5話 決戦の日曜日(不本意) その1
日曜日。
ついにその日がやって来た。
俺が──正確には葉月が──中学時代の吹奏楽部の高坂先輩に告白する日。
結局俺は元の姿には戻れなかった。
つまり俺が告白しなければいけないのだ。
「……やっぱり気が引けるなぁ……」
諦めるという選択肢もあった。
しかし、昨日の前夜祭の一件もありあとには退けなかった。
それに俺は逃げるということ自体が嫌いな性格だ。
「……しゃあねえッ!」
不本意ながらも俺は告白することに決めた。
俺はおととい玲奈と一緒に行った飯村呉服店で購入したチュニックに着替えた。
相変わらずスースーし丈も短めだ。
これは果たして慣れるのだろうか。
俺のなかでは不安の方が大きかった。
「髪型はどうしようか……、さすがにこのままじゃマズい、よな……」
俺は腰まで伸びた黒髪をどうしようか考えを巡らせた。
やはり動きやすいようにポニーテールにでもしようか。
それとも大人しめの三つ編みか。
しかし、一つにまとめ上げるだけのポニーテールとは違い三つ編みはかなりの技術が必要そうだ。
「ふっふっふ、お困りのようやね、葉月」
「うわッ!!」
と、どこからともなく葉月の母が現れた。
まったく神出鬼没な人である。
「髪型のことで困ってるみたいやね、だったら母さんに任せなさい」
「……え?」
葉月の母はそう言うとブラシとヘアゴムと鏡を取り出した。
「行くわよぉ!」
葉月の母は勉強机の上に鏡を置き俺の──葉月の──髪の毛をブラシで梳かし始めた。
誰かに髪を梳かしてもらうのはこんなにも気持ちいいものなのかと俺は内心驚いていた。
「ほんと長くてキレイな髪やよねぇ、若いころの母さんにそっくりやわ」
「へぇーー」
俺は愛想なく答えた。
こう言っているときは大抵はそうでないとどこかで聞いたことがある。
「ほんとやよぉ、信じられないかもしれないけどね」
真偽は不明だが俺にとってはどうでもいいことであった。
「はいはい」
「もぉ、信じてないやろ?」
無関心な俺の様子を見て葉月の母は頬を膨らませた。
俺はその様子を鏡で見て思わず笑いがこぼれた。
こういうところは年相応に見えなくて仕方がない。
「笑わないの!」
葉月の母はふてくされながらも髪を梳かし続けた。
毛先まで丁寧に梳かし終えると次は両サイドから髪を少量だけ取り編み込みを作って束ねる。
「そして……」
束ねた部分をヘアゴムでまとめた。
「よし完成っと!」
どうやら完成したようだ。
俺は出来具合を手で触って確認した。
「なんかいい感じだな……」
俺は未知なる体験を楽しんでいる自分に気付いた。
「ハーフアップって言うんやって、初めてにしてはなかなかの出来やね!」
「え!?」
俺は葉月の母の言葉に思わず声を出した。
「……は、初めて……?」
「そう、頑張ったやろ?」
葉月の母は照れ臭そうに言った。
俺はてっきりやり慣れているものだと思っていた。
実際その手つきは手慣れたものであった。
「今日彼氏さんに告白するって言ったから必死に勉強したんやよ」
あぁ、そうですか。
俺は葉月の母の熱心ぶりに感嘆さえした。
ひょっとすると娘よりも盛り上がっているのではないか。
「それにしてもその服似合ってるねぇ、もっとよく見せて」
葉月の母がそう言ったので俺は仕方なく立ち上がってその姿を見せた。
「可愛いねぇ、やけど丈短すぎない?」
「それは俺……、私もそう思った……」
やはり丈が短すぎたようだ。
途端に俺は体全体が熱くなるのを感じる。
「で、でも、母さんは似合っとると思うからね!」
「は、はぁ……」
フォローしないでいただきたいんですが?
もっと恥ずかしくなってくるんですが?
