マルシア先生の魔法講座
まだ太陽も昇りきっていない正午前。
まばゆい日差しに目を細めたマルシアは、磨き上げた窓ガラスを見て満足そうに頷いた。
「みなさーん、お仕事は終わりましたか?」
「終わったよ、先生!」
子供達はそれぞれ頼んだ仕事を終えていたようだった。テキパキと床や窓ガラスを磨き、掃除する姿を見るに、孤児院の方でも日頃から掃除をしているのだろう。
「では、今日も勉強をしますか?」
「はーい」
ハルが元気よく答えたのに続き、ナッツ、シュウ、フゥも声を上げる。
勉強。
それは、読み書きや計算、歴史のことではない。
魔法のことだ。
いくつかお菓子を並べ、紅茶を注ぎテーブルに並べる。これで、ティータイム兼勉強会の準備は完璧だ。マルシアは仲良く並んだ四人を前にどこから持ってきたのか、ちょうど良さげな杖を振って『先生』を始めた。
「では、前回の復習から始めましょう。基本魔法とは何の魔法でしょうか?」
「えーと、あれだ!」「【魔弾】です」「【魔壁】ってやつ!」「【強化】……」
「はい、そのとおりです。正解者にはクッキーを一枚あげましょう」
わーいとシュウ、ハル、フゥがクッキーに手を伸ばす。おっと、ナッツが羨ましそうに見ている。これは、先生としてフォローしなければ。
「では、ナッツ君。なんで、この三つが基本魔法なのでしょう?」
「んーと、簡単だから!」
「え、ええ」
合ってはいる。だけど、ちょっとざっくりしすぎでは。マルシアはあくまで笑顔のまま悩むが、期待に満ちた教え子の眼差しに負け、クッキーを一枚進呈した。
「はい。えー、そのとーりです。この三つの術式は非常にシンプルで、まさに魔法の基本となるから、基本魔法と呼ばれ、誰もがこの魔法から覚えていきます」
魔法とは願いである、という言葉がある。
この言葉通り、魔力という粘土をこねて自分が思い描く現象を作り上げる。それが魔法だ。
そして、魔力を飛ばす、魔力を固める、魔力で補う。
この三つの術式はシンプルゆえに、魔法を作り上げる根幹となるもの。まさに、魔法の基本なのだ。
「なるほど~」
「この魔法を覚えれば、魔力の扱いにも慣れますし、頑張りましょうね」
「分かった! でも先生、そもそも魔力ってなんなの? 分かるようになったけど、分からない!」
魔力を感じられるようになったけど、魔力がどういうものか分からない。ハルの質問は非常に難しかった。マルシアは子供たちが分かりやすい言葉を何とか探していく。
「体を動かすのに使うのが体力だとするなら、魔法を使うのに必要なのが魔力です。魔力は精神力や想像力といった人の意思から生まれるものなので、使いすぎると頭が痛くなったり、気絶したりします」
「いっぱい走ると足が痛くなるみたいに?」
「ええ、いい例えですね。昔の人は魔法を使いすぎると気絶することから、魔力が頭脳由来の力だと気付いたようです」
シュウはふむふむと頷き、メモを取っている。この子は四人の中でも特に利発な子だ。それに多分、一番魔法を使いたそうにしている。
「さて、魔法はいくつか種類があります。これを基本魔法で見ていきましょう」
そう言って、マルシアは【魔弾】を撃った。
ここは室内。壁に向かって飛んでいく【魔弾】に思わず四人は息を呑む。だが、魔力の弾丸はその進行方向を変え、室内を自在に飛び回り始めた。
「私の【魔弾】はこんな風に自由自在に操れるから大丈夫ですよ。次は、【魔壁】ですね」
マルシアの隣に夕日に似た茜色の壁が発現する。頭上を飛び回る弾丸と不思議な壁を子供たちは興味深そうに見つめていた。
「この二つはそれぞれ魔力を『弾丸』と『壁』の形にしています。このように魔力で何かの形を作る魔法を『形成魔法』と言います。一番、魔法の中で数が多いものですね」
【魔弾】、【魔壁】、【魔剣】、【魔槍】等々。何かアレンジを加えない限り、魔法の名は『魔』の下に『形成するもの』が来ることが多い。
