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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
五章【裏】
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戦士と道化の差

 煙に霞む大通りで何人もの駒者(ピーセス)がその時を待っていた。

 路地裏から。バリケードの影から。通りに面した屋内から。

 早鐘のような鼓動に胸を押さえ、暑くもないのに吹き出る汗を拭いながら、ただ決戦の合図を待ちわびる。

 そんな一団の最前線に、ハンスはいた。

 身を隠すことだけが目的の吹けば飛ぶようなバリケードの裏から、ハンスは色とりどりの煙の向こうへ目を凝らす。


 煩わしい羽音を響かせながら揺らぐ影。


 それらは時折、こちらに近づいたかと思うとすぐに離れていく。

 殺虫成分が多く入ったこの煙を嫌がっているのだろう。

 町の外には逆に虫が好む匂いの煙を上げているため、しばらくは虫型魔物の大群が押し寄せてくることはないはずだ。

 しかし、それはあくまで虫型だけの話。

 煙の向こうから飛び出てきた犬型魔物カニスがエルフたちの精霊魔法に撃ち落とされる。

 獣型など虫型以外の魔物が煙を突っ切ってくるのはこれで何度目か。

 魔物の大群は大半が旧落葉の森の虫型だと思っていたが、これは考えを改めるべきかもしれない。


――なんか、指揮でも受けて魔物が一気に攻めてきたみてえだな……。


 普通の魔物に足並みを揃えるなんて理性はない。

 それを分かっていてもハンスはそんな想像を拭えなかった。


 だが……仮にこれが想像ではなかったら?


