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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
四章
100/196

束ねし刃

 災厄の中に、シリュウたちはいた。

 無尽蔵に溢れる触手が嵐の如く猛威を振るう。

 いくつもの【魔壁】が引き裂かれ、槍のような触手が《黒騎(ノックス)》たちへと突き出されていく。

 それが何のためなのかは簡単に想像ができた。


 捕食のためだ。


 触手の先端は大きく開き、顎のように形を変えていた。まき散らす液体は涎に。空気を裂き暴れる音は唸り声に。災魔の触手にはそれ自体が生きていると錯覚するほどに、強烈な飢餓の感情が乗っていた。

 醜悪に過ぎる触手の群れ。間近に迫る無数の顎に一つの末路を想像してしまったのか、何人かの団員が悲鳴を上げながら乱雑に魔法を撃ち始める。


 それを止めることも、叱る余裕もシリュウにはなかった。


 この嵐を耐えるだけでは駄目なのだ。

 あれは捕食だけが目的なのではないと、シリュウは感じ取っていた。防御に回れば文字通り手が届かなくなる。あの魔物は邪魔な羽虫を払いのけ、手が届かないほどの高さへ行くつもりだと根拠のない確信が囁いていた。


 触手を斬り払い、先へ先へとシリュウは駆ける。また立たせるわけにはいかないと、炎を帯びたシリュウの斬撃が縦横無尽に暴れ回る。そして、その近くでは白い浄の光を灯した巨大なドリルも振り回されていた。


「怖い……帰りたい……気持ち悪い……近づかないで……あ、あっちいって……」


「よおし、いいぞ! その調子だ。その調子で頑張れ、ミユ! おじさんに楽をさせてくれ!」


 ぶつぶつと呟きながらドリルを振るうミユ。

 その目は暗く、感情が消え失せている。そんな幽鬼のような姿をおっかなく思いながらも、共に最前線に立つミユに消えられては困るとシリュウは無駄に大きな声を上げ、一方通行の励ましを送っていた。


 二人の猛攻は止まらず、ついに触手の攻勢を僅かに緩ませる。

 ようやく生まれた隙。即座にヌン爺がグレイスの駒者(ピーセス)たちに指示を飛ばす。狩場の高台から放たれた魔法は触手の中心部、眼球へと突き進むが、触手が壁となってそれを防いでしまった。

 だが、これでいい。

 攻撃や防御に触手が使われているうちはこいつは立ち上がれない。


 全力で攻撃を続け、ようやくこの場に繋ぎとめられる。


 倒せばリバーシが起きる可能性があるとアリスは話していた。しかし、間違って攻撃が直撃して倒してしまった、そんな不幸とも幸運ともいえる事態など訪れるはずがない。何しろ一発の大当たりではまったく足りないのだから。


 それに、そんな機会が訪れるほど時間が残っていない。

 あと半刻と持たず、この戦いは破綻する。


 暴れ回る災魔に追いつけなくなっている。災魔の触手を斬るシリュウ自身が誰よりもそれを実感していた。

 触手の数が増えていっている。一振りが二振りに。三、四、五と触手を伐採するために刀を振るう回数が増していく。ミユや《黒騎(ノックス)》、グレイスの駒者(ピーセス)の後押しがあろうと、このままでは手が付けられなくなるのは明白だった。


