表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
三章
37/196

ちょっぴり変わった日常

 その少女は何かを失うたびに、望まぬものを手に入れてきた。

 

 『家族』を失い、『浄』を。

 『声』を失い、『名声』を。

 『故郷』を失い、『力』を。

 

 もう、心の整理は出来ていた。


――貧しい故郷の環境を考えれば、『浄』に目覚めた私が売りに出されるのは仕方がないこと。私一人で家族が幸せに暮らせるなら、きっと……それは正しい。


――子供が魔物に襲われそうになったとき、ふと弟と妹を思い出した。咄嗟に体が動いたのは、そんな理由。別に押し付けられた義務を果たそうなどとは欠片も思っていなかった。それなのに、知らない誰かに称えられる……いつの間にか、そんなことにも心が慣れた。


――故郷が瘴気の砂に飲まれた。家族が心配で、恋しくて、こっそり避難所に会いに行ったとき、お父さんも、お母さんも、私のことが分からなかった。小さな弟と妹も。近所に住んでいたおばさんも。一緒に遊んでいた友達も。皆が知らない誰かに挨拶するように笑顔を向ける。でも、仕方がないのだ。あれから何年も経って、私の髪は白く染まり、肌も目も何もかもが変わっていた。


――だから、声を出せず、想いを伝えられない私に残されたのは『浄化師』だけだった。


 少女は残された最後のものに縋りついた。色づいていた大切な何かが消えて、白く白く心が漂白されていく。それを理解していてなお、人々の希望と呼ばれるに相応しい力をつけようと、学び、鍛え、成長し、


 そして、今度はそれさえ失うのだ。


 残った最後の自分まで消えてしまう。大事に握っていたはずのものは、いつも指の間をすり抜けていく。なくし、なくされ、なくなった少女の果ては箱庭の人形。自由を失い人形は完成する。人形はただ、そこにいるだけ。意思はなく、ただただそこに在ればいい。


 真白き人形に救いはない。

 とうに失った声は、何処にも響くことはないのだから。











――あの経験を経て、自分は何かを得たのだろうか?


 陰鬱な空気が漂う暗い森の中。テルスは苔生した木を背に自身に問いかける。


 この大陸セネトには『魔瘴方界(スクウェア)』と呼ばれる魔物の領域が存在する。

 人にとって魔瘴方界(スクウェア)は漂う瘴気により、ただいるだけで死に近づく絶望の世界。そんな領域に連れ去られた子供を助けるため境界を越え、さらには魔瘴方界(スクウェア)の深部である『王域』にまで足を踏み入れることになったあの出来事。


 そんな魔瘴方界(スクウェア)での戦いは、自分に何を与えたのだろうか?

 目覚めてから、ふとした瞬間に考えてしまうこの問い。身じろぎもせずに考え込むテルスだったが、静かな森に響いたパキリと小枝を踏み折る音に顔を上げた。


「……来た」


 切り替わる表情。退屈そうにしていたテルスの目に真剣な光が宿った。

 迷彩柄の外套にくるまっていたテルスは音を立てぬようゆっくりと体を動かすと、木陰から足音の方向を窺う。


 重量を感じさせる足音と共に近づく気配。荒々しい呼吸と漂う獣臭さ。どうやら、気配の主は標的の魔物で間違いないようだった。


「……おーい、そろそろ動くから起きてくれ」


「んっ、ふわあ……なんだい? やっと狙っていた魔物が来たのかい?」


 外套のポケットから出てきたのは……一匹の白いネズミ。やけに人間臭い仕草で欠伸をするネズミを横目に、テルスは腰の刀に手をかけた。


「ここは魔瘴方界(スクウェア)にも近いのに、よく寝てられるなあ」


「だって、暇じゃないか。だいたい、僕が寝てからどのくらい経ったんだい?」


「一時間ちょっと」


「ということは、君は二時間以上もこんな陰気な場所でじーっとしていたことになる。僕にはそのほうが正気を疑う行為だよ。そもそも……」


 ポケットから這い出て、腕を駆け上がるとネズミはちょこんとテルスの肩に乗った。そして、自称精霊の白いネズミは偉そうにテルスの耳元で講釈を垂れ始める。

 このよく分からない生物は何処だろうと口数が減らないのがいただけない。一緒にいると楽しそうと行動を共にするのはいいが、邪魔をするのはいかがなものか。


「はあ……」


 あんまりうるさくするから、標的の魔物も立ち止まって警戒し始める始末。これで隠れて待ち伏せしていた意味がなくなってしまった。このネズミは魔瘴方界(スクウェア)で寝てた分まで喋ろうとでもしているのだろうか。テルスは一人ため息を零した。


