『地雷』の所以
「何だ、メルクか」
眼前に立つは水の刃を担ぎ、好戦的な笑みを浮かべた一匹狼。マテリアル《Ⅳ》『餓狼』メルク・ウルブス。
その姿はテルスが目にした、どのメルクの姿とも異なっていた。
完全な戦闘態勢。
たった一度の共闘。交わした言葉は浅く、互いについて知っていることは片手で足りる。
それでも、分かるのだ。着物を羽織るのではなく着ているとか、その下に紺色の皮鎧を装備しているなどという表面的な違いではない。ただ、対峙しただけでそれが伝わってくる。
そう、たった一度とはいえ、共に戦ったテルスは肌で感じて取っていた。
この男の本気を。
――手加減はしない。お前のことは友人だと思っているが、絶対に全力で潰す。
あの夜会での言葉通りだった。溢れる魔力は遠慮を知らない。その手に持つ精霊魔具から発現した『水』はとぐろを巻く蛇のよう。今この瞬間にも、襲いかかってきそうな殺気と共にこの男は立っていた。
「何だ、とは無愛想な奴だな。ほら、予選の続きを始めようぜ。いやー、最初からお前を狙ってたんだけど、他の奴らに取られそうになったときは焦ったわ」
「あー、そういえば開幕直後に水の刃が飛んできてたなあ。それで、ここに来たということは誰か倒した?」
「いや、逃げてきた。あれは相性が悪すぎて時間がかかる。俺は食いたいものから先に食う派だからな。逃げた先で本命に会えたのは運が良かったぜ」
「そっかー……こっちは運が悪いな。君を倒すのは面倒そうだし」
「それだと――」
水刃が伸び、もはや大剣どころか塔のようになったそれをメルクは軽々と振り回す。そして、
「倒せるって聞こえるぜ」
水の大剣が振り下ろされ――両断される。
テルスの一閃により、ただの水に戻っていく大剣を見て、メルクはさらに笑みを深めた。
「きついけど、倒せないとは思ってない」
その声には確かな自信が裏打ちされていた。
たかだか水の大剣程度で自分が死なないことをテルスは知っている。テルスはあの妖精の『水』を切り抜けた。湖が落ちてくると錯覚するほどの死の奔流から逃れたのだ。あれに比べれば大抵の事はましに思えてくる。
「言ってくれるじゃねえか!」
それが嘘偽りない本音だと分かったのだろう。楽しみが増えたとばかりにメルクは口角を上げる。
そして、歯をむき出し、獣のような形相で地を蹴り――その再戦は幕を開けた。
「あれは水だ。ただの武器では防げない。気をつけたまえ!」
ソルの忠告に反応する時間すら惜しい。再び勢いを増して振り下された大剣を躱し、その隙を狙ったように突き出された、もう一つの水剣をテルスは転がるように躱した。
「二本目……」
「はっ、言っただろ。俺は精霊魔具なんぞなくても戦えるってな! それに二本で済むと思ってんのか!」
テルスが漏らした言葉を否定するようにメルクの頭上に『水』が集う。それは、無数の剣を象り、その切っ先をテルスただ一人に向けた。
「まずは二十本だ。切り抜けろよ、テルス・ドラグオン」
「……いや、まずいって、これ――」
反撃の手を考える猶予など与えてくれるはずがない。逃げ出すなんて目の前の狼が許すはずがない。剣閃の雨は無情にも降り始める。
――【道化の悪戯】。
まずは風を操りほんの少しだけ剣の群れをずらしていく。いつかルーンが使っていた精霊魔法と比べればまさしく悪戯に等しい魔法。
しかし、その悪戯がテルスを救う。
僅かにできた隙間を【魔弾】で広げ、それでも、降りかかる剣の雨を【魔壁】を傘代わりに駆け抜けていく。逃げるのではない。もっとも、安全な場所はメルクの近く。そう、この魔法の意図は『接近戦』だ。
