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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
二章
19/196

孤児院の絆

 勢いよく開いた扉の音に、ベアはいつものように吠えた。


「ごらあっ! 扉が壊れるから、勢いよく開けるなって言っているだろ!」


 もう何度目になるかも分からぬ注意。未来に何があるかは分からぬのだ。お金はなるべく節約し、貯金しておいたほうがよい。

 扉なんぞが壊れても修理を頼む金が惜しい。放っておくか、テルスが慣れぬ日曜大工で下手な修理を施す光景が、ベアの脳裏にははっきりと浮かんでいた。


 しかし、子供たちの夕食を作っているベアの耳に、いつもの明るい返事は聞こえてこない。代わりに聞こえてきたのは必死さを感じる足音。野菜のみのスープをかき混ぜながらベアは怪訝そうな顔をする。


「ベア婆!」


 ナッツの涙に濡れた声。何より、ベアが驚いたのはその姿だ。キッチンに姿を現したナッツの服は少なくない血で赤く染まっていた。


「どうしたんだい!? 怪我でもしたのかい!?」


 慌ててナッツの体に触れるも怪我はない。転んだのか、膝に擦りむいた傷があるくらいだ。ベアが泣きじゃくるナッツの体を確認していると、遅れて他の子供たちもキッチンへやってくる。


「ベア……ばあ……」


 ベアの胸に飛び込み、泣きつく子供達。その尋常でない様子に、未だ最後の一人が姿を見せぬ様子に、ベアは何かが起こったことを理解する。


「どうしたんだい? シュウ・・・はどこにいるんだい!?」


「シュウが、シュウが……魔物にっ、連れてかれたっ!」


 泣きじゃくりながらナッツが告げたのは最悪の現実。

 魔物が人を連れ去る? この町中で何故魔物が? ベアの頭に様々な疑問が浮かぶも、それらを頭の隅に追いやり、即座にやるべきことを考え始める。


「魔物はどっちにいったんだい?」


「が、蛾の魔物だったから、森のほうだと思う」


 フゥが震える声でそう呟く。

 魔物のことはテルスから聞いているのだろう。確かに蛾や蝶の魔物と聞いて、思い浮かぶのは落葉の森だ。魔瘴方界(スクウェア)が存在する魔物の領域。連れていかれたのなら、急がねば本当に手遅れになってしまう。

 ベアは子供たちを強く抱きしめ、優しい声で囁いた。


「大丈夫だ。今から婆さんはひとっ走りギルドに行ってきて、シュウを助けてもらえるようにお願いしてくるから。この家から出ないで、いい子に待っているんだよ。なあに、まかせておけ。きっと大丈夫だから」


 顔をくしゃくしゃにして笑う老婆の優しさが届いたのか、子供たちも少しずつ涙が止まり、落ち着いていく。


「ほんと……?」


「ああ、大丈夫だ。じゃあ、行ってくるからね」


 ベアはそう言って、キッチンを後にする。子供たちの前では我慢していた嗚咽が出そうになるのを堪え、溢れそうになる涙も気を張って耐える。


 まだきっと間に合う。あんないい子なシュウがこんなことで死んでしまうわけがない。これでもう、あの四人が揃っている光景がなくなるなんて絶対にない。そう自分に言い聞かせ、ベアは走り出す。


 すぐに悲鳴を上げる体を無視し、決して足を緩めることなく。











 ベアが去ったキッチンで子供たちは何もできず、ただ泣いていた。

 どれくらいそうしていただろうか、子供たちのすすり泣く声しか聞こえない静けさの中に、扉が開く音が聞こえてくる。


「ただいまー」


 はっと顔を上げる子供たち。

 顔を見合わせると、勢いよくその声の元に駆け出した。


「ベア婆、なんか町が騒がしかったけど……ってどうした?」


 家の奥から走って、抱きついてきた子供たちに狼狽するテルス。何故、こんなに泣いているのか分からず、子供の面倒を見ることが得意でもないテルスは、あわあわとすることしかできないでいた。


「テル兄、シュウが、シュウがね」


 ナッツが泣きながら、話し始める。広場ですごい人を見ようと精霊樹に登ったこと。そのすごい人が檻に入った魔物に白い光を当てて苦しめていたこと。魔物が檻から逃げ出して人を襲い始めたこと。そして……


