餓狼の駒者
何が楽しいのか、ソルはかれこれ数分間、ずっと喋り続けていた。
「いやあ、テルス、人の世界とはいいものだね。毎日が変化に満ち溢れているよ。ほら、動物は基本、食って寝て交尾、といった生きるために必要なことしかしないだろ。でも、人間はそれらのことより、興味が惹かれたことに時間を使っている。これって贅沢な時間の使い方だね。いや、別に批判をしているわけじゃないんだ。むしろ素晴らしいと思っている。精霊という半永久的に生きていく僕たちの存在は、常に変化を求めているといっていい。変化に乏しい生活を送っていると植物のように枯れていくからね。せっかく確固とした自我を持てたのに、そんな生活をしていたら意識が消えて普通の精霊に戻っちゃうよ、まったく。君といてまだ一週間程度だっていうのに、わくわくが止まらないことがこんなにある。君は実に素晴らしい。ベストパートナーだ。生涯の相棒だ。君の人生はさぞ波乱に満ち溢れたものになるんだろうねえ。さあ、今回は盗賊の討伐だ! 相手はどんなに強いのかね? やはり、自分たちの強さに自信があるから、事に及んだに違いない。まあ、さっきの人は拍子抜けだったけど、こういうのは次第に強くなっていくものだから、仕方ないね。次の人は――」
「……ソル、ちょっと静かにしようか。このままだと、俺はいつまでたっても扉を開けないんだ。あと、奇襲ってどんな意味なのか知ってる? 一応言っとくけど、喜びながら襲うことじゃないからな」
テルスはいつまでたっても開けない三階の扉の前で、深くため息をつく。ソルと行動を共にしてから、テルスはすっかり奇襲ができなくなった。そろそろ、少しでいいから枯れてほしい。せめて、奇襲のときくらいは落ち着いてほしいものだ。
「ほら、開けるから黙ってな。向こうの確認をして、場合によっては突っ込むから」
ネズミが口を手で押さえたのを確認してから、テルスは恐る恐る扉を開く。僅かに開いた隙間から中を覗き――すでに拘束された盗賊を確認したテルスは扉を完全に開いた。
「おっと、こいつらの仲間か? ん~、そこそこ強そうだな」
通路に一人立っていたのは、青い東都の着物を羽織った男。青みがかった癖のある黒髪、意思の強そうな目と好戦的な笑みは飢えた狼を思わせる。
そして、その片手には何故か瓢箪をぶら下げるように紐でくくった水筒を持っていた。
返答次第では今にも飛び掛かってきそうな男に、テルスは首を振って答える。
「違う違う。上で俺たちも襲われたから、他の階の様子を見に来たんだよ」
「ふーん。で、襲ってきた奴は倒したのか?」
「まあ、上で寝っ転がってる」
その言葉に、何故か水筒の男の目が鋭くなった気がしたが、とりあえずテルスはこの階の盗賊たちに目を向けた。
テルスたちの個室に来た男と同じ土色の外套を着た男たちは、氷漬けにされて転がされていた。両手両足は氷で固定され、声を出せぬように口には布を噛ませている。もっとも二人とも気絶しているため、念のための拘束だろう。盗賊たちに目立つ外傷もなく、よく見れば凍傷にもならぬよう素肌に氷が当たらぬ配慮までされていた。
(……強いな、この人)
氷の魔法を使った無駄のない拘束にテルスは舌を巻く。
一方、男はそんなテルスの評価を余所に一人、大きく頷いていた。
「ま、そっちは後の楽しみにしておくか。よし、まずは仲間ゲットだな」
「は?」
「お前もこの盗賊たちをとっ捕まえるんだろ。一緒にやろうぜ。王都に着けないと困るんだよ、俺」
初対面の人物への警戒をまるで感じさせない軽い足取りで、男はテルスに近づく。そんな調子でよろしく、と差し出された手を思わずテルスは握ってしまう。
「メルク・ウルブズ。東都を中心に駒者をやってる、よろしくな」
「ええと、俺はテルス。同じく駒者。よろしく」
氷漬けにされた盗賊を背景に握手をする二人の男。なんとも奇妙な光景だった。
(……なんで俺、こんなとこで自己紹介してるんだろ?)