「分かった、分かった――ちょっと黙ってないと舌を噛むよ、ソル・・


 そう言うや否や、テルスは木陰から勢いよく飛び出した。


 その一瞬でテルスは思考を切り替える。

 標的をその目に捉え、大地を蹴って加速。音もなく、疾風の如き速さで魔物の間合いへ侵入し、柄に手をかけ――すれ違いざまに魔物を斬り裂いた。


 刀を振った標的に向き直り、残心。


 納刀と同時に、風になびいていたテルスの黒髪と外套も静止する。魔物との交錯が嘘に思えるほどの静けさの中、ソルの声が森に木霊し、静寂に吸い込まれていった。


「おっと……おや、格好つけているけど、仕留め切れてないじゃないか?」


 肩から振り落とされぬようしがみついていたソルの言葉通り、標的の魔物トロルは足を斬り裂かれながらも、悠々と振り返る。足の傷になんの痛痒も感じていないのか、獲物を見つけた歓喜の笑みまで顔に張り付けていた。


「いや、これは格好つけてるんじゃなくて残心だから。それに仕留めていないって、そもそも、こういう作戦だし。ほら、準備してた場所まで走るよ」


「ふむ、あれか」


 そう言って駆け出すテルスは脇目も振らず、まっすぐに目的地まで走っていく。当然、「標的を見つけたら死ぬまで追いかけてくる」とまで言われるトロルも涎をまき散らし、野太い声で吠えながら追いかけてくるが、今日ばっかりはテルスは後ろの様子を気にしなくて良さそうだった。


「おおー、テルス、テルス、なんか凄い形相で追いかけてきているよ。あれだね、それはもう熱心にテルス目掛けて真っ直ぐに走ってきているね。木々をなぎ倒し、両手を振り回して。足の傷も塞がってないのに……いやー、トロルって怖いもんなんだねえ。肩から振り落とされたら、そのまま、あの大口に吸い込まれてしまいそうだよ」


 今日は背後の様子を逐一解説するネズミが肩に乗っている。

 ありがたいが、緊張感はまったくない。なんか締まらないな、と思いつつテルスは走る。もう目的地は目の前だった。


「そっかー、見たくないなーそれ……あっ、罠を仕掛たとこまではあと少しだよ。その吸引力が凄そうな大口に飲まれたくないなら、しっかり掴まってな」


「うむ」


 この先には、テルスが数時間前にせっせと掘った落とし穴がある。危険度を表すマテリアルは《Ⅲ》と、中位の魔物にカテゴライズされる魔瘴種人型生物トロルを安全、確実、堅実に仕留めるための大事なトラップ。


 繁みを飛び出し、少し開けた場所へ。テルスはもうギルドの受付嬢に怒られないため、わざわざ作ったその罠を目視で確認し……


 何故か落とし穴から狼のような頭がひょっこりと顔を出している光景を前に頭を抱えた。


「そっか―、こうきたかあ……君、滅多に出てこないのに何でこのタイミングで出てくるのかな、ほんと」


 魔瘴種獣人型生物ワーウルフ。

 狼に似た頭を持つ、獣人型魔物。人に近いため知能もそこそこあり、イヌ科の頭を持っているだけあって嗅覚などの五感も鋭い。見た目に反して臆病な性格から、滅多に姿を現さないマテリアル《Ⅲ》の魔物。


