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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
二章
30/196

王域

「……駄目、かー。まあ、《Ⅳ》がそこまで甘いわけないか」


 濃密な瘴気の気配が背後から溢れだしている。この魔瘴方界(スクウェア)では気配を探っても魔物の居場所が完全には分からなかったが、こんな不気味な気配ならば間違えようがない。


 一刻も早くこの場を後にしようとテルスは走る。背後の魔物に比べれば、前方の魔物などたいした敵ではない。

 ルナと合流し隠れなければならない。こんな魔物と戦って、力の温存などできるはずがない。戦った時点で詰みになってしまう。

 テルスは来た道を急いで戻っていく。しかし、急いでいるときほど余計な邪魔が入るもの。


「またか」


 現れたのは枯葉を模したカマキリ。

 テルスの姿を捉えると、仇敵を見つけたかのように鎌を振り上げ威嚇してくる。

 よく見れば、爆弾によって後ろの足が一本焦げてなくなっていた。それを踏まえて見ると、この蟷螂型魔物は怒り狂ってるように見えてくる。何しろ、止まる気配などまるでなくテルスに迫ってくるのだ。


 しかし、テルスからすれば相手をする暇もなく、わざわざ間合いに踏み込む必要もない。カマキリの鎌が届かない距離から、テルスは【魔弾】を発射する。だが、魔弾は尽く切り落され、魔物の体に届くことはなかった。


「分かってはいたけど……虚しい」


 この【魔弾】で倒せるとはテルスも思っていなかった。テルスの【魔弾】は各下相手には役に立つが、一定の強さを持つ魔物にはあまり意味をなさない。威力不足だったり、この魔物のように見切られてしまう。だから、【道化の悪戯ジョーカーズ・トリック】やタマの爆弾で補っているのだ。


 それを理解していてなお、【魔弾】を乱射しているのは牽制と足止めのため。【魔弾】でカマキリをその場に縛り付け、テルスは敵を迂回して走っていく。その様子を見たカマキリは枯葉によく似た翅を広げ、怒ったように鳴いていた。


 だが、テルスの背筋を震わせるのはその音ではない。


――ぼこ……ぼこ……


 小さく微かな音。しかし、不思議とその音が何なのかは分かった。


 あの蓑のような塊から、何かが這い出てくる音だと。


「やばい、まずい……というか、俺はむしろ状況悪化させてしまった気がする……どうしよう?」


 振り向かずとも、何かが近づいてくる瘴気の気配を鮮明に感じられる。幸いそこまで速くはなく、テルスと同じくらいの速度だろう。このまま走っていれさえすれば、追いつかれることはない。


(とりあえず、ルナと合流したら、そのまま一目散に逃げる。こいつのテリトリーからかなり離れれば諦めてくれる……ってことを祈ろう)


 ルナと別れた場所に近づくにつれ、テルスの表情は真剣になっていく。テルスにとって一番気がかりなことはルナとシュウの安否だ。


 死人はいなくなったとはいえ、あの場にはかなりの魔物が残っていた。そう簡単にルナが死ぬとは思っていないが、シュウを守りながらの戦いだと不安が残る。


 二人の心配をしているテルスの視界に魔物に囲まれた一つの人影が入る。

 その人影を遠くから注視し、テルスが見たものは、


 魔物を投げ飛ばすルナの姿だった。


「はい?」


 魔法【閃手】が踊るように動き回り、襲いかかる魔物を投げ飛ばしていく。突進する魔物は脚を掴まれ、さながら小手返しのように大地に転がり、続く魔物も脚を刈られ、空中でひっくり返され、次々と宙に放り出されていく。


 そして、光の手は空中の魔物に襲いかかり、魔物たちは手刀で切り裂かれ、貫手で貫かれ、瘴気へと還っていく。


「はあ……」


 走りながら、テルスは器用にため息をつく。

 心配はいらぬ世話だった、とテルスは思い違いに気づいた。


 浄化師は魔瘴方界(スクウェア)では、後方支援の役割になるとテルスは思っていた。浄化師を前線で戦わせ、魔瘴方界(スクウェア)では必須である『浄』の魔力をいたずらに消耗するのは、賢い選択とは思えない。


