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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
三章
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夜会と見たことがある人

 屋敷の外でも思ったが、中に入ればドラグオンの屋敷が質素だと言われる理由が一層よく分かる。

 前を歩く執事について、大広間まで歩いていく。それだけのことで、テルスの中の『貴族の家』というイメージが上書きされた。


 白く鏡のように磨かれた大理石の上に、踏むことを躊躇うほど綺麗な真紅のカーペットが敷かれている。落ち着かず、視線をあちらこちらに飛ばせば、そのたびに細かい部分まで細工が施された階段の手摺や内装の数々が目に入った。

 もはや、童話の中の城。絵本の挿絵に描かれているような光景に、テルスは軽く眩暈すら覚える。


 ああ、これ壊したらどうなるのだろう、と。


 もちろん壊す気はない。しかし、壊したら取返しが付かないものが手の届く範囲に、ちょっとの誤りで触れてしまうような場所にある。それが怖い。躓いて手を伸ばした先に、あの高価そうな壺が待ち構えていたら、と思うと、歩くことにも細心の注意を払わざるをえない。


 ここはやはり魔物がいる領域と同じだ。

 慎重に、臆病にならなければいけない、一つのミスが破滅へと繋がる。テルスの懐にある財布は薄い。貧乏人には弁償なんて不可能なのである。


 無駄に警戒しながらテルスは歩いていく。ちらり、と背後を盗み見るが、後ろを歩くティアの様子は変わらない。こういった場所にも慣れているのだろう。

 数分もしない大広間までの道のりが、ひたすら長い迷路のように感じた。まるで、見知らぬ場所に放り込まれた小動物のような気分。


 しかし、その気分も大広間に入れば、吹き飛んだ。


 大広間に入ると、何人かの視線がテルスに向く。が、それも自分の知らぬ者と分かるまでのこと。

 ここに来ている者は、有力な騎士選定セレクション本戦出場者との『交流』を目的としているため、自分の知識にない者には関心がないのだ。すぐに無関心の色を宿した視線はテルスから離れていく。


 だが、テルスはそんな他者の視線などどうでも良かった。見覚えのある人がいたような気がするがそれも大した問題じゃない。大広間に入った瞬間、テルスはある一つのものに目を奪われていた。


 料理。見たこともない料理があった。白いテーブルクロスの上に並べられる料理の数々が、鼻孔をくすぐる香りと共に、テルスを出迎えていた。


「さて、あくまでこの夜会は騎士選定セレクション出場者の交流が目的だし、特にやらなければいけないこともないよ。この後はどうするの?」


「食べる」


「食べるのかー……って、速っ!」


 すでにテルスは皿を装備している。料理を片っ端から乗せていく姿は、グラスを片手に談笑している他の参加者と比べると異質だ。それなのに、テルスはまったく注目されていない。あくまで目立たぬよう、音を最小限に、気配を殺し、人の輪に近すぎも離れすぎもしない絶妙な位置をキープしている。目的だったルナの姿はなかったためテルスは止まらない。止められない。


 駒者(ピーセス)として培ってきた身を潜める技能を無駄に発揮して、テルスは獲物を狩る。皿の上に肉から野菜、デザートに至るまで節操なく盛り付けると、テルスは壁際で料理に舌鼓を打ち始めた。


(もぐもぐ……美味いなー。この真ん中がピンク色の薄い肉はなんだろ? こっちの熱々でトロトロしたソースみたいなのも初めて食べた。あ、このケーキはエルフのお菓子屋でも見たことがあるな)


 完全に自分の世界に入っているテルス。幸福すら味わっているように綻んだ顔のテルスに、ティアが恐る恐る話しかける。


「ちょいと、お兄さん。何しに来たのか覚えてるー?」


「料理を食べに来た。あと騎士選定セレクション本戦出場者の偵察」


「逆、逆だからそれ。まあ、変に緊張しているよりかはいいんだろうけど……さてさて、一日限りのご主人様。私と同じく、孤児院出身の貴方が大舞台で勝ち上がれるよう、参加者の情報をお教えしましょうか?」