「次は【強化】です。これは魔力を付与し何らかの効果を及ぼす魔法で、このような魔法を『補助魔法』と言います。【強化】なら体の機能が少し上がり、力が強くなったりします。補助魔法は【強化】の魔法から派生するものが多いので、皆さんも【強化】については特に頑張らないといけませんよ」
「「「「はーい」」」」
主に腕力を中心に強化する【剛力】。
皮膚、筋肉、骨を丈夫にする【堅牢】。
反射神経や瞬発力を高める【瞬迅】。
これらの補助魔法は【強化】のどの部分を強くするかを変えた魔法に過ぎない。本当に基本魔法の中でも【強化】は特に基本といえる魔法なのだ。
他には、変わったところで【魔装】という形成と補助をくっつけたような魔法もある。魔力で何かの形を作り、その上で対象に効果を及ぼす魔法だ。
例えるなら、魔力で鎧を作り、その上で体を強化をする魔法。
【魔鎧】と【強化】の二つをくっつけたような魔法だが、魔法陣が一つで良いことと発動さえしてしまえばコントロールをしなくていいメリットがある。
デメリットは形成と補助を一緒にしているため細かいコントロールができないところと、魔力消費が少し多くなるところだ。
今の例えなら『鎧をつけると常時強化』となるので、鎧を消さない限りは強化がずっとかかっていることになる。魔法というより、魔具みたいな類の魔法なのだ。
もっとも、今こんなことを教えたら混乱するので、この辺りは割愛する。
まだまだ時間はあるのだし、ゆっくり教えていけばいいのである……先生も長くできるし。
「形成魔法と補助魔法。この二つが魔法の主な種類ですね」
「せんせー、他にはないの?」
「他には、精霊魔法や召喚魔法、属性魔法といった魔法もありますよ」
「それはどんな魔法?」
さあ、どの魔法からにしよう。フゥの質問にしばし考えた後、マルシア先生は指を立てた。
「精霊魔法は……【イグニス】」
立てた人差し指に火を灯す。それだけで驚いてくれる子供たちが可愛くて、自分の魔法で笑ってくれることが嬉しかった。
「こんな魔法です。これは精霊に頼んで魔法を使う魔法です。普通は精霊が視えないと使えないので、皆さんには難しいですね」
「えー使えないの?」
「うーん、一応、皆さんも似た効果の魔法なら使えますよ。精霊魔法と同じ効果を再現した魔法がありますから。名前も同じく、今の【イグニス】なら【火】といったものです」
【イグニス】なら【火】、【アクエル】なら【水】、【ウェント】なら
【風】、【ソウルム】なら【土】、【フルメン】なら【雷】等々。
魔力消費、効果範囲、威力に多少の違いはあれどその効果はほぼ同じ。魔法陣を作った四大貴族ブルードの力作術式はエルフから見ても感嘆の言葉しかない。
というか、精霊魔法よりめんどくさくなくて良いのでは、とマルシア個人は思っている。
そう思う理由は、自身が契約している精霊がちょっと問題児だからだ。
「じゃあ、召喚魔法はどんな魔法ですか?」
「それは……うーん今度にしましょう」
ここで【サラちゃん】を使ったら家どころか周囲一帯が燃えて灰になりかねない。もう、あれと同じ間違いはしたくない。それにこれ以上、自然を燃やしてしまえばエルフの誰かから殺されかねない。
(私と普通に話してくれるのは、ハーレキン様くらいだったしなあ)
先生で舞い上がっていた気分が一瞬にして萎んでいった。思い出しただけで憂鬱になってくる過去。マルシアは気分を紛らわそうと紅茶に手を伸ばした。やけ飲みである。
「属性魔法についてですが……そういえば、皆さんはまだ自分の属性を知らなかったですね」
「属性ってなあに?」
首を傾げたハルにマルシアは魔石を一つ差し出した。
「その魔石に魔力を込めてみてください」
子供たちは魔力については感じ取れるようになっている。ハルはむむむ、と眉を寄せて自身の魔力を魔石に込め始めた。
