月を見上げるような約束を
浄化師と騎士。
その肩書の効果は騎士選定の後、テルスは十二分に理解させられている。
ルナと町を歩いているだけで突き刺さる視線の槍衾。かけられる言葉の温度。
まるで精霊教の信者がソルを前にしたときのような数々の扱いは、テルスに”浄化師”という存在の重みを改めて突きつけるものだった。
浄化師。
浄という瘴気を祓う唯一の術が宿った”人”。
その存在はまさしく、精霊のように信仰を捧げるに足るものなのだろう。
現に、白峰の町グレイスのような魔瘴方界に程近い場所では、その信仰は祈りという形になるほど深く重いものだった。
つまり……そんな存在とデートをしている今の状況は大変不敬なのでは?
なんて阿呆なことが思い浮かぶくらいにはテルスは焦っていた。
バレたら刺されるかも。バレたらデートが中止になるかも。なんか思っていたより手が柔らかい。もう誰もこっちを見ていないのに何故だか周囲が気になる。
これはまずい。
緊張して何かやらかしそうと自覚できるくらいまずい。
肩が触れる距離にいるルナのせいで、もうずっと心臓の鼓動に合わせるように思考は空回りしっぱなしだ。何とか落ち着かなくてはとテルスは深呼吸を繰り返す。
――まあ、でも……。
自身の焦燥にひたすら向き合うのはともかく、こうして静かに歩いている時間は嫌いではなかった。
ルナが指差す風景を見たり、意味もなく手を揺らすのに付き合うのは悪くない。
だけど、流石にそろそろ何か話した方がいいだろう。今はルナは返事ができないが、このまま無言で目的地まで行くのはアリスが言う減点というやつだ。
「あー、もうソルたちはついてきてないね」
テルスの現在の神経尖らせレベルは魔瘴方界攻略時に並ぶ。
当然あんなうるさい気配にも気づいていた。あの困った友人たちのせいで正体がバレてデート中止なんてことにならなくて本当によかった。
「メルクにミユ、アリスもいたのかな。ずっとついてくんのかと思ってた」
安堵と呆れが混じったその言葉にフードからのぞくルナの唇が弧を描く。
文字を浮かべることもできず、ちょっとお店に入って買い物なんかも難しい。
そんな不自由極まりないデートなのに、ルナの気配は何でかずっと楽し気だ。
「あ、そろそろかな。たしかあっちの道を曲がったらトンネルがあるはず……」
地図ばかり見て相手を見ないのは駄目らしい。小粋なトークをしつつ、時折ちゃんと相手の目を見つめなければいけないそうだ。
アリスにそう教わったから、テルスはちゃんとこの辺りの道は覚えてきた。
でも、フードのせいかルナがあんまりこっちを見てくれないため、見つめるなんてことはできていない。これは減点だろうか。
それにしても、アリスのあの知識はどこから手に入れたものだったのか。
本棚に恋愛小説がいっぱいあったし、それかもしれない。
今度聞いてみよう、とテルスは目的地のトンネルの前で、自ら墓穴に突っ込むようなことを思っていた。
「最近できたらしいんだけど、ルナはこのトンネル知ってる?」
その言葉にルナは首を振る。
まあ、認知度が低いから”改装”されたのだろうし当然だ。
一応ここはブルードの屋敷の近くにある自然公園の敷地内なのだが、このトンネルがあるのはその隅っこのほうであまり人は来ないらしい。
そのため、もっと人を呼びこむための”改装”が最近施されたとのこと。
まだ試験運用中で本格的に稼働するのは春からなのにアリスが知っていたのは、彼女がその”改装”に少し関わっていたからだ。
「じゃあ、入ろうか。ここなら多分、話せるだろうし」
枯れ木が目立つ冬の自然公園には人が少ないから、という理由だけではない。
アリスの話によればここは……
――〈精霊樹と竜・葉風の町リーフ〉
トンネルに入ったテルスたちを迎えたのはルナが浮かべているような文字と、
数週間ぶりのリーフの景色だった。
トンネルの壁に映っているのはリーフの大広場。
倒れた精霊樹と丸くなっている緑竜エウロスを中心に見慣れた町並みが広がっている。
まるでリーフに転移したと錯覚するほど立体的な映像だ。
ルナも驚いたのか、ぎゅっとテルスの手を握る力が強くなる。
「ここ、他の町の風景の中を歩けるトンネルなんだって。人もいないし、ここならルナが少し文字を浮かべても気づかれないと思うよ」
話しながらゆっくり歩こう、とテルスはルナの手を引く。
〈すごい! 壁の奥にいけるみたい!〉
表情はフードで見えずともその文字は雄弁に喜色を伝えていた。
今はまだ未完成で最終的にはトンネルの片側に映っている風景が壁全体に天井と、歩く道を除いた全てに広がる……なんて情報を伝えるのは少し野暮というものだろう。