「おれ、何もできなかった!! シュウが手を伸ばしてたのに、おれ……つかめなかったよお……」


 テルスの服を握り締め、ナッツは悔やむ。

 脳裏に浮かぶのは、シュウが連れていかれる光景。ハルを突き飛ばし、代わりに魔物の脚に掴まれたシュウ。鋭い爪が肉を抉り血が飛び散る中、苦痛に悲鳴を上げるシュウは、助けを求めてナッツに手を伸ばしていた。


 あと一歩で、届いたはずだった。もう少しでその手を握れていた。


 届かなかった手の温もりの代わりは酷く冷たく感じる真っ赤な血。飛び立つ魔物に呆然としながら、ナッツは何度も手を握り締めていた。そこにあったはずの、いつもの温もりを感じようと何度も、何度も。


「あたしのせいだ……あたしが転んだから!」


「見ているだけだった……」


 悔やんでいるのはハルとフゥも同じ。転んでしまったから。見ていることしかできなかった。何度もそう繰り返し、子供たちはテルスに泣きつく。


「そっか……」


 子供たちの頭にふわりと優しい感触が広がる。


 いつも一人でいることが多かったテルスと子供たちが触れ合うことは少ない。

 年長者が孤児院を出たことにより接点が増えたが、よく話すようになったのも、ここ一年のことだった。

 ぎこちなく、子供たちの頭を撫でていく不器用な感触。


 テルスはしばらくそうしていると、優しく三人を引き離しその場を後にした。

 いつものように自室に戻るのか、階段を上る足音がする。


 だが、一分もせずに階段を下りてくる足音が聞こえてきた。

 顔を上げれば、駒者(ピーセス)の証たる銀盾のエンブレムを首にかけたテルスがそこにいた。


「ほら、これでも食べてな」


 ナッツが投げ渡された袋を開けると、つい昨日みんなで食べたお菓子が入っていた。そのときはいたシュウの顔を思い出すと、再び涙が溢れてくる。


「テル兄……シュウを助けに行ってくれるの?」


 ハルが掠れた声でそう言うと、テルスは「うん、行ってくる」となんでもないように答えた。

 迷彩柄の外套を羽織り、テルスは言葉通り孤児院を後にしようとする。そんな姿を見つめる子供たちに気づいたのか、テルスは首を傾げた。


「どうした?」


「ひ、一人で行くの?」


「人を集める時間がもったいない」


「魔物がいっぱいいる森に行くのに……?」


「いつも、森には行くのは一人だし……じゃあ、行ってきます」


 手早く準備を終え、外に出ていこうするテルスの外套をナッツは掴む。


「テル兄、あの、シュウを、おれ、あとでたくさん言うこときくから、だから、だからさ」


 言葉もまとまらぬまま、勢いよく話し出すナッツの頭にテルスは手をのせる。

 いつも見ている人のはずなのに、何かが違った。雰囲気が、目に宿る強さが、ぼんやりしている『テル兄』ではなかった。


「分かった……約束する・・・・。シュウは絶対に連れて帰る」


 その言葉に子供たちは驚く。テルスはいつもお願いをしても、絶対に約束はしてくれない。頑なに約束という言葉を拒むのだ。


 それなのに、テルスは自分からはっきりと「約束だ」と言葉にした。


 胸を満たしていく温かい思いにつき動かされ、子供たちはテルスの胸に飛び込む。困ったように手を泳がせるも、やがてテルスは三人を抱きしめた。


 その温かさはベアから感じたものと同じ家族の温もりだった。











「お願いだ、誰かあの子を助けてやっておくれ!」


 慌ただしく情報が錯綜するギルドの中、ベアはそう言って頭を下げ続けていた。

 町中で暴れる魔物の情報を求め、多くの駒者(ピーセス)がギルドに集まっている。中には駒者(ピーセス)ではない者の姿も見受けられるほど、多くの人がここにはいた。


 町中の人間が不安なのだ。


 通りの角を曲がれば、そこには血に飢えた魔物がいるかもしれない。どこにいるのか分からぬ魔物の影に怯え、少しでも多くのことを知ろうと人々はギルドに集まっている。


 しかし、ギルドの空気を震わす老婆の懸命な声に応える者はいない。

 テーブルで話し込むクランも、カウンターで魔物の情報を得ようと職員に詰め寄る町人も、ベアのすぐ近くに立っている駒者ピーセスすら、困ったように顔を背けていた。


「金ならあるだけ出す! だから、どうか助けに行ってやってくれないか!」


 老婆の必死な声はギルドに静寂をもたらす。獣人の職員が席を外し、駒者(ピーセス)たちが老婆の隣をすり抜け、驚いた顔でギルドから出て行く。そんな中、一人の男が口を開いた。


