盗賊?
操舵室までの道のりを邪魔するものはいなかった。
操舵室は客室とは切り離されているため、一階からしか行くことができない。
残りの盗賊の姿はなく、乗客たちも個室に閉じこもっているのか出くわさない。殺されているのか、と不安になったテルスが部屋の一つを覗いてみると、不安そうな面持ちをした老人と目があった。
老人はどうやらこの気球の整備員のようだった。話を聞いてみたところ、痛い目を見たくないならここから出てくるな、と脅されていたらしい。盗賊たちが気球に乗っている全ての人達をこうやって脅しているなら、通路に出ている人間は間違いなく敵と判断されるだろう。
警戒を強めソルに何度か偵察してもらったが、結局、操舵室まで盗賊の姿はなかった。
「……テルス、中に二人だ。こっちに気づいてる」
「そっか。ありがとう」
偵察の結果をソルが耳元で囁く。
操舵室に残っている盗賊二人。おそらく盗賊たちのまとめ役だろう。どうやってテルスたちに気づいたのかは不明だが、今回ばかりは戦闘は避けられなさそうだ。
操舵室には重要な装置が多い。万が一、壊してしまえば魔動気球は大自然のど真ん中に墜落。生き残れたとしても、そこは魔物だらけの未開の地。連絡用の装置が壊れていたら、救助が来ない可能性もある。
最悪、テルスたちが戦ったことが原因で乗客が命を落とすことになってしまう。
「はあ……どうしたもんか。メルク、盗賊たちが待機中だってさ」
「うげっ、操舵室で戦闘はまずいだろ。頼んだら出てきてくれるんじゃねえの? あっちだって周りを気にせず戦った方が気分いいだろ」
「脳筋だなあ。多分、向こうは戦闘を避けたいから、わざわざ操舵室に陣取ってるんだと思うけど。ここから盗賊以外に被害を出さず、一瞬で無力化できない?」
「ねえよ。そんなことができたら、今頃は盗賊全員捕まえて個室の中で睡眠中だ」
「だよなあ。俺も勿論ない」
せいぜい思いつくのは扉の隙間から毒ガスでも流し込む案くらいのもの。だが、機関室を満たすようなガスなどテルスの手持ちの道具にはない。
「ここでずっと立っているわけにもいかないだろ。覚悟決めて突っ込もうぜ」
「それもそっか。とりあえず、開けた瞬間、ドカン! はやめてほしいなあ」
「……開けたくなくなったんだが」
「……大丈夫……多分」
「多分かよ。あーもう、開けっぞ。油断するなよ」
半ばやけくそ気味にメルクは扉を蹴り開いた。
勢いよく開いた扉。その向こうには、土色の外套を身に纏った二人の盗賊がいた。操舵席と思しき椅子に座る男と、その背後に控える女。
扉が開いた音にびくり、と操舵席に座った男は体を震わせた。
「う、うわあ……やっぱり来ちゃったかー」
盗賊の一員にしては、やけに弱気な言葉。心の底からテルスたちが来たことが嫌なようで、がっくりと肩を落とし呻いている。その姿があまりに頼りなさげだったので、テルスは盗賊の頭は背後の女の方と考えていたが、
「その可能性の方が高かったでしょうに。ラウ隊長、しっかりしてください」
すぐに否定された。
それにしても、随分と盗賊らしからぬ盗賊だ。女性の方は眼鏡をかけ、癖一つない真っ直ぐな黒髪と、真面目そうな雰囲気。ピンと伸ばした背筋はいかにも誰かに指示を飛ばしそうだ。盗賊よりも秘書と言われた方がしっくりくる。
『ラウ隊長』と呼ばれた男性の方も、まだテルスたちより少し年上にしか見えないのに、苦労が多いのか茶髪にはいくらか白髪が混じっている。よく顔を見れば目の下には隈までできていた。こちらは万年平兵士のような雰囲気だ。
外見で警戒を緩めたりはしない。が、強面で筋肉ムキムキな盗賊二人組を想像していたテルスとしては正直拍子抜けだ。メルクも確認するようにテルスに視線を送る。
――こいつらでいいんだよな?
