王都到着
日付も変わり、人も草木も誰もが寝静まる時間。気球は雲海の上を漂うように進んでいた。
静かな静かな凪の空。気球の中も先ほどまでの喧騒が嘘のように寝静まり、穏やかな空気に包まれている。
ある個室を除いては。
「あっ? なんだよお前、マテリアルすらないのかよ。どう考えても《Ⅲ》くらいはあるだろ。俺のセンサーにこう、びびっときてたし」
「センサーってなんだ、センサーって」
酒にちびちびと口をつけながら、テルスは久々にできた駒者仲間と楽しく話していた。
魔動気球ジャックという前例のない事件も無事解決され、テルスたちは個室に戻ってきていた。
乗組員たちから御礼に料理と酒を渡され、ちゃっかりメルクもテルスたちについてきたことにより、個室の中ではささやかな祝勝会が催されている。
「俺はまず人を見たときに、俺より強いかどうかを考えるようにしている」
「そっかー……ってなんだそれ」
そういえば、最初に会ったときも、強そうだのなんだのと言っていた気がする。真面目な顔で脳筋なことをのたまうメルクには、テルスもついて行けそうになかった。
「マテリアルは取りたくても、取れない。テルスは貧乏、駒者友達いない」
「……苦労してんだな……なんなら、俺が証明役をやってやるよ」
テルスは肩を叩かれ隣を見るが、すぐに視線を逸らす。逸らした先、向かいの席に座るタマを見て、さらに視線を逸らす。向けられるメルクとタマの生温かい眼差しは眩しすぎた。泣きたくなってしまいそうである。
「そっか、何もリーフの駒者に頼まなくても良かったのかー……」
「ほら、話石の番号。これで、同じ町にいれば連絡つくだろ。王都にいる間に一回くらいは仕事する予定だったから、いつでもいいぜ」
「これで、テルスもマテリアルゲット」
「剥奪されてもう何年か……ようやく戻ってくる……」
「ぶはっ! おま、剥奪って、何したんだよ!」
テルスの不穏な呟きに、メルクが酒を噴き出した。一度認められたマテリアルは普通は取り下げられない。犯罪やそれ相応の理由がなければ。
言いづらそうに答えようとするテルスより早く、タマが口を開いた。
「色々あった。でも、テルスは悪いことはしてない。ギルド職員の私が保証する」
「……まあ、過去に何してようが別にいい。信用できない奴なら、俺も証明役なんて言いださねえよ……おっと、言い忘れてたが『セレクション』があるから五日間は勘弁してくれ」
「うん? 分かった。ありがとう」
盗賊たちとの会話の中でも出てきた『セレクション』という言葉。意味を知らないテルスはメルクに礼を言いながら首を傾げるが、言葉の意味を理解しているタマとメルクの会話はどんどん先に進んでいく。
「出る方? 見る方?」
「そりゃ出る方だ。俺が見てるだけとかありえねえ」
「ん、『メルク・ウルブス』といえば『精霊魔具』持ちのマテリアル《Ⅳ》。愚問だった」
「なんだ、俺のこと知ってんのかよ」
「私は『セレクション』の応援要員。候補のリストは知ってる」
「へえ。それなら、他の候補者も知っているってことだよな。聞いておきたい奴がいるんだが」
「個人情報は漏らせない。でも、常連は出ると言っておく」
「それだけ聞ければ十分だ。ちっ、常連て言えばあいつだろ。そろそろ出るの止めてもらいたいもんだぜ」
「勝てばいい」
「結構無茶言うなタマさん。でも俺好みの答えだ。まっ、俺もはなから負ける気はねえよ。つーか、テルスは出ねえの?」
(……言えない。このタイミングで『セレクション』って何? なんて言えない……)
まったくもって『セレクション』が何を意味するのか、テルスには分からない。いや、何かむかーしにシリュウが話していた気がするのだが、自分には関わり合いのないもので聞き流していた気がする。
