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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
外伝
105/196

禽忌の庭Ⅱ

 伽藍洞の王の間で王――メレフ・シャトランジは玉座に身を沈めていた。

 今はこの広い空間にメレフ以外の人はいない。

 謁見する者はおらず、王の身を守る衛兵は外に控えており、口うるさい宰相も席を外している。理解ある王妃のおかげで、子供たちが遊ぼうとねだってくることもない。


 孤独。ひとりぼっち。

 王といえど、そんな時間がときには必要だ。


 特に王としての責務、その重圧に押し潰されそうなときは。


――すまないね……。


 何度、そう思っただろうか。

 今はいない、顔なじみの浄化師や優秀な兵士たち。頭に浮かぶ人々に、メレフは謝罪の言葉を積み重ねる。

 結局のところ、自分は王に向いていないのだろう。旧王都から続く、王族としての血筋だけが王である証明。そこにカリスマや頭脳、決断力などの王としての資質や能力は考慮されていない。だから、こんな情けない奴がこの盤に喩えられる大陸の王となっている。


――もっと、先見の明がある者が王だったなら、こんな事態も防げたのだろうか。


 メレフはこの首都たる王都のすぐ傍まで迫る、彼の脅威を思う。


 禽忌の庭。


 それはセネトの北東、東都と辺境の地リーフの間から北に広がる魔瘴方界(スクウェア)

 だが、その脅威は大陸の中央である王都にすら届いている。


 最小の魔瘴方界(スクウェア)が雪花の湖なら、禽忌の庭は西と並び最大の魔瘴方界(スクウェア)の一つだ。

 禽忌の庭、それ自体の範囲は決して広くはない。しかし、小魔瘴方界(スクウェア)とでも言うべき無数の小さな領域が、禽忌の庭を中心に広がっている。


 領域の反転現象、リバーシもなく魔物の活動領域が広がっていく。

 その理由は、禽忌の庭に住まう鳥型の魔物の習性にあった。


 この魔物たちは巣立つ・・・


 時期が来ると禽忌の庭から一斉に飛び立ち、遠く離れた地に巣でも作るかのように瘴気を撒き散らす。やがて、その瘴気に魔物が集い始め、小さな黒の領域が形成される。

 そして、その小さな領域に小さな王――マテリアル《Ⅳ》以上の魔物が誕生することで、小魔瘴方界(スクウェア)とでも言うべき、魔物たちの仮宿となるのだ。


 期間を考えればリバーシよりも厄介なこの事実が発見され、数年。

 対策に手を尽くしてきたが、どれも失敗に終わっている。

 

 小魔瘴方界(スクウェア)を一つ潰している間に、新たな小魔瘴方界(スクウェア)が生み出される。

 領域の位置、魔物の情報、それらを駒者(ピーセス)や兵士たちが集めている間に、鳥たちは新たな瘴気の種を運んでくる。

 発見と同時に攻略できるほどマテリアル《Ⅳ》は甘くなく、被害は積み重なり、対処が遅れていく。

 気づけば、禽忌の庭は王都の近隣の森にまで手を伸ばしていた。


 もう、元凶である禽忌の庭を叩くしか道は残っていなかった。

 それがたとえ、一度は諦めた選択肢だとしても。


 魔瘴方界(スクウェア)の攻略。

 それは数多の犠牲を積み上げてなお、この百年で一度も果たされていない。


 禽忌の庭、雪花の湖、落葉の森、炎鎖の嶽。

 そして、刻限の砂。


 その全てを解放できない。


 魔瘴方界(スクウェア)に兵を送るのを最終的に許すのは、王であるメレフだ。しかし、実際に命を懸けて戦っているのは浄化師、兵士、駒者(ピーセス)たち。

 彼らの生死を自分が握っていると考えるなど、王といえど傲慢に過ぎる。

 それでも、微々たる成果の隣に積み上がった被害に、胸の内の罪悪感だけが大きくなっていく。


 今回は。今回こそ。そう思えればいいのに今回も、とまだ戦っている誰かの死を悼んでしまっている。

 それが情けなくて、メレフの憂鬱は一層、濃く深くなっていく。

 ひたすら憂鬱という海にメレフは沈んでいく。ここ数日はいつもこう。今日も、王妃が叩いて直すまではメレフの意識は戻ってこない……はずだった。


 突如、吹き飛んできた扉に、メレフは一気に憂鬱の海から引き上げられた。


「王様! 俺に許可をくれ!」


 響くのは怒声にも似た叫び。それが何の許可を求めているのかは明らかだ。

 衛兵を引きずりながら迫る男、シリュウ・ドラグオンに、ひっくり返ったメレフは胃痛とともに直感した――ああ、皆から怒られるな、と。


「……好きに動きなさい」


 この男、シリュウ・ドラグオンは保険・・だ。

 禽忌の庭に王都の最高戦力を投じて、それを全て失ったときの最後の希望。騎士選定(セレクション)で見出した次代を担う、騎士団長候補だ。

 