俺はそうツッコんだが言葉には出さなかった。
「もう出てって!」
「あら、そう? 出かけるときは言ってね、送り出すからね」
「それもいらない!」
俺は葉月の母を追い出すと部屋のドアを閉めた。
「まったく……」
俺はそう言ったものの髪を整えてくれたということもあって文句を言うこともできなかった。
仕方なく姿見で全身を見た。
「……!」
俺はなにげなく見たその姿に思わず言葉を失った。
葉月の母によって編み込まれた髪型、丈は短いながらも似合っているはずのチュニック、そして自分で言うことではないが可愛らしい顔立ち。
百人の男性がいたら九十七人くらいは「可愛い」と言うと俺は思った。
高坂先輩は幸せ者である。
こんな可愛らしい女子高生を独り占めできるのだから。
「……って、なにをうぬぼれてるんだ俺はッ!」
俺は首をブンブン振ると気合いを入れ直すように頬を二度軽く叩いた。
「よーーし、なにがなんでも今日の告白は成功させてやるッ!!」
俺は冷静に考えるとわけの分からない宣言をしてみせた。
「忘れ物はない? 緊張はしてない?」
葉月の母が心配そうに訊いてきた。
「小学生じゃないんだから大丈夫だし……」
俺は呆れたように答えた。
「交差点とか渡るときは左右ちゃんと見てから渡ること! あとは……」
「母さん! 大丈夫だから!」
俺はその言葉を遮った。
「あ、ああ……、そ、そうね……」
「それじゃ行ってきまーーす!」
俺は逃げるように走った。
「えっと……、待ち合わせ場所は……」
俺は葉月のスマホを取り出してカレンダーアプリを開いた。
スマホをいじっていて気付いたのだがカレンダーアプリに今回の告白の待ち合わせ場所などが詳細にメモされていたのだ。
「……彼岸公園の噴水のそばか……」
彼岸公園というのは葉月の家からはさほど離れていないことは確認済みだ。
方向音痴な俺でも五分もせずに辿り着いた。
俺は園内のほぼ中央に位置する噴水のそばに向かった。
「うぉ、すごい水しぶき……」
近くに行って分かったことは噴水がものすごい勢いで水を噴き上げさせているということだった。
そのときの水しぶきがかかりそうになる。
せっかく買った新品のチュニックを濡らすわけにはいかないと俺はしぶきのかからない位置まで離れた。
「これなら大丈夫だな……、じゃなくて大丈夫そうね」
俺は言い直した。
高坂先輩の前では極力女言葉を使うように心がけるつもりだ。
そうすれば変な風には見られないだろう。
気恥ずかしいのはしょうがないことだが。
「…………それにしても、なんだか変な視線を感じるなぁ……、じゃなくて感じるわねぇ」
俺は先ほどから妙な視線を感じていた。
周りを見渡してみるが特におかしな箇所はなかった。
「……気のせいか……、じゃなくて気のせいかしら」
俺は変な詮索はやめることにした。
「告白のほうに集中しなきゃ!」
俺は再び頬を二度叩いた。
と、まさにそのときだった。
「お、お待たせッ!」
背後から男性の低い声が聞こえた。
なんだかこんな感じの声を久しぶりに聞いた気がする。
そう、これだよこれ!
本来の俺もこんな感じの声なんだよ!
俺は思わず感動してしまった。
あれ、男の声って昨日聞いたっけ?
「……ど、どうしたの?」
声の主が心配そうに訊いてきた?
「あ……、すすす、すみません!」
俺は慌てて振り返った。
「今日はよろしくお願いし……」
そこまで言って俺は思わず声を詰まらせた。
そんな、まさか、ありえない。
俺は目の前で起きている状況を理解することができなかった。
「……ま、まさか、そんな……」
俺は軽いパニック状態になってしまった。
そこに立っていたのは高坂凛太郎、現在高校三年生。
中学時代から吹奏楽部に所属、高校ではコンクール優勝の経験あり。
趣味はアニメ観賞、週に二十本以上の作品を見ている。
逃げることと諦めることが嫌いな性格。
口癖は「なんとかなる」。
そして、女子になる前の俺の姿である。
<次回へつづく>