魔物退治
やっと、この時が来た。
テルスは薄暗い茂みの中で、笑みを浮かべる。
今にも鼻歌が聞こえてきそうな天真爛漫な笑顔。普通の子供は魔物を発見してこんな顔にはならないだろう。
あの決意から、はや半年。
テルスはすっかり慣れ始めた森に来ていた。
勿論こっそりと。
テルスは蔓などの植物が覆う防壁を這い上って、衛兵さんに見つからないようにリーフを抜け出したのだ。
こうして町の外へ出ることは非常に困難な道のりだった。
度重なる挑戦と失敗と拳骨の果てに、テルスはようやく町を脱出する方法を見つけることができた。おそらく、衛兵さんは最近見ないテルスの姿にようやく諦めたとほっとしているだろう。
(楽しかったけど……衛兵さん、最後に勝ったのはおれだったよ)
勝利の笑みを浮かべるテルスの脳裏に浮かぶのは衛兵さんとの鬼ごっこ。
この半年間、テルスの遊び相手は衛兵さんといっても過言ではない。まったくもって、迷惑極まりない話である。
いかにリーフの衛兵さんが優秀でも、抜け出してしまえばこっちのもの。
木に隠れながら進んでいき数分もすれば、そこは魔物がいる森。
何度も足を運び、魔物がよく通る場所も見つけている。
しかし、テルスは十歳の少年。
いくら弱い魔物だとしても、普通に考えれば戦うなんて不可能だ。
おまけにテルスは武器すら持っていない。魔物退治に行く駒者たちだって、必ず一つは武器を装備しているというのに。
ろくな武器も持たずに魔物に挑む。
それが無謀だということは分かってる。それでも、テルスは諦められなかった。
普通の子供だったら、お金をコツコツ貯めて武器を手に入れようとしたかもしれない。
だが、テルスは違った。武器代わりの物を作り始めたのだ。
「ふう……えーと、リベンジの準備はオッケー。あとは、あの魔物次第なんだけど……」
テルスの視線の先でのっそり、のっそりと動くのは黒くて大きな芋虫。
マテリアル《Ⅰ》の芋虫型魔物キャタピラーだ。
魔物の強さと危険度を表すマテリアルが最低値であり、動きも遅く、条件さえ整えばテルスでもなんとかなるかもしれない魔物。
でも、挑戦は三度目だ。
前二回は危ないところで逃げ出した。
つまり、もう少しで死ぬかもしれなかったということなのだが、テルスは何故か魔物に対して恐怖を抱かなかった。
魔物は見ただけで怖くなる、という聞いていた話と違う。図太いのだろうか、とテルス自身も不思議に思っていた。
「うん、おっそい」
キャタピラーはのろのろとテルスの五メートルほど先を横切っていく。
欠伸が出てくるほど遅いが方向は運よく合ってるし、このままいけば……
「もう少し……まっすぐ……あと、ちょっと…………よしっ!」
キャタピラーの姿が不意に消える。
茂みの中で寝そべっていたテルスが起き上がり駆け寄ると、キャタピラーは落とし穴の中でひっくり返っていた。
ようやく努力が報われた。
武器がないならあるもので罠を作る。
それを思いついてから毎日一人で黙々、コツコツ、穴を掘っていたのは無駄ではなかったのだ。
「うわー……」
自分より大きな芋虫がひっくり返った姿は引いてしまうほど不気味だった。
大人の握りこぶしくらいある丸い足がうねうねと動いている。
黒っぽい体の裏側は真っ白でその白い肉もうねうねとしているのは、間違いなく直視したくない光景だ。
気持ち悪い。思わずテルスは視線を逸らす。
「……でも、やらないとお金にならないか」
この魔物を倒せなければ、駒者など夢のまた夢だ。
当然、お金も手に入らないし、美味しい料理はもっと手に入らない。
それにキャタピラーは植物を根こそぎ食べつくすような魔物。その被害を考えると放ってはおけない。
テルスは覚悟を決めると、落とし穴のすぐ隣にある木によじ登る。
