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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
五章【裏】
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欲しかったもの

 夜闇に響く魔物の咆哮と破壊音。

 それに肩を震わす子供たちの肩を抱きながら、ベアは駒者(ピーセス)たちの指示に従い歩き始めた。


「そら、今から避難をするからね。しっかりついてくるんだよ」


 その囁きにこくり、と声を上げることなく子供たちは頷く。

 ハル、ナッツ、シュウ、フゥは幼くてもこの状況を正しく理解している。

 夜闇に紛れて漂う瘴気。

 鮮やかな魔力の光に照らされる魔物の巨影。

 ここは今、戦場と隣り合わせにある。

 声もなく、足音すら殺して歩く避難の列にベアたちも加わる。

 霧の残滓に包まれながら、リーフの住民は葉風の象徴たる大樹を後にする。

 はたして、この精霊樹をまた見ることができるだろうか。そんな不安と恐怖に駆られながら、町の外、その先の東都を目指す。


――私の体力はもつのかねえ……。


 気球で行けば半日程度の距離。

 しかし、歩いてとなると東都まではあまりにも遠い。

 道中で魔物と一度も出くわさないなんてこともないはずだ。

 それに、護衛の駒者(ピーセス)や衛兵は若い者が多いように思える。

 おそらく、戦力を割く余裕がないのだろう。

 魔物の大群を押し止め、リーフを脱出するのが最大の関門といったところか。

 そもそも、いつこの霧の向こうから魔物が襲ってくるかも分からない。

 まったく、少しくらい安心できるもんはないのかね、とベアは心の中で嘆息する。

 そんなベアの隣に二つの影が歩み寄ってきた。


「良かった。ベア婆もナッツたちも無事ね」


 小さな声で話しかけてきたのは、数年前まで孤児院にいて、今は食堂で働いているメリーだった。その隣にはヴァカル武具店で働いているジャンの姿もある。


「あんたらも無事で良かった」


「店はボロボロになっちまったけどな。おかげでこの大荷物だよ」


 そう言って、ジャンは大きなリュックを背負いなおす。

 人が数人は入るのではないかと思うほど、そのリュックは大きい。仕舞い切れない剣がリュックからはみ出しているのを見るに、中身は全て武器なのだろう。


「安心しろ。武器はこんなにあるからな。魔物が来ても返り討ちだ」


「でも、ジャンさんは弱いじゃん」


 鋭く残酷なナッツの一言に、子供たちの頭を撫でていたジャンの手が止まる。

 多分、子供たちを安心させようとしたのだろうに。可愛そうに、とベアは生温かい目でジャンを見ていた。


「こいつ……! 可愛くねえなあ」


「あら、ほんとのことじゃない。ジャンより、マールがいてくれた方が良かったわ」


「え……お前、やっぱマールのことが……」


「静かに! あんまり喋っちゃダメ!」


「……シュウが怖がってる」


 唇に人差し指をあて「しーっ」とハルとフゥが注意する。

 その二人に手を握られたシュウの肩はたしかに震えていた。

 以前、魔物に攫われたときのことを思い出してしまったのだろうか。ベアは頭を撫でながら、シュウに優しく声をかける。


「どうしたんだい?」


「……魔力が少し前から変なんだ……なんか、何かが近づいてきている気がする……」


 魔力の異変。

 魔法など大して使えないベアにはその原因はよく分からない。

 試しに感覚を研ぎ澄ませてみても、ベアの中の魔力は何の異変も告げはしなかった。


「多分、お前は感覚が鋭いんだよ。近くには魔物が多いからな…あ、そうだ。あとで、テルスの武器を見せてやるよ。試作品がいくつかできてんだ。うちの店の自信作なんだぜ」


「安心して。リーフのすっごい駒者(ピーセス)のおやっさんが先頭にいるんだよ!……まあ、私はお店で酔いつぶれている姿しか知らないんだけど……」


 二人の励ましにシュウの顔が少しだけ明るくなる。

 そして、その変化が分かるほど霧が晴れ、周囲が明るくなっていることに気づいたときにはもう手遅れだった。


 頭上を巨大な影が過ぎり……羽音と爆炎がリーフの住民を一瞬で包み込んだ。











