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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
三章
39/196

気球に乗って

 大陸セネトには王都シャトランジ以外にも、東西南北に一つずつ大都市が存在している。


『東都リィスト』

『西都ウェスティア』

『南都サウセン』

『北都エルノース』


 王都とこれらの大都市は『魔線(ライン)』で繋がり、魔力で動く『魔動気球』――別名、飛び馬――で行き来ができる。小さな町はその地方の大都市と魔線(ライン)で繋がっているため、葉風の町リーフを例とするなら、東都リィストを中継する形で王都に向かうことになる。


 魔瘴方界(スクウェア)から溢れる魔物の被害が徐々に増え、騎士団の迅速な派遣が求められる現代において、この移動手段は必要不可欠なもの。魔法技術の『魔法陣』と並び、数百年に一度の偉大な発明と人々には称えられている。


 そして、この発明は都市間の閉鎖的な環境を打破するものでもあった。


 都市や町、小さな村に至るまで、気球が開発されるまでは何が起ころうと、そのコミュニティで解決しなくてはならなかった。

 魔物の被害に増援を呼ぼうとも、騎士団は場所によっては三日以上やってこれない。食物などの物資を求めても、町人全員に行き渡る量が来るまでどれほど時間がかかるのかなど想像もつかない。

 以前は、そんな各々で問題を解決するしかない環境だったのだ。


 だからこそ、各地方には特有の魔法や、信仰、武器などの特色がある。葉風の町リーフでは視えるものにしか分からないが精霊が数多くいること、自然や精霊への信仰が厚いエルフが多いといったことが、それにあたるだろう。


 しかし、どんなに町の空気に色が塗られていようと、閉じられた扉が開けば風は流れて、滞った空気を払うものだ。

 巨大な切り株を切り抜いて作ったかのようなリーフの駅を前に、テルスとソルはそのことをまざまざと見せつけられていた。


 目の前には人、人、人……目を疑うほど人がいた。家族連れ、商人風の男、駒者(ピーセス)もいれば、何をしに来たのか王都の兵士までもがリーフの駅に降りてきた気球からわらわらと出てきていた。


「うわっ、これは凄いね。何だいテルス、この町は小さいと言っていたけど、こんなに活気があるじゃないか?」


 ソルは人の数に、そして、テルスも人の違いに驚いていた。

 魔動気球はおよそ百年ほど前に作られたが、リーフのような地方の町にまで魔線(ライン)が設置されたのはそれほど昔ではない。この光景は、辺境の地の一つだったリーフに新しい風が吹いている証なのかもしれない。


「いや、俺もびっくり。あそこの部隊が多いというのもあるだろうけど……この町にも人が来るようになったんだなあ」


 しみじみとそう呟き、テルスは駅から出てくる人の波に逆らいながら改札へと歩いていく。

 改札で駅員に切符――ドラグオン家から送られてきた手紙に入っていた――を見せると、駅員は驚きの表情を浮かべ、テルスと切符を何度も見比べる。

 テルスが手に持つ切符はフリーパスと言っていい代物だ。一般の者が何度も利用できるくらいには運賃は安いが、それでも、いつも通りのくたびれた服を着ているテルスが提示すると怪しく見えるのだろう。


「あー、ドラグオン孤児院の者です」


 苦笑いと共に告げたテルスの言葉で、駅員の疑問は氷塊したようだった。


「ああ、あそこの方でしたか。失礼しました。どうぞ、お通りください」


 にこやかな笑顔を浮かべる駅員に礼を告げ、テルスは切符を大事そうにポケットではなくポーチにしまった。


(これ、あとで売っても……)


 切符を目にしたときから、その打算は常にテルスの頭にあった。正直、王都に行くのを断って切符だけ売れないか考えたこともある。それだけ財布は薄っぺらい。

 しかし、


「これにただで乗れるっていうのも、滅多にないし……ま、いっか」


 眼前の大きな気球を前に、その考えを改めた。


「それにしても、おっきいよな」


 魔動気球の見た目は籠や船に近く、木造の巨大な客船部分はとても浮きそうには見えない。が、これが【浮力】を中心とした複合魔法のバルーンで飛ぶのだから驚きだ。

 あの『馬』を模した船首が別名である『飛び馬』の由来だろうか。巨大な肥えた馬を前に、ソルは声を押し殺しながらも興奮した様子でテルスに話しかける。


「凄いねえ、大きいねえ。まるで、おっきな魔物に食べられにいくみたいだけど、これは本当に安全なのかい? それに、これで馬車みたいに移動するのだろう? 一体どういう仕組みになっているんだい?」


