昔日の芸
王都の町を歩くテルスとルナは気まずそうに周囲を見回した。
人、人、人。町中の好奇の視線が雨のようにテルスたちに降りかかっていた。
それに対して二人は曖昧な笑みを浮かべることしかできない。ポケットの誰かさんはしばらく外には出られないだろう。
そもそも、王城からシリュウの屋敷まで歩こうと思ったのが間違いだった。話題のペアの一組。それが町中を歩けばどうなるかをもっと考えるべきだったのだ。
隣りを歩くルナを見れば、責めるような視線が返ってきた。
――テルスが馬車は飽きたなんて言うから……!
――だって……いえ、すみません。
素直にテルスは視線で謝った。こんな状況はテルスだって願い下げだ。喜んでるのは護衛をしてくれている《黒騎》の人たちだけ。なんか、こう注目されているのがたまらないらしい……うん、分からない。
自分たちでこれだ。一番期待されているリシウスとロキオンのペアなら、どんなことになっているのだろう。いや、見た目の派手さならエレンリードとアルタールの方も負けてないかもしれない。もう一つのペアは別の意味で大変そうだけど。
(あれ、俺たちってけっこう地味?)
気づいてはいけないことにテルスが気づきかけていると、不意に空から影が落ちてきた。
「あ、大丈夫です」
僅かに鋭くなった気配に先んじてテルスは《黒騎》に声をかけた。
べつに空から落ちてきたのは魔法でも爆弾でもない。
「よっと」
テルスが受け止めたのは拳くらいの大きさの赤い球形のもの。
そう、ただのボールだった。
「ごめんなさあい!」
人混みの中から子供たちが走ってくる。大方、遊んでいたボールがここまで飛んできてしまったのだろう。
「あの、すみません……」
怒られると思ったのか、テルスたちの前まで来た子供たちの視線は怯えていた。
(べつに怒ってないんだけどなあ。どうしよう……)
むしろ、そんなに怖く見えるのか。ちょっと、テルスは自分の容姿が不安になってきた。具体的には真っ赤なピエロみたいになっていないか。
そんなことを思っていたから、子供たちが持つボールを見て、それを思い出したのかもしれない。
「ちょっと、そのボールも貸してくれるかな?」
「え? あ、はい……」
目線を合わせ頼んでみると不思議そうに首を捻りながらも、男の子は手に持った青いボールを渡してくれた。
「ありがとう。じゃ、ちょっと失礼……よっ」
赤と青のボールが宙を舞った。
ジャグリング。
交互にテルスの手に収まってはまた空に跳ねていくボールに、子供たちも次第に笑顔になっていく。
「ほら、もう一個投げてごらん」
「う、うん!」
最後に残った黄色のボールがテルスに放られる。でも、言い方が悪かったのかもしれない。それは強めに投げられ、テルスの服に当たった。
(あっ……)
ボールは地面に落ちる前に回収。すぐに、ジャグリングは二個から三個となり、子供たちもすごい、すごいと喜んでくれている。
これで、子供のご機嫌を取るという当初の目的は果たしたのだが……
「痛いじゃないか、テルス!」
ポケットから這い出てきたソルがお叱りの台詞をテルスの耳元で囁いた。テルスも周囲の人たちに気づかれないように小声でソルに謝った。
「ごめん、ごめん。後で何かあげるから」
「君は僕を物で釣れると思ってないかい?……それより、君が芸を身につけてるなんて思わなかったよ」
「昔取った杵柄ってやつだよ」
「何だい、それ?」
「いや……何だっけ?」
言葉の意味はよく思い出せない。でも、これができるようになったときのことはよく思い出せる。ソルの呆れの視線と周囲の人たちからの好奇の視線に晒されながら、ボールは何度も宙を舞う。
もう、見なくたってできること。
