表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
二章
20/196

浄化師

 真っ先に浮かんだのは何故ここに浄化師が、という疑問だった。


 この町に来ていたから。魔物が町の中を飛んでいたから。

 それらしい答えは浮かぶものの、こんな東の辺境の小さなギルドに浄化師の姿があることが、ベアには信じられなかった。

 救いの祈りを捧げる相手が現れることが、こうも現実だと思えないとは。祈りは届かない、と無意識に感じているとでもいうのだろうか。


〈申し訳ありませんが、外でお話は聞かせてもらいました〉


 言葉を発する代わりに、黒い光球が滑るように動いて宙に文字を描いていく。白装束に身を包む浄化師はフードにすっぽりと顔を隠し、僅かに覗くのは口元のみ。だが、その行為でこの浄化師が誰か分かったのか、どよめきはさらに大きくなり、広がっていく。


「『閃手』……だと……!」

 

 それは、とある事件で聖女・・とまで謳われるようになった浄化師。『閃手』とは、その浄化師の二つ名の一つだった。


〈私からもお願いします。私と一緒に子供を連れ去った魔物を追いかけてくれる方はいませんか?〉


「浄化師様……!」


 言葉に詰まるベア。ようやくシュウが助かる希望が見えてきた。しかし、浄化師の言葉に立ちあがる者は依然としていなかった。


 当然といえば、当然の結果だった。


 浄化師の存在は魔瘴方界(スクウェア)に入るために必要な条件だが、今、この場にいる人間は浄化師を守る騎士でも精鋭部隊でもない。マテリアル《Ⅲ》を持つ者すら少ない、地方の駒者ピーセスだ。


 魔瘴方界(スクウェア)に入って魔物と戦う覚悟がある者などいなかった。


 この場にいる駒者ピーセスの誰もが口を閉ざし、俯く。その姿を見た浄化師も答えを察したのだろう。宙に文字を記すことなく、沈黙を守ったまま、ギルドを後にしようとする。


 しかし、それを止める声がギルドの奥から上がった。


「待ってください!」


 ギルドの奥から現れたのは、先ほど席を外したギルドの職員――タマ・フェリスだった。











 タマはその猫耳をピンと立て、テルスに連絡しようと楕円形の透き通った石――『話石(フォン)』を握って立っていた。

 老婆の話を聞くや否や、話石(フォン)を取りに行き、連絡を入れているというのに、マイペースなその相手はいつまで待っても呼びかけに答えない。浄化師が去ろうとしているのに、今も無機質な呼び出し音が鳴り続いている。


「今、動いてくれそうな人に連絡しています。もう少し、どうか、もう少しだけ待ってくだ――」


『――もしもし、タマさん?』


 ようやく繋がった話石(フォン)から若い男の声が響いた。音声を周囲にも聞こえるようにしているため、声はギルドにいる全ての人に聞こえているだろう。タマがちらりと一瞥すると、老婆は聞き覚えのある声に驚いているようだった。


「やっと繋がった。テルス、大変。孤児院の子が――」


『その話なら知ってる。今、追いかけてるとこ』


「……え?」


 遠方の人物と会話する話石(フォン)から聞こえる声は、とんでもないことを言ってのけた。


「はあ!?」


「今、なんて言った?」


「追いかけているって、聞こえたけど……冗談だろ?」


 その声にざわめき始める駒者(ピーセス)たち。先ほどまでの気まずい静寂が嘘のようだ。駒者(ピーセス)の声で満ちていくギルドの中で、タマは一人、動き始める。


「どいて!」


 テーブルに座るだけの駒者(ピーセス)を有無も言わせずどかし、地図を広げる。

 浄化師も状況を理解したのか、すぐにテーブルへと近づき地図を眺める。町の北に位置する落葉の森、近くを流れる川、数キロメートル先にある海、それらの地理を頭に入れているようだった。


「テルス?……誰だそいつ。知ってるか?」


「あいつだ、あいつ。『死神憑き』だ。ほら、たまにギルドに顔出す奴がいるだろ。いくらなんでも無謀すぎだろ……」


「あいつって、確かマテリアルもなかったよな。自分の実力分かってるのか?」


 若い駒者(ピーセス)たちが口々にテルスの行動を無謀と非難する。

 大抵の駒者(ピーセス)は『死神憑き』を雑魚しか狙わず、組む者もいない弱者と思っている。そんな人間が自分たちができなかったことをしていることが腹立たしくもあるのだろう。


 しかし、何人かの駒者(ピーセス)は微かに苦笑いを浮かべていた。


 『紫電』、『双刃』、『名無し』、そして――『死神憑き』。

  

 今、魔物を追いかけているのは、マテリアルが剥奪されゼロであろうと、不幸を呼ぶと忌み嫌われていようと、いつもソロであろうと、リーフ最強の一人であると理解しているからだ。


