暗雲
リーフの通りを不気味なピエロたちが歩いていた。
笑顔はなく、会話もなく、《トリック大道芸団》は暗い影を背負って行進する。
もはや、怪奇現象だった。
仮にも『悪戯大好き、世界に笑顔を届けるトリック大道芸団』を名乗っているというのに、すれ違う赤子が泣き出す怪しさである。
特に、あるピエロの真顔が怖すぎる。
だが、一行にピエロフォビアを次々と増やし、笑顔を届けるどころか奪っていることに気づく余裕はなかった。
昨夜遅くに《トリック大道芸団》はリーフに到着したばかりだ。
旅の疲れはまだ残っている。天気も悪い。それでも、宿でゆっくりなんてできなかった。
結局、旅の途中で魔物とほとんど遭遇しなかったのだ。
儲けはいつもの半分を大きく下回っている。
このままでは、クランの未来は餓死だ。というか、もうその沼に片足を突っ込んでいる。
「やばい……やばいぞ。稼がないと、この町から出られない。いや、そんな話じゃすまない。一週間どころか、三日で食えなくなる……だと……どうすんだよ。そんなレベルで金がないとか、崖っぷちじゃねえか」
「もう、ハンス君がお金を使っちゃうからあ~」
「俺じゃねえよ! お前らだよ! 無駄な衣装の新調、無駄に高価な飾りの購入、無駄でしかない上等な投げナイフへの買い替え! 無駄無駄無駄無駄無駄、度重なる無駄遣いを何で俺は止められなかったんだ! くそっ、今度から、お小遣いを減らすからな!」
「「「「ええー」」」」
「うるせえ! 嫌なら、稼いで……って何かギルドの様子が変だな」
ルーンたちが通りの先を見ると、ギルドの周辺に妙に人が集まっていた。
今日は小雨が降ったり止んだりと不安定な空模様。
とても駒者の仕事日和とは言えない。それなのに、こんなに駒者がギルドに集まっているなんて……何かあったのだろうか。
孤児院にいなかったテルスが頭を過ぎる。
もしかして、とルーンは心配するが視界に紫紺のローブが入ったことで不安そうな表情は一変した。
見目麗しい乙女の物憂げな表情から、そんな乙女の化粧が剥げた汚物でも直視しているかのような表情へ。
目の前で見ていたら、百年の恋だって冷めるような変貌ぶり。
でも、ルーン以外の《トリック大道芸団》団員はギルドに目を向けている。
運のいいことに目撃者はいないようだった。
「あれ、なにやってるんだろ?」「お祭り?」「まさかあ」
「……ちょっと聞いてみましょうか。何だか胸騒ぎがしますし」
珍しく真剣なファル団長に従い、ルーンたちがギルドの近くまでやってくると、それに気づいたエレンリードが集団をかき分けて近寄ってきた。
「ルーン大変なんだ。力を貸してほしい」
「何かあったの? あと一応言っとくけど、私の力を借りたいならうちの団長さんに話を通してね」
「そんな暇はないんだ!」
秀麗な顔を焦りと恐怖に歪ませ、エレンリードは声を荒げる。
いつもの自信満々な様子が嘘のようだ。
エレンリードを囲むエルフの面々も、他の駒者も一様に苦い顔をしていた。
「混魔か、それとも『王』か……分からないが、マテリアル《Ⅳ》以上の魔物が来る! 森で僕らは確かにこの目で視たんだ。あんなものは視たことがなかった。暗く、重く、まったく見通せない闇のような瘴気。あれは……死の塊だ。あんなものが町に来たら……くっ、ルーン頼む! 君の力が必要なんだ!」
流石の《トリック大道芸団》も心穏やかに聞ける話ではなかった。
ルーンの表情も真剣なものに変わる。しかし、
「でもなあ、もうお前がその情報を伝えてから、一時間は経つぞ」
ギルドの実力者の一人であるおやっさんが頬を掻きながら、口を挟んだ。
「……どういうこと?」
「こいつらが来てから、すぐに警戒態勢で森に偵察を送ったんだよ。リーフ中に避難警報を鳴らせる準備もしてな。だが、それらしき魔物の姿はなかった。戦闘の痕があった以上は魔物はいたんだろうが……もう一時間は経っているぞ」
「じゃあ、べつに危険はないの?」「それなら安心」
「できるか!」
一喝したエレンリードは震えていた。
本当にいつもの姿など見る影もない。
偵察を送って、リーフの周辺に魔物がいないことを確かめた以上、いくら恐ろしくともその魔物はここには来ない。
ならば、何を怖がる必要があるのか。
魔物に対する脅威に関しては、こういったことが往々にしてある。
魔物は対峙した相手に不自然なほど恐怖を与えるのだ。
数が多く、魔物が強大であるほど恐怖は大きく、人は絶望に突き落とされる。
マテリアル上位の魔物など、ただ対峙することにすら強い意志が必要だ。
いかに勇敢な者も魔物を前にすれば恐怖を感じる。
だが、対峙した者以外はその恐怖の程が分からない。
必要以上に警戒してしまうこともあれば、魔物の脅威を甘く見て被害を大きくすることもある。
では、仮にもマテルアル《Ⅳ》のエレンリードがこうも怯える魔物とは。
当然、警戒は最高レベルのものをしているはずだ。
しかし、当の魔物の姿はどこにもなく、誰もが対応に困っているのだろう。