 矢継ぎ早に飛んでくる質問の数々。中でも多いのは「大きい」という感想だ。

 テルスの手の平に乗るくらい小さなソルからすると、この気球は馬どころか、竜にでも見紛う大きさなのかもしれない。


「事故が起きたとかは聞いたことがないなあ。それに魔線(ライン)は気球が通ると結界が張られる仕組みになっているから、魔物もあまり近寄ってこない。むしろ飛んでるし、下手な町より安全だと思う。仕組みは……」


 テルスも魔動気球には片手で数えるほどしか乗っていない。いつか聞いたはずのうろ覚えの知識をなんとか頭の奥から引っ張り出そうとしていた。


「えーと、魔法でバルーンを作って、風とかは結界で……」


「……それだけかい?」


 小さな欠片しか思いだせないテルスにソルは明らかに残念そうな様子だ。純粋な期待を裏切っている気がしてテルスも悪い気がしてくる。

 だが、


「魔力により作られたバルーンが船体を浮かし、その余剰魔力が魔線(ライン)を伝うことで結界を生成。船体は魔線(ライン)に沿って進んでいき、魔力は各駅に止まるたびにチャージ。操縦は最前部の『馬』部分にある機関室のモニターで行う。最近ではモニター操作が簡易化され、有事の際に一般の者でも操縦できるように改良されている……こんなとこ?」


 いつの間にか背後にいた黒髪の獣人が詳しく説明してくれた。


「ふうむ、人は色々と考えつくものだね。ありがとう……えーと」


「タマ・フェリス。あなたは喋るネズミ……というわけではなさそう」


「お目が高い! 君が言う通り僕はただのネズミではない。喋る精霊のネズミだ」


(それって、ネズミの前に精霊がついただけだよなあ)


 テルスは無言で自分の肩で胸を張るネズミを見る。さてさて『精霊』という言葉は果たしてどれほどの価値があるのか。テルスにとっては、精霊であることより喋る方がよっぽど凄いことに思える。

 それに孤児院の子供たちには姿を見せないようにしているというのに、タマには随分と簡単に正体を明かしたものだ。その理由はいかなるものか。お調子者に向けるテルスの呆れた視線に気づくことなく、ソルは胸を張り続けていた。


 そんな精霊を猫の獣人であるタマはしげしげと眺めている。ぴくぴく動く黒い猫耳と揺れている尻尾を見る限り、タマにとってもソルの存在は興味深いのだろう。


 一方、テルスとしては慣れてきたソルの存在より、見慣れぬタマの服装が気になっていた。

 ギルドの制服ではない、パーカーにスカートといったタマの私服。さりげなくパーカーの裾に散りばめられた小さな飾りは着慣れていた道化衣装の名残か。フードにも猫耳のようなものがついているのが、テルスの一番気になるところ。やはり、耳を入れるためにあるのだろうか。これは実に興味深い。


「喋る精霊……初めて見た。よろしく」


「テルスに『ソル』という名前をもらったからね、是非そう呼んでくれたまえ」


 ソルはテルスが考えた名前を気に入っているのか嬉しそうだ。あれだけダメ出しをした末の名前である。気に入ってもらわねば、困るというもの。


「分かった、ソル……テルス、体は?」


 タマは心配そうな視線というより、咎めるような鋭い視線でテルスに問いかける。ギルドで受付嬢と魔石の鑑定をしているタマは同時に、テルスのストッパーでもあった。

 

 少女の視線にテルスは気まずそうに頬を掻いた。

 怪我はルナが治療してくれたこともあって、動かすことに支障はない。しかし、タマに魔瘴方界(スクウェア)に入った話をしたら、なんて怒られるか。

 テルスは周りには、ルナが語った話に沿ったことを言っているが、真実を話せる一人であるこの少女には怖くて話せていない。ベアが母というなら、タマは姉のような存在として叱られる立場なのだ。


「うーん、完治はしてないけど動く分には問題ない。この前、ギルドに行って菓子を渡したときよりかは治ってる」


「そう……もう気球が出る。乗らないと」


 そう言うと、タマは黒髪を風に揺らしながら、気球に入っていく。

 このまま、ホームで気球が飛立つのを見守るわけにはいかない。テルスは目の前でふわり、ふわりと揺れるタマのしなやかな黒い尾に誘われるように気球に乗り込んだ。


 気球の客船は五階建て。一階は乗員室、操舵室等、二階から四階は客室、五階は展望デッキ。客室は数席ごとに分けられ、個室となっている。

 テルスたちが二階に上がると、すでに客室は満室に近いようで、気球内は様々な会話が飛び交っていた。

 テルスにとっては会話の内容も分からぬようなささやかな声。しかし、獣人の中でも感覚が鋭いタマにとっては違う。落ち着かないのか、黒い毛に覆われた猫耳がぴこぴことせわしなく動いていた。