テルスは一直線に標的へと駆けていく。楽しくてたまらないといった様子でメルクは水の剣を構え、もう片方の手で小太刀を抜く。
そして、【魔刃】を纏わせ一刀両断の意思を込めたテルスの刀とメルクの水剣が衝突した。
「ディバイド」
「何だ、そ――」
重ねるようにした小太刀ではなく、水剣と鍔迫り合いになるテルスの刀にメルクは眉を寄せる。
しかし、それを問う余裕はない。
メルクの魔法であるはずの【魔剣《氷雨》】から突如、メルクに向かって水の棘が飛び出したからだ。
「あぶっ、ねええ!」
「【魔弾】」
体を大きく逸らしてメルクは水の棘を躱す。テルスはその隙を逃さない。畳みかけるように放った【魔弾】の群れに紛れるようにメルクの首を狙い刀を構え、
「テルス!」
ソルの警告と自分の直感に従いその場を飛びのいた。が、それでもメルクの魔法から逃れるには足りなかった。
メルクの足元に突き刺さった水剣の切っ先から巨大な氷柱がせり上がる。テルスが一瞬で雪玉を投げつけているなら、メルクは一瞬で氷山を生み出していた。
時間稼ぎにもならずテルスの【魔弾】は氷に弾かれた。迫る氷柱とひやりと体の内側が冷えていく危機感にテルスは魔力の温存はできないと悟った。
「とりあえずディスカードで……」
「そうそう、それ何だい? さっきも相手の魔法に干渉していたようだけど」
「主に対人用の使い方。今度教える」
今はそんな暇がない。テルスは迫りくる氷山の一角に刀を突きたてた。
「ちっ、またか! 何だ、その刀! それに触れると魔法の制御が狂いやがる!」
「そういうものなんだよ。まあ、刀じゃなくて魔法なんだけど」
ポツリとメルクに聞こえないくらいの小さな声でテルスは呟く。
これはテルスの魔法【道化の悪戯】の応用だ。
この魔法は元々、対象と同じ形の魔力を纏わせ、補助することを目的としている魔法。そんな魔法に何故か精霊の助力が加わることで、土や風といった自然を少しだけ操れるようになっている。
土ならせいぜい片足くらいの範囲の落とし穴を作り、風なら少しの加速に使える。そんなことにしか使えないささやかな魔法だ。しかし、この魔法はまさに相手の魔法に悪戯をすることができる。
自分の魔力が余程強くなければ、誰かの魔法に干渉することなどできない。テルスの魔力はとある事情で並み以下。基本魔法でしか満足に戦えない程度の魔力だ。
だからといって、干渉する手段がないわけではない。ようは、相手の制御から切り離せさえすれば、魔力の問題は解決されるのだ。
刀で切り離し、その切り離した部分に干渉する――それが、テルスが思いついた【道化の悪戯】の応用。
ヴァンの魔法に対しても、テルスは『ディバイド』で相手の魔力の繋がり断ち、『バック』で切り離した魔法の向きを逆にして風をいなしていた。そして、メルクの氷山に使った『ディスカード』は出鱈目に魔力を乱し、魔法を破棄させるもの。
しかし、こんな規模の魔法を無力化することはテルスにはできなかった。
それでも、氷山の動きは確実に鈍っている。テルスはその上を滑り落ちるようにメルクへと走った。
「来い、テルス!」
それは予選の再現だった。
無数の水剣を発現させ待ち構えるメルクと氷の上を走るテルス。
だが、今回も二人の衝突は叶わない。
「馬鹿! メルク後ろ!」
紫電を纏わせた紐がメルクの背後に迫っていた。
間一髪、テルスの声に反応し、メルクはその一撃を躱した。そして、攻撃も何もせずに隣に立ったテルスを呆れ顔で見る。
「今の隙突けば俺のこと倒せたんじゃねえの?」
「確かに。でも、君とは普通に決着をつけたいし」
「俺もそうしたいんだが、あー、この状況だとそりゃ難しいかもな。ちっ、あんま大きな魔法は使うべきじゃなかったか」