「婆さん。残念ながらそれは無理なんだよ」


「な、なんで!?」


 五十に近いであろう齢の男は、白髪混じりの頭を掻きながら、諭すように話し出した。


「まず、今ここにいる奴で、魔物がうようよいる森の中を子供一人抱えて戻ってこられるようなのはいないんだよ。《紫電》の奴らやおやっさん、ハンス、あとは……とにかく、強いのは町で暴れる魔物を退治しに出払っちまっている。それに、その魔物が境界を越えて魔瘴方界(スクウェア)にまで行っちまってるなら、それこそ俺たちではどうにもならん。それは、あんただって分かっているだろう?」


「それは……」


 魔瘴方界(スクウェア)とは浄化師の力なくして入れぬ魔物の領域。

 そこに足を踏み入れることができるのは浄化師とそれを守る騎士を含む精鋭部隊だけだ。そんなことなど、ベアにだって分かっている。


「……分かっている。だけど、頼む! そこに魔物が入ってしまう前に、追いかけてほしいんだ! 急げばまだ間に合うかもしれない。だから、どうか!」


「なら、はっきり言おう。もう間に合わない」


 その言葉は誰もが老婆の話を聞いた瞬間、考えたことだろう。

 子供が魔物に連れていかれ、すでに三十分は過ぎているのだから。


「いいかい婆さん。当たり前の話だが、魔瘴方界(スクウェア)に近づくほど魔物は多くなるんだ。そこが奴らの棲む領域なんだからな。今、何処を飛んでいるかも分からぬ魔物を追って、森に入る……探しにいった奴が死んじまうよ。マテリアル《Ⅲ》一体で精一杯な俺らが、そんなのがうようよいる森の奥に入るなんて、悪い冗談だ。それに、あんたは魔瘴方界(スクウェア)に近づいたことがあるかい?」


 駒者(ピーセス)の言葉にベアは首を振る。周りの者も何も言わず、静かにその話を聞いていた。なぜなら、この老年の駒者(ピーセス)の言葉に嘘はないから。


「俺はあそこに少しだけ近づいたことがある。気が狂いそうになったね……分かるか? 自分の体の中に小さな羽虫が入ってきて、徐々に数を増していくような感覚が。入らないでそれだ。中が、まして、王域がどうなっているかなんて考えたくもない……浄化師なしで子供を探すなんてとてもじゃないができないんだよ。よしんば、魔物がまだ魔瘴方界(スクウェア)にまで行っていなくても、森まで飛んでいっちまっているのは確実だろう。残念だが、それだけでもう俺らは手を出せないんだ」


 どこまでも正しい、積み上げた知識と経験に基づく駒者(ピーセス)の言葉。それに返答することはベアにはできない。

 それでも、


「だから、もう頭をあげてくれ。こっちが辛くなる。俺にだって孫がいるから、気持ちは痛いほど分かる……でも俺たちじゃあ、いくら頼まれても無理なんだよ」


 ベアは頭を下げ続けた。


 男の言葉がどんなに正しくとも、ここで頼むのを止めるということは、シュウが生きている可能性を諦めるということだ。それだけは認められない。家で待っている子供たちに顔向けできない。どんなに無茶であっても、それを理解していてもベアはただ頭を下げ続けていた。


「……もういい加減に!」


 そんなベアに業を煮やしたのか、若い駒者(ピーセス)がベアに掴みかかろうとする。

 しかし、ギルドの扉が開き、現れた人物を見て男の動きが止まった。


「なっ!?」


 驚愕の声が響き、ギルドの空気が再び静まっていった。

 その空気にベアは思わず顔を上げ、目の前に立つ人物に言葉を失った。


 身に纏っているのは白い質素な衣。特徴らしい特徴も真っ白で、フードが付いているくらいのもの。

 しかし、目立った装飾もないその服はこの世界で最も有名なものだ。これを着ているということが意味する答えは一つ。


――浄化師がそこにいた。



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