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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
一章
12/196

災厄の魔

「おいおい……」


「「ひっ……」」


「ああ、これは……まずいですね。ルーンの警戒のしようが分かります」


 異形の魔物を前に、ハンスとファル団長は目を見開き、魔物に慣れているはずのミケとタマも怯えを見せる。

 そして、テルスは信じられない思いで、屍の魔物を凝視していた。


 傷がなかった。

 

 かすり傷すら、魔物の体には刻まれていない。

 ルーンのあの魔法を受けて無傷。

 雷も炎も風すらも、その身に傷を残すことはできていなかった。


 どうすれば、倒せるというのか?

 どうすれば、逃げることができるのか?

 なにより、この魔物は何なのか?


 その疑問はこの場にいる誰もが持つものだった。


「……で、これなんです? 私、こんな魔物見たことないんですが」


「こいつは多分、『災魔』。マテリアル最上位の《Ⅵ》の魔物。魔物の『王』にして、魔瘴方界(スクウェア)の外でも生存できる災厄の魔物だよ」


「え?」


 テルスはそんな魔物のことなど聞いた事がなかった。

 いや、強いて言うなら現実・・では聞いたことがなかった。


「おい、寝ぼけてんのか? 魔瘴方界(スクウェア)の外でも生きられるっていうのは絵本に出てくる魔物のことだろ? マテリアル《Ⅵ》も災魔なんて言葉も、俺は聞いたことがないぞ」


「「私も」」


「私だって一度見たことがなかったら、そう言ってるよ。でも、この瘴気はあれとそっくりだ。あの森に現れたあいつと……」


 魔物の正体を告げたルーンですら、その正体に自信がないようだった。

 だが、魔物は自身の正体を明かすのを待ってはくれない。

 魔物――災魔は焼け焦げた屍の腕を上げ、骨剣を振り上げる。

 テルスから見ても力なく、弱々しく振り上げられた骨剣は、すぐに絶対的な脅威に変わった。


「退避! 死ぬ気で走りなさい!」


 もう、骨剣の形状を剣とは呼べない。

 あれは、巨木だ。

 天を貫くように伸びた骨剣は枝葉を茂らせるように無数に枝分かれし、逃げ出すテルス目掛けて、振り下ろされる。

 巨大な樹木が空から降ってくるような一撃はテルスだけでなく、《トリック大道芸団》まで巻き込んで、大地を深々と抉った。


「こほっ、ごほ」


 体が小さかったことが幸いした。

 枝分かれした骨剣の隙間をすり抜けるようにして、テルスはその一撃を躱す。

 しかし、衝撃は別だ。

 吹き飛ばされるようにして、テルスは巻き起こる粉塵から出てくる。


「洒落にならねえ!」


「あぶなっ!」「大丈夫、ミケ!」


「テルスは? 大丈夫!?」


 咳き込みながらもテルスが顔を上げると、ルーンたちが粉塵から飛び出てくるのが見えた。

 だが、声が上手く聞き取れない。

 衝撃に耳をやられたのか、壁一枚挟んでいるかのように声が遠かった。

 それに視界も揺れている。

 気を抜けばその場にしゃがみこんでしまいそうになる体を、テルスは必死に堪えていた。

 ふらつくテルスのすぐ横で、振り終えた骨剣が元の形へと戻っていく。

 その隙をルーンたちは逃さなかった。

 森の木々を縫うようにして、無数の【魔弾】とナイフが魔物に直撃する……が、災魔は微動だにせず、傷一つない。

 ルーンたちがいても、テルスはこの魔物を倒せる気がまったくしなかった。


「これは本気でまずいぞ。おいルーン! こいつの攻撃方法は?」


「私はさっぱり。テルスはどう?」


「右手に持ってる骨みたいので攻撃してくる。形もさっきみたいに変わるし、百メートル近く伸びる。それに気がついたら近くにいて、逃げられない。あと、攻撃しても傷がつかない」


「何それ」「反則……」


「……つまり、マテリアルは少なくとも《Ⅳ》以上と。ルーンの言っていることは正しそうですね。攻撃手段がないミケ、タマ、ハンス、それにテルス君は近づかないように。でも、視界には入れておきなさい。その骨とやらが、そこまで伸びるなら逃げることは難しいですねえ……ルーン、何かいいアイデアはありますか?」


「多分、ファルさんと同じだよ。四人を下げたなら、そういうことでしょ?」


「ふふ、そうですね。では、頑張りましょう。どうしました、皆さん? 身体が固いですよ。大道芸と同じです。こういうときは、あまり思いつめない。思いつめて悲観的になって、普段の実力が出せないよりかは、何も考えず馬鹿でいなさい」


