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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
二章
33/196

『王』

 王域の最奥。その林の中心。


 草も花もない開けた空間に一本の木があった。樹皮は魔瘴方界(スクウェア)を象徴するかのように黒く染まり、葉が落ちた枯れ枝は茨の如く鋭い――そんな黒い枯れ木に魔物の王は止まっていた。


――綺麗だ。

 

 素直にそう思えた。王の姿も、枯れ木以外には何もないこの空間も、どうしようもなく終わりを連想する光景なのに、不思議と美しいと感じてしまう。


 黒揚羽。

 蝶型の魔物が王の姿だった。


 黒くしなやかな翅に浮かぶのは、銀の鱗粉によって描かれた優美な模様。くるりと丸くなっている口吻、透き通るような紫紺の複眼、その全てが優れた画家が理想の美しさを絵に描き出したかのような造形だ。


 玉座に座すは、宝石で彩られた魔物の王。


 それゆえに、恐ろしい。


 まるで夥しい死骸の中心で、怪しげに煌くたった一つの宝石。その姿には例えようのない不吉さが漂っている。宝石といっても、持ち主に呪いを運ぶ不吉なものにしか思えない。


 その宝石に二人は手をかけようとしていた。外套を脱ぎ捨て、隠れることもなく、挑戦者としてこの王域の中心に立っていた。


 ルナは浄化師の白装束。浄化師が着るだけあって、様々な魔法が込められた下手な鎧よりよっぽど丈夫なもの。

 それに対してテルスは質素な白いシャツに黒いズボン。革鎧とフード付きの黒い上衣や腰のポーチがなければ、ただの町人にしか見えない格好だ。


 魔石とポーションにより、二人の体調はここまで魔瘴方界スクウェアを戦い続けたとは思えぬほどにいい。

 あとはテルスとルナの力が王に――マテリアル《Ⅴ》に届くかどうか。


〈テルスは緊張してる?〉


「そりゃあ、してるよ。ルナは?」


〈ちょっと手が震えてるかな。そういえば、いつの間にか名前で呼び合ってるね〉


「……気づかなかった。まあ、今回だけなんで、大目に見て」


〈私は嬉しいから、ずっとそのままでいいよ〉


「……なんか、照れるんだけど」


〈そう? そういえば、ここを出たら美味しいものを食べるんだよね?〉


「勿論。お腹いっぱいになるまで食べる。でも、そのためにはあれをなんとかしないとか。もう温存はしなくていい?」


〈残念ながら、それができそうな相手でもないかな。帰りのことはとりあえず置いておいて、全力で戦おう〉


 出し惜しみはできない。そう告げたルナの言葉にテルスは頷いた。

 ティザーニアほど巨大でもなければ、あの骨を生やした魔物ほど不気味な気配もない。ただただ、静かな気配に包まれた魔物。しかし、本能的に眼前の魔物がそれよりも上位のものだと理解できる。


 ふわり、と黒揚羽が浮き上がった。風もなく、翅も動かしてもいない。淑女のようにしなやかに魔物の王は飛ぶ。

 そして、魔物の王は黒い枯れ木を背に侵入者と相対した。


「さあ――頑張りますか」


 背後の茂みの影からシュウが見つめる中、最後の戦いの幕が上がった。











 テルスとルナは魔法を纏い、王へと駆ける。

 灰の燐光が一瞬、テルスの体に灯る。その後ろでは、ルナが両の手に【閃手】を発現させ、自身とテルスを【浄光(ルクス)】で強化した。


 それに対して、魔物の王は動かない。まるで玉座でゆるりと演劇を楽しんでいるかのように、空中で静止したままだ。


「よいしょ、っと」


 動かないなら好都合とばかりの【魔弾】の連射。翅、頭部、腹部。少しでも効果がありそうな位置を狙った弾丸は、しかし、標的を穿つことなく黒揚羽の前で消え失せた。


「……もう一回」


 接近を中断。

 依然として動きのない黒揚羽に向かってテルスは再度、魔法を撃った。

 結果は同じ。見えない壁でもあるかのように【魔弾】は防がれた。


〈防御魔法かな?〉


「微妙。仕組みが分からないと、接近しづらいな……なら」


 灰の燐光が【魔弾】に灯った。


――バレットペア。


 放たれた銀灰の魔弾は、宙に螺旋の残滓を残しながら黒揚羽を穿つ。黒い木の枝を掠めるように飛んでいった弾丸は、拍子抜けするほどあっけなく黒く美しい翅に大穴を開けていた。


