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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
二章
29/196

切り札

 その速度は完全にテルスの予想を超えていた。


「うっ……げ」


 剛速球となってテルスは飛ぶ。頭からは死人のことも魔物のことも吹っ飛んだ。ただ、近くを通り過ぎていく木々に衝突しないかが恐ろしい。実際はルナがきちんと狙って投げているため、正面から衝突することはないが、肩先を掠っていく枝葉に呼吸が止まるような気分をテルスは味わう。


 いくら速いといってもそれは数秒のこと。減速し始め、余裕が生まれ始めたテルスは落下しながら、周囲を見回すが……魔物の姿はない。


 もっとも、擬態を見抜けている自信はない。しかし、煙玉の白煙や、奥へと続いていく糸の束から、魔物は少ないとテルスは考えていた。

 この王域の魔物は縄張り意識が強い。それならば、この先にいるはずの魔物のテリトリーに近づけば近づくほど、他の魔物は少なくなるはず。


 死人に繋がっていた糸は束ねられ、次第に太さを増しながら奥へと伸びていっている。もう目を凝らさずともはっきりと見える。

 一方、木を蹴って減速しながら、着地したテルスの外套や黒い上衣には、ちぎれた細かい糸が刺繍のように付着していた……周囲には死人と繋がった太い糸とは別に細かい糸も張り巡らされているらしい。


 この先にいるのは間違いなく糸を使う魔物だ。糸で死人を操り、張り巡らした糸で敵の位置を探ることができる魔物。


(元はなんだ? 蚕か?)


 元となった魔物が分かれば、倒しやすくなるかもしれない。テルスは魔物の正体を考えながら全力で走る。

 だが、何の邪魔もなく前に進めるはずもなかった。草木に覆われた大地から死人がむくりと起き上がり、テルスを囲むように追い始める。


「邪魔」


 死人を避け、すれ違いざまにテルスは糸を切る。まさに糸が切れた人形のように崩れ落ちる死人だったが、それを気にする余裕が今のテルスにはない。


 数秒も無駄にはできない。テルスの背後では死人や魔物の群れと、たった一人でルナが戦っている。それも、自分が守るべきであるシュウを預けて、だ。


 この先にいる魔物がなんであろうと倒さなくてはならない。いや、どんなにその魔物が強かろうと一瞬で無力化しなくてはならない。僅かな時間も後ろにいる二人を思えば無駄にはできなかった。


 混魔(キメラ)を含む大群に囲まれたとき。擬態していた虫沼に落ちたとき。大蜘蛛に急襲されたとき。死人が突如現れたとき。

 今ままで死ぬような出来事は山ほどあった。しかし、これほど胸が押し潰されそうな想いは始めてだった。


 だから、嫌でもあの時・・・を思い出してしまう。


(速く……速く……速く)


 死人を振り切り、道を塞ぐように現れる魔物を斬り飛ばす。胸を焦がす想いに足を速めながらテルスは走り――その視界が不意に陰った。


「――【魔壁】!」


 魔力を束ねた障壁で防いでなお、吹き飛ばされるほどの衝撃がテルスを襲った。

 地面を転がり、木に衝突したテルスの前に現れたのは、目の前で動いているというのに枯葉にしか見えない蟷螂カマキリ型魔物。


「つっ……」


 痺れる左腕に手を当てる。

 運悪く、転がっている途中で打ったようだ。だが、眼前の魔物は立ち上がることすら待ってはくれない。獲物を見据え、両の手を構えながら魔物はゆらゆらと動き始める。

 枯葉が風に吹かれ、ゆらゆらと舞うように。


(躱せるか?)


 獲物へと襲いかかる構えのカマキリに対して、テルスは木にもたれかかるような姿勢。そしてこの至近距離だ。目の前で揺れる死神の鎌から逃げれるかとテルスは自問する。


 答えは無理。

 だから、こちらから攻撃する。


 テルスとカマキリ。両者は同時に動いた。

 テルスの【魔弾】と枯葉を模したカマキリの鎌が交錯し、切り裂かれた弾丸が宙に散る。だが、一瞬。一秒にも満たない刹那を手に入れたテルスは鎌を掻い潜り、その場を離脱した。


 見えなかった。ゆらゆらと揺れていた葉の動きから一転、稲妻のような鋭さとなって迫る魔手。あれから何度も逃げられる自信はない。だが、もう手は打った。


「そのまま、そこで五秒待つといいことあるよ……多分」


 そう捨て台詞を残し、テルスは背後には目もくれず走りだす。当然、カマキリも追いかけようと動き出すが、その背後でポトリと何かが落ちる音がした。カマキリが音に気を取られ振り返ると、


