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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
二章
34/196

決戦の行方

 強者の僅かな隙を逃さず放った、全力の一撃。

 

 銀灰の斬撃は黒揚羽を吹き飛ばし、枯れ木に叩きつけた。

 魔物の王が地に墜ちた鈍い音が周囲に響く。


 しかし、テルスはすかさず動きのない黒揚羽に追撃した。


(……やばい。仕留められなかった)


 そう。仕留められなかったと悟っての追撃。

 あの一瞬。

 黒揚羽は薄く鱗粉を出しながら、背後に動いた。テルスの一撃は風に舞う落ち葉を斬ったかのように手応えがなく、斬るのではなく吹き飛ばすに留まった時点で、テルスは追撃に思考を切り替えていた。


「バレットペア」


 タマ謹製の爆弾を装填し、【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】で増強ブーストした【魔弾】。テルスの遠距離攻撃の持ち札の中では、最も威力のある一撃が放たれる。


 黒揚羽と背後の枯れ木を爆炎が包み込んだ。

 その光景を前に、テルスの頬に汗が流れ、ずきりと頭が痛む。


 倒せていない。


 その確信がテルスにはあった。そして、敵を自分に引き付けるという己の仕事を十分過ぎるほど果たしてしまった確信も。


 テルスは炎と煙から目を離さず、背後に下がり――突如、現れた漆黒の帯を紙一重で躱した。だが、一本だけでは終わらない。二本、三本と触手の如きそれが煙を切り裂き、殺到する。


「――っ!」


 咄嗟に展開した【魔壁】により、直撃は免れた。空中に弾き飛ばされたテルスが【魔壁】に目を向ければ、帯が衝突した部分は削りとられたように消失している。


「なんだこれ? 変な匂いが……」


 帯の出現と同時に周囲には濃い匂いが漂っていた。甘く、どこか柑橘系の果物を思わせる匂い。しかし、むせ返るように濃い。長く嗅いでいると、気分が悪くなってきそうだ。


 その匂いに気を取られている時間もなかった。

 空中にいるテルスに向かって帯が追撃を始める。さらに三本の帯を加え、計六本となった魔手がテルスを取り囲んでいた。


 風を操り三本の帯を躱し、刀を振るい二本の軌道を変え、残った一本を消えかけの【魔壁】で防ぐ。 

 玉のように弾かれ、テルスは地を転がっていく。

 凌いだ。しかし、休む暇はない。六本の帯はまだ攻撃を続けている。なんとか身を起こして追撃の帯を躱したテルスに、衝撃で吹き飛んだ土砂が降りかかった。


(まず――)


 片目に砂が入り込んだ。目をこする時間はない。半分になったテルスの視界に、いつの間にか飛び上がった黒揚羽から鱗粉が溢れる瞬間が映った。


 六本の帯による多角攻撃。

 霧雨の如き瘴気の掃射。

 どちらか片方で精一杯だというのに、両方など対処できるはずもない。走って逃げるだけなら、三秒とせずにテルスは死を迎えてしまう。


「――幻想発現リアライズ【魔弾】!!」


 テルスは思考を回避から攻撃に切り替えた。

 かつて師が見せた高等技術、その再現。宙に発現した灰の魔法陣から【魔弾】の豪雨が掃射される。

 周囲一帯を抉り取るように殺到する魔法の嵐。しかし、それすらもマテリアル《Ⅴ》には届かない。【魔弾】の群れは帯の数振りで散らされた。


 それでも、黒揚羽の攻撃を止めることはできた。攻撃の範囲に枯れ木を入れたのは正解だったようだ。


「はっ、はあ……ごほっ、こほ」


 ようやく呼吸ができた。

 テルスの体は思い出したかのように酸素を求め始める。


 帯が現れてから、約十秒。


 テルスに、まともな戦闘ではマテリアル《Ⅴ》の相手にならないことを理解させるには十分な時間。だからこそ、隙をついての切り札で仕留めきれなかったことをテルスは悔やんだ。


「あの時、もっと踏み込んでいれば……でも、傷は負わせられたか。無傷なら笑うしかなかったけど」


 黒揚羽の胴体には一文字の傷が刻まれ、爆炎による火傷のせいか所々、変色している。しかし、翅は無傷のままだ。


 ルナが言っていたとおり魔力で作った翅なのだろう。人でいうところの瘴気という魔力を使った『翅』の【形成】。だから、何度でもあの翅は再生する。瘴気が尽きれば翅もなくなるかもしれないが、黒揚羽の底知れぬ瘴気の気配を感じる限り、それより先にテルスの魔力が尽きることは間違いない。


