藍色の舞台
「魔物の襲撃です! 大広場に逃げてください!」
悲鳴と警鐘、そして、葉を踏み散らす音が満ちる大通りでタマは声を張り上げていた。
少し離れたところでは、魔具により拡声された同僚たちの声が同じように響いている。
その声のどれもが隠し切れない焦燥に満ちていた。
リーフで戦える全ての者が陥落した門へと走っている。その中には当然、エレンリードやハンスだっている。
それなのに、どこに視線を向けても魔物がいる。
空を飛ぶ無数の虫型、逃げ惑う人々を追う獣型、魔瘴方界内で確認されたという虫人型までこんな町の中まで侵入している。
――こんなの……!
すでに状況は最悪だ。タマは不安と震えに耐えるように、強く唇を噛みしめる。
大広場に住民を避難させ、各通りにバリケードを設置。
それでも、魔物の侵攻を止められないなら、気球で町から脱出せねばならない。
ギルドのマニュアルは理解している。だが……
門を十数分で落とされているのに大広場で籠城なんてできるだろうか?
蝗害さながらに魔物が空を埋め尽くしているのに気球を飛ばせるのだろうか?
かつて旅路の中で見た町や村の残骸が脳裏に浮かぶ。
そんな終わりの予感を振り払うように、タマは「大広場へ!」と叫び続けた。
「――はやく逃げなさい!」
どうしてだろうか。
同じような悲鳴が響く中、その声だけはやけにはっきりと聞こえた。
「タマさん、そっちは!」
走り出す。大広場の方ではない。この震えが強くなる方へ。
後輩が呼び止める声を無視し、タマは壁を蹴って屋根へとその身を躍らせる。
聞き間違えるはずがない。この女性の声とそれと言い争う子供たちの声は――
「はやく逃げろと言っているだろ!」
「でも、ベア婆をおいていけないよ!」
ドラグオン孤児院のベアと子供たちがそこにはいた。
おそらく、ベアが足を痛めたのだろう。立ち上がれない彼女をなんとか子供たちが背負おうとしている。
大通りにはたくさんの人がいる。
しかし、困っている子供たちを助けようと、立ち止まる人はいない。そもそも、視界に入っていないのだ。
魔物の大群はもう、すぐそこまで近づいてきていた。
――ああ……。
何もかもが、ちぐはぐだった。
震えが止まらないのに、この足は屋根を蹴っている。
怖くてたまらないのに、皆の楽しそうな声を思い出している。
体は震え、心は恐怖に屈し、それでも――磨いてきた技は曇らない。
ふわり、と。
葉が落ちるかのように音もなく現れた黒猫の少女に誰もが目を奪われる。
「た、タマさん!」
「頼む、子供たちを――」
「メルル、先輩命令! この人たちを連れて大広場に行きなさい!」
言い争う時間はない。
魔物の大群に歩きながら後輩に向けて叫ぶと、同じように拡声された声が背後から聞こえてきた。
「先輩、無茶です! あんなのただの受付嬢じゃ一分も無理です!」
「タマさんも一緒に逃げよう!」
「逃げろ! 奥からまだ来るぞ!」
後輩の声も、子供たちの声も、魔物を追いかけてきた駒者の声も聞こえない。
まるで舞台に上がる前のように、タマは深呼吸をし――その唇が呪文を紡いだ。
「【魔弾《残影》】」
藍色が閃いた。
人々がそう認識したときにはすでに数体の魔物に穴があいていた。
「……へっ?」
誰かが驚くような声がどこからか聞こえてきた。
ああ、それはとても心地よい。道化の舞台には恐怖より驚きが大事だ。
私は真っ赤な球形ピエロとは違うのです、なんてことを思いながら、タマは次の呪文を紡いでいく。
「……【空隙《影》】……【魔刃《藍円奇演》】……」
足元の影から馬鹿みたいな数のナイフが空へと浮かび上がり、タマを中心にここが舞台だと言わんばかりに藍色が広がっていく。
宙に舞うは風に躍る葉の如き藍の百刃。
それを呆けたように見つめる人々を横目に、タマはその白い指を魔物に向けた。
震えは止まってくれない。でも、いい。今はこの震えを武者震いと思おう。
これより始まるは久方ぶりの大舞台。
独りでも、観客に怯えていても、《トリック大道芸団》の道化タマ・フェリスは舞台に上がる。
