6話 決戦の日曜日(不本意) その2
「……そんな、ありえない……!」
俺は驚きを隠せずにいた。
そこに立っていたのはまさしく女子高生になる前の俺、高坂凛太郎である。
ということは今の高坂凛太郎のなかには椎名葉月の精神が入っているということになるのだろうか。
完全ではないにしろ少し冷静さを取り戻した俺は思い切って確かめてみることにした。
「あ、あの……、ひょっとして君、椎名葉月じゃない?」
俺がそう訊くと彼は一瞬だけ体を揺らした。
「えッ!? そ、それは……」
「大丈夫、隠さなくて大丈夫だよ、実を言うと俺もこう見えて中身は男なんだ」
俺は正直に打ち明けた。
「…………そ、その……、じ、実はそうなんです……」
「やっぱり! あーー、よかったー、俺の体は一体どこにあるんだろうって心配だったんだ!」
俺はあっという間にホッとした気分になった。
それは彼──いや彼女か──も同じようであった。
「わ、私もです! 不安で一睡もできませんでした!」
彼女もようやく解放されたように一気に話した。
しかし、俺の姿で敬語を話されるとかなり違和感を感じて仕方がない。
恐らく彼女の方もそう感じているに違いないが。
「な、なんか違う意味の告白になっちゃったな……、ハハ……」
「……そういえばそうですね……、ウフフ」
俺たちはすっかり晴れ晴れとした気分になっていた。
秘密を打ち明けるとこれほどまでにスッキリとするのかと俺は初めて気付いた。
「これからどうします?」
と、彼女が俺に訊いてきた。
「……うーーん、そうだなぁ……」
「せっかく新しい服を買ったのにもったいないですねぇ……。 じゃあこれからデートでもするというのはどうですか?」
「え、デート!?」
俺は思わず声を上げた。
俺にとってデートというのはまだ未経験のものだ。
しかも普通のデートではなく性別が入れ替わったデートというのは尚更である。
「……どうでしょうか……?」
彼女が俺の顔を覗き込んできた。
これが女子の顔だったらキュンときてしまうかもしれない。
しかし、覗き込んできたのが男の顔だったので失礼だが俺は笑いをこらえるのに必死だった。
女子の顔を男子が覗き込むという光景は恐らく第三者から見てもシュールなものであろう。
「……よ、よし分かった! デートしよう!」
俺は答えた。
「じゃあ決まりですね! あ、男の子っぽい言葉はやめてくださいね? 私も女の子っぽい言葉は控えますので」
「お、おぅ!」
俺がそう答えると彼女は軽く咳払いをした。
「は、はい……」
俺は静かに言い直した。
「じゃあ行くか!」
彼女はなんだかノリノリで男言葉を使い始めた。
ひょっとしたら性別が変わる前から心の中で男子に憧れていたのではないか。
俺はそう考えた。
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俺たちはまず水族館に行った。
これは彼女の発案である。
「うぉーー、すっげーー!」
館内に入るなり彼女のテンションはすでに最高潮であった。
「……なんでテンション上がってるの……?」
俺は半ば呆れがちに言った。
「だって楽しいじゃん!」
「……それって理由になってないような……」
「いいんだよ!」
彼女は俺の言葉などまるで耳に届いていないかのように先へと走った。
「やれやれ……」
俺は仕方ないといった感じで彼女のあとをついて行った。
「うぉーー、マンボウでっけーー!」
彼女は水槽を悠然と泳ぐそいつの姿を見て興奮していた。
確かにそいつは一メートルは優に超えている。
マンボウのなかでも大きい部類に入るのではないだろうか。
だからといって俺はさほど興味はなかった。
しかし、すっかり魚類に夢中な彼女を一人のままにしておくという酷なことをするつもりはなかった。