――ああ、これだ。


 狂演の中、タマの唇は弧を描いていた。

 視界一杯を埋め尽くす魔物の群れ。その奥には見たことがないほど巨大で歪な混魔(キメラ)までいる。

 死地だ。

 今、タマ・フェリスはこの五年で一番死に近いところにいる。

 感じる瘴気が、震える体が、それを伝えてくる。だが、タマは止まらなかった。


――【魔刃《藍円気演》】


 躍るは藍の刃群。

 魔物の大群を切り、穿ち、瘴気へと還しながら黒猫は疾走する。


「ああくそ、速えな!」


 並走する餓狼が吠える。

 その声はどこか嬉しそうで、四方八方へばら撒かれる蒼剣はタマに負けまいと魔物を氷像に変えていく。

 そして、二人は有象無象を蹴散らし――混魔(キメラ)へと激突する。


「【魔剣《氷雨》】」


 先手必勝とばかりに降り注ぐ蒼剣の雨。

 並の魔物ならば一瞬で氷結する【魔剣】を混魔(キメラ)は躱すこともせず、その身に受ける。


「ちっ。やっぱ、威力が足りねえか」


 自慢の魔法の結果は、胴体と思しき”百足”の部分に薄い氷の膜を張っただけ。

 それも混魔(キメラ)が身を震わすだけで剥がれ落ちた。やはり、この混魔(キメラ)は巨大すぎる。メルクが傍らに浮かべている【魔剣】など爪楊枝以下だ。

 ならば、タマが浮かべている【魔刃】も結果は同じ――はずだった。


「さあ……」


 混魔(キメラ)の体に突き立つ藍の刃群。

 やはり、それは何の痛痒も与えていないのか、混魔(キメラ)はろくに反応することもなく前へと進む。

 メルクもタマも混魔(キメラ)にとっては路傍の石程度の存在。そもそも、視界に入っているのかすら怪しい。

 だから、こんな悪戯に足元をすくわれるのだ。


「悪戯のお時間です」


――【終幕(フィニッシュ)】。


 混魔(キメラ)の体に刺さっていたナイフが強く輝き――炸裂した魔力と爆発が”百足”に大穴を開けた。


「ギイイイイイイ!」


 耳障りな悲鳴が響き渡る。

 その歓声を浴びながら、黒猫の道化は餓狼の駒者(ピーセス)に視線をやる。


――どう?


 そんな煽りが聞こえてくるような目だった。


「く、そがああぁぁあ……!」


 今にも噛みつきそうな笑みを浮かべながら、メルクは精霊魔具を握りしめる。

 タマの煽りはメルクの矜持を燃え上がらせた。

 今の【魔剣】と【魔刃】の魔力量にそう違いはない。


 この結果の差は――技量。魔法と武器の使い方だ。


 そもそも、【魔剣】と【魔刃】に大きな違いはない。

 どちらも剣や刃といった切断する武器を形成する魔法だ。

 唯一の違いは耐久度。【魔刃】が形成した刃を武器等に付与しながら使うのに対し、【魔剣】は形成した剣をそのまま振るうことができる。

 剣を形成する【魔剣】という魔法。その魔法の耐久度を削り、切断に特化させたのが【魔刃】といえるだろう。

 魔力消費はそう変わらず、どちらも切断を目的とした形成魔法。

 むしろ、【魔剣】の方が頑丈なため、メルクに分があったといえる。

 彼が握りしめる水筒――精霊魔具『叢雨』を考えれば、さらにメルクの方が有利だ。


 しかし、結果はタマの攻撃が勝った。


 刺した角度、魔力を解き放つ【終幕(フィニッシュ)】、ナイフに仕込んだ爆薬等々。

 全てを計算した繊細な技量が混魔(キメラ)に風穴を開けた。

 メルクもそれを正しく理解しているからだろうから、こうも悔しがっているのだ。

 黒猫の少女が浮かべる微笑が「そんな良い武器持ってるのにその程度なんだね。ほんと宝の持ち腐れ。なあに? 子供みたいに魔法をぶっぱすることしかできないの? 残念。マテリアル《Ⅳ》ってもっと強いのかと思ってた」と言っているように見えてるなんてことは多分ない。


「メルク! 凍らせて!」


「足止めは準備できたよ!」


 コングとミーネの声が後ろから聞こえてくる。

 いつの間にか、混魔(キメラ)の周囲に無数の杭が展開されている。ミーネの準備ができているというのなら、この周囲には爆弾も仕掛けられているだろう。

 案外あっけなかったがこれで十分。

 今はこの魔物を倒すのではなく、確実に足止めし、住民たちをリーフから脱出させなければならない。下がるタマを横目に、周囲一帯を凍結させようとメルクは『叢雨』を振りかぶり……