そんなテルスの疑念には誰も答えてくれそうになかった。
他の乗客は個室からこっそりとテルスたちの様子を見ているが、近づく者は一人もいない。テルスと目が合っても、何かに怯えているのか顔を逸らすばかりだ。
そんな様子にメルクは頭をかく。
「あ~、すっかり怖がられているな」
「なんかあったの?」
「なんかっていうか、こいつらが俺たちはマテリアル《Ⅲ》の魔物を云々とか言って、客を脅してたんだよ。んで、反抗したら、痛い目みるかもしれんって萎縮しているってわけだ」
「ああ、なるほどなあ」
一般の者にとっては、この状況は地獄に片足を突っ込んでいるような状況ともいえる。盗賊に抵抗して、この魔動気球から放り出されることになったら終わりだ。何もせず、ただ嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
それなのに、思いっきりメルクが反抗した。乗客も、本心ではメルクを応援していても、万が一を考えると表立って協力はしたくないだろう。特に、子供を連れた夫婦にとっては、危険が及ぶのは自分ではなく、子供なのかもしれないのだから。
何人もの人がこの階にはいるはずなのに、通路に立つのは二人だけだった。これでは、この盗賊たちをなんとかしようと動く、テルスとメルクの方が滑稽に思えてくる。
それでもテルスは――おそらくはメルクも――何もしないという選択肢は持ち合わせていなかった。
「これで、盗賊はあと四人か」
「なんだ、こいつらの数は分かってんのか?」
「まあ。上に来た奴が俺たちは七人でマテリアル《Ⅲ》云々って言ってた」
「そういや、こっちもそんな感じのこと言ってたな。んで、どうする? このまま二人で突っ込むか?」
メルクの言葉にテルスは数秒ほど考え、答えた。
「いや、ただ突っ込むと人質を取られて、面倒なことになりそうだ」
残る盗賊は四人。敵の数は多くはないが、敵が人質として利用できる乗客の数はあり余っている。乗客を盾に取られることは一番避けたい展開だ。
「ソル、ちょっと下の階を見てこれるか?」
ソルは無言で頷き、肩からテルスの体を伝い床に降りると、扉に向かって走っていった。
(そういえば、こいつ急に静かになったな)
喋らなかったのは、メルクを警戒しているからだろうか。タマの前では普通に喋っていたというのに、ソルは子供やメルクの前では口を開かない。普段のあの喋りようが嘘のように静かだ。まるで借りてきた猫、否、ネズミのようである。いったい、どういう基準で話す相手を決めているのだろうか。
「なんだ、今のネズミ。ペットか?」
「そんなとこ。世話と金がかかり過ぎる厄介な友達って感じ。それより、腕に自信は?」
「そりゃ、あるぜ。少なくとも、こんな奴らには負けねえな」
「なら頼りにさせてもらう。あと、拘束は頼んだ。見た感じ、俺より君の方が拘束は上手そうだし」
テルスでは盗賊を拘束するには気絶させるか、無力化してからロープで縛るくらいの方法しかない。氷の魔法で拘束ができるメルクの方が拘束役には相応しいだろう。
「うっし、分かった。あと、俺はメルクでいいぜ、テルス」
「そっか。じゃあ、よろしくメルク。ということで、まずは二階に行こうか」
床を指さすテルスに、メルクの口元が弧を描く。悪戯前の子供を思わせる快活な表情。よく見ればメルクはテルスと年齢も近そうであった。
「おう。でも、下にいるのか?」
メルクのもっともな疑問に、テルスも笑って答える。その肩にはいつ戻ってきたのか、白いネズミが乗っていた。
「いるってさ。ちょうど、ここと同じように、通路の真ん中で客から金品を巻き上げてるそうだ。客室がある二階、三階、四階を同時に襲撃したっぽい」
「へえ……そのネズミが教えてくれたのか?」
