近くまで行ったはずだ。
大きな変化はギルドに伝えることになっている。
分かりづらい外の変化を伝えるのも駒者の大きな役目。
だけど、これは伝えるようなものなのだろうか。
人が魔瘴方界で生きることができないように、魔物も魔瘴方界の外で長くは生きられない。
人が魔瘴方界を解放しようとする一方で、魔物は魔瘴方界を広げていく。
魔瘴方界の外に踏み出し、瘴気で土地を侵し、魔物は活動範囲を広げる。
そこに意思があるのか、はたまた本能なのかは分からない。
だが、どういう理由であろうと魔物が集まり瘴気が広がってしまえば、その地は魔瘴方界になってしまうのだ。
この蟒蛇ももしかしたら、大きな問題の小さな予兆なのかもしれない。
「……一応、言っておこっか。駒者になって早々にサボりたくないし」
テルス十三歳、駒者歴一ヶ月。
三年かかってテルスはようやく目標の一つを遂げた。
次の目標まではきっとまだまだ時間がかかる。
だからこそ、今は目の前の仕事を頑張ろうと、テルスはやる気を出していた。
しかし、
「お前な、そんなこと報告してもしょうがないだろ。マテリアルが《Ⅲ》を超えるトロルとかならまだしも、蟒蛇程度でビビッてらんねえよ」
ギルドに戻ってきて僅か数秒後にその奮起は打ち砕かれた。
真昼間から酒を食らう、おやっさんの手によって。
おやっさんはおやっさん。
リーフのギルドではかなり名の知れた駒者で、テルスが初めて魔石を換金しようとしたときに立ち塞がった人でもある。
ついでに、テルスはこの人の名前を知らない。
聞いても教えてくれないのだ。これはテルスだけでなく他の駒者も同じらしい。
だからこそ、彼はここでは『おやっさん』と呼ばれている。
何故か彼よりも年を取っている駒者さえ、『おやっさん』だ。
あまりに誰も知らないから、おやっさんの本名はリーフ七不思議の一つになっていたりする。
「そっかー。一応、言っておこうと思ったんだけど……」
「んなもん、気にすんな。あれだ、混魔とかリーフ七不思議『黒水晶』、『森に響く歌声』とか、そういうヤバそうだったり、ロマンがあるのを報告すんだよ」
「七不思議の人が言うと説得力あるなあ」
「うるせー。俺だってなあ、俺だって……あー、頭痛い」
「昼間から酒ばっかり飲んでるからね。仕方ない」
「ほっとけ。そういうお前は一人で毎日毎日、森で魔物退治ばっかじゃねえか。なんだ、ピエロ以外だと友達は魔物しかいないのか?」
「…………それ聞くの?」
「す、すまん。あ、ほら、そのうち俺のクランと一緒に遠征でも行くか?」
「え、いいんですか?」
七不思議の一つ『不気味なピエロ』のクランは年に三回程度しかリーフにやってこない。
時期的にもうすぐ来るだろうが、もう待てないくらい暇だったテルスにとって、この申し出は渡りに船だった。
「おおう、いいってことよ。そんかわり、しっかり働けよ~」
「やった、頑張る」
「お、おう。遠征は嫌がる奴も多いんだがな。ま、あれだ。しっかり準備しておけよ。お前のその武器だとちょっと心もとないぞ」
腰の剣を改めて見てみると、武器としては確かに心もとない。
大事に使ってきたといっても初心者用の小さな剣にとって三年は長く、ボロボロになっていた。
それに、この剣では魔物と戦えないことはテルスが一番分かっている。
先程の蟒蛇だって、魔法を使っていなければ斬ることはできなかったはずだ。
「武器を買う金があるなら、東の通りにあるヴァカル武具店っていう武器屋に行ってみろ。多分、俺の紹介って言ったら多少は安くしてくれるはずだぜ」
そう告げると、おやっさんはしっしと手を振ってテルスを追い払う。
子供が近くにいては大好きなお酒が満足に飲めないからだろう……頭が痛いくせに大丈夫なんだろうか。
「ヴァカル武具店、かあ」