 それを知っているのに、メレフはあっさりと許可を出した。

 王として様々な人物を見てきたがゆえに、メレフはシリュウを止めようと意味がないと確信していた。

 ここに来たということは、禽忌の庭の件を知ったということ。ならば、この男はどんな手段を取ってでも、あの魔瘴方界(スクウェア)に行こうとするだろう。


 騎士選定(セレクション)のときのように、彼が戦う理由はそこにあるのだから。


 動きたくても動けない苦しみを知っている。だから、メレフはどうしても誰かの歩みを止めることができない。背中を押してやりたくなってしまう。

 やはり、王なんて向いてない、とメレフは自嘲する。


「早く向かいなさい。後方部隊にリタがいるから、まずはそこに合流するといい」


 おそらく、禽忌の庭の件をシリュウに伝えたのはガウルだろう。ならば、追いかける手段は《白騎》の気球。今からだと……作戦開始と同時に追いつくくらいか。

 これも計算どおりのはずだ。魔瘴方界(スクウェア)攻略が始まった後で合流すれば、シリュウが来ようと作戦は止まらない……そこまで考えるのなら、もう少し王様にも優しくしてほしかった。


「ありがとうございます!」


 大音量のお礼を残し、シリュウは去っていく。

 これから死地に向かうというのに、シリュウの表情には欠片も悲観はなかった。メレフはただ、大事な人に追いつこうとする背を見送るしかない。

 その眼差しには、微かな羨望の色があった。











 日差しが木の葉に遮られ、陰った緑道を部隊は行く。

 擦れる鎧、葉を踏みしめる軍靴。それらに紛れて鳥のさえずりが鼓膜を震わしている。遠くに、近くに。木霊する鳴き声に姿を探しても影も掴めず声は消え、またどこかから違う音色が聞こえてくる。