しばらくして、魔石の中に桜色の光が灯った。その優しい光を見て、他の子が「おおー」と声を上げる。
「なんかピンクっぽい色になった!」
「ふむ。ハルちゃんは無属性のようですね。では、ナッツくんたちも、どうぞ」
ナッツが濃い青、シュウが赤、フゥが少しだけ青みがかった白色。そして、
「シュウくんはハルちゃんと同じで無属性ですが……ナッツくんは『火』、フゥちゃんは『氷』の属性持ちですね」
色とりどりに灯った光。しかし、ナッツの光は燃えるようで、フゥの光は冷気を伴っていた。属性持ちは無属性の半分以下。マルシアはこの結果に僅かに驚くが、
「「やった!」」
「「ええー!」」
子供たちの声を聞いて、今度は目を丸くして驚いた。
だって、無属性のハルとシュウが喜び、属性持ちのナッツとフゥが落胆していたのだから。
「なな、何でですか? あれですよ、属性持ちはちょっと珍しいんですよ。ほら、落ち込まなくても……」
「でも、テル兄は無属性なんでしょ。前に先生にテル兄の魔法を教えてって言ったら、そう言ってたじゃん」
「なるほど、そういう理由でしたか。でもナッツくん。『火』の属性は私と、先生と一緒ですよ!」
「うーん……でも、無属性がいい!」
――許すまじ、あの常連。
純粋な笑顔に怒ることもできない。拗ねたマルシアは今度はクッキーを摘んだ。やけ食いである。どうせ、テル兄の代わりですよ、といじけ始めかけたマルシアだったが、
「わたしは『氷』……なら、先生と同じが良かった」
「フゥちゃん!」
ポツリと呟いたフゥに立ち直った。ああ、なんていい子なのでしょう。ちょっと、目尻に涙が出かけていた。
「それで先生、属性があるとどう違うんですか?」
「あ、そうですねシュウくん。説明を忘れていました。こほん! 属性とは先天的な魔力の特徴で、私やナッツくんの『火』ならば、発現する魔法に火の特徴が出ます。ちょっと、そこの【魔弾】と【魔壁】を見ててくださいね……」
頭上を旋回していた【魔弾】とマルシアの傍らにあった【魔壁】。それらにマルシアが魔力を送り込むと、茜色の炎を纏い周囲の空気が熱気に揺らぐ。
「この様に、私が発現する魔法は全て『火』となります。この【魔弾】が当たれば火傷をしますし、この【魔壁】に触れれば燃えてしまいます」
そう言って、マルシアは魔法を解除する。もう夏だというのに、こんな魔法を使っていれば部屋の温度が大変なことになってしまう。これだから、『火』は嫌なのだ。
「属性を持っていると単純に魔法の威力が上がりますし、その属性の特徴を活かした魔法、『属性魔法』を使えます。火なら何かを燃やしたり、とかですね。ただし、メリットだけではありません。『火』の魔法なら水の中では使えないですし、『氷』の魔法は火山などの暑い地域では使いづらいです」
かきかきとシュウが再びメモを取る。他の子たちもうんうんと頷いていた。
「さて、魔力や魔法の説明もしましたし、そろそろ実技に移りましょうか。はい、今度はこちらをどうぞ」
マルシアが子供たちに差し出したのは魔導書記。見た目は、万年筆のペン先が付いたような指輪だが、魔法初心者には欠かせない魔法陣を作るための魔具だ。
「あ、これ知ってる! たまにテル兄がしてるやつだ」
「これは魔法陣を作るための道具です。魔法陣の説明はこの前に少ししましたね。覚えてますか」
「魔法陣は魔法を使うためのもの!」
「魂に魔法の術式っていうのを刻むことで思っただけで魔法が使える、だっけ?」
「仕組みとしては、魔力に癖をつけているイメージ。魔法を瞬時に使えるように、魔力をあらかじめその魔法を発動できる形に整えておく。だから、魔法陣はいくつも作ることができず、魔力量によって個人差はあるが七個程度が限界」
「先生がお菓子で例えたのだと、生地が魔力で、クッキーの型が魔法陣。クッキーの型があればすぐに色んな形のクッキーを作れるけど、ないと時間をかけて自分で形を作らなくてはいけない。皆と私の今の説明で合ってる?」