 だからこそ、浄化師は【浄光(ルクス)】などの魔法を使い、少ない魔力で後方から支援するものかとテルスはルナの魔法陣を見て思っていたのだ。


 その考えは多分合っている。が、少なくともルナについては十分ではなかった。

 戦う姿を見れば分かる。ルナは支援は勿論、魔瘴方界(スクウェア)での行動も深く考えて魔法を選択している。


 魔物から姿を隠す【不可視の一手】、仲間を回復、強化する【浄光(ルクス)】、後方からも仲間を援護できる【閃手】。

 そして、あの数の魔物を躱しきる体術。


「……生き残ることを考えた戦い方、か」


 浄化師は最後まで立ってなくてはならない。浄化師が倒れればその時点で魔瘴方界(スクウェア)から身を守るものはなく、同行者は死ぬのだから。

 戦うルナを見て、今更ながらテルスはそれを理解した。


 何故、『剣』や『盾』ではなく、『手』の形成魔法なのか疑問に思っていたが、あの体術と合わせることを想定していたのだろう。強化された身体能力、少しの傷はすぐに回復し、近づかれれば光の手で投げ飛ばし、反撃を与え、危なくなったら姿を隠し離脱する。


「……まったく頼もしい相棒なことで」


 しかし、その頼もしい相棒も永遠に魔物をさばけるわけではない。ルナの方を向き、背を見せている魔物にテルスは素早く斬りかかる。

 二体、三体と斬り伏せているとテルスが戻ってきたことに気づいたのか、ルナは花が綻ぶような笑みを浮かべた。


「待たせた。さっさとここから逃げよう」


〈うん、無事で良かった。でも、なにかあったの?〉


 しきりに後方を気にしているテルスにルナが問いかける。テルスが現れると同時に魔物たちも何かを察知したのか、ピタリと侵入者への攻撃を中止していた。

 急に静止した魔物たちにルナは首を傾げる。が、森の奥からテルスを追いかけ群れに加わる魔物と、徐々に近づいてくる不気味な瘴気に気づくと、萎れていく花のように浮かんだ笑みが引きつっていく。


「……ごめん、あれはヤバい。逃げよう即逃げよう」


 同じ魔物すら恐れるような瘴気を撒き散らし、それは森の奥から徐々に近づいてきていた。


〈……死体は動かなくなったけど、魔物を倒したわけじゃないんだね……〉


 賢い相棒はおおまかに状況を察してくれたようだった。

 素早くシュウを背負うルナを尻目に、テルスは魔物の包囲網を斬り開き、退路を確保する。


「どうする、このまま奥へ進む?」


〈それしかないよ。なんとかどっかで撒かないと!〉


 走り書きされる赤い文字は切迫したこの状況を何よりも表している。

 追従しながら数を増していく魔物に、得体の知れない上位の魔物。次に魔物に囲まれ、走る足が止まってしまえば、今度こそ戦うしかなくなる。それだけは避けなくてはいけない。