 微笑ましい、と。

 ここが魔瘴方界(スクウェア)でさえなければ思えたのかもしれない。


 小魔瘴方界(スクウェア)の合間を縫うように進み、ついに部隊は禽忌の庭の境界を越えた。

 だが、未だ一度も戦闘は起きていない。二十人ほどに分けられた部隊はある程度の距離を保ちながら、未開の森林をただ進み続けている。

 不気味だ。魔物の気配はある。鳥たちの鳴き声も聞こえている。

 それなのに、何も起きない。

 そこに安堵はなく、いつ始まるかもしれない戦いに緊張と恐怖だけが積み重なっていく。


――本当に性格の悪いとこ……。


 鳥たちの声を聞くたびに、エリュテイアの苛立ちは増していく。

 知ってはいた。だが、実際にやられると、この煽りにしか思えない声はなんとも心にくるものがあった。


 意地が悪い。そう、禽忌の庭に入ったものは語る。

 他の魔瘴方界(スクウェア)、落葉の森の罠や雪花の湖の迎撃、そういった厄介な特徴とは異なる質の悪さが禽忌の庭にはある、と。


 その一例が、生存率の高さだ。

 調査、攻略のために禽忌の庭に挑んでも、必ず一人は帰ってきている。しかし、それは決してここが甘いということではない。


 帰されるのだ・・・・・・


 この魔物たちはある程度の侵入者を殺すと残りを無視する。

 死した仲間たちが骸を啄まれている中、一人だけ領域の外へ放り出される事例すらあるという。


 それがどんな理由に基づく行為なのかは分からない。餌がまた来るように全滅させないのか、それとも単にここの魔物の性分なのか。

 魔物の考えていることなど分かるわけもない。だが、実際に禽忌の庭に足を踏み入れ、エリュテイアは後者が正しいと確信した。


 鳴き声、羽音、影しか見えぬ姿。それら感じ取れる気配の全てに悪意がある。

 この鳥たちは境界を越えた者を侵入者や外敵などと思っていない。

 ただの、遊び相手。

 猫が鼠をいたぶるような、子供が虫の翅をちぎるような、そんな無邪気な悪意だけが行動原理。


 だからこそ、絶対に遊ぶ・・しかない距離にくるまで鳥たちが手を出すことはない。つまり、動くなら……


「……くる。準備して」


 部隊の前方では黒い瘴気の胞子が羽毛のように宙を舞っていた。

 王域。部隊が魔瘴方界の深部にたどり着いたことで、遠くから見ているだけだった鳥たちの動きが変わった。


 ハーフエルフである彼女だからこそ、その異変を察知できた。

 他の部隊も、エルフや勘の鋭い者が警告したのだろう。足を止め、迎撃の体勢を取っている。


 葉音と羽音が木霊する。見上げた枝葉の隙間を影が飛ぶ。

 エリュテイアの目には木の葉の向こうで、無数の瘴気の塊が飛び交っているのが視えていた。

 しかし、どれほど魔物たちが集まろうと、襲いかかってくることはない。始まりの合図を待ちかねるように、無数の鳴き声が響き渡る。


 やがて、一羽のカラスが一行の前に舞い降りた。


 鴉型魔物コルウス。黒い羽毛に包まれた普通のカラスにしか見えない魔物。

 この魔瘴方界(スクウェア)で最も多く、最も象徴的な魔物が一声鳴き――それは始まった。


「う、わっ、下だ! 下にいる!」


 エリュテイアの近くの兵士が叫ぶ。

 誰もが飛び交う鳥たちに気を取られ、頭上を見ていた。

 だから、真下から迫るそれに気づけなかった。


 視線を下へ向ければ、兵士たちの足を無数の虫が這い上っていた。

 百足型の魔物を始めとした毒々しい、落葉の森を思わせる魔物の群れ。

 不気味なほど素早く体を這い上がり、服の中に忍び込む小さな虫を払おうとしたことで、兵士たちの意識が鳥たちから逸れていく。


――まずい……!


 エリュテイアたち浄化師にとって、こんな小型の魔物は脅威ではない。纏う『浄』だけで、排除できる。

 だから、彼女たちは空から落ちてくる魔物に気づくことができた。


「上――きて――!」 


 だが、警告の声は間に合わない。鳥たちの耳をつんざくような鳴き声に掻き消えてしまう。

 警告は失敗し、対処は間に合わず、後方の兵士は落ちてきた魔物に潰された。

 鳥型の魔物ではない。落ちてきた魔物は、熊型魔物ウルサス、犬型魔物カニス、そして、混魔マンティコア。全て飛べない獣の魔物だ。


 そう。空を飛び交う鳥たちは魔物を投げてきたのだ。


――こんなの情報にない……!


 エリュテイアはこの鳥たちが虫や獣を使うなんて情報は聞いたことがない。

 それは誰だって同じはずだ。現に各部隊は想定外の事態に対処が遅れ、被害だけが増えていっている。


 何年も調査をしてきたと知っている。

 それでも、未知が立ち塞がると覚悟をしていた。

 しかし、最初の一歩から踏み外すことは想定していない。最も調査をしたはずの王域手前でこれでは、まるでこちらが無知なだけではないか。


 エリュテイアは焦りに唇を噛みながら、走り出す。

 その視線の先では暴れ回るマンティコアが何人もの兵士を喰らっていた。

 たった数秒。それだけの時間で、人喰い獣の牙は血で赤く染まり切っていた。


 マテリアル《Ⅳ》魔瘴種混魔マンティコア。

 血が乾いたかのような赤黒い体毛。顔は人、体は獅子に似た醜悪な魔物。その尾は数え切れないほどの毒針で覆われ、かすり傷一つでも死を覚悟せねばならない。

 そして、この魔物は本来、禽忌の庭にはいないはずの魔物だ。 


「邪魔! どいて!」


 エリュテイアは部隊の後方へ駆け出すが、兵士に阻まれ進むことができない。

 上位の魔物を倒しながら進むことを想定して部隊は編制されている。後方にマテリアル《Ⅳ》を対処できる者は多くない。

 このままでは被害だけが拡大する。

 そんな焦りから強引にエリュテイアが魔法を放とうとした瞬間、


 白い影――二浄天ジ・へクスアスケラ・ゼータがマンティコアの首を断った。


 虎の獣人は止まらない。

 寡黙な性格に反し、牙の如き双剣は苛烈に振るわれる。

 人喰いの獣は瞬く間に解体され、肉片が赤黒い血だまりで大地を濡らす。

 しかし、これだけでは《Ⅳ》は殺せない。

 だというのに、アスケラはマンティコアの肉片には目も向けず、兵士たちに一言指示を出した。


「前」


 それだけ。指示は続かない。

 もう二十歳になるというのに、この少年はいつまで経っても言葉が足りない。

 だが、幼い頃から付き合いがある《白騎ディエス》の面々はアスケラが何を言いたいのか分かっていた。


 獣型を始めとした魔物が背後から部隊を追い立て、立ち止まることを許さぬように虫型の魔物が足元を這っている。そして、空には無数の鳥の影。

 しかし、王域に続く道を遮るものは何もない。

 まるで、こっちへ来いとばかりに道が開けている。


「進め!」


 ファイやベンたちから指示が飛ぶ。

 誘い込まれていることはきっと、誰もが分かっている。

 ただ、それでも部隊は前へ、王域の最奥へと進まねばならない。


 この地を、禽忌の庭を解放しに来たのだから。


 使命を胸に、駆け出した部隊は黒い胞子が舞う領域へと進んでいく。その背後では歓迎するかのように、鳥たちが鳴いていた。

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