繋がる仮定
この真っ暗闇の迷路に落ちて、もう一時間が過ぎた。
日の光や空模様、人の賑わい。
そういったものが欠落したこの地下では時間の感覚がひどく曖昧だ。
ヴィヌスが懐中時計を見て時間を告げたときは、まだそれしか過ぎていないのか、とテルスとサハラは驚いた。
それは何も時間の感覚だけの話ではない。
この真っ暗闇に慣れていくにつれ、五感も変化していっている気がする。
閉ざされた視覚を補うように嗅覚は土の匂いを、聴覚は魔物の足音を、より鮮明に感じ取る。
暗闇に溶けて一体化していくような奇妙な感じ。
だが、この暗闇に慣れたことで、テルスたちはようやく指針を手に入れることができた。
「あ、この通路の奥、右側から魔物が出てきたよ、テルス」
「ほんとだ。やっぱり、あっちから魔物が来てるなあ」
道は分からずとも、テルスとソルは魔物が来る方向を感知できる。
こうして、何回も瘴気を感じ取っていれば、魔物の動向の一つくらいは分かってきた。
「……巣でもあるのかな」
「どうだろうね。ただ、魔物はいつも同じ方向から現れる。そういうものがあると考えておいた方がいいんじゃないかい?」
「そうだね。気をつけておく」
ソルの言葉にテルスは頷く。
この迷路の中心。魔瘴方界の王域のような場所。
それはきっと、あのタロスではない。
希薄ながらもこの迷路はどこを歩いても瘴気が漂っている。
その濃さがほとんど一定なのは、おそらくそうなるように人型魔物を配置していたからだ。
魔物を倒せば、その瘴気の空白を埋めるようにまた魔物が送られてくる。
まさか無尽蔵ということはないと思うが……通路の隅に隠れてやり過ごした人型魔物の群れは、数も瘴気も、今までと何も変わらなかった。
ゆっくりと。
暗闇の奥に進むにつれ、どこが中心かを理解させられる。
通路の奥に鎮座する冷たい、氷のような瘴気の気配。
大きいとか小さいとかではない。
ただただ、異質なその気配をテルスとソル以外も感じ取ったのか、皆の足が止まった。
「行かないと……ダメ?」
ティアの問いかけに答える声はない。
誰だってあんな瘴気に近づきたいはずがない。
だが、引き返しても出口はなく、人型魔物の群れと”歩く火山”の異名を持つ魔物タロスと戦うことになるだけだ。
「……使うかい、テルス?」
「いや、脱出には使わない」
リベリオンで『土』の属性を選べば、この地下から脱出はできる。
しかし、頭上にあるのは人家だ。
それに、タロスや人型魔物を地上に出してしまう可能性だってある。
何より、タロス、この迷路の中心にいる魔物、そして、レギナと戦闘になるかもしれないというのに、ここで逃げるために切り札を使うことはできない。
選べる属性は一つだけ。
レギナはともかく、タロスを仮想敵とするなら『土』ではなく『火』か『水』を選ぶべきだ。
「この気配……地下に来たときにも感じましたよね」
「うん。魔物がわらわら襲ってきたし、一目散に逃げたから、あのときはよく分かんなかったけど……」
「じゃあ、二人がここに来たときに使った階段は、この先か」
ヴィヌスとティアが下りてきた大聖堂の階段。
それは唯一あると断言できる地上への道だ。
だが、そこに向かうということは、この異質な瘴気の主に近づくことを意味する。
「……一度、休憩を挟むことを提案する。本格的な戦闘になるなら、作戦も練っておいた方がいい」
「賛成。ヴィヌスさんとティアはもうずっと歩いてんだし、ちょっと休んだ方がいいよ」
「そう、ですね。そうさせてもらいます……」
そう答えると同時にヴィヌスは糸が切れたように、その場にへたり込む。
そうして、数秒後には静かな寝息が聞こえてきた。
暗くて気づけなかったが、相当疲れていたようだ。「私も仮眠とっとこー」と横になるティアとは違い、もっと気遣っておかねばならなかった。
「ふう……さてと、まずは役割分担からしとく?」
「それがいいだろうね。ま、ほとんど決まってるけど。君が前衛で一番面倒な魔物の相手、そこのメイドが雑魚狩りで――」
テルスとサハラは壁に背を預け、体を休めながら話し合う。
敵の正体が分からない以上、綿密な作戦は立てられない。
互いの役割を確認して、いくつか状況を想定すれば、やれることはもうほとんど残っていない。
ほんの数分の作戦会議。
隊長と呼ばれていただけあって、サハラの想定する状況や作戦は的確だった。
あの気球でのことさえなければ、もう少し信頼できただろう。
しかし、信頼できず、ほとんど魔法などの手の内を晒していない相手だろうと、共通の敵についての情報は話しておかねばならない。
――もしも、この先にいるのが災魔ならば。
魔瘴方界を展開された時点で、浄化師がいないテルスたちは詰んでしまう。
