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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
一章
14/196

新たな一歩

 その扉を開くには、勇気が必要だった。

 何度か深呼吸を繰り返し、テルスは覚悟を決める。

 たとえ、どんな言葉を投げかけられようと、自分はここに入らねばならない。

 正直なところ、入ったところで何も話せない気がする。

 謝ればいいのか、それとも、助けにきてくれたことを感謝すればいいのかすら分からない。

 正しい答えなんて分からない。

 ただ、会わなければ後悔するとテルスは思った。

 ならば、どうすべきかなんて明白だ。

 テルスは『楽しく後悔しないよう生きる』と約束したのだから。


「……あ、テルスだ」


 扉を開いて、病室に入ったテルスを迎えたのは……そんな、いつもと変わらないタマの声だった。

 白いベッドに寝かされたタマは包帯だらけだが、テルスを見て勢い良く体を起こすのを見る限り、命に別状はなさそうだ。

 見舞い客用のものか、ベッドの脇にある椅子にテルスが腰掛けると、タマの黒い尾がぴんっと伸びた。


「あれ? ほっぺが赤いけど、どうかした?」


「……なんでもないよ。タマの方こそ体は大丈夫?」


「うん、平気。早く退院したい」


 タマは不満そうに唇を尖らせる。

 その仕草がいつもと変わらないことにテルスは安堵した。

 同時に、その隣で同じ仕草をする少女がいないことに胸が痛んだ。


「……そっか、良かった。でも、ちゃんと治さなきゃ駄目だよ」


「でも、ここで寝てるのは暇。毎日、テルスが見舞いに来て。薄情なハンスは一回しか来てくれないし」


 ハンスの名前を聞くと、テルスの左頬が思い出したかのように熱くなった。

 結局、ハンスとは話すことさえ、まともにできなかった。

 もう向こうは顔も見たくないと思っているだろう。


「……あのさ、言わないといけないことが――」


「謝ったら怒るよ」


 先回りされた声にテルスは口を閉じる。

 テルスが言おうと思っていたことの一つは、まさにその言葉だった。


「テルスが来てくれたのが今日で良かった。昨日だったら酷いこと言ってたかも。当たり散らして、散々泣いて、テルスは悪くないのに、きっと傷つけてた」


 そう言って儚げに微笑むタマの瞼は赤く腫れていた。


「知ってた? 私とミケって、本当はそんなに似てないんだよ」


「双子なのに?」


 その言葉を聞くと、タマはうっすらと微笑んだ。


「双子って言うのは……実は嘘。演技をしてた。本当は一歳だけミケが年上。顔は薄く化粧をして、身長は私の靴を少し弄って、髪型を同じにして、服もお揃いにして、一生懸命似せてた。でも、声だけは何もしなくてもそっくりだった」


 知らなかった。欠片も気づけなかった。

 しかし、真実を聞きテルスは一つ納得する。

 記憶にある二人の姿がいつも道化衣装だった、その理由に。


「……そんなに、似せようとしたのは芸のため?」


「うん。私たちは役に立たないと、ファル団長に見捨てられると思ってたから……そんなことはありえないのに、拾われたときの私たちは必死だった。だから、双子の芸があるって聞いて飛びついた」


 なんだか、テルスは目の前で話す少女と初めて会ったような気がした。

 道化衣装ではないタマも、こんなに一人で話すタマもテルスは今まで見たことがなかった。


「でも、そろそろ限界だった。同じ物を食べて、同じ物を見て、同じように生活しているのに、ちょっとずつ違くなっていく。本当に不思議。だから、もう少しで、双子の芸もできなくなるね、ってミケと話したとき、一つ約束をしたの」