 死を前にしても、赤いピエロはいつもと同じようにおどけていた。

 そんな様子にテルスたちの緊張もほどけていく。


「ああ、そうだ。死地に赴くなら、遺言を残しておきましょうか。いつも言っていますが、私が死んだらこの《トリック大道芸団》を世界一にして、私を創設者として敬うようにしてください」


「「「「いつも言ってるけど、それは無理」」」」


 真面目に言っているのか、テルスたちの緊張をほぐすことが目的なのか。

 こんなときですら、おふざけを忘れずにルーンとファル団長は動き始める。

 二人はテルスたちを置いて、災魔へ向かっていく。

 しかし、依然として災魔はルーンとファル団長を無視して、離れているテルスの方に向かってきていた。ゆっくりとその身を引きずるようにして。


「まったく。テルス君は厄介なものに好かれる体質なのでしょうかねえ」


「その厄介ってのは、他に何を指すのかな?」


 軽口を叩きながらも、ルーンとファル団長は【魔弾】を連射する。

 緑と赤の光が瞬き、ルーンの精霊魔法なのか、炎や雷までもが災魔を飲み込んでいく。


「……ハンス」「いけると思う?」


「……倒せねえだろうな。よしんば、傷をつけることができても、マテルアル《Ⅳ》以上の魔物は再生する。自分の瘴気が底をつくまでずっとな。団長やルーンも倒しきれないと判断したんだろ」


 テルスはマテリアル《Ⅳ》以上の魔物と遭遇したことはない。

 ハンスの言ったことも知識としてはあったが、どれほど討伐が困難かは想像ができなかった。

 頭を飛ばそうが、心臓を貫こうが、倒せない。

 いかなる損傷を与えようと瘴気がある限りは復活する。

 それが、上位の魔物。

 だからこそ、そんな魔物を消滅させた必殺の力に『トランプ・ワン』の名が与えられるのだ。


 しかし、この魔物は……トランプ・ワンに迫るルーンの魔法を受けてなお、無傷だった。


 魔法の間隙に、屍の姿が光に照らされる。

 その姿に変化は何もない。

 魔法の嵐をその身に受けながら、死を纏った屍は悠然と歩き続ける。

 燃焼や凍結などによる再生の阻害。

 再生の限界まで繰り返す連続攻撃。

 そういった上位の魔物を倒す定石が通じない。そもそも、傷一つ刻むことができない。

 テルスだけでなく、このありえない状況を前にハンスたちの顔からも血の気が引いていく。


「おいおいおい……嘘だろ、あのルーンの魔法だぞ。マテリアル《Ⅳ》のエルフの精霊魔法だぞ。無傷なんてことが……」


「どうしよう、お姉ちゃん……」「大丈夫! ルーンたちだよ。大丈夫……タマは私が守るから」


 魔物から目を離さず、テルスたちは災魔が進んだ分だけ後ずさっていく。

 だから、分かってしまう。

 下がる速度が変わっていない。

 ルーンたちの魔法はまったく効いていなかった。


「ハンスさん。あの魔物を倒せないなら、二人は何をしようとしてるの?」


「多分、あいつの動きを封じるつもりだ。倒すことは考えちゃいねえ。逃げることを考えているはずだ……くそっ、最初は思いっきり魔法で体をぶっ飛ばして、再生している間に逃げるんだと踏んでいたんだが……大丈夫なのかよ、あいつら」