「そう。結構優秀なんだよ、うちのネズミ。でも、通路の真ん中に立っているんじゃ奇襲もできないなあ。結局、扉を開けて、人質とか取られる前に速攻で倒すしかないか」
「分かりやすくていい。シンプルで俺好みだ。その後は、臨機応変でいいだろ? 慣れないのに連携なんかできるわけもないしな」
「了解」
適当に作戦会議を終え、二人は足音を立てぬよう二階へと降りていく。ここからでも、六月の湿った空気に混じった不穏な気配を感じることができた。
二階フロアに続く扉の前に立つと、扉一枚を隔てた先から一層はっきりと、乗客の怯えた声が聞こえてくる。音を立てぬようにテルスは注意深くドアノブに手をかける。
「じゃ」
「おう」
小さく、一言だけ交わすとテルスは扉を蹴破った。
通路の真ん中には、男が二人。どちらも土色の外套を身に着けている。この盗賊の一味はこれがトレードマークのようだ。奥で乗客を脅す方が小剣持ち。手前は大きな袋を持って個室の前に立っていた。
瞬時に、敵の様子を確認したテルス。そして、その隣ではメルクがテルスを追い越すようにして、駆け出している。
獰猛な笑みを浮かべ、小太刀を振りかぶるメルク。敵は二人。しかし、テルスの分を残そうなどとは欠片も思っていないだろう。
扉を開く前、愉快そうに細めたメルクの目が語っていた。
――競争しようぜ。
そこに言葉はない。おそらくは力を誇示したいわけでもない。ただ、自分の力を信じているがゆえの意思の発露。メルクの目は口以上に饒舌に心を物語っていた。
反射だった。自分の先を行こうとするメルクを見たテルスは、引き寄せられるかのように無意識に加速した。
残り数歩。ようやく盗賊たちが反撃しようと身構える。目を驚愕に見開き、次いで、眦を釣り上げ怒声をあげようと口を開くが、それだけだ。
二人は同時に刃を振り終える。
盗賊たちは遅すぎた。武器を振り上げる間もなく、逃げる暇もなく、首筋に刃を突き付けられている。その表情は未だに状況がよく分かっていないのか、魚のように声なき声を口から吐き出すばかりだ。
「動くな。首筋に鉄の塊を打ち込まれたくはないだろ?」
「お、おま――」
「叫ばれても面倒だ。メルク、拘束」
盗賊の言葉を遮り、テルスはメルクに頼んだ。話を聞くにしても拘束してからでいい。念のため、テルスは自分も魔法を使う準備をしながら、盗賊たちを警戒していた。
「分かった、分かった。出番だ『叢雨』」
テルスは確かに盗賊たちの反撃に対応できるよう注意していた。
だからこそ、一瞬で氷に覆われ、倒れた盗賊たちに目を見開いた。
瞬きはしていない。一瞬で水流が盗賊たちに絡みつき、凍りついたことは理解できた。だが、反応はまったくできなかった。その魔法の速度はそれこそ、あの黒い妖精並みだった。
「終わりだ。これで五人ってことは、あと二人だな」
飄々としているメルク。その実力はテルスの想像の上をいった。何より、メルクの右手にぶら下がる水筒にテルスの目は釘づけになっていた。
「それ、もしかして魔具?」
「あっ? ま、まあ、これは『叢雨』っていう名前の魔具だが……」
「おお! 俺、武器型の魔具ってあんまり見たことないんだよ。見せて!」
人格が切り替わったように、目を輝かせ迫るテルスに押され、メルクは困惑気味に『叢雨』を差し出す。
魔具。それは魔法陣を刻んだ魔石により、魔法を行使できる道具だ。魔石の質、刻んだ魔法陣によって千差万別の効果を生み、魔力さえ込めれば魔法を発動できる。兵や駒者などからしてみれば喉から手が出るほど欲しい品。
しかし、魔具は数も少なく高価だ。それが戦闘に耐えうる武器型の物となればさらに価値は跳ね上がる。高度な技術のため作れる職人も多くはない。そのため、大した効果がなくとも、テルスでは手が出せないような値段で店先に並べられているのだ。