 その指揮をしているものはおそらく、この煙の向こうにいる。

 暴風紛いの羽音が少しずつ近づいてくる。煙に映る巨影は間違いなくインセクタたちの女王”クイーン”のもの。

 おまけに、その周りにはもはや巨大な生物の影にしか見えないほど、重なり合ったインセクタたちの影もある。


「……はっ」


 ここにタマがいなくてよかった、と。

 そう安堵してしまったことに、ハンスは自嘲する。


 魔力の消費が激しいお前はまだ戦うべきじゃない。

 住民たちの避難誘導が必要だ。


 そんなとってつけたような理由でハンスはタマを戦場から遠ざけた。

 自己満足だなんてことは分かっている。

 魔力消費を代償に下位の魔法らしからぬ威力を持つ魔法や、【空隙】の中にある数々の魔具が何のためなのかだって分かっている。

 それでも、ハンスはあの少女に傷ついてほしくない。

 そして、それはもう一人……ある少年に対しても思っていたことだった。


「……ここで俺が倒せばいいだけの話だ」


 決意の呟きとともに、ハンスは魔力を体に巡らす。

 決戦は近い。一秒が数倍にも感じるほどの緊張に空気が張りつめる。

 少しずつ、少しずつ。クイーンの翅が巻き起こす風が煙を押しのけ、ついにその巨体が配下のインセクタたちと共に現れる。

 そして――


「やれっ!!」


 おやっさんの号令と同時に、無数の爆音が轟いた。

 クイーンとインセクタの群れに爆弾が降り注ぐ。

 インセクタたちも【空隙】によって上空に仕掛けられた爆弾は予想外だったのだろう。

 配下の虫たちはクイーンを守ることもできず、炎に包まれ地に落ちる。

 それにしても、あの駒者(ピーセス)はいったい何個の爆弾を持ち歩いていたというのか。

 爆撃は止まる気配を見せず、痺れを切らしたおやっさんが作戦を早め、次の号令を叫ぶ。


「次だ! エレンリード!」


「ふっ、了解した。【フルメン】!」


 炎に包まれたクイーンに追撃をかけるはエルフたち。

 エレンリードの『雷』の魔法を筆頭に『火』や『風』がその巨体に直撃し、クイーンはふらふらと地に落ちていく。


「よし」


 ここまでは順調だ。

 爆撃で奇襲し雑魚を散らし、魔法で地に落とす。

 あとは、マテリアル《Ⅳ》の魔物を削り切れるかどうか。


「いくぞ野郎ども! ここで仕留めるぞっ!」


 おやっさんの裂帛の気合に雄たけびを上げながら、リーフの駒者(ピーセス)が走り出す。

 その先陣を切って、ハンスはクイーンの巨体へと身軽に跳んだ。


「【魔剣《双奇》】」


 そうして、深い紫に彩られた剣舞が開演した。

 薄羽を斬り裂き、甲殻の隙間から肉を突き刺し、細い腰にいくつもの傷を刻んでいく。

 その剣舞は剣士の悪人面からは想像がつかないほど流麗にして正確。

 この巨体の背は自分のものと言わんばかりの紫の狂演に、駒者(ピーセス)たちは歓声を上げながら続いていく。

 クイーンを守ろうと近づくインセクタたちなんて舞台にお呼びではない。

 翅を切られ、首を断たれ、インセクタたちは退場していく。

 剣舞は止まらず、槌が砕き、槍が貫き、刃が裂く。

 クイーンの金切り声に皆が勝利を確信し――溢れ出したそれに目を見開いた。


 砕き、貫き、裂いた腹から白がボロボロと零れ出す。


 距離を取る時間なんて許されなかった。

 驚愕に手が止まった一瞬で、白は虫人の姿を象り、黒く染まっていく。

 まるで、蟻や蜂が卵から孵り成虫に至るその過程を早送りで見せられているかのようだった。


「離れろおおおおっ!」


 産まれたインセクタの大群に駒者(ピーセス)たちが次々と飲まれていく。

 鞭のように変化する【魔剣】でハンスは次々とインセクタを切り裂いていくが、全員を救うことは叶わない。

 群がるインセクタに飲まれ、身を起こすクイーンに踏み潰されていく駒者(ピーセス)を横目にハンスはクイーンの背から離脱する。


「くそが……」


 足りない。

 やはり、自分の力ではマテリアル《Ⅳ》という理不尽を倒すことも、その脅威から皆を救い出すこともできない。

 だが、自分にはない必殺の一撃がここにはある。


「【フルメン】……集え、雷の精霊たちよ……」


 連なる紫電が空気を焦がす。

 こんな状況にあっても、その騎士の表情は自信に満ちていた。

 ハンスはあのエルフが嫌いだ。初対面の印象は最悪だし、自分が欲してならないものを奴は持っている。それに何より……似ているのだ。


 自分が嫌いな人間が、自分に似た人間を好きになるはずがない。


 大事な人の力になれなかった男。鏡像を避けるかの如く、二人はろくに喋ったこともない。

 しかし、似ているがゆえに、ハンスはエレンリードが求めることを、そのペアよりも理解できた。


「ちっ」


 ハンスは離れながらも片方の手でクイーンを守るインセクタたちを散らし、もう片方の手で【空隙】から取り出した剣を次々と投げていく。

 道化稼業も案外馬鹿にできない。全部は無理でも、剣の数本は正確に再生しきっていない傷口に突き刺さった。これで、雷は体表を焼くだけでなく、中にも十分通るだろう。


「とっとと倒せ」


「上出来だ。落ちろ――【轟く雷霆】」


 紫電が閃き、轟音が大気を揺らす。

 まさに、自然現象そのものといっていい雷は相棒のアルタールの浄により、さらなる強化を果たしている。

 焦げた匂いと立ち昇る煙。

 間違いなく、エレンリードのトランプ・ワンはインセクタの女王に直撃した。


 ならば――未だ動くあの焦げた巨体は何なのか。


「なん、だと……」


 術者であるエレンリードやその威力を知るエルフたちは呆然と再生していくクイーンを見ている。

 他の駒者(ピーセス)たちの表情も暗い。誰もこの光景を好機とは受け止めていなかった。


「さっさと攻撃しろ! 畳みかけるチャンスだろうが!」


「魔法だ! あいつを飛ばすな!」


「あーもう、爆弾ほとんど残ってないのにー!」


 ハンス、おやっさんが指示を出しながら魔法を撃ち、ミーネが【空隙】にポーチの中身をひっくり返す。

 だが、この場にいる誰より早くとも、三人は間に合わない。

 いや、間に合おうとも、インセクタや何故か集まり始めた他の虫型に邪魔され、クイーンまで攻撃が届かない。


 だから、女王を突き刺した岩の槍はこの場にいる誰の魔法でもなかった。


「はあ、はあ……あー、間に合った」


「ふうー……町に侵入させてんだから、間に合ってはいないでしょ」


 いつの間にか薄れた煙幕の先に、息を切らした二人の駒者(ピーセス)がいた。

 二人の駒者(ピーセス)――メルクとコングの背後は瘴気と細氷が舞う氷原と化している。

 そんな光景にリーフの町並みを一変させたマテリアル《Ⅳ》の駒者(ピーセス)は女王を一瞥すると、首を傾げながら精霊魔具を振るった。


「死にかけじゃねえか。さっさと止めを刺せよ」


 それは、ただの【魔剣】だった。

 しかし、ハンスやおやっさんの【魔剣】とは明確な差があった。

 たとえ、クイーンが他の魔物を操れたのだとしても関係がない。

 雨の如く降り注ぐ滂沱の【魔剣】は魔物の大群ごとクイーンを飲みこみ、全てを氷像と変えた。


「貫きなさい」


 そして、再び発現した岩の槍がクイーンの氷像をあっけなく砕いた。

 キラキラと宙に舞う細氷と濁った瘴気。

 その光景とあまりに大きな差に、ハンスは呆然としていた。

 ここにはこれほど多くのリーフの駒者(ピーセス)にエレンリードやミーネがいて……それなのに、クイーンを倒し切ることはできなかった。

 だが、この二人は一瞬でマテリアル《Ⅳ》を倒した。

 それに、あれほどいた魔物の大群をたった二人で突っ切ってここまで来たのだ。

 場違いな嫉妬が身を焦がす。

 この差はなんだ。五年を費やしてもハンスにこんな芸当はできない。こんな様でクイーンよりもはるかに強いであろうあの魔物を倒すことなんて――


「ほら、さっさと逃げるぞ」


「これ、もう町から避難中よね。早くしないと間に合わなくなるわよ」


「え? 魔物はもう全部倒したんじゃ……」


「いや、後ろを見ろよ。こんなの雑魚に思えるのがうじゃうじゃいやがる」


 ミーネの問いにため息をつきながら、メルクは後ろを指差す。

 氷原の先。門の外で立ち昇る煙に群がる魔物の黒い影。

 その中には、あまりに巨大な蛾がいた。歪なシルエットの魔物がいた。

 そして――


 空を優雅に舞う骨を纏ったがいた。

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― 新着の感想 ―
[一言] げ、あの芋虫羽化してたんか… もはやこの状況、障気が無いだけのリバーシなんじゃ
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