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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
二章
22/196

黒の世界

 まるで、見えない線が引かれているようだった。


 王域に足を踏み入れ背後を見ると、先ほどまで自分たちを取り囲んでいた魔物の群れがすぐそこにいた。王域に入る寸前まで聞こえていた地響きのような足音が嘘のよう。手を伸ばせば届くような距離だというのに魔物たちは手を出さず、ただ、その視線に憎悪を込めて侵入者を睨んでいた。


 魔瘴方界(スクウェア)に続く境界と異なり、此方と彼方に劇的な違いはない。見て分かる変化など瘴気の胞子が浮かんでいるくらいのもの。それなのに、魔物たちは王域には決して足を踏み入れなかった。


〈あの木陰まで移動しましょう〉


 視界に入る文字。振り向けば浄化師の少女、ルナが手招きしていた。

 その首には白いスカーフが巻かれている。それを見て、寒がりなんだろうか、とどうでもいい疑問が浮かぶくらいにはテルスも落ち着きを取り戻していた。


 ゆっくりと見えない何かを刺激しないように歩いていく。そして、魔物の姿が見えない木陰に入ると二人は力が抜けたように座り込んだ。


「シュウ、シュウ」


 頬をぺちぺちと叩き、呼びかけるも背負うシュウは答えない。

 その場に寝かせてみて、テルスは改めてシュウを魔物の手から救い出せたことがギリギリであったと思い知る。


「怪我が酷い。でも、あまり瘴気の影響はない気が……もしかして、境界の辺りで見た白い光って君の魔法?」


〈はい。【魔弾】に【浄光ルクス】を乗せた緊急用の魔法です。間に合ったようで良かった……〉


 安堵したように息を吐くルナを見る限り、当たるかどうかは賭けだったようだ。落葉の森に入ってから運が悪いことばかりだったが、この少女が来てくれたことは本当に幸運だった。


「そっか。助かったよ……手当をしたいんだけど、回復の魔法は使える?」


〈使えます。でも、応急処置程度にしかなりません〉


 シュウの体には無数の細かい傷がついていた。中でも酷いのは、ブレニーナに掴まれていた部分の傷だ。肉が深く抉れ、少なくない血が流れている。掴まれている間に、シュウが受けた拷問の如き苦痛は計り知れない。


 こんな状態で王域に少しでも入っていたらどうなっていたか。おそらく、ルナの【浄光(ルクス)】とやらも数分と持たず息絶えていたはずだ。本当に間に合って良かった。


 ルナは白い光を当て、深い怪我を優先して治療していく。

 数分後、なんとかシュウの傷は塞がったが、ルナは不安そうな面持ちのまま宙に文字を浮かべた。


〈あとは、包帯で患部を固定してください。これはあくまで怪我の表面が塞がっただけで、安静にしていないとまた傷が開いてしまうと思います〉


「分かった」


 テルスはすぐにポーチから救急道具を取り出すと、患部にガーゼを当て、包帯を巻き始めた。シュウの呼吸は荒く、額には玉のような大粒の汗が浮かんでいる。

 ルナは額に手を当てると心配そうな眼差しでシュウを見つめた。


〈熱もあるようです。あまり悠長にはしてられませんね〉


「なら、行動は早い方がいいか。えーと、その前に……ありがとう。君のおかげでなんとか助かってる」


 照れくさそうな、頬を掻きながらのお礼にルナは笑顔で応えた。

 白い花が咲いたような邪気のない澄んだ笑顔。それを見て、テルスはようやく、この寒くもないのにスカーフを巻いた少女の顔が整っていることに気づいた。


〈いえ、こちらこそありがとうございます。こんな状況、私一人だったら不安で死んでいます〉


「俺も心臓が今でもばくばくいってるよ」


 魔物の軍勢に追いかけられたときは、生きた心地がしなかった。未だに五月蝿く胸を叩く音にテルスは深呼吸をする。ふと、前を見れば同じようにルナも胸を押さえて深呼吸をしていた。