「うっ、やっぱり出てくるよな」


 王域の奥へ走っているというのに魔物が何もしないわけがない。後ろだけでなく、前からも次々と現れる魔物たち。


〈見える範囲の魔物は《Ⅰ》と《Ⅱ》だけみたい。《Ⅲ》は後ろの群れに飲み込まれてて、推定《Ⅳ》はその後ろ。少し遅くなったけど近づいてきてる!〉


「《Ⅲ》なんか相手にしてられないから、それは嬉しいな。その推定《Ⅳ》とは、できれば一生、顔を合わせたくない」


 ルナが片手だけ発現させた【閃手】で魔物を殴り飛ばし、テルスが四方から寄ってくる魔物を斬り払う。ただ、がむしゃらに二人は魔物の森を駆けていく。


 テルスはそんな中でも、視線を走らせ続けた。

 どこか一つ見落とせば終わり。擬態を解き、走りながら擬態を瞬時に見極めるか、奇襲をかけてくる魔物に一瞬で反応し、迎撃しなければならない。


「ルナ、前方頼んだ!」


 返事の代わりに、指を開いた光の手が前面に展開される。『浄』の魔力で構成された【閃手】という盾を構え、テルスたちは強引に速度を落とさず進んでいく。


 ルナの背後についたテルスは、左右から襲いかかる魔物を払い飛ばしながらも、背後の魔物をこれ以上近づかせまいと【魔弾】を撃ち続ける。

 狙いなどつける必要はなかった。背後に向かって撃てば、どこに撃とうが波の如き魔物の群れに命中し、【魔弾】は飲み込まれていく。


 高波が迫ってくるようだった。


 本当に後ろから黒い濁流が追いかけてくると錯覚するほど、魔物は数を増していた。テルスたちを追うことだけが数を増した理由ではない。そのさらに後方から迫ってくる怪物を恐れ、魔物たちも逃げているのだ。このままでは、確実に無数の魔物に飲み込まれることになる。そんな一刻を争う状況だというのに、


〈どうしようテルス!〉


 ルナが指す方向にテルスは目を向ける。

 もはや声もでなかった。

 こんな状況で目の前に現れたのは魔物でもなんでもない。


 川。


 そう、目の前に現れたのは川という自然による『行き止まり』だった。


(勘弁してほしい……)


 刻一刻と悪くなっていく状況。

 焦った様子で唇を噛むルナの隣で、テルスは頭を回す。近づく魔物を斬りながら、残り数秒で打てる手を考える。


(囮は却下、そもそも意味がない。隠れても、すぐに見つかって押しつぶされる。じゃあ、川を泳ぐ? 無理。魔物が確実にいるし、川でスピードが落ちたところを後ろの魔物に飲み込まれる。なら、スピードを落とさず川を渡る方法……)


 思いついた策は強引な力技。しかし、これ以上いい策を思いつくのを待っている時間はない。


「ルナ! 【閃手】の射程は?」


 その言葉に、はっとした様子でルナは頷く。


〈三十メートルくらいなら届くし、多分引っ張って渡れる! テルスが何を考えてるのかは分かったけど、川にいるはずの魔物は?〉


「ナイフと爆弾を投げて囮にする。残ったのは何とか俺が防ぐ」


〈分かった。うん、太い木もあるし、あの川幅なら届く。テルス、私に近づいて〉


 テルスが近づくと光の手が、テルスとシュウを背負うルナに巻きついていく。


「ちょっと待った! 両手だけは自由にしておいて」


〈でも、そうすると……いいや、じっとしててね〉


 ルナは何かに悩む素振りを見せたが、もう川に来てしまった。立ち止まったテルスたちに魔物の波が迫る。

 ルナは背負っていたシュウを体の前に抱き直し、テルスに抱きついた。


 柔らかい……なんて感想は浮かばない。

 むしろ、痛かった。テルスの背に回されたルナの手は離れないようにとかなりの力が込められている。間に挟まっている弟分の穏やかな寝顔に敗北感を覚えるのは何故だろうか?


「……俺が川を見下ろせるように渡って」


〈分かった〉


 光の手とルナをつなぐ『腕』の部分が三人に蛇のように締め上げる。圧迫され、テルスとルナの間に挟まれているシュウが苦しそうに呻いているが、固定しなければすっぽぬけて川に落ちるかもしれない。

 必要なんだから仕方ない、とテルスは間近にある頬が少し赤くなったルナの顔から視線を逸らしつつ、川を睨んだ。


 静かな水の流れ。深さはかなりありそうだ。この川の水が森の外へと流れていき、やがては海に流れつくと考えると、なんだか不思議だ。


 ルナが対岸に【閃手】を伸ばし、がっしりと太い幹を掴む。すると、自分たちの頭上の魔力に反応したのか、いくつかの影が浮上し、テルスたちのいる岸に向かってくる。ゲンゴロウやタガメが元の型の魔物だろうか。体の半分以上が水に浸かっているため、よく分からない。


 川からは硬そうな黒い外殻に包まれた魔物が、背後からは高波の如き魔物の群れが迫る。内心焦り始めたテルスがルナに声をかけようと口を開くと、大きな赤文字が宙に刻まれる。


