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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
四章
69/196

狩場の舞台

 狩場の中央には巨大な魚が鎮座していた。


 マテリアル《Ⅳ》魔瘴種鯰型生物シルアフォムス。

 数年ぶりの難敵の来訪に、グレイスの駒者ピーセスたちは息を呑んだ。


「馬鹿野郎怯むな! やることはいつもと同じだ!」


 怒声のような指示に従って、グレイスの駒者ピーセスたちは動き出す。ここに《Ⅳ》以上のマテリアルを持つ駒者ピーセスは存在せず、シルアフォムスの討伐は困難を極める。


 だが、この狩場でなら追い払うことは可能だ。


 あのマテリアル《Ⅳ》を狩場から叩き落し雪花の湖へ帰すためには、まず周りの魔物を減らさねばならない。魔法や矢弾に混ざり、コングと幾人かは狩場へ滑り下りていく。


 コングは先頭を走る魔物の群れに狙いを定めた。

 魔瘴種混魔ケルピー。

 魚のような尾を持つ馬の魔物。水辺に生息し、人を水の中に引き込んで殺す厄介な魔物だ。


 灰色のたてがみから水滴を散らし斜面を駆け上がるこの魔物は、真っ先に仕留めなければならない相手だ。布に包まった獲物を取り出しながらコングはケルピーの一体に走っていく。


 そして、コングが飛びかかるのと同時に、ケルピーから水の矢が放たれた。


「まったく、相変わらず厄介ね」


 ケルピーは足が速く、そして、魔法を使う。だからこそ、真っ先に仕留めなければいけないのだ。

 水を矢の如く飛ばすだけの単純な魔法。が、水陸自在に駆ける射手と考えれば、これほど面倒な魔物は滅多にいない。追いかけようとしてもその速さに翻弄され、手の届かぬ彼方から水矢を射られるのだから。


 しかし、コングにとっては何度も対処してきた魔物だ。

 マテリアル《Ⅲ+》コング・トゥル。元王都の兵士にして現駒者ピーセス。グレイス五本の指に入る実力者は武器であるシャベルを地に突き刺し、呪文を吠えた。


「【魔槍《地穿スキュアー》】!」


 大地から土の槍が隆起する。ケルピーは突如、足元から突き出た槍に腹を貫かれ、弱々しい嘶きを最後に瘴気へ還った。

 土を槍に【形成】、岩の如く【硬化】させ、【射出】によって相手の真下から突き出す魔法。

 突如、地面から撃ち出されるその魔法に対応できず、ケルピーの群れはコングの射程に入った瞬間、次々と串刺しにされていく。


 コングが土の槍で魔物の群れを仕留めていく間も、別の場所では土砂崩れが魔物を押しつぶし、急造の土壁が魔物の進行を阻んでいる。

 魔物の群れは前線で戦うコングたちに駆逐されていく。高台はおろか、急斜面の中腹にもろくにたどり着けず、黒い霧となって散っていく。


 圧倒的であった。


 これこそが、この最終防衛ラインのみを想定して、強さを磨いてきたグレイスの駒者ピーセスの実力。これほど練度の高い駒者ピーセス同士の連携は、他のどの都市や町にもないもの。こと、この場所に限るなら、グレイスの駒者ピーセスは王都の騎士団に匹敵する。


 加えて、コングたち前線で戦う者がこうも容易く魔物を倒せるのは『土』の属性持ちであることが大きい。

 この急斜面という場において、『土』の属性持ち以上に巧く戦える者はいない。地形操作ができる魔法【(ソウルム)】すらここでは攻撃魔法となる。何しろ土壁を作って倒すだけで、大質量の土塊が斜面を転がっていくのだ。


 魔法と矢弾の雨。転がり落ちる土塊。

 熟練の連携と冴えわたる『土』の魔法は魔物を寄せつけなかった。突進してくる魚型魔物プテルスはすでにあと数匹しか残っておらず、比較的知能が高い、魚人型魔物ローレライはすでに逃走を始めている。


 順調だ。この場にいる誰もがそう思っていた。


 そして、マテリアル《Ⅳ》鯰型魔物シルアフォムスはその緩みを待っていたかのように動き出した。


「あれは! 気をつ――」


 コングの警告よりも早く、黒い巨体を震わせた鯰の魔物はその太い尾を振り上げ――大地に叩きつけた。


 大地が揺れる。

 シルアフォムスが叩きつけた地面を中心に、振動が波のように広がっていく。


 体勢を崩す程度の地震に過ぎない。これが平地なら何の問題もなかった。だが、この急斜面においてはシルアフォムスの地震は脅威と化す。


 いち早く地震に気づいたコングは体勢を低くし、揺れを凌いだ。

 しかし、魔物との戦いに集中していた何人かは不意の地震に体勢を崩し、狩場へ転がり落ちていく。


「サルジュ! いざとなったら、私ごと流しなさい!」


 叫ぶように指示を飛ばし、コングは狩場へ駆け下りていった。


「馬鹿野郎、無茶だ! 戻れコング!」


 高台の上で指揮を取る幼馴染の声にも足を止めず、コングは狩場に降り立った。それと同時にシルアフォムスは泥の上を滑るようにして、狩場へ落ちてきた餌たちに襲いかかる。


「【魔槍《地穿スキュアー》】!」


 地面を突き破り発現した槍は幾重にも連なり、魔物を阻む壁となる。だが、大口を開けて迫るシルアフォムスは怯みもせず、槍に突っ込んでくる。無数の槍が一瞬でその巨体に砕かれ、破片がコングに降りかかった。