「手伝えない?」


「無理だ。俺は【強化】主体の近距離特化。お前は威力不足。こいつらも使えるのはナイフと基本魔法。何より技量が足りない。どう考えても、邪魔になるだけだ」


 何もできない。

 悔しさにテルスは唇を噛む。

 ルーンたちは自分を助けに来てくれたのに、テルスは何もできず、見ていることしかできない。

 口を開けた雛鳥のように、助けを与えられるのを待つことしかできないのだ。

 隣で見守るハンスたちの歯がゆさはテルス以上のはずだ。

 ずっと一緒に旅をしていた仲間が決死の覚悟で魔物と相対している。

 歯を食いしばってハンスは災魔を睨み、ミケもタマも小さな声で「頑張れ、頑張れ」とルーンたちを応援している。その表情は今にも泣きだしそうだ。

 祈るように見守るテルスたち。

 その視線の先で突如、ファル団長の巨体が宙を舞う。

 ついに災魔が反撃してきた。

 鋭く伸びた骨剣に服を切り裂かれながら、ファル団長は跳ね回るようにして攻撃を躱していく。

 それも、災魔にとっては虫を払うのと何ら変わりがないのだろう。

 視線を外さず、歩く速度も変わらず、ただ無造作に骨剣を振っただけ。

 狙いは変わらず一人のみ。

 理由も分からぬその執着に、テルスは小さく震えていた。


「ルーン! まだですか!?」


「あと、ちょっと……よし、準備できたよ!」


 その声を待っていたのだろう。

 ルーンが言い終えると同時に、ファル団長の赤い【魔弾】が風船のように膨んで飛んでいく。

 決して速いとはいえない速度で飛ぶ【魔弾】。

 それは、避けるそぶりすら見せない災魔をすり抜けると、中に取り込んだ。


「さあ、悪戯のお時間です! 一、二、三!」


 ファル団長がパチンと指を鳴らすと同時に、災魔が入った赤いボールが実体化して地面を転がる。

 いくら魔法が効かずとも、歩いている以上は地面に足をついている。

 直接的な攻撃で足を止めるのではなく、魔物が踏んでいる地面ごと赤いボールに取り込むことで、ファル団長は災魔の動きを止めた。


 そして、その千載一遇のチャンスを逃すルーンではなかった。


「――颶風顕現。吹き飛ばせ、【デウス・ウェント】」


 風が止んだ。


 葉擦れの音も聞こえない静かな森。

 凪いだ世界の中で、ルーンの髪だけが風に遊ぶ稲穂のように揺れている。

 その翡翠の目に覚悟の光を宿し、冷然たる横顔を見せるルーンの姿は、どこか儚げで美しかった。

 ルーンが両の手を翳した先では、透明な何かが揺らいでいる。

 集約させるように、圧縮するように、封じ込めるように。

 見えない何かは、ただ一点に力を凝縮され――解き放たれた。


 そこから先は、テルスの記憶に刻まれる刹那となった。


 解き放たれた力は颶風となって全てを薙ぎ払っていく。

 ルーンの眼前にあるもの全てを吹き飛ばすような自然の猛威。

 木々は折れ、大地すらも抉りながら風は森羅万象を吹き飛ばす。

 そして、ファル団長の魔法に閉じ込められた災魔は赤いボールごと彼方へ飛ばされる。

 誰もがそんな結末を幻視する中、


 ゆらりと球体の中の災魔が立ち上がった。


 骨剣を正眼に構えたその姿に、先ほどまでの弱々しさなど欠片もない。

 牙を剥く自然の猛威に剣を振り上げる様は、誇り高い騎士と見紛うほど。

 しかし、その手に持つ骨剣は巨木のように大きくもならず、枝葉を伸ばすように分かれもしない。

 ただの”剣”のまま振り下ろされたその一刀は、


 全てを捻じ伏せるように、颶風を吹き散らした。


「――――――――あ」


 逃げて、と叫ぶ時間すら許されなかった。

 ルーンの魔法が打ち破られた瞬間、濁った風が吹き渡るかのように、災魔を中心として瘴気が広がっていく。

 瞬きほどの時間で、テルスの視界は一変した。

 それはテルスの原初の記憶の再現だった。

 空気は淀み、光が遮られたかのように薄暗い世界が森を塗り変え、現れていた。


魔瘴方界(スクウェア)が……なんで……?」


 此処はまさしくテルスの記憶に焼き付いた魔の世界。

 体の内から侵食されていくような不快な感覚がテルスを襲う。

 テルスの隣でハンスたちが倒れ、ファル団長とルーンですら身動きができず苦し気な呻き声を上げていた。


 魔瘴方界(スクウェア)――人にとっての死の世界は、そこにいるだけで命を蝕む。


(まず、い……おれが……おれが何とかしないと…………)


 だが、テルスは違った。

 体に走る鈍痛さえ無視すれば動くことはできる。

 まずはここを離れなければ。

 自分を追う災魔を引き連れ、ルーンたちから引き離す。

 そうしなければ、ここで皆が死ぬ。それだけは嫌だった。

 自分に手を差し伸べてくれた優しい道化師たちが、ここでいなくなってしまうことだけはテルスは認めたくなかった。


「立て、立てよ……!」


 震える足に力を入れる。

 あんな魔物よりも、また失ってしまう方がずっとずっと怖い。

 心を叱咤し、テルスは立ち上がる。

 傷口に爪を立て、掻き毟られるような痛みに歯を食いしばって走り出そうとするテルスの視線の先で、


 無慈悲に災魔が骨剣を振りかざした。


 骨剣の形が変わっていく。

 この場にいる全ての者に等しく死を与えるため、その枝は天へ伸びていく。

 そして――


「嫌だ……嫌だ、嫌だ嫌だ! 動けよ体! あのときは動いただろ! あ、あああああああああ!!」


 いくら思えど間に合わない。

 いくら祈れど届かない。

 振り下ろされる断頭の刃。

 歪む視界に、赤い道化師の微笑みが滲んでいった。

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