「……ええ、合っています」
文句なしに合っていた。この前にした説明をきちんと覚えている辺り、この子たちは本気で魔法を覚えようとしているのだろう。これは、きちんとこの子たちを見ておかなくてはいけない。このまま魔法を覚えたら、この子たちは魔物を倒しに外に行きかねない。
普通は衛兵たちに阻まれて外にはいけない。それにこの子たちも魔物の怖さは分かっているだろう。そんな無謀なことは、それこそもっと小さな子供だってしないに決まっている。
だけど、四人というのが怖い。仲間がいるから。一人じゃないから。そう思ってしまえば、人は簡単に暗闇にだって歩いて行けてしまう。
よくこの子たちを見ておかないと。マルシアはそう心に決めた。
「では、ちょっと補足です。魔法陣に刻むものを術式といいます。これは、魔法をどう動かすかの命令みたいなものです。『ボール型に魔力を形成』みたいな感じですね。この術式は理解と想像で成り立っています。これはどういうことだと思いますか?」
「うーん、どうやったら魔力をボールにできるかってことだよね……」
「想像はこうボールになれーって念じる感じ?」
「じゃあ、理解は魔力をこうやって動かせばボールになるって感じかな」
「がっちりしているのと、ふんわりしているの?」
「あ、惜しいですね。ご褒美に皆にマドレーヌを進呈しましょう」
子供たちに差し出したマドレーヌが一瞬にして消え去った。なんていうか、今みたいに死活問題みたいな真剣さでこの子たちはお菓子を食べるのだ。
「だ、大体皆さんの考えで合ってますよ。つまり、想像とは考えること。理解とはお勉強です。ボールをイメージして魔力を形にすることと、魔力を回転させ遠心力を利用してボールの形にすること。二つとも魔法を発動させる上では大切なことなので、皆さんはよく勉強し物事を理解できるようになり、自由な発想ができるよう常に新しいものを想像しなくてはいけない、ということです。分かりましたか?」
「「「「なんとなく」」」」
「ふふ、ちょっと難しかったですね。もう少し魔法を勉強していくと、今の意味も分かると思います。では、魔法陣で最初に刻む基本魔法は何にしま――」
「すみませーん!」
子供たちに最初の魔法を教えよとしたそのとき。女性の声が店に響いた。否、響いてしまった。
「は、はははは、はい! 少々、お待ちを!」
ポッドとティーカップを落としかけながら、マルシアが立ち上がる。まさか、私の店にお客様が来るなんて。焦りながらも、カウンターに出たマルシアはにこにこと笑う老婆に言葉が出なくなった。
「こんなところにお菓子屋さんがあったんだねえ。ちょうど今日は孫の誕生日なの。おすすめのケーキはないかしら?」
「えと、その……」
ああ、こんないい人そうなお婆さんなのに。頭が真っ白になって、何も言えなくなってしまう。
しかし、
「いらっしゃいませ!」
「マルシア先生のお菓子はとっても美味しいんだよ」
「お誕生日の蝋燭もありますよ」
「お誕生日用だと、ここの丸いケーキ。このケーキは……」
奥から出てきた子供たちが元気よく接客を始める。エプロンを付けた子供たちに老婆は相好を崩し、たどたどしいケーキの説明に耳をそば立てていた。
なんだか、すーっと胸が軽くなった。頑張る子供たちの姿に背を押され、マルシアも老婆にケーキの説明を始めていく。
「ええと、このケーキはですね……」
久方ぶりのお客様。接客するのはエルフの店主と子供たち。小さなお菓子屋は珍しく人の声で華やいでいく。
――うん。少しだけ。ほんのちょっとだけ。どっかの常連さんに感謝しよう。
この数週間後。
何故か店から溢れるほど人が来る人気店になってしまったことに、マルシアは喜びながらも涙を零すことになる。
――ああ、やっぱり許すまじ。あの常連。