――撤退するか。


 余力があるうちにその選択肢を取るべきだと、シリュウの団長としての部分が囁いている。

 だが、ギリギリまで見極めるべきだという戦士としての声はもっと大きかった。


 待つ。ただその時を待ちわびる。

 半刻も必要ない。十分と少し。それだけの時間で結果は分かる。

 何故だか不思議な確信がシリュウにはあった。それが不可能でないと体感しているからか、誰もが否定するはずの未来を前提にシリュウは動いていた。


 だからこそ、瘴気が薄れたその瞬間、シリュウはミユや《黒騎(ノックス)》、グレイスの駒者(ピーセス)の誰よりも速く動いた。


 一陣の風が攫っていくかのように、立ち込めていた瘴気が祓われていく。

 果たして、湖から立ち昇っていた瘴気の柱が消えた意味を理解できたものは何人いただろうか。

 間違いなく振り向き、湖に眼を奪われる者たちの中にはいないはずだ。

 絵空事のような勝利を少しでも信じていた者たちこそが湖に背を向け、この好機を掴み取ろうと駆けている。


「動けえ!! 今ならとれるっ!」


 瘴気が薄まり動きが鈍った触手を前に、駆けるシリュウが吠えた。

 魔瘴方界(スクウェア)が解放された以上、リバーシが起きる可能性は消え失せた。もう、この魔物は倒せない災厄ではない。倒せるただの魔物だ。


 テルスたちは成し遂げた。ならば次はこちらの番。シリュウが、ミユが、災魔へと躊躇いの消えた矛先を向ける。

 だが、その矛先が向くよりもずっと前から、災魔は動いていた。


 シリュウが斬り払おうとした触手の形が不気味に膨らみ、変化した。


「んだとっ!」


 現れたのは黒い鯰。大口を開けて餌を待ち構える魔物を、シリュウは転がるようにして躱す。

 そして、顔を上げれば、


 無数の魚が、このグレイスの地に住まう魔物が触手の先に現れていた。


 百鬼夜行。

 もはや、相手は災魔だけではなかった。魔瘴方界(スクウェア)がこの狩場に移ったかのように、グレイスの魔物が集結していた。


 何が起きた。いや、何故これを使うことができる。


 テルスの戦いを見ていたから、触手の先に魔物が現れる攻撃手段は知っている。

 おそらくは、捕食した魔物を操るか、再現している力なのだろうという推測も立っていた。


 だからこそ、驚愕を隠せない。

 テルスが触手を断ったことで、その力は使えなくなったのではないのか。魔物が触手から吐き出されたのも見た。手札を温存するなんて知能があるとも思えない。

 これはシリュウたちの予測、推測の外から打たれた一手だった。


「狩場の穴じゃ! この魔物、触手を排水溝から伸ばしておる!」


 誰よりも先に答えにたどり着いたのは狩場の上にいるヌン爺たちだった。

 逃げろ、下だ、と声は繰り返し降り注ぐ。


「団長! 崖の下で、しょ、触手が!」


「さっき吐き出した魔物たちを食べながら、湖へ向かってます!」


 狩場の端にいる団員たちからも声が上がる。振り向いて確認するまでもない。

 状況は再び、最悪の盤面となったことをシリュウは悟った。


「……ちっ、やられたな」


 排水溝とはやってくれる。グレイスについて勉強不足だったことが、ただただ悔やまれた。

 思えば、災魔の立ち位置は狩場の中心部に来てから動いていなかった。考えたにしろ、偶然にしろ、下に道があることに気づき、触手を伸ばしていたのだろう。

 そして、出口にたどり着き、先ほど吐き出した魔物たちを再び捕食し始め、


 災厄の名に相応しいこの威容が蘇った。


 これで撤退するには災魔に加え、触手の先に現れた魔物の相手もしなくてはいけなくなった。力を削られている状況では難しいと言わざるをえない。

 強引に突破することができるミユと狩場の上に移動していたアリス。この二人の浄化師と避難を終えた気球は逃がせるだろう。

 だが、《黒騎(ノックス)》は駄目だ。立ち位置が悪い。狩場の坂は上りづらく高台にたどり着くまでに時間がかかりすぎる。そして、下手に逃げれば、追いかけてきた触手が気球を狙う可能性もある。


(足止めが必要ってか……こいつほんと腹立つ魔物だな)


 知能を感じさせないこの魔物が、計算してこの状況を作り上げたとは思えない。ただ運悪くこの状況に追い込まれてしまった。


 運が悪い。そんな言葉で片づけられるなんてたまったもんじゃない。

 この鬱憤を晴らすためにも団長である俺が残る。一人覚悟を決めるシリュウの後ろでは同じように覚悟を決めた団員たちが武器を構えていた。死ぬつもりなど毛頭ない。団長に似たのか、その表情を見れば団員たちもこの魔物を本気で倒す気でいることがすぐに分かる。