懐かしい過去を思い出し、テルスの口元は綻んだ。
薄っすらと空が色づき始めた早朝。
肌寒い風が落ち葉を抱え、リーフの通りを吹き抜けていく。秋というには少し寒すぎる気温。
しかし、そんなことを気にもせずテルスは町の外を目指し走っていた。
零れる吐息は白く、頬は赤く染まっている。上に羽織ったお古のコート以外は、ろくな防寒具もつけていない。それなのに、風の中を走る子供は寒そうな素振りをまったく見せない。震える衛兵に挨拶をしながら、町の外へ駆け抜けていくその姿は溢れるような元気に満ちていた。
「お、来た来た。おはよー」
「おはよう! ルーン姉、皆は?」
「いやー、もうちょっとしたら来るんじゃないかな? 皆、朝弱いからねえ……私もだけど」
そう言ってルーンはふわあ、と欠伸を零す。その長い耳は赤く染まり、体を抱きかかえるようにしているのを見ると、寒くもあるのだろう。少女なのは見た目だけ。ルーンは朝にも寒さにも弱いようだった。
「それで、今日は何を教えてくれるの?」
呼び出されたものの、テルスは何をするかは聞いていない。だから、約束をしてからテルスはずっと楽しみだったのだ。今度はどんな魔法を教えてくれるのだろう。それとも、朝早くの呼び出しだから少し遠出するのだろうか。わくわくして、昨日は中々寝ることができなかった。
「それはねー……はい」
ポイと手渡されたそれは木の枝の束だった。形も大きさも不揃いの枝を何に使うのか分からず、テルスは首を傾げる。一方、ルーンは人差し指をピンと立て、まだ何もしていないというのに得意げな様子だ。
「今日は、テルスに芸を仕込みます」
「おおー?」
予想とはまったく異なる展開。だけど楽しそうだ。でも、芸って何をするんだろう。そんな疑問がテルスの頭に浮かぶ。が、ご機嫌なルーンを邪魔するのは悪いとテルスは黙っていた。テルスは空気が読める男子なのである。
「テルスは【魔弾】は使えたよね?」
「うん、使える。最初の方に覚えた魔法だし、結構得意だよ」
「ふむふむ。それはちょーどいい……よっし、ではでは特訓を始めましょう。これができるようになったら、テルスも私たちと一緒に広場で芸をやるからね!」
「そっかー……え?」
「じゃあ、まずは……」
驚くテルスを気にも留めず、ルーンは枝を宙に放った。
ここから、テルスの地獄は始まった。
「おい、どうした!? 何があったテルス!?」
陽も昇り、人も動物をゆっくりと動き始める気持ちの良い朝。そんな時間に似合わない驚愕の声がリーフの門付近では上がっていた。
「……ん、ハンスさん、おはよう……あ、やっぱ、おやすみ」
ハンスに揺さぶられ、テルスはゆっくりと目を開いた。その姿は控えめに言って泥だらけで、まるで地面の中に潜ってきたかのような有様だった。傷はないものの疲れているのか、開いたと思ったテルスの目はすぐに二度寝のために閉じられていく。
「ちょっ! おい、寝るな。何だ、この惨状は! お前、ボロボロじゃねえか! それに辺りも……上位の魔物でも襲ってきたのか?」
折れた枝と無数のクレーターが広がる大地。いったい、どんな魔物が襲ってきたのか。ハンスは緊張から人相の悪い顔を一層、怖くして周囲を睨みつける。はたから見ると、がんを飛ばしているようにしか見えなかった。
「うーん、強いて言うなら《Ⅲ》も軽く倒せちゃうようなのがいた」
「何だと!」
「ハンスさんも気をつけて……多分、もうすぐ帰ってくるから」
寝ていると死んじゃう、とテルスは身を起こす。それと同時に、森の奥から何かが近づいてくる気配を二人は感じた。ハンスの顔には緊張が走り、テルスの顔は何かを悟ったかのように目が死んでいる。そして――
「あ、ハンスだ。早かったね。でも、寝癖ついてるよ」
