1話 俺が女に!?
「……そんな、まさか、ありえない……」
目を覚ました俺は己の周りで起きている事態に驚きを隠せないでいた。
「……ここは、一体、どこなんだ……?」
見慣れたはずの景色がそこにはなかった。
まず俺の目に飛び込んできたのは部屋の内装だ。
壁だけでなく天井や床が全部薄いピンクでまとめられている。
俺にとってはかなり恥ずかしい感じの色合いである。
俺が眠りについていたであろうベッドも当然のごとくピンクだ。
「……俺、夢でも、見てんのかなぁ……?」
それにしても先ほどから声に違和感を感じる。
少しばかりトーンが上がっているような感じなのだ。
それに頭がなんとなく重い気がする。
「……ん? なんだ、これ?」
俺は頭に手を伸ばす。
すると、なにかサラリとした感触が手に伝わった。
「……!?」
それは男の俺ではありえないほどの長さと柔らかさを兼ね備えた髪の毛そのものであった。
サラサラのその髪は腰まで伸びた立派なものであった。
どうやら立派なのは髪だけではないようだ。
胸元にも違和感を感じたので目線を落としてみると俺はそれを見て愕然とした。
「……なッ!?」
胸元に大きな起伏がある。
それは着ていたパジャマを通してもハッキリと分かるものだ。
俺は試しにそれを触ってみる。
「……うわッ!!」
それに触れた瞬間、なんとも言えない感覚に俺は思わず声を上げた。
「……や、やっぱり、これって……、お、お……、おっぱいッ!?」
俺はゴクリと息をのんだ。
断じてそんなことはあり得ないのだが、これは決してやましい理由からではない。
俺のなかである最悪の仮説が立ったからだ。
「……ひょ、ひょっとしたら、これって……」
と、俺はあるものを見つけた。
それは姿見だ。
部屋の隅にポツンと置かれている。
「……お、俺の仮説が、正しければ……」
俺は恐る恐る姿見のあるほうに移動する。
「……恐らく、俺は……」
俺は姿見の近くに立った。
だが、固く目を閉じている。
その仮説を素直に受け入れたくなかったからだ。
しかし、仮説なので正しくないことだってある。
俺は観念してゆっくりと目を開いていった。
が、わずかな希望は絶望へと一瞬にして変わった。
「……!?」
俺は姿見に映った己の姿を見て驚きを隠せずにいた。
そこに映っていたのは俺が出会ったことのない人物であった。
華奢な腕は少し力を加えるだけで折れてしまいそうな感じだ。
足元もいかにも女子といった感じで内股である。
「……な、なんじゃこりゃ……」
俺は往年の刑事ドラマのキャラクターのようなセリフを吐いた。
俺は一晩にして百パーセント純粋な男子高校生から小柄で可愛らしい女子高校生に変貌を遂げていたのであった。
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俺はどうしたものかと考えていた。
「きっと、きっとこれは悪い夢に違いない! そ、そうだ、そうに決まっている! 男が一晩で女に変わるなんて話、聞いたことがないじゃないか!」
俺はすっかり変わってしまった自身の容姿を見てそう自分を納得させた。
「でも、いくら夢だからといってこのままじゃいけないよな……。 さすがにパジャマは着替えておくか……」
俺はパジャマの袖に手をかけ脱ぎ始めた。
「……!?」
その過程で俺は人生のなかで一度も縁のないようなものを目にするハメになる。
「……こ、これは、えと……、ブ、ブラジャー、だよな……」
胸を覆い隠すように備え付けられたピンクのそれを見て俺は思わずドキッとしてしまった。
さすがに女性用の下着は男子の俺には刺激が強すぎるし背徳感も少なからずある。
俺はブラジャーに目を合わせようとせず急いでブラウスを着用した。
胸元に沿って張り付くような感じは否めないが、俺はそれを我慢せざるを得なかった。
次にタイを結ばなければいけないのだが、これがまた難しかった。
「……よし、なんとかできた!」
悪戦苦闘しながらもタイ結びを成功させた俺はスカートを穿いた。
「うわ、なんかスースーするじゃん!」
足元から空気が流れてくるのが直に伝わってきた。
「……女子ってよくこんなの穿いて学校行けるよなぁ……、夢だからいいけど……」