だからこそ、ショーウィンドウ越しではない、間近で見る魔具にテルスは心を躍らせていた。氷で口をふさがれた盗賊には目も向けず、メルクの水筒型魔具を一心不乱に観察する。
水筒の形状は細長い筒状のもので、ボタンを押すと蓋がぱかっと開くようになっている。開いた蓋は動かないようにロックされ、飲み口部分と思わしき場所からは先ほどと同じように滾々と清水が湧き出て――
「あれ? 水がここから出るんじゃあ?」
「それ、ちょっと特別製なんだよ。誰でも使えるわけじゃないんだぜ……って」
興味深そうに自分の魔具を見るテルスに、メルクも得意気に話し始め……ようとするが、思い出したように、盗賊たちを指差した。
「んな、悠長な話してる暇ないだろ。まだ、こいつら残ってんだから、先にそっち片付けようぜ」
「そうだった……」
我に返ったテルスがメルクに魔具を返す。その顔は非常に残念そうで、未練がましく水筒を見つめていた。
そんな様子を見て不安になったのか、メルクは魔具を遠ざけながらテルスに念を押す。
「……盗るなよ」
「盗らないよ。欲しいけど……くれるの?」
「やるか!」
人の物を盗る気はテルスにはない。だが、魔具は欲しい。財布をさらに薄くしてでも欲しい。テルスとしてはそこまで効果は重要ではない。大事なのは、何か凄くて珍しい道具であるというところだ。心躍るギミックなんかがついていたら、もう大満足である。男とはそういうものだと、とある武器屋の親方とその弟子も語っていた。
(せっかく王都に行くなら、魔具も買えないかなあ)
年齢がそう変わらないはずのメルクが凄そうな魔具を持っている。つまり、テルスでも手に入る可能性はあるということだ。
いつかと同じような思考でテルスは王都の魔具屋に思いを馳せていた。よくよく思い返せばテルスは王都をゆっくり歩いたことはない。いつも、ドラグオン家に顔を出して、用事が終わればリーフに帰っていた気がする。
王都の店の商品は、幼いテルスが手を出すには少々高すぎた。ショーウィンドウの値札で門前払いされていた幼き日々。しかし、今は違う。ドラグオンでの仕事を終えれば、少しはお金も入るはず。王都のギルドで仕事をするのもありだ。この薄い財布を膨らます手段は、年を重ねると共に増えていく。
そのためには、メルクと同じくこの盗賊の一団をどうにかしないといけない。
テルスのやる気が胸の奥から、ふつふつと湧き上がってきた。
「うっし、気合入った! あと二人、捕まえにいこうか」
「なんで急に気合が入ったんだ……」
呆れ顔になりつつも、メルクはテルスの後をついていく。が、数歩もいかずに、魔動気球の先頭へと歩き始めた二人に声がかかった。
「この人たちをやっつけにいくの?」
振り向くと一人の女の子が個室から顔を出していた。すぐに、個室の奥から伸びた手に引き戻されるが、その声だけはテルスたちに届く。
「頑張ってね!」
無邪気な応援だった。よく状況も分かっていないだろう。しかし、テルスたちにとっては、力が出る声援だった。
こういうときは子供の方が素直で強いのかもしれない。
「おう!」
威勢よくメルクが返事をし、二人は扉を開く。
目指すは魔動気球の操舵室。そこさえ押さえてしまえば王都に連絡できる。乗客を人質に取られぬよう盗賊たちの拘束もしておいた。
だから、あとは残りの二人を制圧するだけだ。
そう考えていたからこそ、テルスもメルクも気づけなかった。
個室の隙間から、こちらの様子をうかがうもう一つの視線に。
操舵室を押さえてしまえば、確かに盗賊たちの状況は悪くなる。土色の外套を身に着けた盗賊を拘束しておけば、乗客も安全だろう。
ただ、それで十全とはいえない。
盗賊が警備が厳重で、戦力も整っている王都を目的地としている魔動気球で犯行に及んだその理由。
疑問に思っていないわけではない。しかし、それを強くは気にせず二人は前へ、操舵室へと後ろを振り返らずに進んでいった。