「うーん、でもさエレンリード。もう、魔物の姿がないなら、少しは安心しても――」
「ルーン違うんだ! そうじゃない。君もエルフなら分かるはずだ! 魔物を視たときのあの不快な感覚を!」
エルフは魔力を視ることができる。
それは、汚染された魔力である瘴気も同様だ。
もっとも、瘴気については濃いものならば、人も見ることができる。
魔物を退治した直後に広がる、あの様々な色を混ぜたかのように黒く濁った瘴気がまさにそれだ。
ただ、瘴気の塊である魔物を視る場合、エルフと人では視える世界が違う。
エルフは、より深く魔物の強さや脅威を感じ取ってしまうのだ――そして、その恐怖も。
「もう一度何を視たか言ってみて、エレンリード。エルフの目でどう視えたかを」
「…………瘴気の質が違った。人間の魔力や、魔物の瘴気を例えるなら、気体のように視えていると思う。ふわふわとした捉えどころのないものだ。でもあれは、そう、固体だった。固く黒く冷え切った氷。僕が倒した混魔もあんなものではなかった。あれでは、まるで、まるで――」
「魔瘴方界が歩いているかのよう、とか」
「そ、そうだ! その通りだ!」
的を射たルーンの言葉にエレンリードは困惑しているようだった。
だが、ルーンはすでに違うところに目を向けている。
「おやっさん。警戒は最大レベルを維持したままで。それと三日はリーフの外に出ない方がいい。あと、偵察も呼び戻して。『話石』くらいは持たせているでしょ」
「……お前が言うなら、そうするが……何だ? 何が来ているんだ?」
「……多分、マテリアルの最上位が、その辺を散歩しているんだよ。エレンリードの見た瘴気の感じ方は私も覚えがある」
「最上位? おいおい、本当に『王』が来ているのか? 魔瘴方界の外を出て?」
「その認識でいて。低く見積もるよりかはいい」
途端に周囲の駒者が騒めく。
この場にいる誰もが血の気が引いた蒼白な顔をしていた。
しかし、ルーンの言葉に反論する者はいない。
このエルフがこの場にいる誰よりも実力があり、自分たちよりはるかに長い時間を生きていることを知っているからだ。
だからこそ、その言葉は重い。
静まり返ったリーフの駒者たちの中、腕を組んだおやっさんだけが冷静にルーンを見ていた。
「……それで、どうする? どうするべきだ? リーフの駒者で《Ⅲ》を超えるのは俺と数名。《Ⅳ》はそこのエルフとあんただけだ。ルーン、俺はお前の言葉に従おう。ほとんど《Ⅲ》以下しかいないリーフの駒者では、マテリアル《Ⅴ》の王を倒すことは不可能だ。どう考えてもお前の力がいる」
「私が行く。一人でいい」
おやっさんの言葉にルーンは即答する。
でも、仲間たちはそれを許さない。
「おい、待て! ここは俺たちも連れていけルーン!」
「そうだよ!」「一人で行かせるわけないじゃん!」
「大丈夫だよ、見てくるだけだから。人が多い方が危ないんだよ。それに一時間も経ってこっちに来てないなら、多分もうリーフに危険はないよ」
詰め寄るハンスたちをなだめながら、ルーンは困ったような笑顔を浮かべる。
自分のことを心配してくれるのは嬉しいが、本当に人数が多い方が危ないのだ。
下手に気づかれでもしたら、それこそ、リーフの危機に繋がってしまう。
「でも、なんで……この場所が『落葉の森』に近いからとか? そんな強力な魔物が現れた理由が分からないな。ねえ、エレンリード。もう少し状況を詳しく話してくれない?」
「話すも何も、僕たちは死人のような姿の魔物を見ただけだ。攻撃方法も分からない。ただ、なにかを使って一瞬で視界が開けるほど、森の木々を切り倒した。僕の切り札もまるで効果がないようだった。あとは――」
「ちょ、ちょっと待って!」
予想以上に話し始めるエレンリードにルーンは戸惑っていた。
(攻撃されているのに、リーフまで追ってきていない……?)
魔物は――カニスやトロルのように――敵を執拗に追いかけるものだ。
だからこそ、魔物には気づかれないようにし、仮に気づかれたとしても、戦うことが目的でないなら手を出してはいけない。
攻撃した瞬間、魔物は人を獲物から、敵へと見なすからだ。
「どうやって、逃げてきたの?」
「すぐに撤退したよ。煙幕を巻いて、必死に走ってきた……そういえば、あの子供がいないな」
「子供?」
「ああ。あの魔物と遭遇する前に、警告してくれた子供がいてね。逃げるようにと言ったんだが……まさか、森ではぐれたか?」
「……それは黒髪の男の子だった?」
「そうだが――ひっ」
ルーンは全てを理解した。
どうして、その魔物がリーフに来ていないかを。
このエルフたちが、どうしようもなく思慮に欠けていることを。
暴風のように吹き荒れる魔力と共に、ルーンは叫んだ。
「馬鹿が!」
腰を抜かした馬鹿を殴り飛ばす時間すら惜しく、ルーンは走り出した。
間に合うかは分からない。すでに時間は非情なほどに過ぎ去っている。
それでも、追わない理由は無かった。