「……うるせえよ。ていうか、お前かよ」
森の奥から現れたのは大量の枝を抱えたルーン。その姿を見て、ハンスは安堵したのか肩を落とした。その茶髪の一部が天を向いているのも、気にならない様子だった。
「あ、ハンスも一緒にやる? 手品だけじゃなくて、芸は色々覚えておいた方がいいしね」
にこやかに自分を誘うルーンを見たことで、ハンスはこの場で何が起きたか理解した。
物事を教えるにもっとも向かないのはどういう人間かご存じだろうか。
感覚で物事を理解する傍迷惑な天才である。
「いや、俺は――」
「じゃあ、スタートねー。【ウェント】」
バッと両手に抱えた枝をルーンは投げた。精霊魔法の風を受けて、枝はぐんぐん空に上がっていく、ぼやけた青空を無数の鳥が飛んでいるかのようだ。まあ、その鳥は多分、死を告げる類のものだろう。
「ふっふー、今度は私の半分くらいは落としてみたまえ、テルスくん?」
「油断大敵って言うんだよ、ルーン姉。半分落としたら、美味しいご飯奢ってもらうから」
「はっはっー! 私の財布の紐はそんなに緩くないことを教えてあげよう」
駄目だ、こいつら。
諦めたハンスは渋々ながら【空隙】から剣を取り出した。そして、落ちてくる枝を落とそうと構えたところで――
ハンスのすぐ横の地面が爆ぜた。
(……んな馬鹿な)
超高速で飛来した枝は深々と地面を抉り、墓標のように突き立っていた。
――やばい。これは死ぬ。
此処が死地なのだとハンスは直感した。
「くっ、精霊たちもレベルを上げてきたな!」
「えー、見えないくらいの速度って……」
馬鹿二人はこんな状況にも疑問を挟んでない。体は淀みなく動き、緑と灰の光が枝を次々と迎撃していく。
ハンスは目の前の現実が信じられなかった。まだ、自分は夢の中にいるのだと思いたかった。いや、ルーンは分かる。いつものことだ。どうせ、こいつは馬鹿だから思い付きで『楽しそう』と行動しているのだろう。
しかし、テルスは何なのか。止めろよ。ルーンのノリに付き合うなよ。だから、こうなるんだよ。
ちょっと素直すぎる少年に対するやりきれない思いを胸にハンスは叫んだ。
「なんだこれ、なんで朝から、なんなんだ!」
「「芸の特訓」」
「芸じゃねえだろ! 百歩譲って、これは魔法の特っく、あべしっ!」
こうして、ハンスは二度目の眠りに落ちた。
「ねえ、ミケ」「なあに、タマ」「なんでハンスが死んでるの?」「さあ」「何でテルスが燃え尽きてるの?」「さあ」「なんで、皆泥だらけなの?」「さあ。でもきっと、頭に問題があるんだよ」
「「可哀想に」」
今日は気持ちのいい風が吹く散歩日和。
ミケとタマはいつもの道化衣装に身を包み、リーフの緑あふれる町並みを楽しんでいた。二人の少女が歩いている姿は衣装も相まって、妖精の散歩のよう。思わず二人を目にした人たちが笑みを浮かべるくらい微笑ましいものだ。なお、その後ろの赤くて球形でホラーなピエロがその光景を台無しにしている。
そんな楽しい散歩はリーフの門を越えたところで、終わりを告げた。
門の先には惨状が広がっていた。
破壊しつくされた自然。転がるテルスとハンス。良い運動をしたと体を伸ばすルーン。
なんとなく、何が起きたか理解したのだろう。ミケとタマは何とも言えない視線をテルスたちに向けた。ついでに、ファル団長は指を差して笑っている……控えめに言って狂気しか感じない。
「ひゃははは! これはびっくり。テルス君、何をしていたのですか?」
「芸の特訓だって……もう疲れた。魔法使いすぎて体怠いし、眠い」
「それは災難」「仕方ない」「私たちが教えよう」「投げナイフなら任せて」
「……どうやって教えてくれるか聞いていい?」