「んじゃ、もうひと踏ん張り頑張りますか」


〈そうですね〉


「……運命共同体だし、文字は気楽でいいよ。字数とか多いと面倒くさそうだし」


〈……うん、分かった。思うだけで書いてくれるから、そんなに手間はないけど、そう言ってくれるなら普通に書くよ〉


 宙に書かれる文字が随分と柔らかくなる。それにしても、これはどういう仕組みなのだろうか。テルスはじっとルナの人差し指にはまっている指輪を見る。


(あの指輪がこの機能が付いている魔具っぽいなあ。で、あの黒い玉がインクの代わり。距離はある程度離れていても空中に書ける模様。同時に二箇所には書けるのだろうか? あと、どこで売ってるんだろう?…………おっと)


 いかん、いかんと頭を振り、余計な思考をテルスは払い飛ばす。

 気になった物はついつい買ってしまうテルスにとって、ルナが持つ魔法の道具は興味を惹くには十分な物だ。

 しかし、ここは仮にも魔瘴方界(スクウェア)の王域。今はそんな時間はないとテルスは邪念を払い気を引き締めた。


「えーと、とりあえず聞くけど助けはくると思う?」


〈私たちが生きている間は確実にないかな。この辺りに動ける浄化師はいないはずだから〉


「だよなあ。俺たちでなんとか生きて帰らないとか……というか、ここって王域だし、ゆっくりと作戦会議してる時間もないよなあ」


〈そうだね。入口でも見回りの魔物がくるから。あまり時間はないと思った方がいいよ〉


「まじか……じゃあ確認しておきたいのは出現する魔物と……」


〈お互いの魔法〉


「装備」


〈装備といえば、あなたを追いかけるときに荷物を渡されたんだった〉


 そう書くと、ルナは背負っているバックパックを地面に下ろした。

 渡されたバックパックの中身を確認するルナを尻目に、道理で服は白尽くしなのにバックパックだけは茶色なわけだ、とテルスはずれた納得をしていた。

 しばらくすると、ルナは笑みを浮かべ、テルスに手を差し出す。その手にはいくらかの食料があった。


〈すごい。食料に水、ポーション、魔力回復用の魔石、他にも外套とか色んな道具が入ってる〉


「どれどれ」


 バックパックを見てみると、こんな崖っぷちの状況では喉から手が出るほど欲しいものがぎっしりと入っていた。そして、中にあった自分が使っているものと同じ煙玉を見て、テルスは誰がこれをルナに渡したか察する。


「そっか……できる限りはしておいたってこういうことか」


 テルスが使う煙玉は市販では売っていない。これは知り合いに作ってもらっている特製の道具だ。もし、ここから生きて帰ることができたなら、製作者である黒猫さんに大量のお菓子を要求されるに違いない。


「時間もないから、腹ごしらえしながら作戦会議しよう。食えるときに食っといた方がいいし、お腹減った。あっ、水とタオルもある?」


〈あるよ〉


 テルスの問いかけにそう答えると、ルナはバックパックから水筒と白いタオルを取り出す。考えていることも同じであったらしく、テルスが何も言わずともルナはタオルを濡らし、それをシュウの額にのせた。


