迦楼羅
世界を紅蓮に染めていた『火』。それは今、テルスの刀に集まっている。
きっと、エクエスはそれに対して”必殺の一撃を準備している”程度にしか思わなかっただろう。
炎と熱に耐えながら、舞台袖でずっとその時を待っていた端役なんて最初から目に入っていないのだから。
でも、テルスは違った。
メルクやコングの魔力と同じように、タマとハンスの魔力もずっと感じ取っていた。
二人の魔力は強く強く「戦う」とテルスに叫んでいた。だから、周囲に広がっていた『火』さえなくなれば絶対に来ると信じていた。
舞台の大詰め。機会は一度。
打ち合わせをしたこともなければ、この三人で魔法を合わせたことなどない。
それでも、三人に迷いはなかった。
「【魔刃《藍円奇演》】!」
「【魔剣《双奇》】!」
タマとハンスの声が重なり、藍の舞台と紫の双剣が発現する。
しかし、エクエスは真横から迫る二人の道化に一瞥もくれず、剣を構えていた。
振り上げた骨剣は黒く染まり、嵐の如き瘴気が渦巻いている。
その暗い眼窩は紅蓮を携えたテルスにしか向いていない。
エクエスは二人の魔法に対して何もしなかった。
ただ、眼前の敵を迎え撃とうと、その身に紅蓮を宿す。
それだけで、タマとハンスの魔法は意味を失った。
トランプ・ワンどころか上位にすら届かない魔法がこの『火』を突破できるはずもない。いや、そもそもエクエスが何もせずとも二人の魔法では大した傷すら与えられなかっただろう。
だが、二人の口角は上等とばかりに吊り上がる。
「「悪戯!」」
その合図とともに、二人の魔法が変化した。
タマが射出したナイフは分裂し、ハンスの双閃が奇妙に歪む。
変化は劇的だ。藍色の刃は周囲の紅蓮を上書きせんとばかりに増え、紫の剣閃は滅茶苦茶な軌道でエクエスを挟んでいる。
ただ、エクエスにとっては何も変わらない。
二人の魔法がどう変化しようが、やはりこの『火』を突破することはできない。二人の魔法はあっけなく阻まれ、テルスの『火』も相殺される。
それで終わり。『火』さえなければ、テルスの必殺がエクエスに届いたとしても致命的な隙とはならない。先ほどの『焔閃火』と同じ結果となる、
「――悪戯」
はずだった。
ぐらり、とエクエスが体勢を崩す。その片足は小さな落とし穴にはまっていた。
今のエクエスなら……ルーンならば、こんな悪戯には簡単に気づけただろう。如何に小さな魔法だろうと、テルスに力を貸す精霊の気配で発現が読めたはずだ。
しかし、ここはタマの舞台の内。
辺りを染め上げる藍色の魔力に隠され、エクエスはテルスの小さな悪戯を見逃した。
それが決定的な隙だった。
「焔閃火!」
焔が爆ぜ、テルスの必殺が体勢を崩したエクエスに振るわれる。
それでも、エクエスの体は炎の鎧が守っている。
精霊を統べるデウスの『火』だ。これさえあれば、テルスの必殺の威力は著しく削がれる。この交錯も先ほどの再演で終わるはずだというのに、
吸い込まれるように紫と藍がエクエスの首に叩きこまれ、『火』を削る。
合図も指示も必要ない。
ずっと二人はテルスを見てきた。この『死神憑き』の少年がここぞというときにどこを狙うかなんて分かり切っている。
テルスの力では結局、宿敵を倒すことはできなかった。
タマとハンスの力は結局、宿敵には届かなかった。
だけど、《トリック大道芸団》の力と悪戯は確かに――災厄の騎士の首を斬り飛ばした。
災魔の首が落とされ、テルスたちがルナの【閃手】に回収されたその瞬間。
餓狼は高らかに吠えた。
「飛雪蒼牙あああああああっ!」
白く染まる視界。魔力全てを振り絞り、地に伏す体。
それでも、メルクはトランプ・ワンの発現を手放さなかった。
猛る蒼き狼は吹雪を纏いて、首を落とされ倒れゆく災魔に喰らいつく。
余波だけで紅蓮に染まっていた世界が凍りつく。
霜が覆いつくす広場の中心では『氷』と『水』による竜巻が荒れ狂う。
十秒、三十秒、一分。
コングに支えられたメルクの顔は青白く、呼吸は今にも途切れそうなほど弱々しい。
だが、メルク・ウルブスは必殺の牙を突き立て続けた。
己のプライドのため。強さを示すため。そして、友のために。五分以上も必殺を発現し続け、彼は力尽きた。
「あとは、まかせてくれ! 絶対に君の意思は無駄にしない!」
何か思うことがあったのか、目を潤ませたエレンリードが空へと手を伸ばす。
