エルフの森の人形姫と悪戯白鼠
最近、テルスは困っていた。
南都サウセン、葉風の町リーフの襲撃から半月が過ぎ、テルスは王都とリーフを行き来する忙しい毎日を送っている。
王都に行けば会議やら会食やら慣れないことばかりが待っている。
リーフにいれば復興の手伝いや、これ以上の異変がないか旧落葉の森の調査をしなければならない。
精神的にも、肉体的にも、休む暇がまったくない。
今のテルスがゆっくりできる時間なんて、就寝前の僅かな時間くらいしかないのだ。
それなのに……
「ああ! またこのネズミは! それはテルスに持ってきたお菓子だって言ってるでしょ!」
「小うるさいなあ。僕とテルスは一心同体なんだから、テルスのお菓子は僕のものでもあるんだよ」
もう寝たいのに、いつまで経ってもこの一人と一匹はやかましい。
またまた始まったソルとルーンの喧嘩にテルスは深いため息を零す。
顔を合わせるたびにソルとルーンはこんな感じだ。今みたいに、お菓子を食べられたとか、些細なことでも簡単に火が付く。
「でも、このお菓子はおいしいね。君にしては趣味がいいじゃないか」
「でしょう。王都に連行されたときに、あの貴族の子に買ってもらったの。これ以外にも色々と情報料をもらったんだ~」
こんな人でごめん、とテルスは遠く離れたヴィヌスに心からの謝罪をする。
でも、こんな自由奔放な人しか百年前を知っている人がいないから仕方ないのだ。聞き取り調査に立候補してしまったのがヴィヌスの運の尽きである。
「やっぱり、このチョコの詰め合わせいいよね。缶もかわいいし。でも、この黒いのみたいに苦いチョコがなければもっとよかったんだけどなあ」
「はっ、舌までお子ちゃまなんだね。この黒いチョコの方が香りもいいし、味も深いじゃないか。まあ、森に引きこもっていた田舎育ちには理解できないか」
「は?」
「は?」
まったく、数秒前の和やかさはどこに消えたのか。鎮火したと思ったらまた燃え上がっていらっしゃる。
そもそも、ルーンは『もう一度会って、謝って、色んなことを話したい友達』とか言ってなかっただろうか。この関係はどう考えても友達というには殺伐としすぎている。
「……ねえ、二人は何で喧嘩してるの?」
「「だって!」」
ソルとルーンの声が綺麗に重なった。
そして、始まる「このネズミが~」や「このちびエルフが~」という言い合いに、テルスは聞き方を間違えたことを悟った。
聞いている理由は今ではなく百年前の方だったのだが、それを聞いてもソルとルーンの反応は今と変わらない気がする。
だから、咄嗟に話を逸らそうとテルスの口から出たのは、まったく違う言葉だった。
「えーと、じゃあソルとルーンはどこで会ったの?」
その質問に白いネズミと緑の道化師は仲良く首を傾げる。
「それはエルフの森だけど……」
「そうそう、厄介なネズミがいるって噂が出てたんだよねえ」
「そうそう、引きこもりのちびエルフがいるって聞いてねえ」
「は?」
「は?」
――ああ、これは眠れなさそう。
こうして、失言を後悔するテルスを決して眠らせないとばかりにやかましく、一人と一匹は百年前の話を始めた。
退屈だ。まったくもって、退屈な毎日だ。
エルフの姫、アルン・ハーレクインは窓の外を見て、もう三桁に届くだろうため息をついた。
周囲の緑に溶け込む古木のような巨大な屋敷。
エルフの族長たるハーレクイン家が代々住まうこの屋敷にはアルン以外にも執事やメイド、コックなど数多くの使用人がいる。
しかし、ここにアルンの両親はいない。
父も母も今は王都シャトランジに出かけてしまったのだ……一人娘のアルンを置いて。
「もう! 父さまだけじゃなくて、母さまも私を置いてくなんて……」
ずるい、とアルンはここにはいない両親に向けて不満を零す。
窓の外に見える景色は今日も変わらず緑ばかり。エルフの森はいつだって、どこだって同じだ。
私だって外を見てみたい、とアルンは葉に遮られた先を夢見る。
すでに年齢は十を超えたというのに、アルンの身長はようやく歩けるようになった子と変わらない。
先祖である精霊の血のせいだというが、それが原因で森の外どころか屋敷の外すら、滅多に出ることができないのだ。
アルンにとって皆と違うこの血は身長とともに、自由を縛るただの足枷でしかなかった。
だが一応、良いこともある。
「……【ウェント】」
呟くは精霊魔法の呪文。
十秒ほども待てば、枝葉とカーテンが揺れる音しか聞こえなかった静かな部屋に、無数の声が響くようになっていた。
『今日のご飯は何がいいと思う?』
『アルン様はあんなに小さいのによく食べるからなあ』
『見て見て、アルン様に作ったの! とてもお似合いになりそうでしょ』
『可愛い服だけど……あんまり着せ替え人形にするとアルン様に嫌われるわよ』
『最近は魔物も見ないし、平和なもんだよな』
『仕事がなくて助かるよ。でも、王都の方は大変なんだろ。長たちは……』
『あんまり滅多なことは言うなよ。それに、長たちなら魔物どころか王都の連中と戦争になっても大丈夫だろ』
『お前の方こそ滅多なこと言ってるじゃないか……』
今日も退屈そうに窓の外を眺めながら、アルンはここ最近で日課となりつつある暇つぶしを始める。
美しい金糸の髪。翡翠を填めたような緑眼。
その小さな体を包む上品なドレスも相まって、アルンの姿はビスクドールを思わせる愛らしさに溢れている。
そんな深窓の令嬢ならぬ幼女が物憂げな顔でやっていることは、盗み聞き。
母さまにバレれば間違いなく「はしたない!」と叱られるだろう。
しかし、今は両親が不在のため、こっそりと行使している精霊魔法に気づける者はいない。用途はともかく、この精霊魔法の技量はハーレクインの名に相応しいものだった。
屋敷と村の会話に耳を澄ましながら、ゆっくりと時間は退屈に過ぎていく。
今日も今日とてエルフの森は変わらぬ平穏であった。
そうして、欠伸を零したアルンが精霊魔法の行使をやめようとした瞬間、その会話は聞こえてきた。
『そういえば最近、白いネズミが出るのよね』
『え、やだ。何とかしないとじゃない! ええと、ネズミ退治に使う道具ってどこにあったっけ?』
『あ、待って、違うの。そのネズミはどうも普通のネズミじゃなくて……』
これが外の話ならばアルンには関係のない話だった。興味を引かれても届くことはない、ただの外の出来事だった。
だが、これが屋敷のメイドが話していることならば違う。
「白いネズミの……精霊……」
呟くアルンの唇がゆっくりと弧を描いていく。
それは人形の微笑とは程遠い、ピエロのように悪戯っぽい笑顔だった。