「よいしょっ!」
そして、幹の部分に括り付けていたロープを孤児院から拝借してきた包丁で切断した。もちろん、後でこっそり返却する。
ドグシャ! という何かが潰れる、えげつない音が静かな森に響いた。
木から降りて穴の中を見ると、見るも無残な姿でキャタピラーが潰れていた。
テルスが仕掛けていたのは落とし穴と、その真上から石を落とす罠。
おまけに、石には槍のように尖った太い枝を括り付け、重さで体を貫けるように改造もしている。まるで巨大な釘だ。
「倒せた……?」
こうすればいけるのではないか、と浮かんできた考えに従い、作り上げた罠。
頭に浮かぶ、ふわっとした完成図に近づけようと何度も試行錯誤を繰り返した日々。しかし、うまくいったことは一度もない。
緊張しながら様子を見ていると、キャタピラーが黒い靄になっていく。
このままでは、倒した意味がなくなってしまう。
テルスは慌てて、首にぶら下げた『魔石』と呼ばれる水晶によく似た透明な石を取り出した。
「えーと、【チェック】!」
その言葉とともに、魔石が黒い靄――瘴気を吸い込んでいく。
これが駒者と呼ばれる者たちの仕事。外の世界を探索し、魔物を退治し、瘴気を魔石に封じこめ、ギルドに売る。そうやってお金を稼ぐのだ。
瘴気を回収するこの魔石はこっそり入ったギルドで手に入れたもの。
魔石の使い方は他の駒者を木の上から観察して覚えた。
だから、魔石が瘴気を吸いこんでいくこの光景を見るのは初めてではない。それでも、テルスはきらきらと目を輝かせていた。
「よし! いっぱい肉が買えたら、ベア婆にも持ってかないと」
一頻りその場で飛び跳ねると、テルスは走ってリーフへ戻っていく。
目指すはギルド。
手に持った魔石を渡せば、討伐報酬がもらえる。
中の瘴気だって、綺麗になれば魔力として色んなところで使われる。今日の頑張りで孤児院の灯りが少し明るくなるかもしれないのだ。
いいことをしたなあ、とテルスは無邪気にそう考えていた。
しかし、ギルドに着いて待っていたのは、怖いおじさんからのお叱りだった。
「だからな坊主、お前これをどこで手に入れたんだ? 正直に言ったら、怒らないでやるから、しょーじきに言え、ほら!」
「えっ、だから、拾ったんだって。えーと、三か月くらい前だったかな。それで今、キャタピラーを倒して、瘴気を集めてきたんだ。これ、どれくらいのお金になるの、おじさん?」
「俺はおじさんっていうような歳でもないんだがな。いや、三十を超えたら、もうおじさんなのか……って違う、そこじゃない! 色々とおかしいだろうが!」
スキンヘッドの三十歳を超えてしまったらしい男が叫ぶ。
テルスがギルドに入ってからというもの、ずっとこのおじさんに捕まっている。
そろそろ飽きたから、あの受付の女の人のところに行ってお金を貰いたい、というのがテルスがしょーじきに言いたいことだ。
「三十を超えたら、おじさんなのが?」
「そこじゃねえよ! その魔石を拾ったってのは百歩譲って良しとしよう。でも、お前がなんでリーフの外の森に行けるんだよっ! 子供は門を通れないだろ! たとえ、運よく通れたとしても、魔物を倒してきたって、お前いくつだよ! ゴブリンとか色々と子供じゃ手に負えないのがいるだろうが! キャタピラーだって糸吐くわ、皮膚がぐにょぐにょしてるわ、体液が毒で駆け出しが甘く見て痛い目を見る魔物なんだぞ! お前、そこらへん分かってるのか!」
「分かんない」
「分かんないか……あー、ようはお前どっかから盗んできたんだろ。なっ、今なら怒んないから正直におじ、お兄さんに言いなさい」
腕を組んで、テルスを見下ろすおじさん。