追い出されるように外へ出たテルスは確かめるようにその武具店の名を呟いた。
名前はテルスも知っている。
何度も暇なときに入ったからという理由だけではない。
テルスが住む孤児院の子が働いている店だからだ。
年季の入った木製の扉の前でテルスは大きく息を吐く。
店に入って武器を買うだけなのに、魔物と戦うときより緊張していた。なんだか嫌な汗も出てきている。
何回か深呼吸を繰り返し、テルスはゆっくりと扉を開いた。
「こんにちはー……」
おそるおそる店に入ったテルスを待っていたのは、無口で不愛想ながらも優しいドワーフのおじさん……ではなく、顔だけは何度も見たことがある少年だった。
活発そうな顔が印象的な、茶髪の少年。
テルスと同じ孤児院に住むジャンだ。
背はテルスよりずっと高くて、声も大人になりかけているのに、その顔にはまだ少年の名残がある。
「いらっしゃ……ん? 何だ、お前か」
「こんにちは、ジャンさん」
ジャンは雑巾を片手に迷惑そうにテルスを見る。
掃除中だったのだろう。店内はいつも通り整然と武器が並べられ、埃一つ見当たらない。
ジャンを始め、弟子たちがきちんと掃除をしている証拠だ。
「冷やかしなら帰れよ。これでも、やること多くてさ。まったく、鎧を顔が映るくらいピカピカにしろって言われても、何個あると思ってんだよ。あー、本当に終わる気がしない……俺もメリーみたいに料理屋か何かにしとけば良かったかもな」
そう言って、ジャンは深々とため息をつく。
今年で十七になった彼は小遣い稼ぎに武器屋で働き始めたのだが、どうやら想像以上に大変なようである。
まだ数日なのに、もう白い前掛けは油などの汚れで真っ黒になっていた。
「んで、何の用?」
きゅっきゅと鎧を磨きながら、ジャンがぶっきらぼうに言う。
案の定、テルスは客とは思われていないみたいだ。
「えーと、剣を買いに来たんだけど」
その言葉にジャンは鎧を磨く手を止めた。
ぱちぱち、と数度の瞬き。
そして、テルスが言ったことを十分に理解すると、少年らしい快活な笑みを浮かべて扉を指差した。
「帰れ、バーカ。お前な、武器なんて買うのに金がすんごいかかるんだよ。読み書きがやっとできるようになったと思ったら、計算はまだできないのかよ? いいから、帰ってベアの婆さんと勉強してろ」
ほら、やっぱりこうなった。
あまりに想像通りの対応にテルスは内心、それ見たことかと誰かに自慢したいくらいだった。
でも、ここで引くことはできない。テルスとしても死活問題なのだ。
この剣は刃が潰れているし、最近は斬っている途中で引っかかることも多い。
三年近く騙し騙し使ってきたが、もう寿命なのは明白だ。
このチャンスは絶対にものにしなければならない。
「えーと、ギルドのおやっさんの紹介って言って分かる? いつもお酒を飲んで、頭が痛いとか言ってる人なんだけど」
「は? 誰だ、それ? 飲んだくれの爺さんの紹介に何の意味があるんだよ」
大体合っている。
まだ爺さんではないが、確かにおやっさんは飲んだくれだ。
だけど、そんな飲んだくれの紹介でも意味があるはず。ないととても困る。
何しろ安くならないと買えない可能性がとても高い。
渋るジャンに何とか頼み込み、親方にその言葉を伝えてもらおうとする。
流石に孤児院の後輩が頭を下げているのを無下にできないのか、ジャンはぶつぶつと文句を言いながらも、親方を呼びに行ってくれた。
数分後。
ジャンに連れられ、店の奥から巌のようなの体のドワーフが現れる。
さほど背は大きくないはずなのに、その筋肉質な体によって、自分よりもずっと大きく見える。
しかし、怖くはない。
テルスはもう何度もこのドワーフの親方と会っている。
親方もテルスを見るとにやりと口角を上げた。
「おう、誰かと思ったらお前か。あいつの紹介って聞いたが、ついに見るだけじゃなくて買ってくれるのか?」