「なぁ、写真撮ろうぜ、写真!」
「う、うん……」
と、彼女はカバンから自撮り棒を取り出した。
変わる前の俺はそんなものを買った覚えはない。
つまり彼女が買ったということだ。
「……自撮り棒買ったの?」
「え? あ、ああ!」
「俺の金で?」
「……そういうことになる……かも……」
「こういうことは言いたくないんだけどさ、俺は君の金を使わないでおいたのに君は俺の金使うんだね?」
「……ご、ごめん……」
「べ、別に怒ってるわけじゃないんだ、怒ってるわけじゃないんだけどそれってどうなのかなぁって。 俺さぁ、金の問題ってやっぱりほうっておいていい問題じゃないと思うんだよね」
「……本当にごめんなさい……」
「…………よし、この話はここまで! デート楽しもう、デート! 葉月さん、女の子っぽい言葉禁止ね」
俺は努めて明るく言った。
謝ってもらえればそれでいいのだ。
「……う、うん……」
「じゃなくて?」
「…………あ、ああ!」
俺たちはデートを再開した。
「じゃあ撮るぞーー!」
彼女は自撮り棒を構えた。
俺は急いでポーズをとる。
「はいチーズ!」
彼女はシャッターを切った。
正午を過ぎたので俺たちは館内のフードコートで昼食をとることにした。
「俺はビーフシチューで!」
「あ、それ私が注文しようと思ったのに……」
「いっしょの頼めばいいじゃーーん」
「……い、いや、いい! 私はカツ丼で!」
「えぇーー!? 太っちゃうからやめてくださーーい!」
「そういうときだけ椎名葉月を出すのやめてよ……」
「ビーフシチューとカツ丼がお一つずつですね、かしこまりました。 こちらの番号が呼ばれましたらどうぞ!」
女性店員が番号が書かれた紙を渡した。
俺たちはそれを受け取ると空いている席に座った。
「大丈夫だって、太った分は動いて消費させるから」
「そういう問題じゃないんですけど……」
彼女がため息をつくが俺にはその理由が分からなかった。
「あ、そういえば私の体で変なことなんてしてないですか?」
彼女はふと俺に訊いてきた。
「え、変なことって?」
「……た、例えば……、胸を触ったりとか……」
「えッ!?」
俺はドキッとしてしまった。
「さ、触ったんですか!? へ、変態ッ!!」
彼女の軽蔑した視線が俺の心を突き刺した。
「い、いや、悪意があって触ったわけじゃないんだ! ただ自分の体がどうなったのか確かめたかっただけなんだ!」
「確かめるだけなら鏡で見ればいいじゃないですか! 最低です!!」
彼女はそっぽを向いてしまった。
確かに彼女の言うことは正しい。
不用意に胸を触ってしまったのはまずかった。
「……ご、ごめん……」
俺は謝った。
「本当に悪いと思ってるんでしたら誠意を見せてください!」
「せ、誠意……?」
「例えばパフェをおごってくれるとか……」
彼女はそう言った。
それってただパフェを食べたいだけではないのか。
俺はそう言おうとしたが胸を触ってしまったこともあり反論はできなかった。
「わ、分かりました……、あとで注文します……」
俺がそう言うと彼女は途端に顔を明るくさせた。
「ありがとッ!!」
彼女の笑顔はとても眩しかった。
姿が男子でなく女子のままだったなら確実に好きになってしまうかもしれない。
俺はそう思った。
「注文番号57番のお客様!」
と、女性店員が俺たちの番号を呼んだ。
俺は急いで受け取りに行った。
「お待たせいたしました!」
店員はトレーにビーフシチューとカツ丼を乗せ渡してきた。
俺はそれを受け取ると元の席に戻る。
「うわぁ、すっごく美味しそう!!」
彼女は自分の頼んだ料理を見るなりそう言った。
「確かに……」
「それじゃあ、いただきまーーす!」
俺たちは手を合わせた。
「いただきます」
彼女はビーフシチューを俺はカツ丼をそれぞれ食べ始めた。
<次回へつづく>