何もない舞台の上で青白く巨大な氷塊は否が応でも目立ってしまう。それに誘われたのか、メルクが発現した魔法を中心に参加者が集まってきていた。
「さあ、先程の続きを始めよう。メルク・ウルブス」
最初に現れたのはテルスも見覚えのある人物だった。
紫電が瞬く黒い紐を振り回しながらエレンリードが現れる。その姿は五年前会ったときとまったく変わらない。エルフらしい線の細い整った顔に笑みを浮かべて、クラン《紫電の駒》お揃いの紫のローブを着ている。
動きづらそうなローブだが、その背に大きく書かれた《紫電の駒》という文字を見れば、その理由は分かるというもの。何だかんだで、自分のクランが大好きなところはエレンリードのいいところだとテルスは思っている。
また、宣伝用ローブで動きづらそうな人物がいる一方、服装以上にはち切れそうな道具で動きづらそうな人物もいる。
「やっほー。昨日ぶりだね、テルるん」
能天気に手を振りながらミーネまでこの場にやってきていた。昨日よりもさらにパンパンに膨れ上がったポーチを腰にぶら下げ、ラフな感じの皮鎧の上にゆったりとした分厚いコートを着ている。今の季節だと凄く暑そうだった。
「あーあ、こりゃタイマンは諦めるしかねえか」
次々と集まる対戦相手を見て、メルクは心底残念そうに舌打ちした。
この大会の形式は『乱戦』。
そうである以上、最後の二人にでもならない限り一対一は難しく、必ず不意打ちを警戒しなくてはならない。それを考えれば、この二人はまだ良心的な方だろう。
「ああくそ、あいつの魔法は俺には天敵なんだよ」
「そっか。『雷』だからなあ」
エレンリードの属性は『雷』。『水』の、それも【魔剣】系統の魔法を中心に使うメルクからすれば、さぞやりにくい相手だろう。
「打ち合ったら感電とか笑えねえ。使い手が馬鹿だから助かってるんだけどな」
「それは聞き捨てならないな!」
エレンリードの周囲で紫電が瞬く。『雷』の魔法は見てから避けるのでは遅い。このままではメルクを狙った攻撃に巻き込まれると、テルスもその場を離れるが、
「あっ、そこ危ないよー」
能天気な声が聞こえた瞬間、テルスが踏み出した先で爆発が起きた。爆風に吹き飛ばされ、テルスは訳も分からず地面を転がる。
間一髪、直撃は免れた。それでも、保護用魔具キャスリングの魔力残量は減ったはずだ。
直撃してしまえば敗北は確実。問題はこれが何なのか、どこに仕掛けてあるのかまったく分からないこと。
「……駄目だ。俺じゃあ分からない。多分、昨日見た罠のどれかがそこらじゅうに仕掛けてあるんだろうけど……」
魔力の気配に集中しても正確な位置が把握できない。
ただ、どこかに仕掛けられていることだけが分かった。
目だけで周囲を見回しても罠らしき影はないが、何かの魔法が使われている痕跡だけはあるのだ。ちょうど、小さな虫の羽音に近いかもしれない。気をつけていなければ聞き逃すような音で、気づいても中々姿を見つけられない、そんな気配。
そして、こちらの様子を見てニコニコと笑うミーネが実に憎たらしかった。
「いやはや、これはすごい。僕でも正確な位置が分からないときた。実に巧妙に隠してあるが……使っている魔法は空間に作用する系統だろうね」
「普通は魔法なら魔力で場所が分かるはず。俺はともかく、精霊のソルでも分からない?」
「そこがまた素晴らしい。木を隠すなら森の中とはよく言ったものだよ。大量に仕掛けられた魔法の微かな魔力が溶けあい、罠の位置を分かりづらくしている。爆発した際は強い魔力を感じなかったから、あれは人の道具だ。それもまた気配を読めなくする工夫だろうね」