 ルナにお礼を言いシュウの様子を見ると、タオルの冷たい感触に表情も心なしか和らいでいた。それを目にして、テルスの胸の中で燻っていた焦りも幾らか収まっていく。


〈この子は少しでも休ませないと。ここからは先は多分、休めるような場所はないから〉


「君はここの情報をどれくらい知ってる?」


〈出現する魔物とその特徴。おおまかな地形くらいなら知ってる。ここには過去に何度か調査が入っているから、分かっている情報も多いよ〉


 バックパックに入っていたパンをテルスに渡すと、ルナはパンを頬張りながら、宙に文字を書いていく。が、〈あなたは〉とまで書くと、指をあごにかけ何かに悩み始める。

 しばらく考え込むと、ルナは浮かんでいた文字を手を振って消し、そっと指輪に触れた。


 何だろう、とテルスはその様子をパンをかじりながら見ていたが、再び宙に書かれ始めた文字を見て、目を見開いた。


〈あなたは、王域についてどれくらい知っているの?〉


 その内容よりも、テルスは文字に目が釘付けだった。

 正確にはその文字の色、先ほどまでは黒色だった文字の色が、赤色に変わっていることについて聞きたくて、テルスはうずうずしていた。


「お、王域についてはほとんど知らない……せ、せいぜい、ここの王域には擬態する虫型魔物がうようよいるくらいの知識しかない」


 ああしかし、今はそんなことを聞いている時間はない、とテルスはなんとか邪念を堪える。

 男はこういう謎なギミックがついている道具が大好きなのだ。テルスもそんな男の一人。道具屋を営むドワーフの老人によくカモられている。購買意欲を煽る宣伝文句と共に、変わった魔具を見せられてはついつい買ってしまうのだ。


 一方で、テルスのそんな思いに気づけないルナは、自分がもつ情報を分かりやすく伝えられるよう考えている様子だった。

 数秒後、上手く頭の中で整理できたのか、ルナは赤い文字を宙に書いていく。

 この黄昏時のような仄暗い空間で、赤い文字は真っ赤な炎の如く鮮明に浮かんでいた。


〈じゃあ、王域についても書いていくね〉


――『王域』とは、魔瘴方界(スクウェア)の中心に位置する瘴気が最も濃い領域。そして、王域の中央には『王』と呼ばれる魔物が存在している。


〈王、つまりはマテリアル《Ⅴ》の魔物だね。私たちが助かるにはこの魔物と戦うしかない〉


「マテリアル《Ⅴ》とか、駒者(ピーセス)からすれば冗談でも戦いたくない類の相手なんだけどなあ……」


 マテリアルとは強さや危険度から定められた魔物の序列。マテリアルが上の魔物ほど、内包する魔力も膨大だ。当然、王などと言われる魔物を二人だけで倒すことは不可能に近い。


〈誰だって相手にしたくないよ。判明しているほとんどの王は魔力がある限り再生するし。でも、その王を倒して、王が守っているはずの瘴核を浄化することができれば魔瘴方界(スクウェア)を解放できる〉


「最初からその瘴核とやらを狙うのは?」


〈できると思うけど、難しいかな。王は死にもの狂いで襲ってくるそうだよ。狂戦士のように降りかかる魔法をものともせず、前線の騎士をなぎ倒しながら、一直線に瘴核を攻撃した人をそれはもう執拗に狙うんだって〉


「……想像したくない光景だなあ」


〈そうだねえ。あと全てが奇跡的に上手くいって魔瘴方界(スクウェア)を解放できても、魔物が消えるわけじゃないよ〉


「あ、それは聞いたことがある。たしか、魔瘴方界(スクウェア)をなくし行き場を失った魔物は他の魔瘴方界(スクウェア)に移ろうとするんだっけ?」


〈うん。魔瘴方界(スクウェア)を解放してもすぐに瘴気が消えるわけじゃない。魔物はだんだん薄くなっていく瘴気が消える前に、他の魔瘴方界(スクウェア)に移動しようとするの〉


「つまり、ここを解放しても魔物に囲まれていることは変わらない、ということか。でも……」


〈解放さえすれば、瘴気が一気に薄くなって魔物が沈静化するはず。ちょうど……高山病みたいな感じなのかな? いきなり酸素が薄くなって頭がクラクラして痛くなるような……とにかく、魔物にとって瘴気は酸素とか食べ物みたいに必要不可欠なものだから、なくなると具合が悪くなる。そうなれば、私の透明化魔法で上手く切り抜けられる可能性は高いよ〉


 自分が軽く耳にしたことがある情報が、随分と可愛い例えで説明された。

 思わずテルスの顔に笑みが浮かんだ。 魔瘴方界(スクウェア)を解放さえしてしまえば、外の包囲網も緩む。そうなれば、透明になってその隙間を抜ければいい。一番の問題は魔瘴方界(スクウェア)の中心に行ったところで、王を倒せるかだが……


「ところでさ、『魔瘴方界(スクウェア)』って今まで何回解放できたんだっけ?」


〈……二回だよ〉


 その文字に思わずテルスは空を仰いだ。


 それはあまりに儚い希望だった。

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