 窓の向こうに広がる空をタマは見つめる。

 柔らかな風がカーテンを揺らし、タマの黒い髪まで届いていた。


「同じじゃなくなって違う道を行くようになっても、最後はまた一緒にいようって。それで、どんなものを見てきて、どんなことがあったか、二人で話そうねって。だから……」


 途切れた声の代わりに、タマの頬を溢れた涙が伝っていく。

 白い病室に静寂が広がる。

 痛いほど静かな部屋の空気をそよ風だけが震わしていく。

 かけるべき言葉がどうしても見つからない。

 想いは声になることはなく、やがて、今は何もできないとテルスは悟った。


「……また、明日来るよ」


「うん……その方がいいかも。その頃にはきっと涙も止まってるから。ああでも、これだけは先に言っておかないと――テルス、ルーンを連れて帰ってきてくれて、ありがとう」











 久しぶりに精霊樹に登ったテルスはぼーっと空を眺めていた。

 精霊樹の下の広場からは賑やかな声が聞こえてくる。

 今日もリーフは平和だ。

 あの災魔がもう少しでここに来る可能性があったことなど、誰も知らない。


 そう、誰も。


 あの日、テルスはゴブリンやカニスと戦い、傷だらけになりながらリーフに帰ってきた――ルーンが封じられた黒水晶を引きずるようにして。

 そして、テルスは焦ったギルドの職員や駒者(ピーセス)から、何があったか問いただされることとなった。

 しかし、いくら本当のことを言っても信じてはもらえなかった。

 ルーンが言っていたマテリアル《Ⅵ》の魔物のことも。

 それが災魔と呼ばれ、魔瘴方界(スクウェア)の外でも活動できるということも。

 あの黒水晶の中に、皆がいることすら半信半疑の様子だった。

 ルーンの言葉なら信じて貰えたのかもしれない。

 しかし、子供であったからこそ、テルスの言葉は受け入れられなかった。


 魔瘴方界(スクウェア)の外でも活動できる魔物の『王』。


 それはある絵本に出てくる魔物のことだからだ。

 王都建国よりも遥か昔。

 魔瘴方界(スクウェア)に挑み、魔物の『王』を打倒した王と騎士が出てくる物語。

 最古にして、最も有名な童話・・

 だからこそ、夢見がちな子供の言葉だと、テルスの言葉は一蹴された。


 旧王都の崩壊から百年。


 新王都の建国。そして、ギルドが今の体制になってから、魔瘴方界(スクウェア)の最奥にいる『王』を除いて、マテリアル《Ⅴ》の魔物はいない。

 まして、百年の歴史の中で一度も語られたことのない魔物をギルドが信じるはずもなかった。

 そんな背景からか、ギルドはルーンが『災魔』と呼んだ魔物を人型魔物の新種か混魔(キメラ)と判断した。

 推定マテリアルは《Ⅳ+》。

 王都を始め、特にリーフ付近の東都には危険度が高い魔物と情報が広まったが、あの日以来、災魔は姿を見せることがなく、人々の警戒も収まりつつあった。


 そして、テルスを取り巻く環境は変わった。


 マテリアル《Ⅳ》の駒者ピーセス、何より皆に慕われていたルーンを失った元凶として、テルスは疎まれるようになった。

 他の駒者(ピーセス)からは不吉な存在と見なされ、仲の良かった人とも決別した。

 何より、あの笑い声はもう聞こえない。

 またテルスは失った。

 いつかと同じように、この樹の上で一人きりだ。


「楽しくかあ……」


 それはとても難しい。

 今なら、ルーンがそう言っていたことがよく分かった。

 それでも、


「さあ、頑張りますか!」


 もう過去は求めない。

 過去を支えに未来へ歩いていくと、『楽しく生きる』と約束を交わした。

 少年は前を向く。

 涙を拭い、またこの樹の上から始めていく。


――新たな一歩を。











◇◇◇











 雨粒に混じり涙が頬を伝い、地面を濡らす。

 もう声は届かない。もう声は聞こえない。そのはずなのに、


『……ねえ、貴方は喋らないの(・・・・・・・・)?』


 聞こえてくるルーンの声。そして―― 


 道化は舞台を降りた。しかし、それでも精霊は(・・・)物語の幕を下ろさない。

 

 ノイズが走るその続きは、今もテルスの胸を締め付ける。

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