この厄介な魔法と散りばめられた工夫に、フードの中からソルは大絶賛を送っている。
ソルすら分からない。つまり、罠の正確な位置を把握することは不可能だ。
テルスは深々とため息をついた。良心的という言葉は撤回する。ミーネが不意打ちをせずに正面からやってきたなんてとんでもない。もう準備はとっくに終わっていた。だからこそ、ミーネは姿を現したのだ。
ただ、近づくことができないならば、近づかない手段に切り替えればいい。
「【魔弾】」
「【魔壁】ー。ついでに、お返しの【魔弾】だよ」
遠距離からの攻撃に頼ってみるも、この盤面を作った人間が何の対策もしていないはずがなかった。【魔弾】はミーネを囲むように多重展開された障壁に阻まれ、灰が飛び散る如く霧散した。
その壁はまるで城壁。その様はまるでヤドカリ。引きこもったミーネを守るのは、見ただけでテルスが知る誰よりも堅いと分かる【魔壁】だ。
流石は駒者のルールが『安全第一』なだけはある。
そんな過剰とも思える城壁から発射された【魔弾】を、お返しとばかりにテルスも【魔壁】で防いだ。
が、ミーネの【魔弾】はテルスの【魔壁】に防がれ、霧散することはなかった。貫通するほど高威力だったわけではない。
ただ、付着した。
【魔壁】にくっつき淡く明滅する琥珀色の塊にテルスの直感が告げる。
これはヤバい、と。
唯一の安全圏である後方へテルスが跳ぶのと同時に、ミーネの【魔弾】が爆発した。規模は小さく、威力もテルスの【魔壁】に罅をつくる程度。
しかし、爆発するということはこの状況では何よりもまずい。周りの罠が誘爆してしまう可能性がある。
周囲は罠だらけで迂闊に動けない。遠くからの攻撃は堅牢な【魔壁】に防がれる。そして、爆発する【魔弾】に動かざるを得ない状況に追い込まれる。
半透明な琥珀色の壁の向こうで、ミーネは花が咲くような笑顔で困っているテルスを鑑賞していた。それを見て、テルスはミーネの二つ名の所以をこれ以上ないほど深ーく理解した。
ミーネは絶対に、間違いなく――性格が悪い。
(くそう……さて、どう近づこう)
まずは『地雷魔女』の仕掛けたこの地雷原を突破しなければならない。
罠を一掃するほど広範囲の魔法はテルスの持ち札にはない。おそらく、ミーネの弱点であるそれを持たないテルスは最初から狙われていた。昨日、ばったり出会ったのも果たして偶然であったのだろうか。
しかし、この性格が悪い相手が突破の方法を考える時間など与えるはずがない。それに、近くで戦うエレンリードの雷も時折飛んできている。あわよくば、こちらの脱落も狙っているのだろう。
上も下も雷だらけ。
地雷原で雷を避けなくてはいけないなんて、本当に笑えない。次々と飛来する【魔弾】と雷にテルスはこの理不尽を嘆きながら逃げ回っていた。
「そういえばさー、昨日お気に入りの罠の話をしたよねー」
遠くからミーネが大声で叫ぶ。
「私も落とし穴には一家言あるんだよー」
「は――」
返事をしようとしたテルスは不意に前へと踏み出した足先に違和感を覚える。
紙のような薄い何かを蹴破るのに近い感覚。思わず視線をやると、右足のつま先から先が無くなっていた。
(まず――)
しかし、もう止まることはできない。見えない何かに吸い込まれていくように、ふくらはぎ、腿、腰とそれに飲み込まれていく。
方向こそ違うが、この感覚はテルスにも馴染みのある感覚だ。この頼りない大地を踏み抜き、重力に従い落ちていくような感覚はまさに――
「私の落とし穴は――横に落ちる!」
ミーネの決め台詞を最後にテルスは落ちた。
中は何も見えない暗い空間。しかし、それはほんの刹那の間。
暗闇に咲いた真っ赤な爆炎がテルスの視界を覆いつくした。