「……いや、俺は孤児院でお世話になっているとこに行くだけ」
「そうか、そりゃ残念」
ジョッキに口をつけ、メルクは酒をぐびりと飲む。その飲みっぷりはテルスと同い年には思えない飲みっぷりだ。法的には今年から飲めるようになったはずなのだが、酒に慣れ切っているかのように、迷いなくジョッキを傾けている。
テルスもテルスで十八になる前に酒を味わったことがある。駒者のおじさん方が実に美味しそうに飲んでいて、それが気になったテルスはこっそり味見をしてみた。が、幼いテルスには酒の良さというものは分からなかった。今まで苦いだけの飲み物と思っていたが、今日の酒は美味しく感じ、メルクと共に頂いた酒瓶を空にする勢いで飲んでいる。
テルスとメルクは語らいながら、止まらずに酒を飲み続けた。
いや、飲酒経験の浅い二人は止めるタイミングも分からずに飲んでいた。
最初の一杯でダウンして静かになったソルと、こくり、こくりと船をこぎ始めるタマを余所にテルスとメルクの酒は進みに進んだ。乗組員たちも今日中に飲めと渡したわけではないだろうに、もう酒瓶を振っても水滴しか出てこない。
「うぐ、俺はな今回の『セレクション』でな、強くなったって証明してえんだよ。分かるか、テルスゥ」
「分かる分かる。知ってる『セレクション』だろ? あれだろ、何か楽しくて、皆でわいわいする、祭りみたいなのだよなー」
もはや、会話になっていなかった。何故か男泣きに語り始めるメルクと、頭痛に頭を押さえ意味不明なことを言うテルス。ストッパーは誰もいない。泣いているのと、苦しんでいるのとは対照的にタマもソルも幸せそうに眠っている。
「だからな、無様な姿は見せられないんだよ。勝って、強さを証明して、俺はあいつに追いつく……だから、勝負しようぜ、テルス。ほら、保護用の魔具もあるぞお。展望デッキあたりで、ちょっと一戦……そういや、タマさんも結構、強そうだよな……やばい、吐きそう」
「頑張れー、諦めるなー……俺も、あの約束を……ああ、足りない。まだ届いてない。考えないと……頭痛い」
半分眠りに落ちながら、テルスたちは胸にため込んでいたモノを吐き出すように言葉を紡ぐ。その中には、素面では決して言わないような本音があった。
酒は心を軽くする。普段は表に出さない言葉や感情が見えることもある。だが、それは表に出す自信すらないから、胸に秘めているということもある。
酔いつぶれ、広げたテーブルの上に突っ伏す二人。折り畳み式の薄いテーブルが軋み、うっすらとタマが目を開く。
「まだ……」
タマの呟きは小さく、誰にも聞かれないまま虚空に消えていった。
――話してくれないの?
「「……頭痛い」」
王都に着き、気球から降りた二人は頭を抱えていた。
「ほわー、何だいこの数は? 百年でこんなにうようよ増えたのかい? ネズミだってこんなに群れないよ」
「増えた、というより集中。この王都は世界中でもっとも安全な都市。魔瘴方界も付近に存在せず、騎士団という最高戦力もある。安全だから人が集まり、人が集まるから交易も盛ん。買いたいものがあるなら、ここに来るのが一番」
一方、タマとその肩に乗るソルは二日酔いに苦しむ二人を無視し、王都の中心部を見回していた。
「やっぱり、もう酒は飲まない……」
「ああ、俺も量はほどほどに……つーか、昨日何話していたかも覚えてねえ」
「俺も……なにこれ怖い」
酒を飲みながらメルクたちと話していたはずが、気が付けば王都の中心部にいる。王都は広いため、ここにくるまでにいくつか駅を過ぎたはずだが記憶にない。
酒を飲みすぎて記憶を失うなど、酔っ払いの妄言だとテルスは今の今まで思っていた。駒者のおじさん方の言葉は真実だった、とガンガン痛む脳に後悔と共に刻みつけておく。