 それでも。


――もう少し。ほんの少しだけ、時間があれば。


 これから何が起きるかを想像すれば、誰もがそんなことを思わずにはいられなかっただろう。

 本当に、本当にこれは最悪のタイミングだった。






 災魔にとっても・・・・・・・――。






 一人の少年がその光景を目にしていた。


 疲れ切った体で、ぼんやりと眺めていた眼下に広がり出した黒い触手の群れ。

 走る獣の魔物を貫き、力なく跳ねることしかできない魚の魔物を捕まえ、人魚の魔物を始めとした魔瘴方界(スクウェア)の魔物たちすら触手はただ喰らい、その飢えを満たしていく。


 吐き出したものを、もう一つたりとも逃さぬように。執拗に災魔の触手は大地を這いずり回り、湖へ向かっていく。

 そう、触手は全てを喰らっていく。そこに例外は一つたりともない。この境界近くで一度吐き出したものを再び黒に染めていく。


 だから、それ・・がテルスの視界に入るのも当然のことだった。


 触手が力なく大地に横たわる人々に群がっていた。顎のように割れた先端が人に喰らいつき、その細い触手を膨らませながら飲み込んでいく。


 手を伸ばす。

 それが届くはずもなく空を切り、瘴気という濁流に人の姿は消えていった。


 あれは遺体だ。遥か昔に死した人々だ。

 骨と朽ちることすら許されず、冷たい湖底に繋ぎ留められていた人たちだ。


 そして、あの中にはコングたちの縁者がいる。

 彼らがこの光景を見て何を思うかなど考えるまでもない。見せたくなかったのに、見せざるをえなかったあの湖底の光景。あれを見せて、崩れ落ちた彼らの表情はまだ少年の心に深く刻み込まれている。


 大切な人が災魔の瘴気に飲まれていく。

 あのときと同じ光景を前に、テルス・ドラグオンは原点を思い出す。


 立ち止まっていられるはずがなかった。ここでこそ動かなければ、強くなろうとしてきた今までの全てが無意味と化す。

 しかし、もう少年に力は残されていない。

 この光景をもう見たくない。この光景の後に訪れた結末を覆したい。そんな思いで進んできたというのに、肝心のこの時に前へと踏み出す力が残っていなかった。


 だから――


「頼む。俺をあいつのところまで運んで」


 それほど大きな声ではない。

 だが、はっきりとその声は風に乗って、ルナに、コングに、皆に届いた。


 こんな風に人を頼ったことはテルスにはなかった。

 八方塞がりで、自分だけではこれ以上は進めなくて。

 どうしようもないのに、まだ止まりたくない。愚直に進んできた少年の不器用な願いにはたくさんの感情が詰まっていた。


 そして、そんな思いを受け取った仲間たちが、応えないはずがなかった。


「風の制御を手放して! 着地くらいなら私でもできる」


「俺の魔法でも衝撃は殺せるぞ。そんくらいの力は残っているから、この風使って突っ込んでこい!」


「じゃあ、あとはあの触手をどうにかすればいいのね。チェレンさん。私をテルよりも速くあの狩場に吹き飛ばしてちょうだい」


「了解した。だが、多少の調整はできるが、そのままだと墜落死だぞ」


「大丈夫よ。サルジュ、バルフ、【強化】をよこしなさい。テルにもね」


「はいはい、思いっきりかけてあげるから、あたしの分まで叩きこんできなさいよ!」


「気をつけろよ。俺はあとは【魔弾】で牽制くらいしかできないからな」


「狩場の真上に着いたら私が魔法を撃つ。それを合図にして」


「それの後押しくらいは今の俺でもできそうだ」


 アイレ、マール、チェレン、コング、バルフ、サルジュ、シュネー、メルク。


「はあ、君は本当に無茶ばっかりだね。ほら、風は精霊にまかせて、君は刀を振ることに集中するんだ」


〈絶対届ける。まかせて〉


 そして、ソルとルナ。


――これで、止まっていられるか。


 これほどの火種をもらって燃えないはずがない。限界だと思っていた体に最後の火が灯る。


 これなら振れる。まだ、刀を振るうことができる。

 灯った火で体を燃やし尽くすように魔力を振り絞り、魔具に残っていたなけなしの魔力を引き出して、テルスはようやく一つの魔法を発現させる。

 刀に【魔刃】を。行使する魔法はそれだけでいい。


 バルフとサルジュの【強化】が背を叩くように【魔弾】に乗ってテルスへ届く。

 風を操っていた【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】が役目を終え、導かれるようにして【魔刃】に重なっていく。

