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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
六章
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悩みとお誘い

 ただ、ぼーっとサハラは天井を眺めていた。

 変な模様があるわけでもない何の変哲もない白い天井。そんな面白味の欠片もないものを見続けて、もう何分が過ぎただろうか。

 時間を限りなく無駄にしている。

 だけど……こんな風にだらけるのは本当に久しぶりな気がした。

 ある意味、平和とも言える時間。その終わりを告げたのは元気のありあまった女の子の暴力であった。


「サハラ、遊んでよ!」


「ぐへえっ!」


 ソファで寝っ転がりながら黄昏ていたサハラのお腹に、不満そうに頬を膨らませたスピカがのしかかる。その後ろではラビアが呆れた視線を向けていた。

 まるで、休日の父親に向けられるような不満と呆れの感情だ。

 休ませてくれよ、とこちらも不平を叫ぶこともできただろう。だが、何故だか焦りに駆られたサハラにはそんなことは思いつかなかった。


「えーと、勉強は?」


「もうしたよ! ラビアもいいって言ってるもん!」


「あー、じゃあ……お絵かきでもしようか。うん、画用紙を持ってきな。魔物でも描いてあげるよ」


「やった! あ、でもクレヨンとかどこに置いたっけ」


 その言葉に喜びながら、スピカは二階へと駆けていく。

 一方、ラビアの視線に乗る呆れは明らかに色濃くなっていた。


「よりによって魔物の絵ですか……」


「いいんだよ。ほら、勉強にもなるだろうし。スケッチは観察眼が磨かれるから」


 子供の遊びなんてサハラにはよく分からない。これでも自分の幼少期の経験から一番スピカが喜びそうなものを選んだつもりなのだ。


 そう、分からないのだ。サハラには普通なんて理解できない。


 どうすれば正解なのかも、どうすれば間違えないのかも。

 それが分からないと十分に理解できるくらい、サハラはいわゆる普通の人たちとすれ違ってきた。

 所詮、人を駒としか思っていない血の通っていない人間とやらに、家族だの愛情だのは重すぎる。

 だから、あの件も投げたのだ。


「今頃、彼らは王都でしょうか。本当に……話して良かったのですか?」


「分かんないよ。だから、彼に押しつけたんだから。僕が言うのも何だけど、こんな場所に生まれた浄化師なんて最悪さ」


 スピカのように、と吐き捨てるようにサハラは言う。

 浄という特別を持とうが、それを持つ個人が特別とは限らない。どんなにすごい力があっても、スピカは普通の女の子なのだ。


 その普通の女の子は鎖に繋がれ、魔物の前に引きずり出されていた。


 カンプスの一つで、スピカはそうやって魔物避けに使われていた。

 鎖を引き、無理矢理魔物の前に連れ出し、浄の魔力をまき散らせる。そうやって、そのカンプスは魔物の侵攻を押しとどめていた。

 本来、浄の力を持つ者を見つけたら報告義務があるにも関わらず、保身のために十にも満たない女の子を生贄にする。

 いったい、最初はどんな言葉で子供を魔物の前に引きずり出したのか。私たちのためにとか、友達がいるでしょなんて言葉を親が吐いていたのだろうか。子供が怖くて泣いているのに鎖で引きずり出すような親なら十分にあり得る。