 だが、魔物の王はそれでも不動を保っていた。

 自身の翅に大穴が開こうと何の痛痒も感じないのだろうか。二人が確かめるように翅の大穴を見ていると、黒揚羽の翅がざわりと波立った。


 それは、まるで膨大な数の羽虫が蠢いているかのようだった。


〈……なに、あれ?〉


 ルナの問いにテルスは答えることができない。

 それを問いたいのはテルスも同じだからだ。


 黒揚羽の翅が不気味に蠢きながら元の美しい翅に戻った。だが、その光景を見た二人には、もうあの銀の模様が描かれた黒翅を『美しい』と形容することはできなかった。


 テルスはもう一度、通常の【魔弾】を撃つ。その弾丸は同じく、見えない壁に防がれたかのような末路を迎え、宙に消えた。


「一定以上の威力は無効化? いや、そもそも、あの翅に穴があいてもダメージを受けた様子はなかったか」


〈再生してるのかな?〉


「そんなふうに見えた。とりあえず、胴体を狙おう。蝶だって虫だし、頭とか胸がなくなれば、流石に再生は難しいはず」


 再び、灰の燐光を灯した【魔弾】が発現する。

 狙いはちょうど黒揚羽の中心。胸の辺りに狙いを定め、テルスは見えない引き金に指をかける。

 同時に、テルスは直感に従いルナから離れ、走り始めた。


「……バレットペア」


 弾丸の行方を見なくとも、テルスはその攻撃が防がれることを悟っていた。撃つ前からテルスが感じていた嫌な直感。狙いを魔物の胸の辺りに向けた途端、テルスの背筋を震わしたそれは正しかった。