俺は最後にスクールバッグを手に提げた。
なにやら色々ぬいぐるみがつけられていて人前ではなかなかに恥ずかしい代物だ。
部屋の様子と併せても体の主はずいぶんとメルヘンなものが好きな性格のようだった。
「……少女趣味だな、ずいぶんと……」
俺は呆れるような微妙な顔をしてみせた。
「お姉ちゃん、もう朝やよぉ? いい加減起きんと……」
と、誰かが部屋のドアを開けた。
小柄な少女だ。
「……!」
俺は思わず後ずさった。
「……? なにやっとるん、お姉ちゃん?」
少女──俺のことを『お姉ちゃん』と呼んでいるので体の主の妹か──が怪訝そうな顔を見せた。
「え、い、いや! な、なんでもねえよ!」
「なんでもねえ?」
体の主の妹はぶっきらぼうに話す俺にさらに疑いの目を向ける。
「……な、なんでもないよ……、アハハ……」
俺はとりあえず笑っておいた。
「まーーた、東京弁使ってぇ! いくら東京に憧れを抱いとるからって使わんといてやぁ!」
「……これは違うと思うんだけど……」
俺は小さな声でツッコんでおいた。
「まぁええけど。 ほら朝ごはんやよ」
「……え? あ、う、うん! す、すぐ行くから先に行ってて!」
「早くせんと冷めるよ?」
「う、うん、分かったよーー!」
俺は体の主の妹を部屋から出した。
「……あ、焦った……」
気付けば俺の額からは汗がにじみ出ていた。
「って、なにを俺は焦っているんだ! 変なことなんてなにも……」
ここまで言って俺は自分の置かれている状況を思い出した。
つい昨日まで純粋な男子高校生だった俺が今や女子高校生用のブラウスを着てスカートまで穿いているのだ。
これ以上の変なことが果たしてあるだろうか。
いや、当然ありはしないだろう。
「……一体俺に何が起こったっていうんだ……」
「お姉ちゃん早くーー!」
体の主の妹が再び俺を呼んだ。
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部屋を出た俺が慣れない足取りでキッチンのある一階に下りると、そこには一人の女性がいた。
「あ、おはよう! 今日は葉月の大好きなスクランブルエッグやよ」
四十代半ばだろう女性が言った。
「……え、お、俺?」
どうやら体の持ち主は『葉月』という名前らしい。
俺は自分のことを言われたのに気付かずに一瞬だけ沈黙が生まれてしまった。
「こら、『俺』なんて使う子やなかったでしょ? 『私』でしょ、女の子なんやから!」
女性──口ぶりからどうも体の主の母親だろう──が俺の言葉づかいを注意した。
「……ご、ごめん、なさい……」
俺が謝ると体の主の母親は意外そうな顔をした。
「あら? 今回は素直に謝るんやねぇ? 意外やったし母さんビックリやわぁ! 和葉もビックリやな?」
「うん、ビックリやわ!」
と、体の主の妹──和葉──も驚いている表情を見せた。
「いつもやったら『そんなん私の自由やろ、ほっといてや!』とか言うのにねぇ」
「俺……じゃなくて、わ、私っていつもそんな感じ?」
俺が訊くと二人は首を縦に振った。
「……そ、そうなんだ……」
「変なお姉ちゃん……」
和葉は俺の顔を見ながらそう言った。
俺は変な汗が止まらなかった。
「葉月、そろそろ学校行く時間じゃない?」
体の主の母親が俺にそう訊いてきた。
時計を見ると七時五十分を指している。
「あ、う、うん! そ、そうだね!」
俺は一刻も早くこの場を離れたかった。
なので、これは大いなるチャンスだった。
俺は急いで玄関に行くと体の主のものと思われるローファーを履いた。
いつも履いていたスニーカーとは違いかなり違和感を感じたものの俺は我慢してそのまま玄関のドアを開けた。
「うわ、眩しッ!」
勢いよく射し込んだ日光に俺は思わず目を細めた。
それと同時に肌を刺すかのような痛みを覚えた。
その日は全国的に猛暑日になると予報していたので無理もない。
「じゃあ行ってきます!!」
「行ってらっしゃい、車に気を付けてね!」
体の主の母親の呼びかけに答えて俺はドアを閉めた。
と、ここで俺は重大なことを思い出した。
「そういえば、こいつの通ってる学校ってどこにあるんだ?」
そして俺の長い長い一日が幕を開けたのであった。
<次回へつづく>