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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
四章
101/196

百年越しの再会と真実

 その光景を”女王”は眺めていた。


 グレイスの丘、地下へと通ずる塔の最上階。

 白峰の町を一望できるその場所から、レギナは劇でも見るかのように戦場を俯瞰していた。


 無表情に。無感動に。瞳の紫紺に宿った歪んだ好奇心を除けば、その貌は無機質な人形そのものだった。視線の先で同胞が戦っていようと何の感情も抱かず、助けようと動くことすらない。

 それは、結末の一刀が振るわれた瞬間ですら変わらなかった。


 宙に投げ出した足を揺らしながら、レギナは”ロクス”とでも名付けられていただろう災魔の敗北を見届けた。


 まだ同胞は生きている。真っ二つにされようと、未だ尽きぬ瘴気を糧にゆっくりと再生を始めている。だが、敗北の結末はもう覆せない。

 魔瘴方界(スクウェア)は解放され、瘴気は祓われた。

 もうあの災魔が喰らい、糧とする力はほとんど残っていない。

 残りの瘴気を削り切る戦力も揃っている。浄化師という天敵がいるため瘴気の展開も効果が薄い。このまま再生限界が訪れるまで、ゆっくりと消滅させられていくだろう。


 だから、負けだ。

 たとえ未完成であろうと、災魔は敗北を喫した。百年前と同じように。


 その事実に満足そうレギナは頷いた。


「やっぱり、私の百年は正しかった……」


 人は怖い・・・・

 追い詰めて追い詰めて、逆転の手など全て潰したはずなのに、盤面を覆してくる。それが、人という理不尽な存在だ。


 それを再確認できただけでも、あの災魔を捨て駒にした意味はあった。それに、あれは駒として確実に手に余るものだ。知能は薄く、力だけは強大。最悪こちらが痛い目を見る。災魔として完成していようと、好き勝手に暴れさせることくらいしかできなかっただろう。


 だから、あれはいらない。すでに完成品・・・は手に入れている。


 もうこの地にいる意味はない。ただ、一つだけ気になる気配が近づいてくるのをレギナは感じ取っていた。眼下で戦いは未だ続いている。それなのに、この気配は町の存亡など気にもせず、この塔の階段を上がってきていた。


 おそらくは”女王”に謁見するために。


 誰だろうか。

 思考を巡らせながらレギナは塔の最上階、その入り口を見つめる。


 そして、現れた人物に”女王”は首を傾げた。











「……誰?」


 変わらぬ『王』のその声は心底不思議そうな響きに満ちていた。

 騎士団員でも駒者(ピーセス)でもないこの人物が何故ここに来たのか理解できない。そんな疑問を抱いていることを首を傾げたその姿からは読み取れた。


 だが、この塔の最上階に現れた老婆・・が抱く疑問と驚愕はそれ以上だった。


「そんな……まさか……」


 長い階段に呼吸を乱し、死人でも見ているかのように目を見開く老婆。明らかに人の姿をしたこの『王』を知っている反応だった。


 それを見て『王』は、少しだけ鋭くなった声で老婆に問いかける。


「あなたは誰? 私を知っている人なんていないはず。何で私を知っているの?」


「お、覚えておりませんか? 百年前、王都で御身の巫女をしていたものです……スクルド様」


「……巫女に、”スクルド”……つまり、あなたは私と契約していた四人の誰か?」


 老婆の顔を『王』はじっと見ているが、名前は出てこないようだった。

 少しだけ名を呼ばれることを期待していた。だが、やはりそれは無理がある。

 この『王』の記憶にあるのは老婆の若りし頃の姿。色が抜けた白髪としわが深く刻まれた顔に、十代の少女の面影を探すことは難しい。


「あなたがどの巫女でも、あまり変わらない……けど一応、聞いておく。ニクス、アエスタ、ウトゥ、ヒエムのうち誰?」


「あたしゃはウトゥです……お久しぶりでございます」


 うやうやしく老婆は礼をした。

 腰は曲がり、美しかった金の髪も白い肌も見る影はない。しかし、祈るように手を合わせ、頭を下げるその礼だけはかつてと同じものだった。

 こんな口調も、こんな礼も、一体何年振りか。少なくとも、つい最近占った少年には全く見せていなかった。


「やっぱり、人は変。百年でこんな姿に……」


 老いることなど『王』にはない。

 それゆえにか、定命の存在である人に『王』は興味深そうに見入っていた。


 そんな、感情があるかのように振舞う姿に老婆ウトゥは困惑する。


 記憶にある人形のような姿とはあまりに乖離していた。

 巫女として仕えている間、この『王』が言葉を発したことなど、”予知”を除けば片手で数えられるほどの回数だった。本当に同一の存在か疑う気持ちすら湧き上がってくる。


 だが、この存在はたしかに巫女として仕えていた『王』だ。その証拠に、自分の中の魔力が小さく震えているのをウトゥは感じていた。

 細く、微かな、百年前に途切れたと思っていた契約。この丘で一瞬だけ気配を感じ、まさかと思いながらも塔を上ってきた。しかし、こうして目の前まで来ても、その繋がりは強く意識しなければ感じ取れないほど薄い。