どんなに怖くたってもう……何もできないで見ているだけなんて嫌なのだ。
だから、いつかの開始の合図を今ここに――
「――さあ、悪戯のお時間です」
ぱちん、と指が鳴ると同時に、藍を帯びたナイフが【射出】された。
穿ち、切り、断つ。百の刃が魔物たちを次々と瘴気に還していく。
魔物の大群といえど、そのほとんどはマテリアル《Ⅰ》や《Ⅱ》。
五年前ですら倒していた魔物に今さら後れを取るわけがない。タマは軽やかに跳び、広がる藍色の円形舞台の内に魔物の群れを迎え入れる。
「【魔弾《残影》】」
それは師匠である道化姫を真似た【魔弾】。
速く鋭い螺旋の流星が魔物を次々と貫き、浮かぶナイフに当たり――【魔弾】はその軌道を変える。
百の刃は未だ地面に落ちていない。
一つ一つが意思を持っているかのように動き回り、魔物を切り裂いていく。
その舞台を飛び回るは藍の流星。浮かんでいるナイフに、地面に広がる藍の光に当たるたびに【魔弾】は軌道を変え、魔物の群れを蹂躙する。
それはまさしく”大道芸”だった。
藍の光とともに躍る受付嬢姿の道化に、人々は逃げる最中だというのに目を奪われる。
その美しさに、途方もない技量に、身近な人の予想外な姿に。
様々な理由で皆の視線を集める主役はまさに駒者であり、道化であった。
そう。
この光景は駒者としても、道化としても、彼女が積み上げてきたものが間違いでないという証明だった。
しかし、その証明を本人だけは受け入れない。
まだナイフの操作も【魔弾】の軌道も甘い。もっと速く、もっと鋭く。
こんな様では隣に立てない。こんな技ではあいつには届かない。
何より、あんな魔物に震えているようじゃダメなのだ。
「……なにあれ?」
嵐のような羽音とともに、巨大な虫が現れる。
インセクタと呼ばれる虫人型魔物に似た姿。
ただし、タマの知る情報ではインセクタはあそこまで巨大ではない……が、あの魔物は蟻や蜂に近いと言われ、女王のような存在がいるのではないか、という説がある。
肥大化した腹部をインセクタたちに支えさせ、卵らしき白い塊を次々と落としていくその姿は確かに女王だった。
「推定、《Ⅳ》……」
あれは倒せない。そして、ここは全てを振り絞る場でもない。
タマは冷静に藍の舞台を収めた。
しかし、ベアを抱えた後輩はまだそれほど離れていない。足止めは必要だ。
「タマ、離れろ!」
聞こえてきたハンスの声に、タマは大きく後ろへ跳ぶ。
その瞬間、色とりどりの煙が魔物を覆いつくした。
ツンとする匂いの白煙はよく知っている。何しろ、タマ自身が作っている殺虫成分が入った煙だ。だが、それ以外の煙は知らない。
いったい誰が、とタマが首を傾げていると、煙からハンスやおやっさん、エレンリードや彼のペアである浄化師アルタールたちが出てくる。
「状況は?」
咳き込みながら「走れ、走れ」と言ってくる駒者たちと並走しながら、タマがおやっさんに問いかける。
「最悪だ。なんとか《Ⅲ》だけは近づけないように倒してたんだが、もう無理だ。あのでかいのが出た瞬間、馬鹿みたいな数のインセクタに、《Ⅳ》まで出てきやがった」
「あの魔物が厄介すぎる。放っておけば魔物の数は増え続け、倒そうにも周りのインセクタが邪魔をする。それに、僕の魔法が直撃しても怯みもしなかった」
「お前の雷で無理ってなると、間違いなく《Ⅳ》だろうな。あの防御力で再生するとか最悪だ」
エレンリードとハンスの言葉を聞く限り、最大の障害はあの魔物だ。
しかし、リーフの駒者で《Ⅳ》を倒せるのは数名。
その筆頭であるエレンリードの魔法で駄目だった以上、状況はハンスの言う通り最悪だ。
それでも、リーフの駒者たちの表情は絶望に染まってはいなかった。
「だが……」
なんとかなるかもしれん、とおやっさんが一人の駒者の肩を叩く。
リーフの駒者ではない、明るい茶色のくせ毛が特徴的な少女。
その顔と印象的な巨大なポーチをタマは一方的に知っていた。
「私、観光に来ただけなんだけどなあ……」
そんなぼやきをこぼし、ため息をつくのは――『地雷魔女』。
騎士選定でテルスを苦しめたミーネ・ドラグオンであった。