――多分、きっと、おそらく、間違いないと思う。
今この瞬間、テルスとメルクは心で語り合うことができた。
しかし、いくら盗賊に見えないからといって、テルスもメルクも油断はなかった。むしろ、警戒を強めている。
駒者が魔物を甘く見て油断をすればどうなるかなど明らかだ。よほどの素人か、驕りがあるものでない限り、駒者を生業とする者が油断することはあり得ない。
警戒心。
この一点だけは駒者が騎士や兵士に勝っているものだろう。
だからこそ、テルスもメルクも不用意に動けない。数分前の盗賊と違って、この二人からは魔力を感じる。
いつでも魔法を放てるように、一挙一動に注意を払っている両者。緊迫した空気の中、盗賊の隊長ラウは恐る恐るといった様子で話し始めた。
「えーと、君たち状況は分かってるよね。この部屋で暴れようなんてことは、まさか考えてないよね?」
「それはそっち次第だな。おとなしくお縄につくか、今すぐ気球から降りるなら考えてやるよ。ああ、展望デッキあたりで戦うのもありだぜ」
「無理、無理。今、気球から降りたら死んじゃうじゃないですか。戦うのも勘弁してほしいね。僕たちとしてはお金を集めて、王都に気球が降りたら、すぐに退散っていうのが望ましいんだ。無視してくれれば絶対に暴れないことを約束する。どうだろう、駄目かな?」
「目的は金だけなのか?」
「そう。勿論、お金になればなんでもいいから、君が持ってる魔具なんかも欲しいけど……それは泣く泣く諦めるよ」
「なるほどな。そっちの目的は分かったが……」
メルクは悩んでいるのか、頭をがしがしとかいている。
テルスとしては降りかかる火の粉は払うが、それ以上に危ない橋を渡る気はない。この盗賊たちが必要以上に暴れないと言うなら、このまま見過ごすことも視野に入れている。
それにこの盗賊たちは誰も殺してはいないように思えた。乗客は怯えてはいたが、怪我は見当たらなかった。それは乗組員も同じだ。
ちらりと、操舵席と気球を操作するモニター、連絡用の話石があるだけの殺風景な機関室の隅に目を向ければ、操縦士らしき乗組員が転がされている。その二人にも大きな傷はなさそうだ。
全ての乗組員の安否までは分からない。だが、命の危険がないようなら気球を壊してまでテルスに戦う気はなかった。
しかし、メルクは違った。
「駄目だ。見過ごせねえ」
はっきりと、何の迷いも感じられない声で盗賊たちの誘惑を払いのけた。
「……何故だい? 別に君に被害はないんだよ?」
「あのな、お前らこの時期だから魔動気球を狙ったんだろ? もうすぐ『セレクション』だもんな。違うか?」
メルクが放った『セレクション』という言葉。その言葉を聞いた盗賊二人は諦めたかのように息を吐いた。
「この時期なら金を持った奴も、参加者だったら俺みたいに魔具だって持っている。お前たちにとっては残念なことに、貴族は専用の気球でも使うだろうから手を出せない。でも、それ以外なら金づるだろ? んで、その中でも一番、金になるであろう俺をお前たちが見過ごすのか?」
「……それは、確かに嘘くさかったか」
「ああ。それに俺だけ助かろうっていうのも性に合わねえ。こんなんでも、どっちかっていうとヒーローを目指してるんでね」
そんなことを言うメルクの顔にはすっかり好戦的な笑みが浮かんでいる。その顔からは戦う気しか感じられない。ヒーローというより、悪役だ。
「どっちかって言うと向こうの方が、顔には合ってる気がする」
「うるせー。そういうお前はどうなんだよ」
「そうだね。君にも聞いとくよ。どう、一緒にそこの今にも噛みついてきそうな狼を追い払わない?」