「なんって、出鱈目!」


 叫びながらも攻撃は忘れない。地面から隆起した槍がシルアフォムスに突き刺さるが、効いている様子はない。僅かながら傷を与えているようだが、その傷も一瞬で塞がってしまう。


 マテリアル《Ⅳ》。まさに、その理不尽さを見せつけられているようだった。


 相対しているだけで感じる黒い魔力――瘴気の奔流。いったい何度殺せば、これほどの瘴気を抱える相手を殺し切ることができるのだろうか。何より、こんな相手に狙いを定められたということが悪夢でしかない。

 槍を砕きながら迫るシルアフォムス。その瘴気にあてられ、狩場に落ちた駒者ピーセスたちは悲鳴を上げ、少しでも離れようと斜面を這い上がる。


 そんな餌たちの中からシルアフォムスが最初の標的に選んだのは、


 一人、逃げもせず邪魔をし続ける生意気な餌。コングだった。


「駄目です! コングさん早く逃げましょう!」


 それに気づいた若い駒者ピーセスが声を上げる。しかし、コングは無謀な足止めを続けた。


「お馬鹿! 立ち止まってないで先に行きなさい!」


 鬼気迫るコングの叱咤に背を押され、狩場に落ちた数人は背後を気にしながらも斜面を登っていく。

 だが、シルアフォムスが動き出したことによりローレライは再び斜面を登り始め、プテルスも勢いを増している。高台からの援護があるといっても、安全な場所まで登るには数分はかかりそうだった。


 数分。それは長すぎる時間。本当はコングだってこんな理不尽の塊からさっさと離れたいのだ。しかし、ここで誰かが足止めをしなければ、絶対に誰かが犠牲になる。それは――


「綺麗な勝利とはいえないわ!」


 我が『美学を貫く』。

 コング・トゥルは自らが課したルールを貫く。自分を囮に狩場に落ちた仲間を逃がし切る。相手はマテリアル《Ⅳ》と困難ではあるが、この狩場でなら可能性はある。必要なのは勝利ではなく時間。


 コングはシルアフォムスから目を離さず、視界の隅で狩場の中央を確認する。

 距離はおよそ二十メートル。これっぽちの距離がこれほど遠くに感じるのは初めてだった。あの場所に誘導するため、そして、仲間を逃がす時間を稼ぐためには、この黒い巨魚の意識を自分に釘付けにする必要がある。


「オラァ!」


 コングは覚悟を込め、叫んだ。

 深々とシャベルが大地に突き刺さると同時に、巨大な槍が隆起する。巨木の如く屹立したそれは確かにシルアフォムスを貫き、血と瘴気を撒き散らした。


 そして、場の空気が一変する。


「あら……これは死んだかも」


 相対する魔物の変化にコングの体が震えた。

 コングは本当の意味で攻撃をしてしまったのだ。これから先は餌とは見られない。屠るべき敵としてマテリアル《Ⅳ》という脅威と相対することになる。


 じわり、とコングの背から汗が噴き出す。

 シルアフォムスの見た目に変化はない。だが、その身に纏う空気が違う。認識が変わるだけで、こうも違うのか。

 覚悟は決めたはず。それなのに根源的な恐怖に背筋が震え、湖水に身を沈めたように体は冷たく重かった。


「ふうー……」


 落ち着け。落ち着け。落ち着け。ここで取り乱すのは美学に反する。噛んだ唇の痛みを代償にコングは溢れそうになる悲鳴を堪え、この空気を払拭しようとシルアフォムスに魔法を放った。


「【魔弾】!」


 黄土色の魔力の弾丸が決戦の火ぶたを切った。

 眼球に着弾した【魔弾】に怯むことなく、シルアフォムスはコングに突進する。それを地面から隆起させた槍で迎え撃ちながら、コングは走り出した。


 この魔物はマテリアル《Ⅳ》といえど、知能はそれほど高くない。本能を優先して動くその隙がコングの勝機。泥だらけの狩場を無様に転がされようと、コングは隙を見つけては目的地に近づいていく。


 巨体に似合わぬ速度で迫るシルアフォムスを躱し、コングはたった二十メートル先へと走る。陸上を泳ぐようにして動き回るシルアフォムスに阻まれながら。その巨体が撒き散らす泥に吹き飛ばされながら。コングは諦めず、立ち上がり続けた。