「おい、あの魔物……倒れねえぞ」


 胴体に風穴を開けたはずだった。

 人間でいうのなら、背骨を貫くような大穴を開けたようなもの。

 しかし、暴れる混魔(キメラ)は倒れない。

 その”蜻蛉”の頭は変わらず、タマたちを見下ろしていた。

 そして、ブウウンと一際大きな羽音が鳴ると同時に――混魔(キメラ)を取り囲んでいた杭は吹き飛んだ。


「受けるな! ただの風じゃねえ! 斬撃が混じってやがる!」


 メルクの指示を受けながら、タマは身を低くし疾走する。

 杭の残骸を躱し、風に混じる刃を感覚を頼りに潜り抜け、死地を突破する。


――ああ、すごい。


 胸に湧き上がるのは驚嘆の感情。

 あの強烈な攻撃を前に、仲間は一人たりとも怯んでいない。

 前面を塞ぐように杭の壁がもう展開されている。

 それを混魔(キメラ)が”鎌”で斬り裂こうとした瞬間、無数の爆発が起きる。

 あれはどういった爆弾なのだろうか。あの速度で振るわれた”鎌”に張り付くように的確に爆発があたった。鎌は焼け焦げ、再生に数秒はかかるだろう。

 その数秒にメルクの【魔剣】が降り注ぐ。一発では薄氷程度でも、あの雨のような数ならば混魔(キメラ)を氷像にできる。

 しかし、混魔(キメラ)は俊敏にして、強靭だった。


「退避!」


 タマの声が響くと同時に、混魔(キメラ)は”百足”を振るう。

 空気を切り裂く轟音とともに、ほぼ全ての【魔剣】が打ち払われた。”百足”部分の傷もそう大したことはない。

 だが、今の一撃を観ていたタマはこの混魔(キメラ)の混ざり方を理解した。


「”百足”部分は尻尾! 胴体はあの翅がある”甲虫”! メルクは翅を凍らせて、そこが弱点!」


「なるほど、了解だ!」


 よく考えれば当たり前の話だ。

 あの混魔(キメラ)には”甲虫”と”百足”と胴体らしき箇所が二つある。だが、いくら混魔(キメラ)だろうと、同じ箇所が重なるなんてことはあり得ない。

 頭が二つあっても、体を動かせるのは片方だけ。どちらも体を動かせてしまうと混線してしまう。

 そして、そういった歪さが混魔(キメラ)の弱点となる。


「翅を凍らせたら、頭と胴体が下がるはず。コングさんとミーネの出番!」


 あの混魔(キメラ)が翅を仕舞っているのは見たことがない。

 おそらく、あの混魔(キメラ)は常に飛んでいるのだ。巨大な”百足”部分はバランスを取っているのだろう。この推測が正しいのなら――


「おらよ、全面囲えば躱せないだろうが! 【水精の杯カップ・オブ・アクエル】!」


 メルクが強引に混魔(キメラ)を水で包み込み、その翅を凍らせる。

 まったくもって羨ましい限りのごり押しだ。


「やっぱり!」


 翅が凍らされたことにより、混魔(キメラ)の頭が落ちていく。

 これで胴体部分の”鎌”も十分に振るうことはできないだろう。

 だが、混魔(キメラ)にはまだ”百足”が残っている。


「危ない! もう、ダメ!」


 周囲一帯を薙ぎ払おうと振るわれた”百足”にミーネが悲鳴を上げる。

 そう、ここがタマの出番だ。


「【魔刃《藍円気演》】――」


 藍の刃群がこれでもかと”百足”に突き刺さる。

 角度はよし、魔力も十分。

 数分前の再演とは味気ないですが、どうかご唱和を。さあ――


「――【終幕(フィニッシュ)】」


 そうして、藍の斬撃と爆発に”百足”は千切れ飛んだ。


――あるいは、それが混魔(キメラ)の狙いだったのかもしれない。


 足枷となっていた”百足”はなくなった。

 軽くなった胴体ならば翅の凍結が解けた瞬間、再び周囲を取り囲む杭からも容易く逃げることができる。

 だが、


「メルク、譲ってあげる」


「あいよ、いいとこはもらってやるよ!」


 解けかけた翅を魔物が振るわせた瞬間、餓狼が大量の水とともに降ってきた。


――ああ、これだ。これが欲しかったんだ。


 声もろくに交わさない連携。

 それはきっと、目的を同じとする仲間だから成立するもの。

 ずっと、タマはこうして仲間と一緒に戦いたかった。

 蒼氷に封じられたマテリアル《Ⅳ》を背後に歩いてくるメルク。その上げられた右手にタマは思いっきり手を叩きつけた。

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[一言] タマさん実戦もここ数年ほとんどしてないはずなのに強すぎでは
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