クラン《紫電の駒》の仲間たちによる精霊魔法。
浄化師アルタール・イーグレンの魔法【浄翼】による強化。
この二つを受けたエレンリードのトランプ・ワンが災魔を閉ざす蒼氷に落とされた。
「その身に受けろ、裁きの雷を! 轟雷浄紫陣!」
そして、世界は光と音に満たされた。
紫電が描く何重もの魔法陣。その内に天より雷が落ち続ける。
精霊魔法、幻想発現、『浄』。
全ての力と技術を集約させた《紫電の駒》が誇る大魔法。
一人ではなく、多くの仲間と発現させた必殺は蒼氷を砕き、災魔の身を灼く。
何も見えず、何も聞こえない数分。
一人、また一人とエルフたちが倒れていき……ついに、エレンリードも地に伏した。
「嘘だろ……」
それでも、災厄の魔物は立っていた。
その身を焦がし、煙を上げながら、再生していた。
「まだよ! まだ終わってないわ!」
「馬鹿野郎! ここで止まるな、ありったけの魔法を撃てええええっ!」
コングの岩槍が災魔に突き刺さり、叫ぶおやっさんに続いてこの場にいる全ての駒者、衛兵たちが魔法を撃つ。
それを塗りつぶすように世界が再び紅蓮に染まった。
災魔による『火』が再び発現されたと思い、皆の顔が絶望に染まる。
しかし、その紅蓮は眼前の黒屍ではなく――マルシア・アマリリスに灯っていた。
「……咲きほこれ、焔の花弁は空へ舞う……」
肩に乗る火蜥蜴が一際強く輝く。
その紅蓮の光と燃え盛るような魔力が物語っている。
これから発現する必殺は前の二つを越えるものだと。
「伏せ――」
「――【別れの花焔】」
慌てて叫ぶおやっさんの声は、咲いた爆炎に飲み込まれた。
それはまさしく、炎の花だった。
赤い火花を空高く散らしながら、マルシアの魔法は災厄を燃やさんと咲き誇る。
三種の必殺。これを受けて倒せない魔物などいるはずがない。それなのに、誰の顔にも希望などなかった。
「まだ、駄目なのかよ……」
未だ絶望は陰らない。炎の内で鼓動のように瘴気が脈打っている。
歯を食いしばり、膝をつきながらも、マルシアは魔法を発現し続ける。彼女の花焔の内でエクエスはゆっくりと再生しつつあった。
メルクたちの必殺により、エクエスの体を構成する瘴気は幾度も削られた。
だが、エクエスは無抵抗で必殺を受け続けていたのではない。精霊魔法により威力を少しでも殺し、その身に宿す誰かの防御魔法を発現し続けていた。
そして、エクエスは少しずつ移動し続けていた。
それはかつてテルスを執拗に追っていたときの移動法。
元の形がないエクエスはその身を解き、再構成することで気配を悟られず移動できる。その間は無抵抗だが、エクエスはついに落としていた骨剣を花焔の中で拾い上げた。
そうして、数多の黒水晶を砕き、災魔エクエスは復活する。
噴き出す瘴気とデウスにより、マルシアの花焔を退け、倒れ伏す人々に大樹と化した骨剣を振るう。
それでおしまい。物語は残酷に締めくくられる。
そんな結末を否定するために、テルス・ドラグオンは花焔に飛び込んだ。
その気配に気づき、エクエスは身を焦がしながら骨剣を構える。
たった数秒。それだけで、エクエスの骨剣は必殺の黒を帯びる。
しかし、テルスの刃に炎はない。
それどころか、その刀身は未だ鞘の内にあった。
時間があった。
メルクたちが必殺を発現し続ける中で、テルスはずっとその準備をしていた。
それは『ハバキリ』の僅かなためすら致命的になるエクエスとの戦いではできなかったこと。なんといったって、わざわざ刀を鞘に納める必要があるのだ。そんなことをしていたら、エクエスに真っ二つにされてしまう。
だが、今なら。テルスは自身の必殺を振るうことができる。
花焔の内で二つの影が駆ける。
一対一。もはや、何物も二人の戦いに水を差せない。
テルスはただ真っ直ぐに駆けた。ここにきて駆け引きなんて頭に浮かばなかった。
ただ、速く。ただ、強く。
その必殺を振るうことしか考えていなかった。
だがきっと、エクエスは違った。
今まで散々、”悪戯”を繰り出してきた敵が何をするか、考えてしまった。
「ハバキリ――」
そして、その一閃の名をテルスは紡ぐ。
まるで、頭に思い浮かんだ名を零れ落とすように、静かに。
「――迦楼羅」
銀灰が赤を断った。
燃え盛る花焔が数秒だけ開花する。
その内には、骨剣ごと宿敵を両断した少年が天へと刀を掲げていた。