だが、テルスとしては本当の事しか言っていないのに何で信じてもらえないかが分からない。
テルスはおじさんと同じように腕を組むと、頭を傾げ悩み始める。
どうしたら、信じてくれるんだろう、と。
聞き覚えのある声がギルドに響いたのは、そのときだった。
「んんっ? どっかで見たことあると思ったら、あのときのかわいこちゃん!」
背後から、テルスは誰かに抱きすくめられる。
花みたいないい香りと柔らかい感触に振り返ると、いつかのエルフの少女がそこにいた。
「あ、エルフのお姉さん。言われたとおり魔物を倒してきたんだけど、これであの肉買える?」
「……………………はい?」
テルスの発言にギルド中の視線がエルフの少女に突き刺さる。
思い当たる節が残念ながらあるエルフの少女は笑顔のまま固まっていた。
「そっかー。それで、魔物を退治しに行っちゃたのかー」
ギルドの隅でエルフの少女はテルスから話を聞いていた。
にこやかに話すテルスとは違い、少女は冷や汗をかいている。
無自覚にやらかしているテルスだけが原因ではないだろう。間違いなく、遠くから突き刺さるギルドの面々の無言の圧力も原因だ。
「うーん、薦めた私が言うのもなんだけど、駒者ってどんなものか分かる?」
「外を探索する人。魔物を退治したり、外で変わったことがないか調査したり、珍しいものを取ってくることが仕事」
「概ね……合ってるかな。それにしても、君何歳?」
「十歳?」
「十歳ねえ。なんか、エルフと話してるみたい……うーん、あのね、まだよく分かってないと思うけど魔物は怖いし、危ないんだよ」
「うん、追いかけられたときはドキドキした」
「ダメだ! この子、たくましすぎる!」
魔物に追いかけられた、と輝くような笑顔で話すテルスを見て、エルフの少女がテーブルに突っ伏した。
でも、常識が分からない子供はそんなことより、今のお金が気になっている。
「それで、これはいくらになるの? 一〇〇〇チップくらいにはなる?」
セネトの通貨は『チップ』。
孤児院換算だと一〇〇〇チップあればなんとか三日間は食べていける。ベア曰く切り詰めまくれば食費は一ヶ月で一〇〇〇〇チップでいけるそうだ。
裕福なものはチップを持ちきれなくなり、銀行に預けたり、カードを発券したりしているが孤児院に住むテルスにとっては雲の上の話である。
「うーん、これだと……三〇〇チップくらいかな」
「三〇〇チップかあ」
残念がればいいのか、喜べばいいのか微妙なところだ。
一〇〇チップあればなんとか一食になると考えれば、今日だけで一日分の食費をテルスは稼いだことになる。
だが、これはあくまで食費だけ。
マテリアル《Ⅰ》の魔物一体で一日分の食費。飢えないですむ最低限のお金。
高いのか、安いのかテルスには分からなかった。
「三〇〇チップあれば、この前の肉を買える?」
もっともテルスが一番気にしているのは、ピグーの串焼きを食べられるかどうかだが。
「買えるよ。あれ、ちょうど三〇〇チップだから。一緒に行こうか?」
「やった!」
喜ぶテルスはエルフの少女に手を引かれ、ギルドを出る。
エルフの少女はやけにそそくさとしていたが、テルスはそんなことは欠片も気にならなかった。
初めて稼いだお金がその手には握られている。
魔石の換金はテルスの代わりにエルフの少女がやってくれた。片手に丸い硬貨を大事に握りしめ、テルスは笑みを浮かべる。
もうすぐ、あの肉が食べられる。
そう思っていたのに、エルフの少女に連れてこられたのは焼肉の屋台がある西の通りではなく、精霊樹が生える広場だった。
「ここって、あの屋台の場所じゃないよね?」
「屋台はすこーし待ってね。その前に……いたいた」
エルフの少女は広場を見回すと、テルスの手を引いて歩いていく。
