最後の一押し
「テルス……どうしたの?」
それはテルスにとっては思わぬ再会だった。
五日という短くも貴重な時間が過ぎ去った騎士選定の当日。試合会場の盤場に赴いたテルスを迎えたのは、受付でテルスと同じように首を傾げているタマだった。
「うーん、なりゆきでこれに出ることになって。タマは……あ、仕事の手伝いって騎士選定のことだったのか」
「そう。今は本戦参加者に説明と保護用魔具を渡している。はい、詳しい説明は紙に書いてある。よって説明は省く」
そう言って、タマはテルスに用紙と保護用の魔具である首飾りを手渡した。
テルスが試合開始ぎりぎりの時間に来たからか受付に人はいない。だが、受付嬢からの笑顔も、説明すらないのはきっとテルスだけだ。ちょっとの愛想くらい欲しいものである。
タマは返答を聞き説明の用紙を渡しても、不思議そうにテルスを見ていた。タマが気になっているのは、テルスがここにいることではない。
テルスの格好だ。
「……なんで試合開始前からボロボロ?」
疑問に思うのも当然だった。受付に立つテルスは試合開始前から、腕や頭に包帯が巻かれているのだから。
「色々……あったんだ。この五日間……」
ふっ、とテルスは薄く笑い、この五日間に思いを馳せた。
シリュウとの特訓、ティアから貰った情報の整理、騎士選定本戦出場者対策。
時間というものは本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。特に、この五日間は内容が濃かったため、テルスは余計にそう感じていた。
良く考えれば、充実していたのかもしれない。
たとえ、シリュウの無茶ぶりによってボコボコになり、ティアから渡される膨大な資料を前に頭が痛くなり、一人で考えていたはずの参加者対策にいつの間にかシリュウの騎士団が乱入してきても、きっと充実していたのだ。多分。
というかシリュウを始め、騎士団の人たちは仕事をしているのだろうか。王都一、二を争う《黒騎》の団員がああも暇なのか。なんか脱獄騒動もあったというのに、いつも乱入してきた気がする。
そんな《黒騎》の方々の助力もあって、テルスの全身の至る所に包帯が巻かれている。そう、この怪我の数だけ強くなったのだ。あの五日間はまったくもって無駄なもので、怪我を増やし体調を悪化させるものではなかったと信じている……信じていたい。
「今なら、優勝も夢じゃない気がする……」
「そう」
察しがついたのか、興味を失ったタマはてきぱきと業務をこなしていく。何をしているのかテルスには分からないが、しばらくすると魔石が付いた番号札のようなものが差し出された。
「本戦はもうすぐ始まる。参加者は呼ばれるまで控室にて待機。テルスはちょうど最後、十二番の控室。頑張って」
「りょーかい。タマは試合見るの?」
「見る」
「そっか。無様な姿を晒さないように頑張って勝つよ」
ひらひらと手を振ってテルスは去ろうとする。が、タマの驚いた顔に思わず足を止めた。
「どうかした?」
「変なの。テルスなら、そこそこ頑張るって言うと思った。まさか、勝つ約束でもしたの?」
鋭い。
テルスは思わず言葉に詰まる。
確かに、いつものテルスならば、勝ち抜けることができるか分からない試合に「勝つ」とは言わない。些細な違いだが、長い付き合いのタマが聞けば気になるのだろう。
「もしかして、ルナさんの騎士を目指すの?」
そのタマの言葉を聞いてテルスは観念したかのように首を振る。テルスの事情を知っているタマからすれば分かりやすいのかもしれない。
隠す必要もない。テルスは素直に心の内を明かした。
「……まあ」
「そう」
「ということで、勝たないとなんだよ」
「そう」
「じゃあ、行ってくる」
「……テルス」
「なに?」
「あそこにいても、もう、あいつは来ないかもしれない」
「……………………なんで?」
「推測。あそこの瘴気が弱まったから。それにあっちには私と……ハンスもいる。だから――」
タマは静かにその言葉を口にした。
ある一つを除けば、テルスが何を考えているかなんてこの少女は見抜いている。きっと、ハンスや当時のテルスを知っている古株の駒者たちだって分かっている。この少年が何の為にリーフに残り、何の為に頑張っているのかなんて明らかだ。
そして、それはタマたちの願いでもある。
だから、少女は少年の背を押す。まるで、最後の柵から解放するように。どこかの少年が想像したとおりの言葉で。
人込みから離れるようにルナはひっそりとした通路を歩いていた。