 たった数十秒。それが数分にも感じるほどの密度の時間の末、コングはその場所にたどり着く。そして、高台の上にいるはずの幼馴染に合図を出そうとした瞬間だった。


 あれほど執拗にコングに迫っていたシルアフォムスの動きが静止した。その目は正面にいるコングではなく、右手に存在する斜面。


 そこを登る仲間たちを見ていた。


――まずい。


 そう思ったときには遅かった。

 シルアフォムスの周囲の泥が大量に持ち上がり――斜面を登っていた駒者ピーセスたちに放たれる。

 泥の雨に悲鳴が木霊した。


「やめなさいっ!」


 体を貫く槍にも止まらず、無情なる雨は降り続けた。

 霞むような速度で飛ぶ大質量の泥。一発や二発ならば躱すことができただろう。しかし、コングの妨害を歯牙にもかけず、その雨は放たれ続ける。


 止まらない。傷ついていく。倒れていく。仲間たちの腕や足はあらぬ方向に曲がり、巻き戻しのように斜面を転がり落ち始めていた。


 コングはたった数十秒、回避に専念していただけだ。だが、その時間はシルアフォムスが欲を張るには十分な時間だった。


 再び狩場に戻ってきた人間に魔法を止め、シルアフォムスはコングに与えられた傷を再生させながら、ゆっくりと餌たちに近づいていく。


「くっ、待ちなさい! あなたの相手は私よ!」


 コングは仲間を守るために、シルアフォムスの前に立ち塞がる。しかし、今度は状況が違った。

 傷つき倒れる仲間たちは固まった泥に包まれ、呻いていた。立ち上がって逃げることなど、とてもできないだろう。


 詰みだった。


 コングがシルアフォムスというマテリアル《Ⅳ》の魔物を相手にできることは、時間を稼ぐこと。倒すことも、止めることもコングにはできない。


 そして、これで逃げて時間を稼ぐこともできなくなった。ここを退いては仲間を守ることができない。ここで、どうにかしてシルアフォムスを止めるしかないのだ。それが今のコングには不可能なことだとしても。


 シルアフォムスは考えてこの状況を作り出したのではない。ただ、己の貪欲なまでの食欲に従っただけだ。

 懸命に槍の壁を作り上げようと、高台から魔法が降りかかろうとシルアフォムスの動きは鈍らない。尾のたった一振りでコングは砕かれた槍と共に背後に吹き飛ばされる。


 立ち上がる時間すら与えず、泥の津波が押し寄せた。

 怒涛の流れに上下も分からなくなり、衝撃に意識が飛びかける。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。

 吠えるように声を上げ、痛む体を起こそうとするが、固まった泥に沈んだ体はまったく動かない。胸から下がなくなったような錯覚すら覚える。


 それでも、コングは諦めない。魔法【(ソウルム)】を使い泥をかき分け、震える体を起こし一歩を踏み出した先には、


 奈落のような口を開き、迫るシルアフォムスの姿があった。


――死ぬ。


 培ってきた経験が何よりも先にそれを告げた。


――昨日のお酒が最後かあ……。


 走馬燈に浮かぶは昨日の宴会。

 昨日は本当に楽しかった。久しぶりに会ったグレイスへの来訪者。自分が大好きな故郷に来てくれる。それが嬉しくて、ついお酒が進んでしまった。テルには悪いことをしたかもしれない。だけど、あの子が聞き上手なのが悪いのだ。目を輝かせ、こちらの話を興味津々といった様子で聞いてくれるから話もお酒も歯止めがきかなかった。

 あのナルという子とも筆談で、ゆっくり話してみたかった。静かに微笑み、時折目を丸くして驚く姿が可愛らしかった。何より、隣に座るテルへの信頼が見て取れるのが微笑ましいのだ。


 あれが最後のお酒ならありかもしれない。

 けれど。


 コング・トゥルはここで生を諦めるほど往生際の良い人間ではない。なぜなら、諦めという言葉はコングの美学という辞書には載っていないのだから。


「うおおおおっ! 穿て、【魔槍《地穿スキュアー》】!」


 己の全てを込めた渾身の槍は、大口を開けて突き進むシルアフォムスに直撃した。

 魔力は十分、タイミングもこれ以上はない。口から入った槍は上顎を砕き、上位の魔物を無残な姿に変えた。


 しかし、それだけだ。


 槍を噛み砕いたシルアフォムスは数秒もせずに元の姿に戻る。一度、殺した程度でこの魔物が滅びるなら、マテリアル《Ⅳ》になど認定されていない。

 コングはただ餌を飲み込もうと開いた口を見つめ、


 一直線に上空から飛来した人影に目を見開いた。


「――ハバキリ」


 銀灰の弧が描かれた。

 綺麗、と場違いな感想を抱きながら、コングは驚く。こんな危険な狩場に飛び込んだ愚か者は――昨日、共に酒を飲んだ相手だったのだから。


 長い髭と眼球を斬り飛ばし、頭蓋の奥まで届いた一閃は、シルアフォムスが狙いを変えるには十分なものだった。黒い鯰は泥を巻き上げ怒り狂い、魔物を引きつけながら黒い影は狩場の中央へ走り去っていく。


 役者はこれにて交代する。狩場の舞台に立つは、死神憑きの騎士の駒。


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