 本当に存在しているのか。老いたこの身が見せる幻ではないか。幻でないというのなら何故生きているのか。亡霊の正体を確かめるように、ウトゥは恐る恐る『王』に話しかける。


「何故……御身は、あの王と共に消滅したのではないのですか? 王様や騎士たちと戦い、王都を犠牲にしながらも災いの魔物を、あの人型魔物を討ち取ったのでしょう? だから、私はあの瘴気の中……」


「討ち取ってないよ」


「……え?」


 そして、『王』は何の悪びれもなく、仕えていた巫女にその裏切りを告げた。


「あれは喰らったの。そして、私が王になった。ウトゥ。もう、精霊の王・・・・は私じゃないよ。今の私を言い表すなら、こうなる」


 明らかに理解が追いついていない老婆に、かつての『王』――精霊の王は淡々と災いの名を口にした。


「マテリアル《Ⅵ》魔瘴種災魔”女王(レギナ)”。精霊型の魔物にして、かつてとは違う王。それが今の私」


 何を言っているのか本当に理解できなかった。

 あまりにも突拍子もない話で、理解を越えている話で、ウトゥはただ呆然と仕えていた精霊の王を見ることしかできなかった。


 その姿には少しだけ変化があった。

 銀の髪にはかつてはなかった黒が混じり、華美だった服は簡素な黒いワンピースへと変わっている。

 だけど、人形のように整っている中性的な顔は変わっていない。他の巫女たちと羨ましいと話していたあの頃のままに、百年が過ぎようとその芸術品のような麗しさは損なわれていない。


 紫紺の目、その奥に宿る感情の光を除けば。


 分からない。頭が真っ白になって、思考すらまとまらない。しかし、疑問だけは自然とウトゥの口から零れ落ちていく。


「な、何故……そんなことを……」


「未来を視たから」


 その答えにウトゥは違うと悟りながらも淡い希望を抱いた。

 かつて、この精霊の王は何度も何度も、その予知の力で皆を救ってきた。大規模な魔物の侵攻を。現れては消えるを繰り返す亡霊のようなあの災魔の出現を。幾度も告げられた最悪の未来を回避することができたからこそ、人は最後に勝利を掴むことができたのだ。


 だから、そうせざるをえない理由があったのだと思いたかった。魔物へと落魄するしかなかったのだとそう信じたかった。


「それは、御身が瘴気を宿すことが、より良い未来に――」


「違うよ」


 否定の声は淡泊であまりに短かった。

 あっさりと希望を否定された事実に、ウトゥがしばし気づけなかったほどに。


「あの王は敗北する運命だった。人を何人殺そうが、最後は必ず討たれてしまう。どんなに勝利に近づこうと、最後は絶対に人に負ける。いくら視ても、そんな未来ばかりが広がっていた。だから、思ったの」


 ウトゥの感情を置いて、レギナの声は紡がれていく。

 そして、レギナは罪悪感も愉悦も何の感情もその表情に浮かべず、ただその思いを言葉にした。


「私の方が上手く染められるなって」


 心に重く冷たい鉄を受け止めたようだった。


――ああ、知らなかった。


 災魔と名付けられたあの人型魔物の出現を予知する中、精霊の王がそんな、遊戯を傍らで見守る童のような気持ちでいたなんて。すぐ傍に控えていたはずなのに、ウトゥはまったく気づけなかった。


 何度も何度も窮地を救ってくれたこの方を尊敬していた。

 巫女として仕えることに誇りを抱いていた。


 だけど、”女王”はウトゥが思っていたような存在ではなかった。ずっと昔、巫女になったときに言われたことをウトゥは今さら理解した。

 根本的に人とは違う存在だ、と巫女の長は言っていた。美しい花を見たとして。綺麗な歌声を耳にしたとして。人の温もりに触れたとして。あれが何を思うかは人には想像ができない、と。