遠くの喧騒が静かな波となってルナの鼓膜を震わす。久方ぶりの騎士選定。強者が覇を競う大会は観衆にとっても血が滾るものなのだろう。朝早くから、会場である盤場には王都どころか、世界中から集まったのではないかと思うほど人が押しかけていた。
この熱狂は王都にある盤場だけのものではない。セネトに存在するほとんどの町で人々が大会の始まりを今か今かと待っているはずだ。何しろ、数十分後に始まる戦いの映像は他の町にも配信されるのだから。
ここ数十年でセネトの技術は飛躍的に進歩している。魔法の高速発動を可能とする『魔法陣』、他の町への移動手段である『魔動気球』、そして、魔力を使い音声や映像を送ることができ、魔動気球の目印にもなっている『魔線』。
特に魔動気球と魔線は、ばらばらだった町と町を繋ぐ画期的なものだ。
開発に携わったアンホース家が四大貴族になったことからも、この発明がいかに大きいものかが分かる。
他の町から王都に騎士選定を見るためにやってくることも、遠くの町で行われている映像を見ることも、百年前には考えもつかなかったことだろう。
だが、観衆の熱狂も、それを広げる一因である偉大な発明も、騎士選定の当事者からすれば複雑なもの。ここ最近、外を歩くだけで注目されるルナとしては人目の付かないところにいたいのだ。それに、
「ふー、ありがとうルナ嬢。僕にはあそこはうるさすぎるよ。興奮するのは分かるが、もう少し落ち着きが欲しいものだね、まったく」
〈そうだね。私ももう少しひっそりとした暮らしを送りたいかな〉
肩に乗るネズミがルナ以上に参っていた。現在、一人と一匹は逃避行中なのである。目指すは大会前で緊張しているかもしれないテルスの下だ。
「しかし、テルスには会いたいが、いい土産話はできないね」
〈うん〉
ソルに言われ、ルナは五日前のことを思い出す。それだけで、足に枷がついたような錯覚がし、足取りが重くなった。
五日前、テルスと別れたルナはソルを連れて、ブルードの屋敷に集まった浄化師たちに挨拶をして回った。そして、ソルが魔瘴方界に入った人物を判別していった結果、信じられると断言できる人物も、確実に黒だと言える人物も見つからなかった。
何故なら、ほぼ全ての浄化師が魔瘴方界に入っていたから。
信じられなかった。あまりのことに、ルナは最初はソルがからかっているのかとすら思った。
だが、事実だった。悄然としながらも、ルナが魔瘴方界の越境記録を調べてみると、実地訓練のため王都にいる浄化師のほとんどが魔瘴方界に出入りしていたことが分かった。参加しなかったのは数名。
王都に戻るのが遅れたルナ。そして、魔瘴方界の調査のため王都にいない何人かの浄化師たちだけだった。
浄天、王都騎士団配属、訓練生の浄化師。ルナ以外の訓練課程を終え、騎士選定のため地方に顔見せに行っていたアルタール、ベガ、ロキオン、デネビオラの四名すら、瘴気の痕跡が残っていた。
最早、ここまでくると証拠を隠す意思があるとしかルナには思えなかった。
実地訓練の予定に合わせ無断で越境したか。それとも、魔瘴方界に入った証拠を隠すために実地訓練を行ったか。どちらにせよ、はっきりしていることがある。
これは浄化師一人の裏切りではない。その後ろに誰かがいる。それも、騎士団を動かせるような権力か、国の内情に通じる情報網を持つ者が。
そして、そんな力がある者は貴族や王族。
国を動かせる立場にいる者しかいない。
(本当に……どうすればいんだろう……)
もう、たった一人で抱えられるものではなかった。
不安な気持ちを堪えるようにルナは唇を噛む。
まるで、真っ暗な部屋に閉じ込められたみたいだ。何処へ足を踏み出せばいいかも、その先に何があるのかも分からない。何よりルナは自信がなかった。自分が正しい道を選べるかも、一歩を踏みだす勇気があるとも信じられない。
もしかしたら、自分の選択が数千、数万の人が命を落とすことに繋がってしまうかもしれない。
もし、相談した相手が犯人だったなら。
もし、相談せず手遅れになってしまったら。
もし、動いた結果、被害を大きくしてしまったら。
もし、もし、もし……
延々と続く問いかけに答えは出ず、少女は一人、苦悩する。
そんなルナの悩みを知ってか知らずか、ソルは能天気な調子で問いかけた。
「まあ、このことも大事だが、今は君の騎士選びも大事なことだ。正直なところ、テルスが騎士をやってくれるのが一番なんだろう?」
あっさりと言ってのけたソルの言葉に、ルナの苦悩はしばし吹き飛んだ。
〈そ、それは……〉
「それは?」
〈……テルスが騎士になってくれるのが……一番、嬉しい〉
