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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
五章【表】
118/196

絵空事

 声もなく皆がその姿を見上げていた。

 木の葉よりなお深い翠の鱗。泰然たる光を湛えた金の瞳。頭部から生える黒々とした長く太い角。そして、巨大な両翼。


 竜だった・・・・


 今、テルスたちの眼前にいるのは確かに絵本に綴られている存在だった。

 風に揺れる枝葉の音すら大きく感じる。まるで、石像のように静止しているテルスたちと竜の間には奇妙な沈黙だけがあった。

 そっとテルスはソルに視線を向ける。いや、テルスだけではない。ルナもメルクもコングもマルシアもソルを見ていた。

 子供たちはともかく、テルスたちは動きたくても動けないのだ。

 野生の動物の前で急に動くわけにはいかない。魔力を高めれば戦闘態勢と認識されるかもしれない。少しずつ後ずさりして離れるとしても竜の大きさから考えればそんなもの一息で詰められる。そもそも、背の両翼を考えれば逃げることなどできないかもしれない。

 よって、テルスたちは話せる可能性があるソルに全てを放り投げた。


――がんば。


 皆の期待がこもった視線を一身に受け、ソルはおずおずと喋り始めた。


「えーと、ご機嫌麗しゅう……?」


 なんだその挨拶は。

 ソルの少し震えた声を聞き、不安になってきたテルスは後悔していた。

 竜と会った際の行動をちゃんと決めておけばよかった。

 本当に初日での遭遇なんてまったく考えていなかったのだ。「ソルなら話せるー?」、「多分いけるよー」くらいしか話していなかった過去の自分をテルスは呪った。


「そ、その僕たちは精霊に――」


 ソルがここに来た経緯を話し始める。

 身動ぎもしない竜にはたしてそれが届いているのか。そもそも、ソルの話を理解しているのか。疑問に思うほどの時間が過ぎたころ、突如竜が動いた。


「えっ」


 ぐーっと竜の顔がテルスに近づいてくる。

 食べられるのかと身構えるテルスを気にもせず、竜はテルスをじっと見て、くんくんと匂いを嗅いでいる。

 そして、皆の方を見回す竜は子供たちで視線を止め――落胆したように唸り声を上げた。


「どうしたの?」


「わ、分からないよ。精霊と約束した話をしていたら急に……」


 何が原因かは分からないが、竜の機嫌は明らかに悪くなっている。

 唸り声だけでなく、長い尻尾で鞭のように地面を叩いている。

 逃げた方がいいかもしれない。テルスだけでなく子供たち以外は皆そう思っていたのだろう。身を低くして、すぐに動ける体勢になっている。

 しかし、竜はそんなテルスたちを気にも留めず一声鳴き、くるりと洞窟の奥へ帰っていった。


「……皆でついてこいだって」


「それは子供たちもってこと?」


「ど、どうだろう?」


 ソルと顔を合わせていると、洞窟の奥からまた竜の声が響く。訳してもらわなくても分かる。あれは「さっさと来い」的な意味の声だ。


「行くしかないか……シュウたちが最後尾。ルナ、コングさん、マルシアさんがその前。俺とメルクで前。メルク、火を吐いてきたら頼むよ」


「あいよ。いやあ、竜の火を防ぐ日がくるなんてなあ……」


 防げる前提なのが何ともメルクらしい。こういうときでも自分の強さを疑わないメルクの姿は本当に頼りになる。

 最後に、緊張して固くなっているマルシアと目を輝かせている子供たちに「絶対に前に出ないこと」と言い聞かせ、テルスたちは洞窟の奥へ足を踏み入れた。


「思ったより明るいな……」


 木がうまく隠しているが、見上げた天井は大部分が欠けていた。

 枝葉の隙間から注ぐ陽光は暖かく、髪を揺らす風は濃い緑の匂いがする。本当に子供の秘密基地を思わせる、隠れ家みたいな場所だった。


 テルスたちは竜の姿を追い――その足元にあるものを見て、再び動きを止めた。


 白くて、楕円に近い形状の物体があった。つるりとした表面、大事そうに竜が抱えるもの。どう考えてもそれは、


「た、卵だ……」


 ナッツが呟いたとおり、人の子供くらい大きな卵がそこにはあった。


――竜だけでお腹一杯なんですが。


 誰に言えばいいか分からない文句を胸に、テルスは乾いた笑みを浮かべる。きっと、今日の出来事を教えてあげたら不参加組はさぞ悔しがるだろう。


「もうすぐ孵るからそれまで私を手伝っていろ、だって」


 訂正。おそらく狂乱する。

 とくにシリュウとヴィヌスが暴れる。下手に教えたらあの二人は仕事をほっぽり出してここに突撃してくるかもしれない。しばらくは黙っていよう、とテルスは心に誓った。


「手伝いって何すればいいの?」


「えーと、食べ物を運んでくればいいみたいだよ。この辺りの野生動物を狩ってくるかんじなのかな」


「なるほど……」


 鹿や猪を狩ってくればいいのだろうか。

 だが、狩りはテルスにはあまり経験のない分野だ。

 外での仕事を駒者ピーセスが担っている以上、狩猟や採集なども駒者ピーセスの役割に含まれる。ただ、それらは戦闘とは違った知識や経験が必要で、大抵はそれ専門で仕事をしている人が多い。