 そこには丸く透明な石があった。ころころと転がり、自分の足元で静止する物体に魔物は首を傾げる。


「一……二……三!」


 ぱちんと指を鳴らす音と同時に、爆音がテルスの背後で響いた。

 魔石を利用した爆弾。この森にあっては魔物を引き寄せるからという理由で使わなかったそれが大気を震わす。その音は小さいながらもルナたちのもとにも届いただろう。そして、この周囲に潜む魔物にも。


「あの花みたいなのは蜘蛛? あとはナナフシ、キリギリスにそれと蛾か」


 あえて使った爆弾。その爆音に反応して魔物が飛び出す。その数は十には満たないが予想より遥かに多い。やはり、ここでは魔物の気配を完全に察知することは難しいようだ。


 背後ではギィと苦痛に震えるような声。続く羽音であのカマキリが追ってきていることが分かる。周囲の魔物も死人とともにテルスへ殺到する。


 しかし、テルスは全ての魔物を無視した。


 魔法を使って全力で走ればこの魔物たちではテルスに追いつけない。飛蝗は速かったが、見る限りではここの魔物は気にするほどの速さではない。

 少し不安な魔物は背後のカマキリだが、爆弾が効いたのかすぐに追いついてくる気配はなかった。


 爆弾の音により、擬態していた魔物をあぶり出したテルスは魔物の群れを縫うように避けながら、糸が続く森の奥へ進んでいく。


「はあ……間抜けにもほどがある」


 先の一撃でテルスの頭は冷えていた。さっきまでの自分はらしくない。


――こういうときは思いつめず馬鹿になったほうがいい。


 そう言った数時間前の自分はどこに行った、とテルスはまたも自分の頭を殴りたい衝動に襲われる。焦って視野が狭まった結果、不意を突かれて死亡しましたなんて、それこそシュウとルナに合わせる顔がない。


「すうー……はあー……痛い」


 とりあえず深呼吸。

 それと阿呆な自分の頭を殴って、テルスは気持ちを切り替える。

 

 焦燥も恐れも全て飲み込んで、全力を出す。思いつめず、馬鹿になっていつもの自分で挑む。それでどうにもならなかったら、あの世で二人に土下座する。


 そう心に決め、走るテルスの視界についに全ての糸が束ねられたそれ・・が現れる。


「何だあれ? 魔物……には見えないな」


 束ねられた糸の中心。そこにあったのは生物にはとても見えない塊だった。

 大木の枝からぶら下がる巨大な茶色の塊。塊の下部には死人に繋がっていた糸が束ねられ、その大きさはテルスの身長を超えている。


 近づくにつれ塊の様子がよく分かってくる。謎の塊はよく見れば枝や葉、それに骨のようなものが集まってできている。まるで、なにかの巣や殻のような……


 そこまで考えて、ようやくテルスはこの物体の正体が分かった気がした。


「蛹?……いや、蓑虫?」


 推測の域を出ないが、一度気づけばあの中に何かがいるようにしか思えない。

 見た目以上にただよう瘴気の不気味さはこの王域にあっても一線を画している。はっきりと分かる。


 あれは開けてはならぬ禁忌の箱だ。


「マテリアルは……《Ⅳ》? ルナは《Ⅲ》に蛹の魔物がいるって言ってたけどそれとは違うよなあ、あれ。いや、でも対処方は同じでいいか」


 それにしても、この森の中にあってここまで風景にとけ込めていないものを見るのも初めてだ。茶色の塊は周囲の鮮やかな緑の色にも、朽ちた枯葉の色にもあっていない。おまけに木の肌とも色合いが違うため、あの塊だけ景色から完全に浮いている。擬態にもマテリアルという序列があるなら、確実に最下位だ。


(さて、どこを斬ろう……)


 右手に刀を持ち、テルスは逡巡する。

 本体か?

 魔物らしき塊を支える太い糸か?

 それとも、死人に繋がってると思われる塊の下部から出ている糸か?


(いや、そもそもあの糸、斬れるものなのか?)