〈あっ。あそこの子供たちはシュウくんたちじゃないかな〉
テルスの腕を抱くように引き返しながら、ルナは文字を次々と躍らせる。
ただ、その腕を引く力は少し強すぎた。
「〈……あ〉」
なんか、抱きしめているみたいな距離にルナがいた。
顔に熱が集まっていくのをテルスははっきりと感じ取る。
おかしい。雪花の湖では抱きしめて空を飛んだというのに、何で今はこんなに気恥ずかしいのか。
ただ、そんな想いは一人だけのものではなかった。
ふわりと浮いたフード。その下に見えたルナの頬は夕日が差したかのように真っ赤になっていた。
「あー、えーと……それにしても、リーフの景色にもうエウロスがいるのかー」
〈す、住み着いてからそんなに経ってないのにね。あ、ノルンも映ってるよ〉
ちょっと今のをなかったことにして、適切な距離に戻した二人は歩きながら見慣れた景色を楽しむ。
呑気に欠伸をしている緑竜と大広場を元気に飛び回っている小さな白い影。
二匹の竜とリーフ特有の町並みを見ていると、少し帰りたくなってくる。そんな郷愁が首をもたげ始めると同時に、景色が切り替わった。
――〈東雲精霊寺・東都リィスト〉
新たに映ったのは変わった様式の建物。
東都特有の木造建築に鳥居と呼ばれる赤い門が並ぶ、先ほどの見慣れた景色とは反対の初めての景色にしげしげとテルスは見入る。
「東都か。しっかり歩いたことはないなあ。ルナはここに行ったことある?」
〈騎士選定前に町を回っていたとき、遠目に見ただけかな。行ったことはないや〉
「そっか。じゃあ、今度一緒に行こっか」
〈うん!〉
知っている景色の中を。まだ知らない景色の中を。たった二人で歩いていく。
たとえ、それらが暗いトンネルに映る偽りの風景だとしても、テルスとルナはこの二人ぼっちの時間を心の底から楽しんでいた。
――〈カエルレウスの海・南都サウセン〉
「南都は海も近かったのに、見にすらいけなかったなあ」
〈それどころじゃなかったしね。今度は泳ぎに行こうよ〉
「え、海で泳ぎながら魔物と戦うのは大変じゃない?」
〈……普通に泳いで遊ぶだけだよ?〉
それは美しいグラデーションを描く青い海だったり。
――〈アダマスの時計塔・北都エルノース〉
「北都、か……これはちょっと見たなあ。でも、こんなに綺麗だったっけ?」
〈夕暮れ時だと光を反射して、この映像みたいに輝くんだって〉
「へえ。それにしてもこのダイヤ? 硝子? みたいなのどうやって作ってるんだろ。高そう」
〈あ、値段というか作られた背景は詳しく知らない方がいいよ。宝石とかお金絡みで色々とすごかったみたいで、ここ裏では心霊スポットとか言われてるし〉
「ええ……」
それは宝石の如く赤く煌めく夕暮れの時計塔だったり。
――〈盤上薔薇園・王都シャトランジ〉
「あ、王城の近くにある白と黒の薔薇がすっごい咲いてるとこか。行ったことはないけどこんな感じなんだ」
〈王城の敷地内だけど、この薔薇園は一般の人たちにも解放されてるよ。春になったら、ここで人間チェスとかやるんだよね〉
「なんか白黒の薔薇が赤くなりそうなイベント……」
〈……ちょっと殴ったり、叩いたりするだけだよ〉
「そっかー。冗談だったんだけど、本当にそんな暴力的なチェスだったのかー」
それは白と黒の薔薇に彩られたチェス盤の庭園だったり。
――〈明けの湖・白峰の町グレイス〉
「……あの景色は本当に綺麗だった。映像じゃなくて、またグレイスで見たいな」
〈そうだね。全部終わったら皆に会いに行こうよ〉
「いいね。でも、冬に行くのはやめよう。夏であれならこの季節に行ったら絶対に凍死する」
〈ふふ、ソルは冬眠しちゃうかもね〉
それはいつか見た光を湛えた水鏡の湖だったり。
トンネルの中で弾む声と文字。
いつも二人でいた。でも、こうして二人だけでいられるのはいつぶりで、何回目だろうか。
きっと指を折って数えられるくらいだ。
テルスとルナは欠けていた空白を埋めるように言葉を紡いでいく。ゆっくりと。それほど長くはないトンネルを一歩一歩進んで……それも終点が見えてきた。
〈……色々と終わって落ち着いたら、本当の景色も見に行こうね。約束だよ?〉
「うん、約束する。まずはどこがいい?」
〈そうだなあ……私はテルスと二人であそこに――〉
先ほどよりも近い距離で、二人は遠い未来の約束を一つ交わした。
そうして、楽し気な雰囲気のままトンネルを抜けた二人は――
眼前に広がる”森”に目を合わせ、首を傾げた。
すみません。いつもよりだいぶ遅れてしまいました。
何もかもデートのせいです。