 そして、黒揚羽の周りには新たに六本の帯が広がっていた。

 翅から溢れた鱗粉が束ねられたかのような黒い帯。六本のそれは蝶の翅から触覚のように突き出て蠢いている。これの出現と同時にむせ返るような匂いが漂いだしたのも特徴か。


(この匂い、毒なのか? ちょっと頭がくらくらする。でも、ルナの言うとおりなら、毒は今の俺には効果が薄いはずなんだけど……)


 ルナの『浄』の魔力は言ってみれば漂白だ。余計な効果を消し去り、真っ白にする光。そのため、人体にとって毒になる物質に耐性ができる。ルナはこのせいで『浄』の属性は単純なことしかできず、複雑な魔法に向かないとぼやいていたが、テルスにとってルナの魔法は十分過ぎるほど複雑だ。


 そんな、自分より遥かに魔法の知識があるルナが言っていたのだ。なら、この匂いは――


(『浄』よりも濃い猛毒か、ただの強烈な匂い……仮にも魔物の王と言われる魔物が、ただの臭い帯を出すわけないかあ……猛毒と考えておこう)


 『浄』の加護がある限りは大丈夫だろう。しかし、これで時間制限ができた。

 ただ、黒揚羽がこの帯を最初から使ってこなかったことは、テルスたちにとって幸運だった。温存か、毒をこの場で使いたくなかったのかは分からないが、これで時間を稼ぐことができた。


〈準備できたよ!〉


 ルナの文字がテルスの目の前に現れる。あれの場所は分かったのだろうか。聞く余裕もない以上は信じるしかない。魔物から目を離さずテルスは静かに頷いた。


 あとはテルスが隙を作ればいい。しかし、それはあまりに過酷な難題だった。

 生き残れるか。何より、成し遂げられるか。自問するもテルスに答えは出ない。ただ、動き出した黒揚羽に思考を埋没させていく。


 最初に動いたのは、六本の帯だった。

 槍のように突き進む帯を躱しながら、テルスは黒揚羽との間合いを詰めていく。帯は複雑な動きはできないのか、どこか直線的だ。

 真っ直ぐに突き出すか、なぎ払うかの二択。


 それでも、六本の帯の全てを見切るのは難しい。

 挟み込むように迫る帯二本を屈んで躱し、真っ直ぐに伸びてきた帯を横に飛び退くことで、避ける。

 次に襲いかかるは待ち構えていたかのような横薙ぎと真上からの叩きつけ。飛び跳ねて強引に、体を十字を描く軌道の僅かな隙間に滑り込ませた。


「いっ」


 テルスの左腕に微かな痛みが走った。


(避けたはずだし、『浄』は切れていない。近づきすぎてもないよな……何で痛んだんだ? いや、そもそも……)