失敗から学んだテルスはとりあえず何をするか聞くことにした。始まらなければ、逃げることだって可能なのである。
「まずね、私かタマの頭の上に林檎を置くの」「そしてそして、テルスがナイフを投げるのです!」「外したら死んじゃうかもしれない!」「だから、テルスは外せません」「必死になって当てようとします」
「「これで上達するよ?」」
「そっか―……うん、やめとく」
にこにこ笑う姉妹が正気で言っているのか、テルスには分からなかった。もう、危ないものには近づきたくない。まだ正午前なのにテルスは疲れ切っていた。
「芸って深いんだなあ……」
「ええ、そうです。どうですテルス君、今度は私が教えてあげましょうか?」
今度はファル団長。鼻が触れるような距離にあるピエロの顔を見て、断る勇気はない。テルスは更なる苦難を予想したが……
「そう、いいですよ~。ジャグリングをするときは手元を見ると逆に難しいです。一個、二個と数を増やして、ボールを投げることに慣れていくんです。テルス君も今の三個に慣れたら四個、五個と数を増やしましょう。その次は、ボールみたいな私の上に乗ってできるようになること。これは基本です」
貰った色鮮やかなボールを投げる。思ったようにコントロールできず、綺麗に手に収まってくれない。でも、三個もほんのちょっとだけ、できるようになってきた。
ジャグリング。ナイフとかではない簡単なボール。
それでも、これは芸の一つだ。
まさか、ファル団長が一番まともに芸を教えてくれるなんて。
ちらりと横を見ると、赤いピエロがいくつものボールを宙に放り、ジャグリングをしていた。凄いのだけど、球形の体も相まって何だか奇怪に見える。少なくとも、この人が『先生役』にはとても見えない。
しかし、
「やっぱ、ファルさんは芸だけは凄いよね」
「私たちもナイフ投げは」「ファル団長から教わったし」
「そりゃ、俺も手品はあの人の仕込みだけどよ」
ルーン、ミケ、タマ、ハンス。《トリック大道芸団》の団員たちはファル団長から芸を教わっている。やっぱり、見た目はあれだが、この人は凄い人なのだ。
「ふふ、テルスくんももう少し成長したら、私たちと一緒に芸をやってみましょうか?」
真っ赤な唇が弧を描く。でも、ファル団長にしては珍しく怖くない笑みだった。その言葉にルーンたちも喜んで、近づいてくる。
そして、テルスは――
――その言葉に何て答えたのだっけ?
「いて」
考え事をしていたテルスの頭にボールが落ちてくる。
「あ、お兄ちゃん失敗した!」
「あーあ、かっこよかったのに」
「はは……」
昔を思い出しながらジャグリングをしてたからか失敗してしまった。子供たちの声に周囲の観衆からも笑い声が上がる。
ちょっと気まずいが、楽しんでくれたのなら悪くない。テルスは舞台の終わりを告げるように独り、一礼した。
それに返ってきたのは拍手と指笛。
自分の拙いジャグリングには過ぎたものだった。
〈テルスって結構多芸だよね〉
「……お金は持ってないのにね」
「いや、俺じゃあ多芸って言わないよ」
あと、ソルはお詫び無し。心の中で付け加えながら、ジャグリングも手品も玉乗りもナイフ投げも全部できたファル団長を思い出す。
自分に降り注ぐ拍手は何だか悪くなかった。今も心がふわっとしてる。もしかしたら、ファル団長や皆もこんな思いを味わっていたのだろうか。
――いつか、聞けるといいな。
今は叶わない願いと、いつか叶えたい願いを胸にテルスは歩き出す。
〈ほら、テルス急がないと。シリュウさんが待ってるよ〉
「ああ、うん。行こうか。遅れるとおじさんうるさいし」
隣で微笑むこの白い少女と一緒に。
この先にある自分と彼女が求めた結末を掴むために。