それがルナの本音だった。
心の底から願っていることだった。
きっと、魔瘴方界で一緒に戦ったときから、ずっと思っていた。多分、テルスに会ったら、我慢できなくなるくらい強く……
会いたい。でも、会いたくない。天邪鬼な思いがルナの心を揺らす。今の自分が会ったら、テルスに頼ってしまいそうで少し怖かった。
頬を染めルナは俯く。
本当に小さく、細かく書かれた秘めた想い。それをただ一匹、読めるソルは呆れた様子で肩をすくめた。ネズミなのに。
「それを伝えていたら、間違いなくテルスは君の騎士を目指しただろうに。あれは頼みを無下に出来ないお人よしだ。恩や好意、期待、救いに感謝。そういう人から貰ったものを無料にしておけない性分なのさ。それを自覚しているから、テルスは自分を『約束』という言葉で守り、縛るんだろうね。だから、恩義を感じている君の願いなら、まずテルスは断らない」
ルナは思わず肩に乗るソルに視線を落とした。こういう見透かしたような人物評を聞くと、ソルは喋れるだけでなく精霊なんだな、と改めて思い知る。
いつもはあれだが、ソルは精霊だ。ポケットに突っ込む。尻尾を掴む。投げる。決して、そんな雑な扱いをしていい存在ではないのだ……信心深い精霊教の信者にだけはバレてはならない。
〈よくテルスのことを理解しているんだね〉
「テルスが素直で単純なだけさ。貸し借りなし、プラスマイナスゼロを好み、プラスだろうと大きすぎると不安になるから嫌い。だから、テルスはマイナスを取り返すときにこそ積極的に動く。ほら、子供を取り返しに魔瘴方界にまで踏み込んだだろう。普通に考えて、馬鹿だよ、馬鹿。基本、目的しか見えないタイプなんだろうね。興味を持ったものにも一直線だし」
なんだかソルの口ぶりは精霊からの人物評というよりは、友人を紹介する子供に近くて微笑ましかった。
それにしても、興味を持ったことに一直線。
その言葉を聞いたルナはつい昨日のことを思い出した。
〈ソルも興味を持ったものには一直線な性格じゃないかな。昨日はお菓子の袋に頭から入って、抜けなくなってたよね〉
「……ルナ嬢、それはテルスには言っては駄目だよ。絶対にからかわれる」
腰に手をあて、話していたソルがぴたりと固まったかと思うと、釘を刺してくる。恐る恐るルナを見る目からは「言わないよね」という言葉が今にも聞こえてきそうだった。
なんだ。素直なところもそっくりだ。テルスとソルはよく似ている。
いつの間にか、ルナの唇には笑みが浮かんでいた。沈んでいた思いも嘘のように軽くなっている。でも、
〈分かった。でも、ソルもテルスに私の気持ちを言ったら駄目だよ。浄化師の騎士なんて、いつ死んじゃうかも分からない。自分の意志がないなら、やらない方がいいんだよ〉
テルスとソルに頼りきるのは駄目だ。そう自分に言い聞かせる。大事に想う存在だからこそ、ルナはただの重荷にはなりたくなかった。
「君がそう言うなら……心得た」
〈ありがとう……そろそろ、テルスの控室かな。さっき、十二番って聞いたんだけど……〉
キョロキョロとルナは周囲を見回す。階段を下りた先は一本の通路となっており、選手たちの控室が並んでいる。
ルナはテルスの控室である十二番、すぐ近くにある扉へ歩いていく。
選手に振り分けられた番号は、保護用魔具『キャスリング』の管理番号と選手の控室の番号でもある。選手の勝敗はキャスリングによって決まるため、不正がないよう騎士選定を運営するギルドが魔具の発動から、残存魔力のチェックまでを管理しているのだ。
そのため、ギルドの職員に聞けば参加者の番号を知ることができる。浄化師ということもあって、ギルドの職員は快くルナに選手の一覧を見せてくれた。だから、間違っているはずはないのだが、
階段のすぐ近く、一番端の部屋から出てきたのはテルスではない、まったく違う人物だった。
「あ……ル、ルルルナちゃん。ひ、久しぶり」
『Ⅰ』と書かれた扉から出てきたのは、白いフードを深く被る少女だった。
怯えたように真紅の目は伏せられ、美しい銀髪はそのほとんどがフードに隠されている。
出てきたその人物を見て、ルナは階段を間違えたことを悟った。
テルスの控室はちょうど反対側。しかし、この少女に会えたことはルナにとっては嬉しい誤算でもある。
〈久しぶり。ミユ〉
個人の戦力でマテリアル《Ⅲ+》を超える浄天。その中で、マテリアル《Ⅳ+》を超える浄化師。神霊魔具の担い手、『四浄天』ミユ・リース。
その正体は孤独を好む一匹狼ではない。内気すぎる少女だった。