――共感できる存在ではないと心に刻んでおきなさい。


 刻んでいた。ウトゥはその言葉を忘れず、しっかりと記憶していた。

 でも……理解には程遠かった。

 支えを失ったようにウトゥは崩れ落ちた。そんなウトゥを気遣う素振りなど露ほども見せず、レギナは変わらぬ無表情でかつての巫女の顔を覗きこむ。


「ねえ、ウトゥはまだ私の力が使えるよね」


「……はい、それがどうかしましたか?」


 かつてのレギナの力。それはウトゥに残った最後の誇りだ。


 少しだけその者が歩む未来を視ることができる魔法。

 精霊の王と契約したことで得た力の断片。


 それだけがこのグレイスの地に流れてきたウトゥに残ったものだった。


 大事な親友だった巫女たちが死んで、少し憧れていた騎士の少年が死んで、避難を頑なに拒んでいた料理長が死んで、厳しくも優しかったメイド長が死んで、皆が、誰もが、あの戦いで死んでいった。


 それなのに、瘴気に飲まれた王都から自分だけが生き延びた。

 そんな奇跡などウトゥは求めてはいなかったのに、無意識に体が助かろうと動いてしまった。


 浄化師でもないのに瘴気が渦巻く中を歩き、王都から脱出した。

 そして、北から来た商人に倒れているところを拾われた。


 目が覚めてそれを知ったとき、何で生きているのだろうと思った。

 今でもそうだ。大切なものが全て消えて、自分だけが生きている理由がウトゥには分からない。


 だけど。

 残ったこの力で”占い”をするときだけは、そんな思いから逃げることができた。困っている人の未来を視る。そして、良い未来を歩めるように助言をする。仕えていた『王』の真似事をするときだけは心が安らいだ。

 そんな思いで百年を生きてきたから、ウトゥはレギナを憎み切ることはできなかった。ただ……残念だった。

 同じ未来を視ていなかった。それだけの事実がこんなにも胸を締め付ける。


「私にはもう『時』が視えないの。だから、代わりに未来を視て」

 

 ぺたりと地面に座り込んだまま、ウトゥはレギナの声に耳を傾ける。

 もう『時』が視えない。

 その意味を力の断片を持つウトゥには何となく理解できた。


 災魔となったことで、レギナは精霊という万象から外れてしまった。だから、『時』という世界の流れを視ることができなくなったのだと。


 そして、レギナが断った繋がりは精霊だけではない。

 精霊との契約は互いの魔力を渡し、結ぶことで成立する。ウトゥの中にはレギナと契約したときの魔力が証として残っている。しかし、レギナは災魔になったことで、ウトゥたち巫女との魔力を捨て去ってしまっている。


 その証拠に、ウトゥは『王』の存在を感じ取ることができたが、レギナはウトゥを前にしても『巫女』だということが分からなかった。

 精霊もウトゥも、レギナにとっては捨てられるものでしかない。

 これは、そんな相手からの叶える必要のない願いだ。


「私は”(レクス)”を誕生させられる?」


 レギナの言葉が何を意味しているか、ウトゥには分からない。だが、人にとって悪しきことなのは予想できる。

 何より、先の言葉どおり、今のレギナはウトゥが仕えていた精霊の王ではない、災魔だ。

 目指す場所もすでに違く、レギナは簡単にウトゥを切り捨てる。

 そして、その願いは災禍だ。それが分かっていて、何故願いを聞かねばならないのか。


「…………分かりました。ええ、あたしゃはあなたの巫女ですから」


 それでも、ウトゥは頷いた。

 きっと最初で最後になるであろう王の願いを受け入れた。

 自分は巫女で、そして、如何なる事実が明かされようと、過去に抱いた感謝の念は確かに真実だったから。


 その答えに、少しだけレギナの表情が和らいだ。

 無表情ゆえにはっきりと見えたその感情に、ウトゥはレギナの紫紺の目、その奥に宿る感情が何か分かった気がした。


 恐怖だ。

 視えていたものが、視えなくなる。未来が如何に可能性に満ちているか理解しているからこそ、視えないことが恐ろしい。合っているかは分からないが、ウトゥはこの推測は間違っていないように思えた。


「……時の暗闇に火を灯したまえ【望刻霊王(スクルド)】」


 掠れるほど小さな声に、青く透き通るような儚い火が灯った。

 きっと、これが最後の占いになる。その予感がウトゥにはあった。


 そして。

 その占いは不気味なほど、前回・・と重なっていた。まるで、同じ未来をたどるかのように。


――【『王』との邂逅は逃れられぬ必定。因果の猟犬は女王に追いつき、牙を剥く……閉じゆく世界の先に希望は残っている。未来を掴むのは……】


 青く揺らめく炎の中、紡ぐ言葉が結ばれる。火花を残し消えていく青い世界に、ふうとウトゥは息を吐き、


 その視界は黒に閉ざされた。


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