 ふわり、ふわり、と緩やかに黒揚羽は両の翅を揺らし始めた。

 その緩慢ともいえる動作に対して、起きた現象は劇的だった。


 瞬きほどの間に、黒い粒が二人の視界一杯に広がった。ちょうど王域に舞う瘴気の胞子のようなものが黒揚羽の周囲に溢れ、テルスの【魔弾】が食い潰される。


 そして、黒い粒は霧雨と化した。


 黒揚羽から溢れた黒い粒が一斉にテルスへと襲いかかってくる。雨や霧に見紛うその無数の粒はテルスの逃げ道を塞ぐように、広範囲に散布されていた。


〈テルス、こっち!〉


 ルナの文字がテルスの視界に入り、五指を広げた白い光の手が現れる。

 【閃手】が虫を追い払うように、黒い霧雨をかき回す。しかし、それでどうにかなるほど甘くないことはテルスもルナも分かっていた。

 がしり、とテルスは光の手に握られる。


「あ、またかー……」


 一瞬の猶予を作り、光の手は霧雨に蝕まれ消えていった。テルスはもう片方の光の手に包まれ、大きく振り回されながらルナのもとまで引き寄せられていく。

 風が吹き抜ける音とともに、黒い霧雨がテルスの足元のすぐ近くを通り過ぎていった。


「うげっ……これ、慣れないなあ」


 空中をぐるぐると振り回される感覚に、テルスは再び気分が悪くなる。内臓がふわっとなるのがどうにも苦手だった。


〈そんな呑気なこと言ってる場合じゃないよ! ほら、あれ〉


 テルスがルナの指し示す方向に目を向ければ、虫食いのようになった木々が目に入った。

 黒い粒は鋭い針の如く障害物に無数の穴を開け、突き抜けていったらしい。自分の体があの木のように、虫食い状態になる展開はテルスもルナも考えたくない。

 そして、あの霧や雨のような攻撃を見て、テルスはその正体に思い至る。


「もしかして……鱗粉?」


 鱗粉。

 蝶や蛾の翅を保護するもの。水を弾き、体温を調整するなど様々な機能を有している器官。

 テルスには先ほど自分を襲った黒い粒の群れや、【魔弾】を防いだ黒い粒の効果が鱗粉そのものに思えた。細かい粉が降りかかるような攻撃、弾丸を雨粒のように弾いた防御、それを使ったのが蝶ならば、もう鱗粉以外の答えは浮かばなかった。


〈鱗粉……そうかもしれない。でも、あれは鱗粉の役割を魔物の魔力で、つまり、瘴気が果たしているんじゃないかな〉


「鱗粉を形成する魔法ってこと?」


〈うん。さっき私の魔法があの魔物の黒い粒に当たったとき、【閃手】が侵食されてた。魔法を破壊されたとか、魔力を飛ばされたのならありえるけど、侵食は瘴気以外ではありえない。私と魔物の魔力はお互いを消し合う反対の属性。暑くて寒いなんてことがないように、私の魔法を上書きするように消すなんて瘴気以外ありえないよ〉


「つまり、あの魔物は瘴気で翅を【形成】して、鱗粉みたいなものを飛ばすことができるってことになるのか。これが本当だと近づくこともできない気が……」


 ルナの『浄』で作られた手を一瞬で消し去る濃度。弾丸は補助なしならば近づくだけで消えていた。


(……あの黒揚羽の周囲は瘴気がかなり濃いんじゃあ……)


 テルスの考えどおりなら、近づくだけでルナから貰った『浄』の守りを消され、瘴気に侵食されてしまう。このまま不用意に近づいて接近戦はできない。


「うーん、『浄』の魔力を濃くすること……いや、プランその二だルナ!」


 再び散布された瘴気の霧雨を目にして、テルスは走り出した。


「俺が引き付ける! 多分、逃げ回ってれば大丈夫。でも、余裕はないし死ぬほどやばいから、なるべく早めで!」


〈わ、分かった。頑張って、お願いだから逃げ切って!〉


 ルナは指示を聞くと、すぐにその場を離脱した。時計の針はすでに動き始めている。ルナがそれ・・に費やす時間が多いほどテルスの命は縮まっていく。


 二人とも狙いはテルスだと直感していた。

 その証拠とばかりに、紫紺の複眼はテルスを捉えて離さない。ルナから一歩でも遠くへと走るテルスを追うように、黒揚羽もその場で体の向きを変えテルスに向き直る。


「【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】。ええと、精霊さん。風であれを吹き飛ばしてください。どう考えても魔力が足りないけど、少しでいいから、ずらしてください!」


 お願いすると効果が上がるような気がしないことはない。本当に余裕がない今、とりあえずテルスは見えない精霊に渾身のお願いをし始める。おそらく、走らなくていいのなら土下座くらいはしていた勢いだ。


 この案の次点で、落とし穴を作ってそれに隠れることもテルスは考えていた。

 しかし、その案はどうにも、地面ごと抉り取られる未来しか見えない。ティザーニアが竜巻で地面ごとテルスたちを吹き飛ばしていた以上、この魔瘴方界(スクウェア)の王である黒揚羽の攻撃を地面に隠れてしのげるとはテルスには思えなかった。


「ああもう、ここに入ってから走って逃げてばっかだ!」


 放たれた霧雨は地面に細かな無数の穴を開けながら、テルスの背後に迫っていた。無情にも精霊へのお願いの効果はない。霧雨は止むことなく放射状に放たれ続け、テルスを追い詰めていく。