 命惜しさに犠牲にさせられ、金欲しさに売られる。

 もしかしたら、知らないだけで浄化師はこの西で何人も命を落としているのかもしれない。


「ほんと、嫌なものだよ」


 そして、それと同じくらい嫌なのはそれらを理解できる自分だ。

 サハラは金も命、どちらの理由も理解できるし否定できない。

 もしも、自分が彼らと同じ状況だったら、スピカが浄を渡すのを拒んだら、自分が魔力をストックできる魔法を持っていなかったら……同じことをしない自信がサハラにはない。


「……あなたは違うと思いますよ」


「……そうかい」


 そんな隊長の思いを察した副官の声に、サハラは薄く微笑む。

 自分はそうはならなかった。こんな悩みは意味がない空虚な想像に過ぎない。


 しかし、ルナ・スノーウィルにとっては違う。


 家族に売られ、それでも故郷である西を解放しようと尽力する浄化師。

 その理由の核にまだ家族の存在があるのなら、テルスに伝えた話はどれだけ虚しい現実なのか。


――彼女は理由を失ってしまうだろうか。そうしたら、あの騎士も……。


 不安はある。だが、伝えないのはあまりに不義理だと思った。ああ、でも話して良かったかなんて本当に分からない。

 面倒で重いことばっかだ。

 やれやれ、と首を振りながら、サハラは階段を下りてくる軽やかな足音に体を起こした。











 西の地でサハラが悩んでいた頃。

 一人と一匹もまた王都のドラグオンの屋敷で頭を悩ませていた。


「なんか、ここに来てからずっとそんなんだねー……」


 ドラグオン家のメイド、ティアはテーブルにお菓子を置きながら、重苦しい空気のテルスとソルをまじまじと見る。


「そんなに明日からの予定が嫌なのー?」


「それは確かに面倒だなあとは思うけど……」


 明日はまだ新型気球を見に行く予定があるだけだが、明後日は王様、騎士団、浄天(へクス)との会議、その後は訓練及び刻限の砂についての指導。加えて夜会だの何だのにも顔を出さなければならない。

 なるべく早く西に戻らなくてはならないから、予定はこれでもかと詰められている。明日からの多忙を思えば憂鬱にもなるだろう。

 だが、その憂鬱もこの悩みの前には木っ端の如く吹き飛んでしまう。


「今、悩んでいるのは別のこと」


「ふーん。あ、私が聞いてあげましょうか?」


 メイドですし、と謎の理由を付け加え、お仕事モードになるティア。

 だが、この悩みは多分自分と同じティアでは答えが出せないものだと、テルスには分かっていた。


「えーと、家族というか、親についての悩みなんだけど」


「あ、ボクだと駄目だね」


 やはり、一瞬でティアは諦める。それもそうだろう。孤児院育ちのテルスやティアに親についての悩みなんて分からない。想像や一般論でしか語れないのだ。


「僕だって分からないよ。精霊に親なんていないんだから」


 それは精霊であるソルも同じだ。

 つまり、この部屋にいる者でこの悩みに適切な答えを出せるものはいない。


「ほんと……何が正解なんだろ」


 深く嘆息するテルスはサハラに聞いた話を思い出す。

 それは親がいないテルスからしても嫌な話であった。まして、それを実の娘が聞いて”いい”と思える話ではないことは明らかだ。


「結局、君はこの話をルナ嬢に伝えるつもりなのかい?」


「……うん。伝えようとは思ってる」


「何で? 僕はわざわざ嫌なことを話す必要はないと思うのだけど」


 ソルの言うことも正しいとは思う。でも、


「俺は知っておいた方がいいと思う。これはルナの命とかルールに関わることだと思うから」


 子としての答えは分からない。でも、駒者(ピーセス)としてならテルスは答えを出せる。

 己に課したルールに関わることを黙っておくことがいいだなんて思えない。

 ルナは駒者(ピーセス)ではないが、信念を持って自身の道を歩んでいるのは同じだ。その信念に関わるものと思ったからこそ、サハラもテルスにこの話を伝えたのだろう。


「だけど……どう話したらいいのかなあ」


 話そうと思ってはいるけど、どう切り出せばいいか分からない。

 ルナにどう話すのが一番いいのか、それがテルスにはまったく分からなかった。


〈何を話すの?〉


 そして、その解答期限はすぐそこに迫っていた。

 逃げ出すように一礼して退出するティアと入れ替わりに、ルナが部屋に入ってくる。


「いや、あの、ええと……」


〈なあに、隠し事?〉


「……はい」


「何で肯定しているんだ君は……」


 それでは隠し事にならないじゃないか、と呆れたソルは空を仰ぐ。

 これについてはテルスも何を言っているのか、と阿呆な頭を殴りたくなった。

 じっとルナは二人を見つめる。その銀の目に心を見透かされる気がして、一人と一匹は同時にそっぽを向いた。


〈……あ、もしかして私の家族のこと?〉


 そして、その文字に動揺した一人と一匹の体はそれはもう大きく揺れた。


〈この前、サハラさんと一緒にいたしそうかと思ったんだけど……正解かな〉


 でも、話してくれないということはあんまりいい話じゃないのかな、とテルスとソルが何も言わずとも、ルナは一人と一匹の反応を見抜いて答えを導いていく。

 心を読む魔法なんてあっただろうか、とテルスとソルは色んな意味で戦慄していた。


〈その話は是非教えてほしいけど……ねえ、私の騎士様。一つお願いがあるのですが〉


「なんでしょうか、わが主……」


 緊張に身を固めるテルスに、ルナは微笑む。

 そして――


〈明日、デートをしてくださいな〉

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