 テルスは状況に合わせて様々な道具を使うものの、一番信頼している武器はやはり刀だ。だが、あの魔物らしき塊か糸をすっぱり斬れるか、と問われるとその自信はない。


 戦い方も魔法の使い方もほぼ我流の中、剣術だけはシリュウに基本を教わり、年に数回程度とはいえ、実戦形式の稽古もつけてもらっている。


 しかし、リーフの町でテルスの剣の訓練に付き合ってくれるもの好きはいない。


 一人で刀を振る毎日。人の代わりに魔物に斬りかかり、滅多にない訓練ですら、シリュウは真面目に相手をしてくれない。それに子供の頃は、お金が貯まるまでは自分で作った木刀やら、拾った剣やら、ベアから無断で拝借した包丁やらでなんとかするしかなかった。ああ懐かしき苦労の日々。


(なんか……剣もたいしたものじゃない気がしてきたな……)


 今までの訓練を思い返すと、ただでさえ薄っぺらな自信が吹き飛びそうになる。努力はしてきたつもりだが、それが実を結んでいるのかと聞かれると……魔物しか比較する相手のいないテルスには頷きづらいものがある。


 とにかくテルスには、あんな不気味な魔力を帯びている糸も、それを垂れ流している魔物も斬れるイメージがまったく浮かばなかった。


――それなら。


 走りながら、テルスは標的を見据え刀を構える。

 シリュウの教え方は適当で、まともに相手をしてもらった記憶はない。いくら捻り出そうとしても、テルスには自分が授業料として渡した酒や食べ物を片手に、「実戦が一番だ。見て覚えろ」と転がされた記憶だけが脳裏に浮かぶ。


 それでも、シリュウは一つだけ技を教えてくれた。一番最初に刀を教えてくれ、と言った日に、一番の自分の奥義を、だ。


 それは、王に引導を渡した技・・・・・・・・・。結果としてシリュウが魔瘴方界(スクウェア)を解放し、テルスまでの道を切り拓いた技。


 テルスが使う技は同じものではない。そもそも、シリュウの属性の魔法が使えないテルスに、同じ技を使えというのは無理な話だ。

 それなのに、これだけはシリュウは何故か丁寧に教えてくれた。まるで、テルスにはこれが必要とばかりに真剣に、何度も何度も叱りながら。


「……構えはどうでもいい。一番振りやすい姿勢で、体は柔らかく、気は刀を中心に全身に張り巡らせろ。何をするかは考えるな。反射で振れ。無心で、相手の姿だけを意識に入れろ……」


 テルスはその教えを呟く。これは英雄から貰った、たった一つの技。シリュウは困ったように頭を掻きながら、だが、目だけは真剣にテルスを見ていたことを覚えている。


――『世の中、自分より強い奴は腐るほどいる。その全てに真っ向勝負で勝つなんて不可能だ。だが一瞬だけ、相手の気が緩み、隙ができたとき。そんなたった一秒にも満たない間だけなら勝てそうだとは思わないか?』


 知らない。十三程度の子供にそんなこと言っても分かるわけがない。まして、刀のイロハも分かっていない人間に教えるものではない。それも前提条件の魔法も使えないのに、何を伝えたかったのか。きっと、あの人は強くても教えることには向かない人だ。


 だらりと刀を下げ、テルスは標的へと加速する。

 それは影さえ置き去りにする疾走。魔物らしき塊の魔力が高まるのを感じるが、もう遅い。


 彼我の隔たりが瞬きの間に消え失せ、灰の燐光を帯びる魔刀が閃く。


――『だから、刹那に全てを込めろ。ちろちろと長ったらしく燃える炎より、短くとも強く輝く炎の方が格好良いだろ?……それが分かればお前は大丈夫さ』


「――ハバキリ」


 音もなく、影すら捉えさせずテルスは刀を振り終える。

 テルスにとっての切り札。伝家の宝刀。


 刀身に【魔刃】を。そして、【強化】、【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】により踏み込み、重心、腰、握力、刀の振り、それら『刀を一度振るう動作』に必要な全てを、纏う全魔力で刹那の間だけ補う必殺の一閃。

 その一撃はテルスが振るう刀に僅かな抵抗も感じさせず、


 魔物が支えにしていた大木を両断した。


 枝に魔物をぶら下げたまま、倒れていく大木を横目にテルスは刀を鞘に納める。

 蛹や蓑虫を思い起こさせる魔物らしき塊が地面に衝突すると、大木が押しつぶすように塊に向かって倒れてきた。運がいい。もしかしたら、倒せはしないまでも、行動不能にはできたかもしれない。


「……よし」


 振り向いて確かめれば、テルスの後方では何人もの死人が倒れている。どうやら糸を操る余裕はないようだ。これで、目的は果たした。あとは、早くルナと合流しなければならない。


 技の反動で【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】が切れ、重く感じる体に鞭を打ちテルスは走り始める。前方には、テルスを追っていた魔物が我先にと集まってきていた。


 残念ながら糸の大元を何とかしても動かなくなるのは死人だけ。分かってはいたが魔物には何の影響もない。だが、魔物の数は少ない。この程度ならまだ大丈夫、とテルスは胸を撫で下ろす。


 そして、そんな安堵を否定するように、テルスの背後で瘴気が溢れた。

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