からかいの色を含んだ言葉。
どうやら、テルスはしっかりと顔を覚えられているようだった。
最近は足を運ばなくなったものの、前はしょっちゅう来ていたのだから親方が覚えていても不思議ではない。
「さて、何が欲しい?」
親方は豊かなあごひげをいじりながら、深い青色の目でじっとテルスを見た。
厳格そうな顔に浮かぶ真剣な表情を見れば、この人がテルスを一人の客として扱ってくれていると分かる。
だからこそ、この人は遊びでは武器を売ってくれないだろう。
テルスがそうだと判断されたら、すぐに店から追い出されるはずだ。
「剣が欲しいです。できれば、これより少し大きいものを」
緊張に僅かに声を震わしながら、テルスは剣を差し出した。
親方は剣を受け取ると、鞘から抜き、様々な角度から眺め始める。
「うむ……この剣では確かに斬れないだろう。刃が駄目になっている。手入れはされているようだが、これはお前さんがやったのか?」
「はい。騎士団の人に教えてもらいました」
「そうか。錆もなく綺麗に使われているが、研ぎはされてないな。これだと刃が潰れて切れ味が落ちたままだ……あいつの紹介ということはそうなのだろうが、一応聞いておこう。お前さんは武器を手に入れて、何を相手にするつもりだ?」
「魔物です。これでも、駒者なんで……」
テルスは首元からぶら下げた駒者のエンブレムを取り出した。
中心に魔石の欠片が埋め込められた小さな銀の盾。
災いから人々を守る願いが込められた駒者の証だ。
まだ新しく、光を受けて輝く銀盾のエンブレムを見た親方とジャンの目が見開かれた。
「……なるほど。それを持っているということは魔物の相手をしたこともあるのだろう。どこまでならやれる?」
「マテリアル《Ⅱ》くらいなら。《Ⅲ》とはまだ一人で戦ったことがないです」
「《Ⅱ》を一人で倒せるなら十分一人前レベルなのだがな。しかし、《Ⅱ》ということは、この辺りだとカニスか? よくこの剣で相手にできたな。これだと、小さすぎて間合いに入るのが大変だったろうに」
「えーと、実は剣で戦っているというより……」
親方から剣を受け取り【魔刃】の魔法を発現させる。
小剣の刃を覆う灰色の魔力を見て、親方は豪快に笑い声を上げた。
「がははっ! 魔法か! その歳でよくまあ使いこなしている。うーむ、お前さん、名前は?」
「テルスと言います」
「よし、テルス。お前さんはそこにいるジャンと一緒でドラグオン孤児院出身だな?」
テルスは頷く。
ドラグオンとはテルスを助けた『シリュウ』という男の家名だ。
四大貴族の一角を担うシリュウ・ドラグオンという男は各地の孤児院に出資しており、テルスが今住んでいる孤児院もその出資のもと運営が成り立っている。
でも、そのドラグオン孤児院の出身ということに何か意味があるのだろうか。
首を傾げるテルスを横に、親方は壁にかかった武器の中から何かを探し始める。
「さっきの魔法は見たところ【魔刃】だな。魔力で刃を形成する魔法だ。あれに頼りきりということは、剣の腕はまだまだ未熟のようだ」
「はい、まだまだ修行中です……」
何かを探しながら話す親方の言葉通り、テルスの剣の腕はまだまだだ。
魔法に頼らなければ、魔物一匹斬ることができない。
たまに孤児院に顔を出すシリュウや、そのお付きの人たちに稽古をつけてもらっているが、自分ではどれほど上達しているかも分からなかった。
「ドラグオン孤児院出身で、使う魔法が【魔刃】ならば、まさにうってつけの武器がある……おお、あったあった」
親方がテルスに渡したのは細身の剣に思えた。
少し刀身が反った細い片刃の剣。
テルスはその剣を見た瞬間、魅入られたように目が離せなくなった。
「刀という武器だ。ドラグオンの当主、シリュウの旦那の武器っていったらこいつだ。お前さんが使う【魔刃】も武器が鋭い方が斬るイメージもしやすかろう」