〈いくよ!〉


「了解。まずは囮!」


 爆弾を川に投げ入れ、ナイフをできるだけ遠くに届くように投げる。

 飛来するナイフに反応したのか、水面から次々と槍のような何かが突き出していく。その正体を見極める間もなく、爆風に水しぶきが舞い、テルスたちは川の上空を光の手に引っ張られ、飛んでいく。


 背後の魔物を置き去りに、前から襲いかかる魔物を飛び越えて、テルスたちは宙を舞う。

 そこまで川幅があるわけではない。


 たった数秒。

 しかし、その短い時間に反して、テルスたちに襲いかかる脅威は多すぎた。


――シールドペア。


 【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】で増強ブーストした【魔壁】を構えると同時に、眼下の川から黒い無数の槍が突き出された。


 ナイフと爆弾の囮ではほんの一部しか削れなかった。あまりの速度にそれが何なのかも分からないまま、テルスは今できる全力の防御手段で迎え撃つ。

 灰の燐光を帯びる魔力の防壁が、突き出された黒槍の群れと衝突した。


「ぐっ! うっ」


 噛み締める歯の間から、テルスの苦しげな声が漏れる。

 ガガガガガガッ、と大粒の雨が傘を叩くような音がテルスたちの鼓膜を震わす。ただ、その重量は雨どころじゃない、空から落ちてきた氷塊を受け止めているように重かった。


 テルスの両腕に鈍い痛みが走る。あまりの衝撃に防壁を支えている両腕は痺れて感覚が薄くなっている。だが、テルスは魔物の攻撃を凌ぎきった。


 防壁を削りながら逸れた黒槍。テルスは川の中に戻っていくそれらを目で追い、何が自分たちを喰らおうと・・・・・していたのかを知った。


 黒い槍に見えたもの。その正体は顎だった。そして、魔瘴方界(スクウェア)であろうと森の奥深くを流れる清浄な川。その澄んだ水の底に見えたのは、


 川底を埋め尽くす虫。

 虫虫虫虫虫虫虫虫……どこを見ても眼下の水底には虫がこびりついていた。


「ヤゴ型の魔物……」


 突き出されたのは槍ではなく、獲物を喰らうための顎。

 防いだ反動で不規則に空中を跳ね回り、定まらぬ視界の中、テルスは魔物たちと目が合った気がした。


「させる、か!」


 二度目の防壁展開。削られた防壁が復元すると同時に、真下からの衝撃にテルスたちの体が跳ね上がった。


「――ッ!」


 衝撃に呼吸が止まる。

 明滅する意識の中、枝を折る音、枯葉が潰れる音が聞こえてくる。それが自分の真下から鳴る音だとも気づかずにテルスの意識は落ちていく。


――馬鹿か!


「……つっ! ルナ!」


 舌を噛んで、強引に微睡む意識を覚醒させる。数秒の空白に焦り、周囲を見回せば、咳き込みながら立ち上がろうとするルナが見えた。

 しかし、安心する時間はない。


「まだ……追いかけてくる」


 木立の向こうから、水に重い何かが落ちるような音がいくつも聞こえてきた。

 ばしゃっ、ばしゃっ、とその不吉な水音は近づいくる。


 急がなければいけない。

 起こした体は自分の体だというのに錆びた機械のようだった。魔瘴方界(スクウェア)に入り、魔物と戦い続け、傷ついたテルスの体が悲鳴を上げ始めている。

 それを無視してテルスはルナとその近くに倒れるシュウへと駆け寄った。


「ルナ、透明化魔法はいける?」


 ルナは頷くと両の手を重ねて魔法を行使した。

 テルスたちの姿がその場から消えると同時に白煙が周囲を閉ざす。何度もテルスたちの命を救った煙玉の煙が、森へと広がり景色を白く塗りつぶしていく。


 しかし、もうそれでは魔物の歩みは止まらなかった。姿を隠しながら走るテルスたちの耳には変わらず、虫たちの羽音や這う音が聞こえてきていた。


 もう、隠れることはできない。


 王域はようやく捉えた侵入者を本来の形で迎え入れようとしていた。

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