 そうして、テルスの必殺が研がれていく。


――この一刀に全てを賭す。


 狭まる視界にその姿を捉え、意思と刃をひたすらに研ぎ澄ます。

 そして、テルスたちが狩場の真上へとたどり着き、


「【凍え咲く六華】!」


 最後の決戦。その始まりを告げる嚆矢が放たれた。


 らしくないシュネーの叫びとともに、青白い冷気の渦が災魔へと降り注ぐ。同じく『氷』の属性を持つメルクの後押しも加わり、次々と触手の群れが白く染まり氷の花が咲いていく。

 上位の魔法の奇襲によって触手の動きが目に見えて鈍る。

 その合間を縫って、弾丸のような速度で狩場に人と砲声が着弾した。


「【魔槍《地穿(スキュアー)》】、バックランク・メイトォッ!!」


 野太い声とともに、大地から硬化された槍が四方八方へ次々と突き出される。

 逃げ道を封じるように包囲網が狭まっていき、やがて一際大きな石槍が触手の合間を貫いて災魔へと突き刺さった。

 コング渾身の一撃。

 それは眼球に傷をつけるも、貫通するには至らなかった。

 だが、これで最後の舞台は整った。


 災魔の真上を通り過ぎる気球から無数の【魔弾】とともに、テルスとルナが狩場を目指し落ちてくる。


 それに災魔は反応した。


 災魔の眼球はただ一人の少年を映している。

 この魔物は覚えていた。自身が持つ全ての触手を断ったその必殺の刃を。


 だからこそ、通り過ぎていく気球も、傷を与えたコングも、好機と見て襲いかかるシリュウとミユすらも無視し、災魔の触手は上空の二人へと向いた。

 もうテルスに触手の群れを躱す力は残っていない。

 全ての触手を向けられればテルスの刃は決して災魔には届かないだろう。


 しかし、触手は僅かに一拍、その速度を落とした。


 乱立した無数の槍に触手の動きが阻害される。友の下には行かせないとコングの槍が災魔を阻み、シリュウとミユだけでなく、《黒騎(ノックス)》の団員、グレイスの駒者(ピーセス)たちも加わった攻撃により、触手が削られていく。

 それでも、迎え撃つ触手は間に合った。

 魔物がついた触手は潰されようと、人の魔法を放つ触手は攻撃をすり抜け、誰にも悟られずテルスたちに向けられた。


 落下速度から考えても、テルスは災魔が放つそのトランプ・ワンよりも先に刀を振るうことはできない――隣のルナがいなければ。


 白い閃光が雷の如く落ちた。

 その手に災魔にとっての〝死神〟を掴みながら。


――これは再現だ。


 この災魔と最初に戦い、首を斬り落としたときの再現ではない。

 あのときと同じように触手の群れを掻い潜り、たった瞬きほどの隙を掴み取ったという酷似した状況であろうと、テルスの頭にあるのはその瞬間ではなかった。

 ただ何もできないままに、あの骨剣が振り下ろされるのを見ていたときを。赤い道化師が浮かべた笑みを。黒猫の少女の献身を。今も拭いされない数々の後悔を。


――もう、繰り返させない。


 これは再現であり、もう二度と繰り返させないという証明だ。

 強い想いに呼応するように【閃手】から投げ出されたテルスがさらに加速する。肩に乗る白隼がその翼に風を受け、何より疾くテルスをその間合いへと到らせた。

 そして、


「――ハバキリ」


 刃は振るわれた。

 テルスの中で音が反響しながら遠ざかっていく。体から力が抜けていき、砕けた刃の感触を最後に感覚の全てが途絶えていく。ただ……


「やった……」


 その瞳に両断した眼球を映したテルスは満足そうに呟き、

 深い眠りへと落ちていった。


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