あの人の武器。惹かれたのはそれが理由なのか。
テルスは改めて武器を眺める。
鋭い光を宿した刃は切れ味の程が伝わってくるかのよう。
確実に今のテルスの剣よりも斬れるだろう。
「どうだ、使ってみないか?」
その言葉に、テルスは迷わず頷いた。
店を出たテルスは何かを我慢するように、ゆっくりと歩いていた。
結局のところ、テルスの貯金であの刀を買うことはできなかった。
ヴァカルの親方が薦めた刀はかなり高価な品だったのだ。
コツコツ貯金してきたとはいえ、とても、子供のテルスが手を出せる値段ではなかった……が、
「へへ……」
黒塗りの鞘に収まった刀を胸に抱くようにして、テルスは心底嬉しそうな笑みを浮かべる。
新品の武器。それも初めて自分のお金で買った武器だ。
足りない分は後払い。この歳にして借金持ちなったけど、今はそんなことも気にならない。
「早くルーンたちかシリュウのおじさん来ないかな……」
待ち遠しい。
どっちかと会えれば、きっとこの武器を使った戦い方を教えてくれる。
ヴァカルの親方にも手入れや基本的な振り方を教わる約束をしたが、早く実戦で試してみたかった。
「おい、テルス!」
そんな、いつになくご機嫌なテルスに声がかかる。
振り返ると、ジャンが店から追いかけてきていた。
「どうしたの?」
「いや……あのさ、お前は本当に駒者になったのか?」
ジャンは頭を掻きながら、おずおずといった様子で尋ねてくる。
いつも明るいジャンらしからぬ聞き方に疑問を抱くも、テルスは頷く。
「……そうか。なあ、ちょっとついてきてくれないか」
「いいけど……何処に?」
「行ったら分かるさ」
そう言って、ジャンは大通りから外れるように細い道に入る。
テルスは置いて行かれぬよう素直にジャンの後ろを歩いていくと、やがて、町を一望できる高台についた。
長い間リーフを歩き回っていたが、ここに来たのは初めてだった。
夕焼けの赤い光が精霊樹を赤く染め、季節外れの紅葉が風に揺れている。
色づく精霊樹に見守られ、通りを歩く人たちの影が、それぞれの家路へと向かっていた。
こうして眺めると、リーフは広かった。
精霊樹を中心に、緑の町並みが遠くまで広がっている。
東の果ての町だろうと、ここには多くの人々が暮らしている。
そんな当たり前のことを教えてくれるような優しい景色だった。
「お前くらいのときに探検して見つけたんだ。良い景色だろ?」
「うん。こんな場所があるなんて知らなかった」
「へへへ。そういや、お前とはあんまり話したことなかったっけ。同じ孤児院って言っても、グループみたいのがあるしな。俺も今はいないけど、年上の兄ちゃん、姉ちゃんとはあんまり話したことがなかったなあ」
そんな言葉がジャンの口から出るのは意外だった。
何となくだが、テルスはジャンは誰とでも仲が良いのかと思っていた。
少なくとも人間関係に困るなんてことは、普段のジャンの様子からは微塵も感じられない。
「まあ、それでも俺は孤児院にいる奴らが何であそこに来たかは知ってる……皆、魔物の被害で住む場所をなくしたんだ」
「……ジャンさんも?」
「ああ。俺とメリー、マールは同じ村の出身だ。気球が降りないような小さな村さ。外には頼らず、全部自分たちだけの力で何とかしてきたことを誇りに思っている村だった」
星が瞬き始めた空をジャンは見上げる。
そこに映る懐かしい記憶でも見ているみたいな、穏やかな表情で。
「……いいとこだった。皆、優しくて、本当にいい村だった。でも、今なら分かるんだ。俺たちがいた村は外に頼らなかったんじゃない。頼れなかったんだ。町や村の外には魔物がいて、戦えない人間が気軽に出ていくことなんて無理なんだから」
町から離れるほど、あの魔瘴方界に近づくほどに魔物の数は増す。