「タマ、俺の方に来る? あっちなら静かだろうし」


「ん、ありがとう」


 テルスが持つフリーパスは一般の切符と違い予約制の客室を使える。そこなら人が少ないと踏んでのテルスの提案だったが、案の定、予約制客室がある四階に移るとテルスたち以外は誰もいなかった。

 四階は二階や三階と比べるとそこまで広くはない。ソルに頼まれ、一周ほど気球見学をしてから個室に入ると、テルスたちは座席に腰掛けた。


「そういえば、タマはどこ行くの? 昨日はギルドにいなかったし……仕事?」


「王都。ギルドの手伝い」


「なら、俺らと行先は同じかあ」


 わざわざ東の端っこに位置するリーフから王都へ応援に行く仕事。気になりはしたが、動き始めた気球がテルスの興味を奪った。


 甲高い笛の合図と共に気球が地上を飛び立つ。テルスとソルはすぐに動き始めた気球の窓に張り付いた。

 眼下を流れていく景色はすぐにリーフの街並みを離れ、緑が広がる森へと変わる。空は快晴。隣りに流れるは柔らかな白雲。どこまでも続いていきそうな青と緑を描く自然に気分も晴れやかになってきた。


「気球の旅っていうのもいいなあ。景色は楽しめるし、何より楽ちんだ……これで旅行だけが目的なら言うことないんだけど」


「何で王都に? ドラグオンから仕事?」


「当たり。それが一番の理由」


 手紙が届いてからすでに一週間以上経っている。放置し続けたドラグオンの依頼が面倒なものでないことを祈るばかりだ。あとは、


「ちょっと調べ物もあってさ」


「調べ物?」


「いや、どっかの湖らしいんだけど、タマは『水鏡』って場所は分かる?」


「知らない」


「タマでも駄目か……ソル、本当に名前は間違ってない?」


「ん~、それで合ってるよ。精霊の頼みは『水鏡に元の輝きを』だ」


 テルスの言葉にソルは窓に張り付いたまま、声だけで答える。その声もどこか、いい加減だ。


――『水鏡に元の輝きを』。


 これが、精霊から授けられた力【リベリオン】の代償ともいうべき約束だった。


 どうやら『水鏡』というのは湖の名前らしいが、テルスはそんな地名を聞いた覚えはない。

 ベアに聞いても分からず、ギルドで仕事をしているタマですら分からなかった。場所が分からなくては約束も果たせない。精霊は道案内ができるほど、はっきりとした意識はなく、肝心のソルは思い出せないときた。ただ、湖ということが分かっているなら、王都の大きい図書館などで調べれば出てくる可能性は高い。


(まあ、ちょうどいいタイミングで王都に行けて良かった)


 破る気などないが、この約束を果たせなければ精霊に何をされるか分かったものじゃない、とまでテルスは言われている。あのとき約束を交わしたのは水の精霊。もし約束を果たせなかったら、この先ずっと水難に見舞われるなんて想像もしたくない。


(川に流されたり、家が水漏れしたり、トイレが逆流したり……二度とあの魔法は使わないようにしよう、うん。これ以上、怪しい約束を増やしたらやばい。絶対、やばい)


 そんな未来予想を嘆くテルスを気にする者はここにはいない。ソルは景色に夢中で、タマはいつの間にか読書を始めていた。


「私も時間があったら調べておく」


「助かるよ。死活問題だし」


「あと、一つ」


 タマは本からは目を離さず、テルスに告げた。


「ルナさんが言っていた話。あの嘘は止めた方がいい」


――見抜かれていた。


 タマの一言で、テルスはこの個室から逃げ出したくなった。景色を楽しむ能天気なネズミの周りを除けば、この個室の気温が下がったような錯覚すら覚える。


「〈現地の駒者(ピーセス)と協力して、魔瘴方界(スクウェア)に入る前に子供を助け出すことはできました。しかし、集まった大量の魔物に追われ、町から離れるように逃げるしかなく、帰ってくるのに時間がかかってしまいました〉……リーフ付近の地理に詳しくて、十三のときにあの黒水晶を抱えて森の奥から戻ってこられるようなテルスがいるのに? 私の煙玉もあったのに? それに町から離れるのは、リーフでは魔瘴方界(スクウェア)に近づくのと同義。テルスを知っている勘のいい駒者(ピーセス)……ハンスやおやっさん、その周りの人間なら気づかれる」


 タマの言う通りだった。リーフから北に進めば魔瘴方界(スクウェア)があり、東に海が、西には川がある。海や川を渡らずに町から離れるということは、より魔物がいるはずの魔瘴方界(スクウェア)に近づくということと同じだ。


「……タマはどこまで察した?」


 観念したテルスは恐る恐るタマの表情をうかがう。


魔瘴方界(スクウェア)に入ったとこまで」


 顔を上げた黒猫の少女は、実ににこやかな怒りの表情を浮かべていた。


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