着いたのは、ひときわ人々が集まる場所。
そこは……大道芸をしている人たちのところだった。
ちょうど芸が終わったところなのか、歓声や拍手と共にいくらかのお金が宙を舞っている。
しかし、それも少しの間だけ。
観客の姿はすぐに消え、ピエロたちは芸に使う小道具を片付け始める。
「おーい、ファルさん!」
忙しそうなピエロたちへと陽気に声をかけるエルフの少女。
真っ先に反応したのは重そうな道具を抱えた若い男だった。
「てめ、どこ行ってたんだよ! お前のせいで、俺の休日が消えたじゃねえか!」
「はいはい、ハンスがこの前サボったから、そのお返し。ファルさんの許可もあるけど、聞いてみる?」
「うっ……」
ハンスと呼ばれた明るい茶髪の男は文句を言いながらも片付けを再開する。
エルフの少女はその文句を聞き流しながら、丸いピエロと話し始めていた。
置き去りにされたテルスは改めてピエロたちを見て、知っている人たちだと気づく。
名前は確か、《トリック大道芸団》。
リーフの広場で大道芸は珍しくはない。
魔法を使った派手な芸も広場のあちこちで行われているくらいだ。
だがこの人たち、《トリック大道芸団》はその中でも特にテルスの印象に残っている。
ピエロの人たち、というよりは今、エルフの少女と話しているピエロが一目見ると忘れられない見た目だからだ。
そのピエロを見ると、丸いという言葉が思い浮かぶ。
服に詰め物でもしているのか極端なほど手足が短く、胴体は見事な球形だ。
その球形の上にさらに丸い顔が乗っかっているのだから、大抵の人はまず自分の目を疑うだろう。
正直、芸に使う赤と白のストライプ柄の大きなボールにピエロメイクをした頭大ボールが乗っているようにしか見えない。
広場で芸をする人は数多くとも、テルスの記憶に『ピエロ』として残るのはこの人だけだ。
これほど見事にピエロの格好をしている人をテルスは見たことがない。
それに、テルスには見覚えのない獣人の子供たちもピエロの格好をしている。
先ほどの男の人だって似合ってないが、頭に三角帽を被っている。
芸の方は魔法を使っている派手な方がすごいけど、格好だけならこちらのピエロたちが一番だ。
「ねっ、いいでしょファルさん? お願い! 一日だけでいいからさ」
「そうは言ってもねえ。明日には出発する予定なんですけど……」
ファルさん、と呼ばれたピエロは服装もそうだが、話し方や身振り手振りも絵に描いたようなピエロだ。観客もいないのに、おどけた仕草で何かを考えている。
「……ま、そういうことなら仕方ないですね。ハンス君も休みたい、休みたいって夕日に叫んでいたし、明日は一日休みにしましょっか。よーし、ゴロゴロしちゃうぞお」
「「「「やった!」」」」
エルフの少女に混じって、男の人に獣人の子供二人までが喝采を上げた。
本当に嬉しそうに見える。ピエロってそんなに過酷なのだろうか。
「よっし、さてかわいこちゃん。どうも私が原因みたいだし、君には明日一日で駒者というものが、どういうものか教えてさしあげよう。あ、名前はなんて言うのかな?」
「テルスだよ」
「ふむふむ、テルスだね。今更だけど私の名前はルーン。悪戯大好き、世界に笑顔を届ける《トリック大道芸団》の副団長兼駒者のルーンだよ。よろしくねっ!」
よく分からないまま、テルスは差し伸べられた手をじっと見つめる。
今更ながら、ベアに知らない人にはついていくな、と言われていたことを思い出した。
でも、自分に向けられる一点の曇りもない笑顔を見て、なんとなくこの人は信用できる人だと思った。
だから、テルスは同じように笑顔を浮かべその手を握り、答えを返す。
「うん、よろしく!……でも、肉は?」
もちろん、催促も含めて。