 考えもまとまらぬまま、思考は中断される。最後の帯が突き出されたのを見て、テルスはそれを大きく避けながら、黒揚羽との間合いをはかる。


 テルスは黒揚羽を倒す気でいた。

 敵の攻撃を防御しようにも完全に防ぐことはできず、逃げようとも向こうの攻撃の範囲から逃げ切ることはできない。


 残されたのは攻めること。


 枯れ木を巻き込むように攻撃すれば黒揚羽も攻撃に集中できない。黒揚羽を倒すつもりで攻めることが結果として、テルスの命を守ることになる。


 六本の帯を躱したテルスに黒揚羽が翅を振るう。

 黒い霧雨。そう判断し、爆弾を取り出して魔力を込める。この鱗粉を吹き飛ばし、間合いに一秒でも入ることができたのなら、


――今度は確実に斬り飛ばす。


 その覚悟を決め、テルスは黒揚羽を睨む。

 そして、翅から伸びている帯が視界の外まで伸びていることに気づいた。


 視線を走らせる。いつの間にか、六本の帯がテルスを包み込むように配置されていた。


 鳥肌が立った。


 先ほどの帯がこの位置に誘導するための布石だったとテルスが気づくと同時に、テルスを圧殺するように、翅と帯から瘴気の霧雨が放たれた。


「――っ!」


 大きく背後に飛びのき、【魔壁】、風の操作、爆弾を足元に。死神が手招きをするその刹那に、テルスは己のできる全てを込めた。


 そして、それら全て飲み込み、黒い奔流がテルスを包み込んだ。


 終わりだと思った。


 三人で帰るという思い。その願いを断つ黒い奔流。

 その絶望から、爆音とともにテルスは吹き飛びながら出てきた。


「がは、いっ、あああああああっ!!」


 痛みで気絶もできない。苦痛に思考はまとまらず、全身に叩きつけられた衝撃で呼吸もままならない。

 何よりも、耐え難いのは体を蝕む痛み。

 ルナの『浄』の魔力は消え、テルスの体は瘴気に侵食され始めていた。


 苦痛に叫ぶテルスはようやく気づいた。

 マテリアル《Ⅴ》魔瘴種蝶型生物である黒揚羽の翅は瘴気で【形成】されていた。霧雨も帯も瘴気で作られたもの。それならば、テルスが毒と思っていた匂いも、瘴気で作られているものと考えるのが妥当だ。


 この魔物は最初から一つの攻撃しかしていない。それも多分、黒揚羽の前に立ったその瞬間から攻撃は始まっていた。


 瘴気による侵食。


 『浄』の魔力を保有するルナとその近くにいたシュウはこの空間にいても、異変を感じづらかったのかもしれない。


 しかし、テルスは違う。

 黒揚羽に近づき攻撃したあとの頭痛。気分が悪くなる匂い、そして当たってもいないはずの左手の痛み……小さな異変は、黒揚羽と対峙しているだけでいくつもあった。ただ、それを考える余裕も時間も黒揚羽は与えなかった。

 だから、『浄』の守りが予想以上に侵食されていることに、最後まで気づけなかった。


 おそらく、あの匂いは最初からこの空間に充満していた。攻撃されたから匂いを感じるようになったのではない。『浄』の守りが薄れたから匂いを感じるようになったのだ。


 瘴気を散布する一方、瘴気そのものである霧雨や帯で攻撃を続け、異変に気づかせないようにする。

 それは命を狙うのではなく、『浄』の弱化を狙ったこの王域という場所において最悪の手。


 そんな、蝕み死に誘う蝶の策に二人は気づくことができなかった。

 それがこの結末。テルスは瘴気に飲まれ、ルナとシュウも王に殺される。











 そのはずだった。


「くるなっ!!」


 テルスが叫んだ声が、『浄』を分け与えようと踏み出したルナの耳に届いた。


「はっ、ごほっ、ごほ……はあ、はあ……」


 浄化師のルナからすれば、それは目を疑う光景だった。

 テルスの呼吸は荒く、肩は激しく上下している。今にも倒れそうなことは、いくら距離があろうと明白だ。


 それでも、テルスは立っていた・・・・・

 この魔瘴方界(スクウェア)の王域という最も瘴気が濃い空間で。


 それはありえない、ありえてはならない光景だった。


「今、出てきたら……ごほっ……失敗する、かもしれない。多分、俺は大丈夫だか、ら……」


 息を切らしながらの言葉。

 小さな、しかし、諦めなど微塵も見せないその言葉に、ルナは足を踏み出せなくなった。代わりに黒揚羽からは見えない林の中で、拳を強く握りしめ魔力を込めていく。


 その意思に報いる自分であるための一撃を放つために。











 テルスと黒揚羽が再び、交錯する。

 黒い帯がうねるのを見て、テルスは片手をポケットに突っ込む。たったそれだけの動作で身体が軋んだ。


(まだ……まだ死ねない……)


 ここで諦めて死ねたらどんなに楽だろうか。そんな思いに流される自分をいつかの約束が鎖となって繋ぎとめる。


 噛みしめた唇から血を流しながら、テルスは必死に黒揚羽の攻撃を躱していく。六本の帯の動きはどこか精彩を欠いているようにも思えた。まるで、未だ動き続ける侵入者に困惑しているかのように。


 しかし、濃密な瘴気を漂わす帯は『浄』の守りがなくなった今、近づくだけで命を奪われかねないものだ。


 槍衾の如く一斉に帯が突き出されるよりも早く、テルスと黒揚羽の間に白煙が立ち込める。狙いを見失い、白煙を前に動きを止める黒い帯。

 だが、それも数秒ともたない。


 視界を閉ざす白煙を翅を一度振るっただけで、黒揚羽は吹き飛ばした。が、その白煙が消えた先にテルスの姿はない。


 姿を隠した侵入者。それに対して、黒揚羽は大量の鱗粉を展開した。

 小賢しい策を圧倒的な力でねじ伏せる。どこかに隠れているテルスを、この空間全体を攻撃し、あぶりだそうとしていた。


……一……二……三!