今でこそ気球があるが昔は隣町に行くのも一苦労で、被害も多かったと聞く。
結局のところ、自分の町を守るので精一杯なのだ。
助けには期待できず、王都の騎士団を呼んでも魔物は待ってはくれない。
ならば、自分たちだけで何とかするしかない。
これは今もそう変わってはいない。
王都ならまだしも、例えば、リーフのような辺境の地に騎士団を呼んでも、すぐに来れるはずがない。
リーフで起きた被害は、リーフの衛兵や駒者で何とかする。
そして、魔物の襲撃を止めることができなければ、答えは一つしかない。
「たったの一日で、俺たちがいた村はなくなった。助かったのは家の地下室に隠れていた俺とメリーとマールだけ。ほんと、寝て起きたら村がなくなってましたって感じでさ……その後は多分お前と同じで、シリュウのおっさんに拾われたんだ」
「そっか。おじさんは騎士団だから……」
「ああ、救援要請を受けて、王都から来たんだ。でも、遅かった。間に合わなくてすまないって、謝られたよ。べつにおっさんのせいじゃないのにな……だけどさ、この孤児院に来て分かったけど、俺みたいのは別に珍しくない。魔物による被害はどこでも起きていて、それを防げるのは騎士じゃなくて、その場にいる人たちだけなんだ」
遠くを見ていたジャンがテルスに向き直る。
少しだけ目を潤ませたジャンの顔を見て、テルスは悟った。
ジャンと自分の決定的な違いを。
覚えているか。覚えていないか。
ジャンは覚えている。村を、人を、家族を。
その村で過ごした楽しかった記憶があり、誰かと笑い合った記憶があり、家族の温もりの記憶がある。
だから、泣ける。
もう二度と帰れない村への郷愁。もう二度と聞けない誰かの笑い声。
そして、もう二度と目にすることがない両親の最後の姿を思い起こしてジャンは涙を流せる。
(ああ、久しぶりだ……)
胸にぽっかりと黒い穴が開いたような気分だった。
それは、いつも精霊樹の上で感じていたもの。
本当に久しぶりにテルスはその感覚を味わっていた。
だが、急に肩を掴んできたジャンに驚き、その感覚も吹き飛んだ。
「あ~、上手く話せない! だからな。なんていうか、こんなとこまで来て話したかったのは、ようは頑張れよってことなんだ!」
「へ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
ジャンは呆気に取られるテルスに気づく様子もなく、興奮したまま話し続ける。
「マールみたいにシリュウのおっさんの伝手で兵士になる奴は知ってる。でも、駒者になった奴は初めて見た。だからさ、なんかすげえって思ったんだよ。魔物って出くわしただけで、ゾワってきて怖くなって動けなくなるだろ? それなのに、一人で戦えるお前はすげえ。だから、俺も頑張らないといけないと思ったんだ」
テルスの肩から手を放したジャンは照れ臭そうに微笑むと、「内緒だぞ」と念を押して、小さな声で話し始めた。
「俺さ、魔物と戦うのが怖いなら、せめて、魔物と戦う武器を作れるようになろうと思ったんだ。だから、なんかお前が駒者になったって聞いてやる気が出た。俺はリーフの町まで起きたらなくなってたなんて嫌だ。それを防げるのはリーフの衛兵か、リーフにいる駒者だけだ。だから、頑張ってリーフを守ってくれ。俺もお前みたいな戦っている人の役に立つ物を作れるようになるから!」
早口言葉のようにまくしたてると、ジャンはテルスの肩を叩き、駆け出す。
顔が真っ赤だったし、照れ臭かったのかもしれない。
でも、ここでジャンが話した言葉は多分、心からの言葉だった。
「そういえば、あんなふうに励まされたのは初めてかも……」
一人、地平線に沈んでいく夕焼けを眺め、テルスは呟く。
胸に穴が開いたような感覚はいつの間にか消え去っていた。
代わりに、温かいなにかをテルスの胸に残して。