「……作戦というものは無情だね。上手くいかなければ、それは机上の空論でしかない。君の落とし穴作戦は白紙に等しき価値に成り下がったわけだが、どうするんだい?」


 何かを悟ったような精霊様の達観の言葉。それに言い返す気力はテルスにはもうなかった。


「……戦うよ。もう挟まれてるし」


 背後から襲いかかるトロルを飛びのいて躱し、テルスは二匹の魔物と相対する。

 それにしても、何で戦闘を有利に運ぶはずの落とし穴が、モンスターボックスになっているのか。これではテルスはせっせと墓穴を掘っただけということになる。


「はあああ……」


 深い悲しみが溶け込んだテルスのため息は幸運の女神に届くことはない。

 威嚇の吠え声を上げる二匹の中位の魔物により、森がざわめく。図らずも共闘のような形で襲いかかる二匹の魔物を前に、テルスは刀を抜き――


 数分もせずに、森は静けさを取り戻した。


「『チェック』」


 黒煙の如き瘴気が魔石に吸い込まれると、終わった終わった、とテルスは大きく体を伸ばした。


「……すぐに終わるならトラップなんて仕掛ける必要なかったんじゃないかい?」


 魔物二体との戦闘は時間にして二分ほど。

 刀を振るったのも僅か二回。その二刀でトロル、ワーウルフのどちらも、深々と首を斬り裂かれ黒い煙のような瘴気へと変わっていった。


「そうでもない。トロルは首以外だと斬りづらいし、あの分厚い肉に挟まれて刀が抜けなくなることもある。ワーウルフは速いし、そこそこ知能もあるからやりづらい……ワーウルフはともかく、トロルは落とし穴で隙を作って、首を斬るのが一番安全だと俺は思うよ」


 安全が一番、と付け加えるテルスをソルは目を細めた、ネズミらしからぬ所作で見つめる。


「ふーん。君が戦っているのを見ると思うんだけど――」


 興味深そうな響きを持った声がテルスの鼓膜を震わす。肩に乗せた精霊の心すら覗きこもうとするような視線を無視して、テルスは森の外へと歩き始めた。


「一体、君はここら辺の魔物と何回戦ったんだい?」


「数えてないし、分からない」


「そうかい。元々これくらい強いのか、あそこで強くなったのかは知らないけど、これなら精霊の無茶ぶりも叶えられそうだ。安心、安心」


 白いネズミの姿をした精霊の言葉に、テルスは心の中で答えた。


 元々この程度ならできた、と。


 あの魔瘴方界(スクウェア)で強さなど得ていない。代わりに痛いほど実感できたのは己の無力さ。数え切れぬ幸運があったからこそ、守りたいものを助け出し、約束を守ることができた。テルスはそう思っている。


 特に、この肩に乗った精霊と、

 あの白い少女がいなければ最初の一歩も踏み出せなかった。


「……なにしてるんだろ」


 テルスが意識を失っている三日の間に、一緒に戦った白い少女は元いた場所へと帰っていった。二日間は孤児院に顔を出していたそうだが、三日目に帰らなければいけないことを告げ、葉風の町リーフを去ったそうだ。


「結局、あの約束もまだか……」


 生きて帰れたら、美味しいものを食べてお祝いしようと言っていた約束。

 その約束も自分が悠長に寝ていたせいで果たす機会を失った。胸の中で今も何かが燻っているのは、この約束を果たせなかったからだろうか。


 そう、この約束も・・・・・まだ果たしていない。


(この約束……約束?)


 ぴたり、とテルスは立ち止まり、ようやく思い出さなければいけないことを思い出した……否、思い出してしまった。


「ちょっと待った。精霊との約束って、どんな内容か聞いてないけど……」


「あれ? 言ってなかったっけ?」


「聞いてない。さっき、これくらいの強さなら、とか言ってたけど、強くなきゃ果たせないような危険な約束だったり……え、するの?」


「それはね、ほら、頑張って」


「詐欺だ! 内容言ってなかったし、大したもんじゃないと思ってたのに……」


 予想外な約束という負債がテルスに降りかかる。

 あまりの事実にうなだれるテルスの首元をぽん、と小さな手で叩き、諭すようにソルは止めを刺した。


「ま、君は約束を守るしかないよ。破ったら精霊に何されるか、分かったもんじゃないし……頑張ってくれたまえ」


 結局、魔瘴方界(スクウェア)でテルスが得たものは、連れ去られた子供を救い出し約束を守れたことと、白い少女と変な精霊との出会い。そして……

 

 約束という名の負債であった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