 林の奥から、一条の光が放たれた。

 展開された鱗粉の隙間を縫うように、銀灰の弾丸は飛ぶ。

 その狙いは黒い枯れ木。しかし、あと一瞬遅ければ命中していたというのに弾丸は帯によって弾かれ、あっけなく虚空に消えていく。


 そして、この狙撃によりテルスの位置を把握した黒揚羽は、六本の黒い帯をもって林をなぎ払った。


 それが黒揚羽の最大の悪手だった。


 テルスとルナは確かに、黒揚羽の手に気づけなかった。だが、気づけなかったのは黒揚羽も同じ。自身に傷を与え、瘴気に侵食されてなお動く獲物に意識を向けすぎ……もう一人の侵入者――本命を無視しすぎた。


 テルスがここまで移動し、黒揚羽の攻撃をこちらに向けさせたその理由。

 黒揚羽の背後。枯れ木を挟んだ林の奥。そこから、白い光が閃いた。


 これが死角からの隙を突いたテルスとルナの本命の一撃。


 しかし、その魔力の気配にすら黒揚羽は反応した。

 守りのための鱗粉を展開し――



 轟音とともに、白い閃光が枯れ木に激突した。



 黒揚羽が咄嗟に展開した鱗粉では濃度が足りなかった。鱗粉をものともせず突き抜け、本命の枯れ木をなぎ倒し、ついでとばかりに黒揚羽をも殴り飛ばす。一条の光が通り過ぎたあとには、何も残っていない。


 自分の真横を林の木々をなぎ倒しながら飛んでいく黒揚羽。それを激痛を忘れた呆けた表情でテルスは見送り、全ての元凶に目を向けた。

 その視線の先には一切合切を殴り飛ばし、残心を終え、美しい白髪をはらう少女が立っていた。


――【白王閃手】。


 ルナの【閃手】を使った奥の手。

 複雑な術式に向かない『浄』の属性らしく、やっていることはいたってシンプルだ。ルナ曰く『力を込めて思いっきりパンチする技』。しかし、木陰からその技の全容を見ていたテルスからすれば、稲妻や流星に見紛うあの一撃はパンチという名で偽装した、もっと恐ろしい何かにしか見えなかった。


「これで狙い通り以上、っ……の結果かな。あとは……」


 林からよろめきながら出てきたテルスは光の手に包まれ、慣れ始めた圧迫感とともにルナのもとへ引き寄せられる。


 光の手から『浄』の魔力が流れ込み、テルスの体を侵食する瘴気は沈静化していく。そして、薄らいでいく痛みの代償に、強烈な吐き気がテルスを襲っていた。


〈大丈夫!? あまり無理しないで!〉


 地に手を突き、何かを耐える相棒の背をルナは優しく撫でる。

 自分を見つめる心配そうな眼差しも、背を撫でる気遣いもテルスにとってありがたいものだが、どうにもあの魔法の手で引き寄せられる感覚は苦手だった。


「痛いのと、気持ち悪いのがミックスされて……うげえ」

〈えっと、ごめんね……でも、ゆっくりもしてられないかな。今から、魔瘴方界(スクウェア)を解放するから、あの魔物を見てて。多分、まだ倒せてないから〉

「分かってる」


 ふらふらと立ち上がったテルスが黒揚羽が吹き飛んでいった方向を警戒し始め、ルナは折れた黒い枯れ木に向き直った。


 二人の本命。それは王が守る瘴核だ。

 瘴核に『浄』の魔力を打ち込むことで、魔瘴方界(スクウェア)は解放できる。王域を進む前にルナが話していたとおり二人はそれを目指して、黒い世界を進んできた。


 本来は瘴核は王に守護されているため、王を倒さねばならない。が、第一作戦『王を倒しきる』など飾りである。二人はすぐに諦めた。第二作戦『王を倒せそうになかった場合、王の隙を突き瘴核にルナの魔力を打ち込む』という案で、テルスとルナは動いていたのだ。


 王が守護している瘴核を狙うのも難しいが、倒せぬ相手に挑むよりかは可能性がある。テルスとルナの二人だけでは膨大な魔力を秘めるマテリアル《Ⅴ》の魔物と長期戦をして勝てる見込みはない。