 背後の木は穴だらけになり、地面に開いた蟻の巣穴の如き穴は数え切れない。

 テルスの第二案どおりに落とし穴に隠れていたら、そこがそのままテルスの墓穴になっていただろう。


 全速力でテルスは走る。


 少しでも速度を緩めた瞬間、穴だらけになりかねない。足を動かすことに集中し、この状況を脱する案など何も思いつかぬまま、テルスはひたすら走り回る。


 そして、走れば走るほど、それが気になってくる。


「こいつ……」


 本当に動かない。

 動くテルスと対照的に黒揚羽は不動のままだ。


 黒揚羽は翅があるというのに、動かすのは鱗粉を飛ばすときのみ。飛翔には翅を使わなくてよいのか、貼り付けられた標本のように空中で静止していた。

 この魔物がテルスを追いかけながらこの瘴気の霧雨を放てば、今よりも確実に追い詰めることができるというのに。


 思い当たることはある。

 黒揚羽は一発目の【魔弾】には反応せず、二発目の【魔弾】は防いだ。


 補助した【魔弾】の一発目と二発目の違い。それは、翅を狙ったか、胴体を狙ったかだ。もっとも、最初は胴体なら当たりどころによっては傷を負うから防いだのだと、テルスは思っていた。

 しかし、他に理由があるのなら?


「動かないんじゃなくて……動けない? それなら……」


 狙いは一つ。

 黒揚羽の背後。黒い枯れ木に狙いを変え、テルスは【魔弾】を撃つ。木の根元を狙って放たれた弾丸は、地を這うように飛んでいく。


 その弾丸に黒揚羽は反応した。長い翅を優雅に動かし、弾丸を弾いた。

 霧雨を放つことを中断し、自らが動いてまでその銃弾を弾いたのだ。


「……見つけた」


 テルスの口元が弧を描いた。


「さて、ルナも見てただろうし、反撃といこうか」


 刀を鞘にしまいテルスは黒揚羽へ走り出した。


「よっ」


 走りながら、ナイフを次々と投げていく。

 狙いは黒揚羽が守る黒い枯れ木。相手の弱みを突いて防御に集中させ、攻撃の機会を奪うという悪役のような考え。だが、自分の命が天秤に乗っている切羽詰まったこの状況で、テルスにそんなことを考える余裕はない。テルスは投げ尽くす勢いで、ナイフを投げ続ける。


 弾丸を防ぐために高度を下げ、木の根元近くに浮いている黒揚羽の頭上を飛び越えるナイフの群れ。だが投げているのは、いくら多かろうとただのナイフ。黒揚羽が翅を振り、風を起こすだけでナイフは吹き飛ばされた。


「こんなしょぼいのにも反応するのか……なら次はこれで」


 風が髪を揺らす中、テルスは【魔弾】を撃ち、手を振るう。黒揚羽が起こした風により、鱗粉の効果が薄れると考え放った弾丸は、当たればどこでもいいとばかりに枯れ木のいたるところに飛んでいく。


 しかし、これも新たに溢れ出した鱗粉により止められる。埋め尽くすような鱗粉の量は少しくらい風で飛ばされようが、テルスの魔法を防ぐには十分すぎる濃度。そして、鱗粉はテルスの攻撃を防ぐだけでなく、風に乗り黒い壁となってテルスに押し寄せてきた。


 風を利用したテルスの考えは裏目に出た。

 浅知恵をあざ笑うかのような物量の波を前に、それでもテルスは速度を落とさず、突き進む。


「【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】」


 風がテルスを包み込み、黒揚羽の下にガラス玉に似たそれが届く。

 三個の爆弾。テルスが【魔弾】を撃つと同時に投げていたそれが五秒を迎えた。


 爆炎と爆風が黒揚羽の前の鱗粉を取り払った。

 黒い壁がなくなったことで視界は開けた。テルスは黒揚羽をその目に捉え、加速する。再び鱗粉を出そうと黒揚羽が翅を動かす僅かな隙。敵が無防備な体をさらすその一瞬にテルスは滑り込んだ。


 姿勢は居合。狙いは胴体。両断する意思を込め、テルスは切り札を切る。


「――ハバキリ」


 銀灰の弧が描かれた。

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