 にやっと笑うと、ティアは恭しく礼をする。大広間を見回せるようテルスの隣にやってくると、誰かに聞かれぬようティアは小さな声で話し始めた。


「誰からにしようかなー。やっぱり、準優勝候補かなー?」


「じゃあ、あそこの貴族に囲まれている幸薄そうでとっても見覚えのあるエルフの人と、あっちの趣味が合いそうな料理を食いまくってる女の人からお願いしようかなあ」


 テルスが注目したのは貴族に群がられこれ以上ないほどいい顔をしているエルフと、テルス以上に無我夢中で料理を頬張っている女の人。どちらも、この大広間で一位、二位を争うほど目立っている人物だ。


「おおー、あっちの男の人は準優勝候補の人だよ。見る目があるねー。でも、なんであの人たちから?」


「貴族に囲まれているのと、怪我がないから……あと確認」


 最後の部分はポツリと舌先で転がすにとどめる。どうにも、あのエルフの顔は見た記憶がある。というか、確実に知っている顔だった。


「貴族の方は有名な人に寄ってくるからだよね。でも、怪我?……ない方が強いの? 普通はある方が、いかにも歴戦の戦士って感じで強そうな感じがするけどなー」


「なんていうか、強さじゃなくて、怪我がない方が性格が悪そうだなあ、と思ってさ。ティアはマテリアルの認定ってどうなってるか知ってる?」


「うーん、私は魔物とはあんまり戦わないし、よく分かんない」


「マテリアルが認定される条件は『対象のマテリアルの魔物を倒すこと』。どんな手段を用いようが自由。規定された人数までなら複数で戦えるし、極端な話、直接戦わないで罠で殺そうが、倒して実力があると判断されれば、それでマテリアルは認定される」


 高すぎる天井と眩しすぎるシャンデリアを見上げ、テルスはいつか教わった知識を掘り起こしていく。一言に強さといっても色々あるのだ。武器、魔法、戦術……なら、千差万別の力の中で、もっとも厄介なものは?


 毒や罠、不意打ち。テルスはそういった搦め手こそ、厄介だと思っている。

 だから、警戒すべきはああいう人だ。


「ここにいるのは、ほとんどの人がマテリアル《Ⅲ+》以上だろ? なら、深い傷も負わずに上位の魔物を倒したってことになる。それだけ、実力が突き抜けているのか、魔物と相対せずに倒したのかは分からないけど……厄介そうってことに変わりはないよ」


「ふーん、あのエルフの人はともかく、女の人はまったく怪我はなさそうだねー」


 真っ赤なドレスは露出が多く、背中も大きく開いている。女の人の健康的な色の肌には傷どころか、シミすらもなさそうだった。

 ティアは納得したように何度か頷くと、大広間をきょろきょろと見回し始める。誰かを探しているようだが、ここだけで孤児院がすっぽり入ってしまいそうな広さだ。見つけるのも一苦労だろう。


 それに、テルスにはどの人も同じ顔に見えてきていた。燕尾服やドレスで着飾った人たちは、誰もが同じような微笑みの仮面を張り付けて談笑している。なんだか気味が悪い。貴族の仕事がこれだとするなら、シリュウが逃げ回るのも頷けた。


「あ、いたいた。テルス、惜しかったねー。今回の準優勝候補は二人。あのエルフの人と、ちょっと遠いけど、あそこで青いドレスを着た人と話しているごつい男の人。でも、あの食欲旺盛な女の人は『地雷魔女』って言われているくらいだから、テルスの言う通り性格が悪いんじゃない」


「『地雷魔女』って凄い通り名だなあ……」


 そこまで年齢は離れていないように見えるし、見た目だけなら『地雷』と言われるほど酷そうには見えない。しかし、地雷。されど、地雷。単純に地雷を仕掛けるからかもしれないが、何かがやばい可能性もある。気をつけよう、とテルスは心に刻んだ。


「準優勝候補の名前はエレンリードっていう人とアンホースの馬鹿息子さん」


「馬鹿息子って……というか、やっぱりあのエルフの人かー」


「知ってるの?」


「まあ。向こうが覚えているかは自信ないけど」


 エレンリード・ヴォルテ。マテリアルは《Ⅳ》。

 葉風の町リーフを中心として活動するクラン《紫電の駒》の団長。五年前のあの事件以来、リーフで見ることは少なくなったが、王都の方に活動を移していたのかもしれない。


(そういえば、浄化師に認められる云々とか話してたっけなあ……)