(おやっさんと遠征に行ったときくらいかな……)


 一応、狩りの仕方はおやっさんから教わっている。

 なんだかんだで、駒者ピーセスの基本的な仕事はあの人から教わることが多かった。

 それだけ気にかけてもらっていたということだろう。五年前の出来事があっても、あの人だけはちょくちょく話しかけてくれた。

 今度ちゃんとお礼を言わないとなあ、などと考えていると、ひょっこりハルがテルスの後ろから顔を出した。


「ねえ……触ってもいい?」


「「え」」


 テルスとソルの声が重なる。

 ハルは竜を見て、テルスを見て、そして、ソルをじっと見つめている。何をしたいかなど改めて聞く必要もないほど、輝く瞳は雄弁に語っていた。

 これ伝えなきゃなの、みたいな顔をソルがテルスに向けていると、竜がぷしゅうと鼻から息を吐き出した。


「え……いいって」


「ほんとっ! テル兄、いっていい?」


「え、うん」


 どうやら、竜は人の言語を解するらしい。

 まさかの承諾にハルは駆け出すと……がしっと竜の前足に抱きついた。


――強い。


 おそらく、皆が思ったに違いない。

 ぺたぺたと竜の鱗に触れているハルの表情に緊張は欠片も見えない。ただ、無邪気に絵本の存在と女の子は遊んでいた。


「ずるい、おれも!」「ぼくも触ってみたい」「ちょっと怖いけど……」


 続く子供たちに顔を見合わせ、テルスたちも竜に近づいていく。


「ほんとに竜……すごい魔力量」「なあ、これ飛んでもらうのはなしか。ちょっと頼んでくれよ、ソル」「卵があるんだから巣からは離れないんじゃないかい」「竜に触れるとか、これはサルジュたち悔しがるわねえ」〈おおー鱗がカチカチ……強そうだなあ〉


 子供たちに混ざってルナたちも竜に触り始める。人で例えるなら、ソルが群がっているようなものだろうに竜は気にもせず寝そべっている。

 優しいのかな。そんなことを思いながら一人だけ竜を眺めていたからか。


 気づけば竜はじっとテルスを見つめていた。


 その金の瞳に浮かぶ感情をテルスは読み取れない。

 負の感情ではない。ただ、やるせないような、残念そうな、そんなどこか遠くを見つめるような視線だと思った。

 吸い込まれるように金の瞳を見ていると、ゆっくりと竜の尾がテルスの前に伸ばされる。


「え、おっとと――はい?」


 竜の尾は器用にテルスを持ち上げ……ぽーんと放り投げた。

 まるで、ボールでも投げるかのようにテルスは入り口へと飛んでいく。竜にとっては軽くだったのだろうが、テルスにとっては違う。【強化】を行使して落ち葉を巻き上げながら、なんとか転ばずにテルスは着地する。


「な、なんで?」


〈テルス、大丈夫?〉


 奥から心配そうにルナが走ってくる。それとともにに竜の鳴き声も奥から響いてきた。


「えーと、ソル。竜はなんて言ってる?」


 苛立っているみたいだし、何かしてしまったんだろうか。そんなテルスの疑問にソルは少し迷い、言い辛そうに口を開いた。


「その……『お前みたいな瘴気くさい奴なんて知らん。さっさと狩りにでも行ってしまえ』……みたいなことを言ってるよ」











「なんか、あの竜って俺にだけ厳しくない?」


 洞窟の入り口で膝を抱えて、かれこれ一時間。

 テルスは奥から聞こえてくる子供たちの楽しそうな声に、何度目かの愚痴を零していた。

 ずるい、と素直に思う。

 そこまで竜に興味はなくとも、自分だけハブられるのは大変虚しい。目の前の木に何枚の葉っぱがついているか数えているだけとか暇すぎる。


「はああああ」


 深い、それは深いため息をテルスがついていると、奥から足音が聞こえてくる。


「お、嫌われ者は辛れえな。まあ、元気出せよ」


 メルクはテルスの肩を叩き、隣にどかりと腰を下ろす。

 片手にぶら下げた精霊魔具『叢雨』……水筒をあおるメルクは満足そうに笑っていた。


「いやはや、お前といるとほんっと飽きねえな」


「そっか、それは何より。俺は散々だけど」


「でも、これで精霊との約束も果たしたようなもんだろ。卵が孵るまで竜の面倒を見ていればいいだけなんだしな。まあ、あの卵がいつ孵るかは知らねえけど……」


 いつ孵るか。それは大変、気になる問題だった。

 あの竜は「もうすぐ」と言っていたみたいだが、人と竜では時間の感覚が異なる可能性もある。せいぜい一週間くらいだろう、とか思っていたら、数十年後でした、みたいなことになったら笑えない。