 テルスを囮にし、ルナの魔法で王の隙を作る。

 そのために、瘴核の位置の把握と奥の手の準備をし、黒揚羽が枯れ木を守っている様子を見て、そこを攻撃したのだが……


〈うん、当たり。殴って残ってるのが瘴核って考えは正解かな〉


 なぎ倒された枯れ木の根元。そこは漆黒に染まり、沸々と瘴気が溢れだしている。その一メートルにも満たない漆黒の領域が、この世界の核だった。


 なお、暴言なんかテルスは見ていない。散々、枯れ木の至る所を狙っていた努力は無駄だったのだ。


〈ここが魔瘴方界(スクウェア)の中心、瘴核のはず……あとは習ったとおり、えーと、魔力を流し込んで……〉


 思ったことがそのまま書かれているのか、テルスに教えようとしているのかは定かではないが、ルナの赤い文字が踊るように空中に書かれていく。


(そっか、まだ三回目だもんな)


 その文の内容はいささか頼りない。が、魔瘴方界(スクウェア)の解放が未だ二回しかされていないことを考えれば無理はなかった。


 その解放を自分の手で成し遂げること、何よりこれで三人で帰れる可能性がぐっと高まったことが嬉しいのか、ルナの口元は綻び頬は色づいていた。


 同じようにテルスも黒揚羽を警戒しながら、一仕事終えたように深い息をついていた。ルナと比べ、テルスは喜びよりも安堵の方が大きい。


 これで、約束を守れるのだから。


「あとどれくらい?」

〈分からない。かなりの魔力を流し込んでいるんだけど……ごめん、最後の魔石を使うね〉

「べつにいいよ。この後は透明化魔法で姿を隠しながら帰っていくんだから、ルナが使った方がいい」

〈うん。でも、帰り道でずっとは使えないかな。できれば魔物が沈静化してて、じっとしててくれると助かるんだけど〉

「そう願ってるよ。ここまでして帰れないとか、虚しすぎるし」

「えっ、家に帰れるの?」


 いつの間にか、林から出てきたシュウが会話に加わる。

 魔瘴方界(スクウェア)の解放後を考えるなら、透明化魔法の範囲に皆がいたほうが今はいい。だが、テルスは念のためシュウに釘を刺しておく。


「まあ、そのためには、あまりうるさくしないのと、危ないことをしないのが大事だけどなー。シュウ、もう叫ぶのも勝手に動くのも無しで頼むよ」

「う、うん。分かったテル兄……でも、あの木陰で一人で待ってるのって怖いんだ。今にも後ろから――うわっ!」


 振り向かずに手だけ振ってテルスは言う。それに頷くシュウだったが、突如、リィンと大気を震わす音に驚き、飛びのいた。


〈もうすぐ解放できると思う!〉


 テルスがちらりと背後を見れば、黒の光と白の光がせめぎ合い、黒色が徐々に褪せていっていた。すでに灰色に近いその色はルナの文字どおり、解放を予感させる色合いだ。


「……じゃあ、ここが正念場か」


――ドガガガガッ!


 大気の律動か、それとも自分たちの世界の変動を感じ取ったのか。お返しとばかりに、木々を吹き飛ばし、轟音を響かせながら黒揚羽が森の奥から現れた。


 速い。

 瘴核を守るためとはいえ、不動を守っていた魔物とは思えない速度だ。


 テルスとルナが負わせた傷も浅くなっていた。

 爆弾により変色していた部位は消えさり、胴体の切り傷も目立たなくなっている。腹部が大きく潰れているのはルナの魔法によるものだろう。林からすぐに出てこなかったのは、これらの傷の回復をしていたようだ。


(間に合わない、か……)


 ルナが魔瘴方界(スクウェア)を解放するより先に、あの魔物はここにたどり着く。テルスには魔瘴方界(スクウェア)を解放するために必要な時間など分からないが、その確信があった。


(どうする? どうやってこいつを止める?)


 テルスは一度もこの魔物の攻撃を防ぎきれていない。

 だが、今だけはルナとシュウを守り、瘴核を消すためにも黒揚羽を止めなくてはならない。


 数多の鱗粉が視界を覆う。

 無理だ、とそれを目にし、即座に判断したテルスが駆ける。やられる前にやれ。あれが放たれるより先に黒揚羽を行動不能にすれば問題ない。


 テルスの切り札『ハバキリ』が届く間合いまで、残り数歩。高まる魔力と緊迫した空気の中、


 隕石と見紛う火球が両者を裂くように現れた。

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