 だが、それを知っているのはほんの一部。あの事件の顛末を知っている者だけ。

 そのうちの一人であるタマは周囲の雑音を気にもかけず、ただ話石(フォン)から聞こえてくる声に耳を澄ませる。


「今は……まだ森には入ってない」


 話石(フォン)から聞こえてくるのは馬の足音。テルスはどこで借りたのかは分からないが、馬に乗って移動しているらしい。

 まだ、落ち葉を踏む音は聞こえない。魔瘴方界(スクウェア)がある落葉の森には入っていないようだ。しかし、時間はそう残っていない。

 話石フォンでの通話は魔力が大気中の魔素を介し届く間だけだ。町の外、落葉の森まで離れてしまえば、こうして話すことはできなくなるだろう。


「そっちから魔物の姿は確認できる?」


『いや、見つけてない。門から一直線に森に向かってるんだけど……駄目だ。それらしい姿は確認できない。木が邪魔すぎる』


「ちょっと待って……魔物の情報を持ってきて!」


 鋭く飛ぶタマの声に反応し、ギルドの職員が次々と資料を持ってくる。それに目を通しながら、タマはテルスに指示を飛ばしていく。


「魔物は正式名称、魔瘴種蛾型生物ブレニーナ。マテリアルは《Ⅲ》。姿は分かる? 遠征したとき一度戦ったよね?」


『覚えてるよ。あの枯葉みたいな翅がついてる蛾だろ? ということは、上空を飛んでいる訳じゃないか』


「そう。せいぜい十メートルくらいの高さ……ノン。その魔物、検体用に捕らえた魔物みたい。どうも、それをパフォーマンスのためにお偉いさんが強引に持って行ったとか。魔瘴方界(スクウェア)を出てから一日……今の風向きは?」


 それに答えたのは、ベアの近くに立っていた駒者(ピーセス)だった。


「多分、東風だ。さっき潮の匂いがしていたから間違いないと思う」


 タマは青年の言葉に頷き、地図をチェックしていく。


「テルス、魔物は弱っているはず。目指しているのは魔瘴方界(スクウェア)で間違いない。高度は低め。風に流されている可能性が高い。森の中を飛んでいるなら、想定よりも近くにいるかも。追い抜かないように注意。それと、メーヘン山脈を目印にして移動して」


『了解。ずれてみる。ちょっと左行って……お、そうそう、いいこいいこ』


 馬の嘶きと大地を蹴る音が、息を飲んで事態を見守るギルドの中に響いていた。


〈私も行きます。馬は借りますね〉


 浄化師はそう宙に書くと、止める間もなく外へ出て行く。タマもギルドの奥からバックパックを掴んでその後を追い……しばらくするとテーブルへと戻ってくる。


 ギルドに響くのは馬が駆ける音。誰もが話石(フォン)から届く報告を息を潜めて待っていた。そんな緊迫した空気の中、時計の針だけが無機質に時を刻んでいく。

 そして……


『見つけた』


「位置は?」


『落葉の森に入ったとこ。木の間を飛んでる』


 落葉の森・・・・。つまり、もう魔瘴方界(スクウェア)は目と鼻の先だ。その情報に落胆する駒者(ピーセス)たちやギルドの職員。だが、タマはそれには目もくれず、通話を続けた。


「行くの?」


『行くよ。約束した』


 その声には欠片ほどの躊躇いもなかった。

 無茶だ、と一人の駒者(ピーセス)が呟いた。その通りだ。でも、それはここにいる誰よりもテルスが分かっていることだと、タマは知っている。


 この話石フォンの先にいる少年は魔瘴方界スクウェアで拾われたのだから。


 その恐ろしさを一番理解していて、それでも、譲れないもののために再び魔物の領域に近づこうとしている。


 なにより、その少年の信条(ルール)は『約束を守り抜く』。

 だから、自分が頼んだってきっと止まってはくれない。


『……タマ?』


 ノイズが混じっていく音。もう通話も長く続かない。続いてくれない。


「気をつけて。できる限りはしておいた」


『うん?』


「あと、お菓子まだもらってない」


『……それ今、言うことかなあ』


「テルス」


『なに?』


「私はもう仲間を失くしたくないよ」


『……いや、戻ってくるよ?』


「……ふふ、知ってる。またね」


――約束するとは言わないんだ。


 思わず出そうになる声を飲み込む。

 本当は力になりたい。でも、今の自分では足手まといでしかないとタマは分かっていた。それでも、胸の内に広がる苦い想いはどんな言い訳でも止められない。

 タマはおそらくこの場では唯一、自分と同じ不安を抱える老婆へ話石(フォン)を手渡す。老婆は受け取った話石(フォン)を手に唇を震わしながら、絞り出すように声を出した。


「……テルス」


『あれ、ベア……そこ……いるの?』


「いるよ。まったくお前は……生きて二人で戻ってくるんだ。今日の夕飯は野菜たっぷりのスープだからね」


『……れは、うれ……ない…‥』


 プツリと切れる通話。

 心配そうな面持ちの老婆にタマは笑顔で語りかける。


「テルスならきっと大丈夫です。強いですから。だから、子供たちのところにいてあげてください」


「そうだね……あの子は昔からそうだからね」


 老婆の不安はタマ以上だろう。我が子が二人も魔瘴方界(スクウェア)の近くにいるのだ。

 それでも……老婆は柔らかくほほ笑んでいた。


 タマはその表情に目を見張る。そこに自分にはない強さを見た気がして。


「そう、きっと大丈夫さ……もうずっと前に、あの子なら大丈夫って、見守ることにしているんだから」


 その強さはきっと、信頼という強さだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 事態が急展開を迎えるときの描写に勢いがあり好きです。 [一言] テルスが街のピーセスに快く思われていない現状が報われてほしいです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