テルスからレギナたち災魔の情報を聞いたサハラは心底嫌そうに声を漏らす。
「魔瘴方界を展開って、そんな魔物どうしろっていうんだ……」
「やられる前にやるか、範囲外に逃げるしかないなあ」
「こんな閉鎖空間で? タロスや変んなのもいるのに? 難易度高すぎるでしょ」
「まあ、殺意しか感じないね」
本当に、この地下は殺意というか悪意しか感じない。
いるのはマテリアル《Ⅳ》、それも爆弾みたいな魔物だ。
でも、町一つを滅ぼしかねないこの爆弾をどうにかしたくとも、こんな地下ではトランプ・ワンを撃つことすら難しい。
おまけに、魔力に反応する人型魔物が実に鬱陶しく邪魔をしてくる。
魔物の選択。町を人質にするやり方。精霊祭という日取り。
人を排除しようという強い意思をこれでもかと感じる手だ。
ただ、思惑を読めるということに、違和感もあった。
「他にも色々ありそうなんだよなあ。あの魔物、何考えてんのか分からないし」
「そうかい? これに関しては魔物らしいというか、好戦的な感じがするけど」
「うーん、好戦的……」
それはちょっと違う気がする。
テルスから見たレギナは何を考えているのか分からない魔物だ。
南都に来てからだと例えば……
「急にヴィヌスさんを狙ったり、理由が分からないことばっかなんだけどなあ」
「ブルードを狙うね……まあ、僕たちなら同じことをするかもしれないか」
「はい?」
「ああ、狙うって言っても暗殺とかじゃなくて、誘拐の方だよ」
どちらにしても爆弾発言であった。
寝ているとはいえ、本人がすぐ隣にいるのに言うことではない。
まして、冗談になんて欠片も聞こえない真剣な声で話すならなおさらだ。
「……何で?」
「術式目当てさ。僕たちがあのとき気球を襲ったのは、ブルードの術式が欲しかったからなんだよ」
――あの魔瘴方界の砂漠を突破するために。
そんな理由を語るサハラに答えたのはテルスではなく、いつの間にか起きていたヴィヌスだった。
「無理ですよ……気球ではあの砂嵐を突破できません」
「そのとおりだ。知ってるよ。五年前、気球は浮かんでいるので精一杯で、ちっとも進むことなんてできなかった。そして、下で襲われている人を助けようと無理をして、君の両親は気球ごと魔物に喰われたんだ」
「――っ、それを知っているなら、何で!」
「浮かぶことはできていたからだよ。最大の問題点である砂漠に立たなくていい。このメリットを理解できないほど馬鹿なのか? ああ、すまない。結果はもう出ていた。君たちは大馬鹿だった」
その罵倒にはあまりにも濃い憎悪が滲んでいた。
「僕はあのとき戦った人たちには敬意を持っている。だからこそ、あの犠牲を無駄にして諦めている奴を心底嫌悪している。で、君はどっちなんだい? 諦めた馬鹿か、諦めていない無能か」
「言わせておけば……!」
ここが敵地ということを忘れたのか、口論は次第に激しくなっていく。
うるさいなあ、と起きたティアに簀巻きにされようが、二人は小声で喧嘩を続けていた。
そんな隣を余所に、テルスはずっと考えこんでいた。
「もしも、サハラと同じ理由でレギナが動いていたとしたら……」
それは、ただの仮定。根拠も何もない想像の話だ。
しかし、それは今までのレギナの行動と不思議なほど繋がる仮定だった。
「五年前にあれほどの被害が出て、すぐに攻略に動けるはずがない!」
「言い訳だけは達者だな。離れておいて攻略も調査も何もないだろ。君たちは五年を棒に振ったんだ」
そう、五年だ。
五年前、テルスがレギナと出会ったとき、あいつはあの屍に「行くのはもっと西」のようなことを言っていなかったか。
険悪な空気など気にもせず、テルスは二人の口論に割って入る。
「……ねえ、その刻限の砂の攻略は何月何日だった?」
「「え?」」
唐突なテルスの質問に二人の口論が止まる。
そして、同時に返ってきた答えはテルスの想像通り、あの日にあまりに近い日付だった。
「魔瘴方界に入ってほしくない……雪花の湖みたいに?」
これが推理とはとても言えないことなんて分かっている。
でも、もしも、これが合っているならレギナの狙いが分かるかもしれない。
そのためには、あと一つピースが足りない。
雪花の湖に『水』の属性持ちが必要だとしたら……
刻限の砂には何が必要となるのか。
いつの間にか口論が止み、静けさを取り戻した闇の中で、テルスは想像を語る。
そして、この想像は現実と成り得るのか。
唯一それについて知っている精霊の白鼠に問いかけた。
「……おそらく、可能だと思う。刻限の砂を進むために必要なのは――」
その答えをソルが口にしたと同時に、通路の奥に白い人魂が灯った。