「それで、これからどうすんだ? お前とお姫様は精霊祭だってあるんだろ」


「しばらくは竜の要望どおり食べ物を運ぶよ。でも、精霊祭には流石に出ないとだしなあ」


 精霊祭。冬の始まりの前に、精霊たちに一年の感謝を捧げる祭り。

 規模の違いはあるものの、基本的に各地で行われる行事だ。

 精霊教の司祭による奉納とお祈りなどはあるものの、普通の人にとっては出店巡りと花火を楽しむイベントでしかない。テルスも今までに出店を巡ったことはあっても、教会にお祈りをしに行ったことなど一度もなかった。


「あれも憂鬱だなあ」


 だけど、今年は違う。

 テルスはルナと共に南都の精霊祭に参加しなくてはいけない。

 南都の精霊祭はセネトで一番大規模なもの。何しろ、精霊教の教皇と王族が参加する祭事なのだから。


 そんな祭事と一緒にルナの浄天へクスの就任式がある。


 考えただけで胃が痛くなる。マナーだの、服だの、騎士としての一言だのを思い出し、テルスの気分はさらに暗くなっていく。


「もし、精霊祭までに卵が孵らなかったら、その間は代わりを頼んでいい?」


「ああ、いいぜ。俺も竜の雛は見たいしな。だけど、その後だ。俺が気になってんのは」


 卵が孵り、精霊祭が終わったその後。

 メルクが何を言いたいのか、テルスはすぐに理解した。

 多分、メルクだけはテルスと同じだから。力ある者の使命とか、世界の為だとか、そんな大仰な理由ではない、もっと個人的な執着であいつらを――災魔を求めている。


「お前はどう動く?」


 テルスがエクエスを探すように、メルクも災魔の情報に飢えている。

 正確にはレギナの隣にいた少女を、メルクは探している。


「まだ、はっきり決めてないよ。ヴィヌスさんたちが王族や貴族、騎士団やギルドの調査をしている結果も聞いてないし。でも、ヴィヌスさんたちには悪いんだけど……多分、レギナの居場所とか、そういった情報は出てこないと思う」


「ま、人を操れる奴がそんな致命的な情報を残すって考えるのは甘めえよな」


「うん。だから、ここでの約束と精霊祭が終わったら、俺とルナは魔瘴方界(スクウェア)を解放しに行くと思う」


 そう、テルスはいたって自然に言ってのけた。

 暫しの沈黙。唖然としたメルクはやがて腹を抱えて笑い始めた。


「は、ははは! 二度じゃ足りねえってか! ああ、やっぱお前たちだな。最高だ!」


 木霊さえ聞こえてきそうな大笑い。

 何が気に入ったのかメルクはテルスの肩をばんばん叩いてくる。そんな騒がしい声に引かれて、今度はコングが奥からやってきた。


「ちょっと、どうしたの? 竜もなんか気にしてたわよ」


「わりい、わりい。いやあ、コングの旦那、こいつらまた魔瘴方界(スクウェア)に行くってさ。次はどこだろうな」


「ええ、ほんと? 私、暑いところだと役立たずよ」


「なんだよ、旦那も参加する気満々じゃねえか」


「当然、バックアップくらいするわよ。私は、このペアに惚れこんでるんだから。でも、今は狩りに行かないとね。罠とかの準備はないけど、狙う獲物くらいは今日中に決めておきたいわ」


 ほら行きましょう、とコングがテルスとメルクの背を叩く。

 そうして、男三人で森の奥へと進み始める。猪だろうが、鹿だろうが、逃げてしまいそうな大きな声で他愛のない話をしながら。

 狩りが目的なのに、これでは本末転倒だ。

 でも、テルスはこんな時間が嫌いではなかった。

 こういった穏やかで、楽しい日々が少しでも長く続けばいい。叶わないと知りながらテルスは二人と話しながらそんなことを思っていた。

 はっきり決めてない、とメルクには言ったが、本当はずっと前からテルスとルナは挑む魔瘴方界(スクウェア)を決めていた。


 あの騎士選定セレクションのときに誓った魔瘴方界(スクウェア)

 次に挑むのはルナの故郷……西の砂漠。


 こんな安寧の時はすぐに過ぎ去って、最悪に挑む日々が始まるのだと、テルスとルナだけは覚悟していた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やっぱり、凄い。 [気になる点] 何がスゴいのでしょうか よく分かりません。 けれど、 [一言] SUGOi!!(断定) 読ませていただき、ありがとうございました。
[良い点] 見るたびに世界観が良い小説だと思う。 この世界の住人のドラゴンに対する価値観も、私達のUMAの扱いのようで好きです。 ドラゴン編も楽しみです。 [気になる点] スクウェアを開放したシリュウ…
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