「俺はもう行く。さっさと行かないと間に合わない。じゃあな、テルスにタマさんにペットのネズミ」
「ああ、『セレクション』? 頑張れよ」
「おう。お前もマテリアル認定用の依頼を見繕っておけよ」
手を振り、ふらふらと歩き始めるメルクを見送る。後ろから見たメルクは、昨日の活躍が嘘のように覇気がない。どうも、話を聞いていると『セレクション』とやらは参加者同士で戦うみたいだが、あれで大丈夫なのだろうか。
二日酔いの先行きが不安になる二日酔い。
「テルス、私も行く」
そう言って、タマはちょこんとテルスの肩に眠そうなソルを置いた。まだ寝足りないのか、欠伸をするソルの仕草はネズミというより人のようだ。
「そっか。仕事大変そうだし、何か困ったことがあったら連絡してくれ……といってもリーフに戻るまでは会わなそうだけど」
「ふわあ……じゃあね、タマ嬢。また会おう」
「ソルも元気で。王都は人が多い。歩き回っていたら踏みつぶされるかもしれないから気をつけて……テルス」
「何?」
「テルスはまだ…………お菓子持ってきてくれないの?」
「持ってったよ!」
タマが何を言うのかと身構えていたテルスは、渡したはずの菓子の催促に思わず突っ込む。そんなテルスの姿にタマは小さく微笑んだ。
「そうだっけ? じゃあね。テルスもドラグオンの依頼頑張って……あと、迎え来てる」
「じゃあ……って、まじで?」
タマは場所だけ指差すと歩き始める。いや、この場合は逃げ出すの方が正しい。テルス目がけて騒ぎの中心が真っ直ぐに歩いてきているのだ。気づいたテルスも助けを求めようとするが、タマの姿はすでに雑踏に紛れて見えなくなっていた。
盗賊たちを引き渡す乗組員と、身柄を引き受けに来た衛兵と思しき一行。その向こうから人波をかき分け、やってくる男は――
「おーい、テルス! お前、やっと来たか!」
野太い声で叫びながら、手を振る騎士らしき人物。その隣には、メイドもいる。大方、メイドに出迎えを命じたが、我慢しきれず自分も飛び出したのだろう。衛兵は膝を突き、ホームを歩く人々は立ち止まってその人物に視線を向ける。
周囲の人々には目を向けず、早足で歩いてくる黒い騎士服の男。墨のように黒い髪は短く刈りあげられ、浅黒く日に焼けた肌は行動的なこの人物の性格をよく表している。もう四十近い歳とは思えぬ屈強な体、頬に走る傷跡、何よりも発せられる圧力が男の強さを物語っている。
シリュウ・K・ドラグオン。
マテリアル《Ⅳ+》にして、王都二大騎士団の一角《黒騎》の団長。間違いなく最も有名な騎士の一人であるシリュウの登場に王都の駅は騒然となった。
そんな騒めきなどまるで気にせず、シリュウはテルスの前に立つ。
「あー、膝を突いて挨拶でもしますか騎士様?」
「いらん! 元気そうで何よりだ。ほれ、いくぞ。間に合わなくなる」
何に、と問い返すことはできなかった。
肩を叩く力に体を激しく揺さぶられ、酷くなる頭痛を我慢してテルスは歩き始める。シリュウが連れるメイドに「大丈夫ですか?」と心配されるほど、テルスの顔は真っ青だ。
(長かった……)
痛む頭に思うのはこれまでの道のりだ。振り返れば、王都に来てシリュウに会うだけが、酷く長く苦難に溢れた道のりだった。
(……魔瘴方界に王域、やたら多い虫型魔物、王に変な妖精。魔瘴方界から出てもネズミにつきまとわれ、挙句の果てに気球ジャックにまで……あれ? おかしいな目から液体が……)
豪快に笑うシリュウと心配そうに背をさするメイドに、心も体も頭もボロボロなテルスは連れられていく。
その光景はどこか、出荷されていく家畜を連想させた。