 懐かしい思い出にテルスの口元が綻ぶ。あのときの料理やケーキもここのものに負けないくらい、テルスの中では美味しくて、楽しいものだった。


「ごめん。続きを頼むよ」


「うん。あの二人は推薦枠だから、予選なしで本戦からの出場みたい。知ってるのなら、エレンリードについての説明はあまりいらないね。武器は紐、魔法の属性は『雷』。珍しいし強力な属性だけど、普通の属性よりもコントロールは難しいよ。武器の紐はそれを補うためのもの、くらいかな。馬鹿息子さんはあれだね。馬鹿だね。何故か素手で戦う人。貴族なのに武器も魔具もなし。魔法は衝撃を拳に乗せたり、飛ばしたりする感じ。えーと、あとは、エレンリードと熱心に話している貴族の一人、あの濃い茶髪の人。あのスタッグ家の人なんかも優秀らしくて……」


 シリュウが言っていた「解説ができる者をつける」という言葉通り、ティアは流れるように淀みなく、テルスに情報を伝えていく。

 数分で十名程度のマテリアル上位ランカーの解説を終えると、ティアは得意気に胸を反らした。


「どう、質問はあるー?」


「いや、十分。あとは、家で細かい部分を聞きたいかなあ。『雷』ってどうやって対策すればいいんだろ」


「うんうん。対策は必要だよー。あ、もう一人いた。あそこの……あれ、こっちに来てる?」


 ティアの視線の先には燕尾服を着ている、というよりは着られている男が歩いてきた。青みがかった黒髪は綺麗に七三に撫でつけられ、しきりに首元を緩めようとしながら歩く男の顔は明らかに不満そうだ。


「知り……合いだな、うん。メルク、その髪型と服装は違和感が凄いんだけど」


「笑うなよ、似たようなもんだろ。なんか、ここに来たら服を着替えさせられたんだよ。たっく、来るんじゃなかった」


 近づいてきたのは、羽織姿ではなく、礼服を無理やり着せられたであろうメルクだった。まさか、別れてから同じ日に二度も顔を合わせることになるとは。

 テルスがメルクを見て誰か迷ったのは跳ねていた黒髪が撫でつけられ、きっちりとした服装になっていたためだ。野生の狼から飼い犬くらい印象が違うのだから、仕方がない。


「というか、テルス! お前、何で予選に出てたんだよ。騎士選定セレクションには出ないって言ってなかったか?」


「王都でする仕事が、まさかのそれだったんだ……もぐ」


「あーなるほどな。まっ、これでお前とも戦えるってことか。続きが楽しみだ」


 メルクはテルスの参加に喜んでいるのか、不敵な笑みを浮かべている。

 こいつは戦うことしか考えていないのか。料理をつまみつつ、テルスはちょっと呆れていた。


「あー、お手柔らかに。で、ティア、メルクの情報は?」


「属性は『水』と『氷』の二重属性。武器は希少な『精霊魔具(エレメント)』が主体。伸縮自在、瞬間氷結する水の刃で戦うマテリアル《Ⅳ》です」


 人前だからか、メイドの猫を被ったティアは丁寧な口調ですらすらと説明する。だが、メルクはその説明に不服そうだった。


「なんか、その説明だと俺が道具頼みで戦っているように聞こえるな。別に小太刀もあるし、『叢雨』がなくても戦えるぜ。元々、水で剣を形成するのは俺の魔法だしな。おっ、その肉、美味そうだな。俺にもくれ」


「やだ。自分で取りに行きな」


 無造作に手を伸ばすメルクから、料理が積まれた皿をテルスはかばう。


「ケチくせーなあ」


「それなら、私が取りに行きましょう。ご主人様、あまり騒がないようにしてくださいね」


「おっ、いいのか。じゃあ、甘えさせてもらうわ。ありがとな」


 メルクに頭を下げ、ティアは姿勢よく中央のテーブルに歩いていく。その後ろ姿はテルスと話すときとは違い、正しくメイドの後ろ姿だった。切り替えの差が激しすぎて、テルスはまだついていけない。


「ちょうどいいか。メルク、そっちのテラスに行こう。さっきからお腹を空かせたネズミが、ポケットで暴れるんだよ……」


「そりゃあ、大変だな」


 苦笑するメルク。テルスの燕尾服にはよく見れば不自然な小さな膨らみがある。時折、もそもそと動く膨らみの正体を知っているメルクは挨拶代わりか、ちょこんとふくらみをつついた。

 

 もそりとポケットが蠢く。苦笑した二人は催促に従い、煌びやかな空間から離れたテラスへと足を向かわせた。


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