テルスとしてはまず戦いたくないのだが、その選択肢はもうメルクも盗賊たちも考えていないようだった。なら、答えは簡単だ。
「ないなあ。俺はどっちかというと羊飼いより、狼の方が性に合ってるんだ。守るより、狩るほうがいいや」
『セレクション』という言葉が何を指すのかはテルスは知らない。だが、盗賊たちが信用できないのはメルクとの会話ではっきりした。このまま放っておいても、ろくなことにはならなそうだ。それに、
(……約束はしてないけど、応援もされたし)
思い出すのは、女の子の無邪気な声援。子供に期待されているのに、裏切るわけにもいかない。東都で見た人たちのように、きっと、あの子の家族も気球に乗るときは笑顔を浮かべていた。王都に行くのを楽しみにしていたはずだ。だが、今は誰もが個室に閉じこもり怯えている。
そのことに、テルスが何も感じていないわけではない。
「……メルク、あっちの攻撃は防げる?」
「まかせろ。どんな魔法でも防いでやるよ」
戦う覚悟を決め、刀を抜くテルスと、小太刀と魔具を構えるメルク。その眼に迷いはない。
それが伝わったのか、ようやくラウは立ち上がり、女も小剣を抜いた。
「あまり喜ばしくない展開だね。まあ、仕方ないか。嘘ばかりの話じゃあ、やっぱり信用は勝ち取れない。できれば、こっちはやりたくなかったけど……エリー、やるよ」
「はい、ラウ隊長。【魔弾《緋杭》】」
エリーと呼ばれた盗賊の女の手に、緋色の炎杭が浮かび上がる。空気を焦がし、揺らめく炎の魔法に身構えるテルスたち。
「【魔剣《氷雨》】」
メルクの『叢雨』からは水の刃が飛び出し剣となる。まさしく、”水刀”といった様だ。輝き燃え上がる炎に対して、剣を構えるメルクの周りを静かに水が流れていく。いつ、あの炎杭が放たれようとメルクは防ぐだろう。
その確信があってなお、テルスは飛び出した。
エリーが炎杭を向けた先はテルスたちではない。気球を動かすモニターだった。
「おいっ、まじかよ!?」
メルクの焦った声がテルスの背後で響く。予想外な盗賊たちの行動に焦っているのはテルスも同じだ。
何を考えているかは分からないが、このままではテルスは間に合わない。盗賊たちにとっては手を伸ばせば届く距離にあるモニター。だが、入り口に立つテルスたちには遠すぎる。盗賊たちは魔法の余波に巻き込まれぬように、数歩だけ離れればいい。
余裕を感じる足取りで一歩踏み出す盗賊たち。
その余裕がテルスにとっての唯一の光明だ。
――【道化の悪戯】。
灰の魔力を纏ったテルスが瞬時に間合いを詰める。敵の不意を突いた急加速。瞬きの間に見失うような速さ。
しかし、ラウはこれに反応した。
「速いね。でも、もう終わりだ」
小剣が横薙ぎに振るわれる。防いでも、躱しても、放たれる寸前の炎杭には届かない。時間を稼ぐ意思しか感じられない軽い斬撃がテルスを阻む。
だが、小剣は空を薙いだ。防ぐのでも躱すのでもなく、急停止したテルスは怪訝そうにしているラウには目も向けず、ただ刀の切っ先を的に合わせた。
「ソードペア」
切っ先から伸びる魔力の刃。空気を裂き、直進する刃は――
「くっ、エリー!」
ラウがエリーを引き寄せたことで、炎杭を掠るにとどまった。
しかし、その隙にモニターまでの道は開けた。テルスは盗賊たちを跳び越えて、モニターを守れる位置に着地する。
「……正気?」
「さあ、どうだろうね。案外、もう狂っているかもよ」
テルスの問いかけに薄ら笑いをラウは浮かべる。その冷静な眼差しから狂気は感じない。
しかし、ラウは自ら生命線たる箱舟を壊そうとした。盗賊たちが何を考えているのかまったく分からず、混乱するテルスとメルク。
盗賊たちとの戦いは疑念と共に幕を開けた。




